【人生5.0】Junのラーメンドラゴンボウル(碗) #003 ラーメン二郎 仙台店【ONLIFE】

有名観光地然としたラーメン屋さんへいく時は、一時間も待たされるのが嫌なので、開店の三十分前から待つようにしている。

その日は四十分前に着いた。

先頭が一名、これがありがたかった。

私はこのお店に這入ったことがなかったためだ。

そんなわけで、私はラーメン二郎仙台店さんの閉ざされたシャッターを見ていた。

 

物心つく前に七夕を見て以来、ここ仙台には奇妙な縁で惹かれている。

社会人になって以来、だいたい二年に一度は深夜バスで行くのだ。

文章を書くのに良い環境だと判明したため、これからもっと行く頻度が増えそうな気もしている。

この時の縁も奇妙だった。

 

「語り得ぬものについて人は沈黙せねばならない。」

で有名なヴィトゲンシュタインがその奇縁を取り持った。

あの超然とした断定と、およそ人間離れした言動にヤられて、著作なぞろくに読んでもいないのに引用したりを当時した。

そのツイートが文学界で一、二を争うほどのヴィトゲンシュタインマニアである諸隈元さんの眼に留まり、滅多につかないイイねがついた(実際には、その作家さんはヴィトゲンシュタインに関する全ツイートを可能な限りチェックしている流れなのだろうが)。

で、氏がその頃ちょうど、仙台旅行をしており色々な報告を呟いていた。

 

#どうでもよくない仙台情報

ここに、沈黙は破られた。

彼は怒涛のように吐露している。

「仙台で一番驚いたのはラーメン二郎 滅っ茶苦茶っうまかった」

「脂に頼りがちな都内の二郎に石油みたいな臭みを感じるのに対し、醤油のキレが効いてる神奈川系二郎を好む主因もそれ なのに仙台二郎では脂に蠱惑された」

「食べ物の中では世界一好きなのが関内二郎なので、その確信が揺らいだのはショックでした、、」

 

ヴィトゲンシュタイン、仙台、ラーメン二郎…点から線へ、私はそこにラーメンドラゴンボウルの存在を確信し、現地へと発った。

 

十二月の仙台である。

天候と日差しに恵まれ、日中はさほど厳しい思いをせずに済んだ。

花京院のホテルから、吉良吉影の邸宅があるとされる勾当台公園を見物。

石畳が眼に華やかで、広々とし、僅かばかりの家族連れは豊かな時間を過ごしていると分かる。

その後通りをぐっと折れ、広瀬通へ出、そこからは伊達氏代々の居城であった青葉城方面へ向けてずんずん進む。

仙台広し、三十分以上歩いて来た。

十時五十分着、お店の向かいのレンガに腰掛けて待つことができるのがありがたい。

 

前に並んでいた中年男性の後に続いて食券を買う。

初めて入る、系の付かない本物の二郎さんだ、緊張している。

今は、食欲なぞ度外視である、美味しく食べて幸せに帰るのだ。

私の食欲、この日は謙虚。

小で他店の特盛、大で他店の特盛二杯と言うこと程度の事前情報はある。

鰻重とアタマの大盛りで十分な私である、これくらいは特盛の範疇だろう。

 

では、そろそろ私も沈黙せねばならない。

対立のために食事しているわけでは無いのだ。

小ラーメン、それと気になったキムチ。

最奥から詰めて、行儀良く座っていく我々。

行列はすでに、長蛇になっていた。

 

すると常連らしき人が

「豚ないですか?」と訊いた。

店主らしき人が

「ありますよ!」と応じた。

前日の仕込みにも関わらず、食券機に反映させていなかったようである。

「えー、なら今からやろうよ!」

急ぎ、食券機は本来あるべきメニューを取り戻し、以降のお客さんたちは豚を注文できるようになった。

チャーシューが三枚増えて、五枚になる。

 

それを聞き咎めた先客が

「こっちもイイですか?」と食い下がる。

店主らしき人

「もちろんです!差額(百円)置いてください!他にいらっしゃいますか?」

ゾロゾロと手を上げていくお客たち。

当時、私は豚の差額が百円である事を知らず、幾ら払えば良いのかも分からなかったので、俯いていた。

我ながら新米の感に堪えず、流石に悄気たか。

 

さて、素人ならばせずとも良いと言われるコールと相成る。

「ヤサイヌキ、ニンニク、アブラ」

初回でヤサイヌキと言うのは、邪道と言われても仕方ないのではなかろうか。

だが私は、タンメンでも注文させていただくとき以外、九割がた野菜の類は無しにする。

挙句、にんにくジェノサイ道の求道者としてニンニクもアブラもマシマシにしなかったのは、外道である。

あぁ、全てが、感慨深い。

 

その一杯は、乳化したスープがキラキラと輝いているようだった。

キムチの赫がポール・セザンヌ然とした存在感を放っていた。

うどんのような確たる麺とだけ対峙したかったから、ヤサイヌキにして良かったのだ。

その味は、鮮烈だった。

濃い味は嫌いだ。

しかしながら、舌を刺すような快感が先走った。

このラーメンを批判する者は居るまい。

居たとすれば、それは…

さて、折角だからここで、もう一度ヴィトゲンシュタインにご登場願いたい。

「少なからぬ人々は、他人から褒められようと思っている。人から感心されたいと思っている。さらに卑しいことには、偉大な人物だとか、尊敬すべき人間だと見られたがっている。それは違うのではないか。人々から愛されるように生きるべきではないのだろうか」

私は誤りに気付いた。

褒められたい、尊敬されたいという気持ちでいたのかも知れない。

そういう姿を見せられる側は、良い気がしないだろう。

私自身も見せられているから。

 

褒められたい、尊敬されたいという姿はさながら、愛されたい、愛されたいと苦しんでいる姿に見える。

なればこそ、その姿が愛おしいと思える。

何も言わずに抱きしめたいような気持ちになる。

あなたと私は一つだけれど、あなたは私を見ていない。

 

LIFE WITHOUT LOVE IS LIKE JIRO WITHOUT GARLIC

まるで関内二郎さんのスローガンのようである。

私は近々、また仙台店さんへお邪魔して、小豚ラーメンキムチ生卵麺半分ヤサイニンニクアブラマシマシを頂くつもりだ。