【十二月号】巻頭言 おじさん、許さん、BLACK SUN【キ刊TechnoBreakマガジン】

「仮面ライダー生誕50周年記念企画作品」

重々しくもその作品は、各回冒頭にこの言葉が掲げられる。

まず、残虐なシーンが多発するのはやむを得ない。

この物語は、人間と怪人、二つの種族が対立する現代の日本が舞台だから。

怪人たちには彼らの徒手空拳しかない、人間たちの様に発砲して銃弾を打ち込んで、それでお仕舞いという訳にいかないのだから。

さりとて、物語の冒頭、差別反対の怪人たちと異種族排斥派の人間たち、それぞれのデモ隊が一触即発の様相を呈している場面から息詰まる展開であったのだが。

私は、日々をうかうかと暮らして来たから、デモ隊に参加したという事は一度もない。

しかしながら、丁度今から十年前にレバ刺しが禁止された際には、国会前に座り込みでもしようかと考えていたことがあった。

ワンカップを右手に、左手にはプラカードを持ち

『俺たちの楽しみを奪うな』

『俺たちは俺たちで責任を取る』

と、世界一平和な抗議行動を妄想していた。

食糧事情がどうなろうと、私たち日本人にはホルモンがある。

だが、怪人たちの食糧事情はさらに逼迫していた。

彼らにとっては、怪人たちの頂点である『創世王』が供給する体液を口にしなければ若さと強さとを保ち続けていくことができない。

そして、その創世王も今や瀕死であり、いつまで現状維持ができるか見通しが立たない。

時の首相は怪人たちとの融和(トゥギャザー)路線を進んでいるのだが、その実態は『創世王』と怪人の政府管理による利益の吸い上げだった。

事の始まりは今から五十年前、首相の祖父である当時の首相の思惑に端を発する。

人体実験を繰り返し、戦争兵器としての怪人を実用化するべく働きかけていたのだ。

五十年前の人体実験の犠牲者の中に、彼らもいた。

南光太郎と秋月信彦、BLACK SUNとSHADOW MOONとして、過酷な運命を背負わされる少年たちである。

次期創世王は、彼らのうちどちらになるのか。

物語は、差別と対立が渦巻く現代と、野心と衝動とが胎動する五十年前とを交互に行き来する。

この構造によって、物語がどのような経緯で突き進んで行ったかを明かすと共に、今ここの日本に居る私たちがいかなる価値を創造するのかを問うのだ。

人間と怪人、差別と融和、現代と過去、ドラマと視聴者、この対立を行き来することが、私たちに新たな価値の創造を可能にさせる。

きっと、物語は誰もが予期せぬ悲しみに向かって行くのだろう。

五十年前、政治闘争団体としての五流護六(ゴルゴム)党内部の友情に入っていく亀裂の様に。

その亀裂は、破竹の勢いとなって、団体ではなく個人の思惑によって瓦解していく。

何のために写真を残すのか、振り向かないためではきっとない、それではギャバンになってしまうから。

「ずいぶん老けたなぁ」

五十年ぶりの対面となる光太郎の姿を見て、信彦もまた囚われの身であったその五十年の歳月を実感したに違いない。

その邂逅の場には、もう一人の人物がいた。

怪人差別に反対を表明する数少ない人間、和泉葵。

彼女は国連で差別の無い社会に向けたスピーチをする。

怪人は危険では無い、怪人は人間を傷付けない、怪人も夢を見て恋をすると。

「人間も怪人も、命の重さは地球以上。1gだって、命の重さに違いは無いのです」

怪人の存在が日本発祥であるという世界認識を隠蔽したいと画策する現政府に見出されてしまった事と、怪人排斥派から彼女の暗殺依頼を受けた覚醒前の南光太郎が現れてしまった事により、和泉葵の運命は本作で最も激動の渦に飲み込まれる。

改めて今述べよう。

人間と怪人、差別と融和、現代と過去、ドラマと視聴者、この対立を行き来することが、私たちに新たな価値の創造を可能にさせるのだと。

私たちには、当事者にならずとも相手を慮る力があるはずだ。

ただ、きっかけが無いからその能力に気付かないだけなのだ。

それは、和泉葵の持つキングストーンに触れた南光太郎の変身と同じ事ではないか。

私は、五十年前の五流護六党員達の群像劇が好きだった。

それらが現代につながっている様子もまた好きだった。

被差別者である怪人たち五流が六流を護るという意味なのか、それとも七転び八起きの気概を『永遠の』闘争への流れに委ねるという意味なのか、それは分からない。

だが、私たち視聴者もまた彼らの在り方を共に振り返られるという事が、どこか勇気の湧いてくる行いだと思える。

だから、クジラ怪人はきっと第四話までの出演予定だった、そんな気がする。

「寂しくなるな、おい、もっと暴れたかったな」

コウモリ怪人とのあの会話が、きっとクジラ怪人に本当の生命を与えたんだと、そう信じたい。

もう、多くは語るまい。

さりとて、只のあらすじに終始するのも面白く無い。

だから最後に蛇足しておく。

コウモリとコオロギの二人、私はあの象徴を大いに気に入っている。

物語は終わらない、本当のオープニングは始まったばかりだ。

不思議な事は起こる。

WAKE UP!

人の性が悪ならば、善こそが変“真”のための唯一の手段ではないだろうか。