【九月号】酒客笑売 #005【キ刊TechnoBreakマガジン】

宜敷君がこの町を書くと言うので、私もこの町での飲酒を書く。

数十年前のことは知らないが、一体全体、この界隈に寿司店が林立していたなんて話はにわかには信じがたい。

西船橋駅構内の立ち食い寿司によく行く私だが、駅から一寸離れた回転寿司の銚子丸の方が落ち着けて美味しいのだが滅多に行かない。

飲んだら帰るだけ、と言うのが確定するから駅から離れて飲むのがイヤなのだ。

だから、海神の寿司屋(現在は二軒ある)には仕事帰りではなく、家にいるときの夜に行く。

しかし、いくら美味しいお魚を提供してくれるとは言え、私は回らない寿司屋で一人酒をするような真似を滅多にしない庶民派だ。

だって、ねぇ、這入って瓶ビールにお刺身を付けてもらって、焼き物から特上握りなんて、高くて美味しいのは当たり前だもん。

お寿司を食べたければスーパーのパックのお寿司で十分。

お寿司屋さんには、真心を頂きたい時に上がる。

その代わり、彼処へ行けばほやの刺身に期待できる。

「あき」という居酒屋さんだ。

お寿司屋さんは二軒あるのに、海神に居酒屋さんはこの一軒しかない。

正確に言えば、他に二、三軒あるのだが(例の海神亭は他所で述べられているので除く)常連や店主が社交的に過ぎるので。

宴会客が来ていれば例外だが、あきさんは落ち着いた雰囲気の店舗で、私はその例外に遭遇したことは無い。

それなのに寂れた様子を感じさせない、通りに面した門構えも堂々として小綺麗な、亭主女将さんお子さんの心地良いお店だ(ここの路地裏には如何にもといった渋いお店が一軒あるが、這入ったことは無い)。

その日のお刺身の後には、カキフライとか豚キムチとかを続ける。

だからここでは瓶ビールばっかり飲んでいる。

品書きの短冊の中で目を引くのがカミナリ豆腐、これは豆腐のチゲ鍋みたいなやつで、またビールが進む。

こないだあきさんにお邪魔したら、カウンターに以前の顔見知りがいらして、懐かしいというより照れた。

十何年も前に、他所のお店でたまにご一緒することがあった程度なのだが、以前と変わらぬ美貌の持ち主だった。

もう閉めてしまったが、京葉銀行の目の前に「龍馬」というお好み焼きなんかもできる居酒屋さんがあって、仄暗い灯りのカウンター席で飲んだっけ。

その次にお店へ上がると、「よぉ、屰ちゃん、こないだはウィスキーを(キープしていた物だ)カパカパ飲んでたぜ。」とマスターに指摘され恥ずかしかった。

何せ、小学校の同級生の父親なもんだから。

女性の前で酒豪気取りして泥酔という悪癖が改善されるまで随分長くかかった。

マスターはビートルズが好きで、興が乗るとアコースティックギターで披露してくれた。

太くて噛み応えのある沖縄のもずくとか、どこにでもあるような焼き鳥が偲ばれる。

濁り酒を初めて飲んだのも其処だった。

良いお店というのは立て続けに消えていくらしい。

龍馬と同じ頃に、線路沿いの「なかにし」も店仕舞いした。

其処は独りで行くのも良いが、誰かを連れて、どうだ美味いだろと自慢したくなるようなお店だった。

良いお店というのはいくらでもあるが、自慢したくなるようなお店というのは滅多にない。

寿司店で出すような中トロなんかは良いとして、季節の秋刀魚は半身を刺身、残りを塩焼きにして食わせてくれるのがニクい。

カキフライは小ぶりのやつ二個をまとめて揚げて出す、これもニクい。

食通気取りの大将が能書きを垂れる、これは要らない。

かつては二、三軒の銭湯があり、どこで一っ風呂浴びるかその日の気分で決められるような町だった。

で、流した汗の分ばかり、一寸一杯引っ掛ける。

駅の隣に虫食いみたいな駐車場があるが、その辺がまさに飲み屋街の入り口で、混雑していた。

「大門」なんて言うギリシアなら大いに畏れるような名のお店。

店名に反して、背と腹がくっつきそうなくらい狭く横長で、それはもう串一筋五十年と言った気概の大将と女将さんで切り盛りしていた。

タン塩、レバタレ。

九九より早くそちらの方を先に知った。

此処と銭湯さえ残っていればと悔やまれるが、どちらも遥か昔に閉業している。

大袈裟なようだが、だからこそ地元に縛られない生き方になったのかもしれない。

いや、待てよ。

親父は私が生まれたから地元に、私がいるこの地に縛られたのか。

週に二日の銭湯通い、第三の場として、龍馬や大門を選んでいたのか。

現在、私が飲み屋さんに顔を出すと、「北一の禍原さん」とか「禍原さんのご子息」とか呼ばれる。

潰れてしまったお店ばかり書くことになったが、こうしていると、自身の死のイメージと重ねてしまいがちになる。

たとえばここにホワイト餃子船橋店があったなんて事が、もう何十年かすれば忘却の彼方に追いやられてしまうだろうかのように。

だけど、私が父から受け継いだものを、私から受け継ぐ命を授かる事を見落としてはならぬ。

私は行かないが、商店街にも新しいお店が少しずつできているのに似ている。

シリアルを売る珈琲店やカフェバー。

もしも未来の我が子が其処に行っても、禍原の名が知られておらず、良い遺産を残せていないだろう。

商店街は、海に掛けているのか、水曜定休と取り決めているらしい。

駅の向こうにはアントレという洒落たケーキ店がある。


#005 地元は飲食博物館 了