【六月号】酒客笑売 #003【キ刊TechnoBreakマガジン】

高校進学後から制度化された門限が、次第々々に延びて行き、いよいよ撤廃されたのが二十五の頃だったろうか。

文句があるなら家を出れば良いわけだが、生来の無計画が動脈瘤のように人生の行き先に詰まっており、おかげで私は成人を過ぎた子供のままでいる。

恥ずかしくはないのだが、恥ずかしむべき次第である。

仕事は向こうから来る、男は三十過ぎてから、この二つを心の中に無闇矢鱈と高く掲げて居たために、二十五の頃も非正規雇用に甘んじていた。

親からすれば、その時の私に一度見切りをつけた格好だろうか。

帰らぬ子を心配するのではなく、帰らぬ子は親の手を離れたと認識することが肝要である。

帰る選択をするより、帰らない選択の方が楽なのだから。

帰っていた頃もあった。

制度がまだまだ厳しい、学生の時分である。

酒を止めろとか、家を出て行けと言われては生きて行かれぬ。

私個人の権利を守るためには、酩酊しても泥酔しても、家に帰ると言う義務の履行は必須のように当時は思えていたのだった。

必ず帰る。

終電過ぎまで飲んで、東西線が東陽町止まりしかなかった時でも。

必ず帰る。

東西線を西船橋で起きることなく、折り返し逆方面の中野で起きたとしても。

必ず帰る。

いや、中野止まりならまだしも、運悪く三鷹まで行ってしまったときには帰れなかった。

駅から最寄りの古びたビジネスホテルのフロントに、ここのホテルと共に歴史を歩んできたかの様な古びた、それでいて気品のある老紳士が居たのが印象的だった。

必ず帰る、たまに帰れなくなる。

そんなこんなで、次第々々に門限は延びて行ったわけである。

千葉県船橋市に住んでいるから、東西線の終点である西船橋を中心に行動することになる。

そんな私でも、ここはどこだ?という経験が何度かある。

今日はそれをつらつら書く。

酒客ならば誰しも経験のある、珍談とも妙談ともつかぬ漫談である。

最初の衝撃は大船駅だった。

ということは京浜東北線だろう(酔っているので定かではない)。

私は西船橋から飯田橋を経由して荒川橋へ勤めに出ている。

端にあるから橋なのではないが、端から端へと移動する。

王子、十条、赤羽の呑助ゴールデントライアングルで気炎を上げる。

すると、赤羽から王子までのわずか二駅の帰りに深い眠りに就くことがある。

そのまま大船にたどり着くまで気付かない。

鎌倉市、小林秀雄の拠点ではないかと感慨深くなるはずもない。

前後不覚であることに変わりはないし、不慣れな駅はそれなりの規模があり、終電過ぎの時間に辺りは真っ暗で判然としない。

夏場なら路地裏のコインパーキングの端で仰向けになって、空が白む頃まで眠る。

幸いにも冬の大船へ終電で着いたことはなかった。

この頃は修行の成果が大分身についたらしく、大船まで足を伸ばしてしまうこともなくなった。

万一そうなったとしても、今ならば何処かへ転がり込むだけの元手はあるだろう。

駆け出しの頃は放埒生活がゆえに手元不如意がいつものことであった。

運悪く真冬にこうなったのが、東西線から東葉高速鉄道線へ抜けた東端、東葉勝田台で目覚めた時だ。

何紙か買った新聞紙に包まってアーケードの下で横になったのだが、あまりの寒さに耐えきれず、三十分おきにコンビニのカップ麺で暖を取るなどしていた挙句、たまらずなけなしの有り金をはたいて目の前のカラオケに逃げた。

たまに駅前に乗合の白タクがあるが、それでも安いとは言えない。

通常のタクシーなど言わずもがなである。

池袋からタクシーに乗った時と変わりない様に思えるのだが、酒客の記憶違いだろうか。

一方で、南北線から埼玉スタジアム線へ抜けた北端、川口元郷は駅前が全面公園のような歩道である。

辺りが真っ暗なのを良いことにごろ寝したが、朝日に照らされた私は通勤客たちの見せ物になった挙句、近所の無宿人から声をかけられた。

同僚たちがよく知っている土地柄なので、あぁあそこで寝たんですかと随分驚かれる。

知らぬが仏だが、死人に口なしにはなりたくない。

先日、大船に行かなかった代わりに、何故かはじめて蒲田で気付いた。

「久しぶりに地獄の様な飲み会がしてえ!」

と会長の一声で後輩三人と連れ立った帰りだ。

地獄の様な飲み会というのは、私自身が遺伝子レベルで記憶を消してしまいたくなるような醜態を晒すためか、私自身に記憶はない。

代わりに周囲の後輩たちが記憶していて、後日職場の記録に残る。

で、私の隣駅に住んでいる後輩と二人仲良く蒲田に落着し、アパホテルの厄介になった。

朝起きてシャワーを浴びて出るだけ。

アパホテルでなければならない理由はないのだが、酩酊泥酔状態の酒客に経世済民の判別などつくはずもない。

そうそう、この日も万一が(確率的には百に一程度の頻度とはいえ)起こったのだが、いつものことながら手元不如意である。

インターネットカフェで済ませれば良いものを、後輩に借してもらって泊まった。

翌昼前に起き抜け、近くにたまたまあった燕三条系ラーメンに這入って迎え酒。

おつまみが豊富で上機嫌である。

よほど飲み過ぎたのか、後輩はげんなりしている。

出されたラーメンの異様な威容に圧倒され、彼は悶絶していた。

そのお店は亀戸でよく行っていたので、私は懐かしく美味しく頂いた。

帰りに電車の中でベラベラ喋った挙句

「元気すぎ」

と言い放たれたのは忘れもしない。

興じて

「次から一駅分、ここ(電車の中)で俺が土下座し続けられたらもう一件付き合ってよ」

と言い返したのだが、彼にはまだ理性が残っていたらしく、我が野生の土下座は実現しなかった。

さて、今回も字数が近づいてきた。

またいつか、高島平で会いましょう。

と言いたいところだが、肝心の高島平に関する知見を示し、同じ悲劇が繰り返さない様にしておく義務があるように思える。

南北線で飯田橋を寝過ごし、目黒だか白金高輪だかから折り返す際に、おそらく赤羽岩淵行きではなく都営三田線の西高島平行きになってしまうらしい。

三鷹と東葉勝田台を行ったり来たりするだけの単純な東西線(および総武線、東葉高速鉄道線)に慣れた身には思いがけない陥穽、いや関頭である。

板橋区だか練馬区だかの奥地には四年に一度程度のありがたくないオリンピックみたいな頻度で流れ着く。

掃き捨てられるとも、吐き捨てられるとも言って良いだろう。

周囲には何もない、大通りをずっと遡って、二駅先へ行かねばならない。

西高島平、高島平、西台。

ここへ来てやっと駅前らしい施設が現れる。

二、三十分歩いた末、そこのインターネットカフェに泊まるのだが、そのときの安堵と言ったらない。

都営三田線での失敗は、疲れることはあっても絶望することはないのだ。

野宿する時は、2Lのお茶のペットボトル、親指で持つ部分に窪みがあるのをコンビニで買うのをおすすめする。

水分補給は無論だが、枕にちょうど良い。

#003 手元不如意の金色不如帰 了