【00】虚飾性無完全飯罪

Chapter:00 たとえそこに行くのが最初で最後であったとしても、今の自分に悔いは無い

胸がすくような思いとは正反対の感覚が続いていた。後楽園辺りで乗り換え案内を確認すると1時間以上かかることに気がついた。次の飯田橋で降りなければ、帰路からは逸れる一方になる。分水嶺は此処だ。行くのは負担の上塗りになるだけだと本能が告げている。一度行かねばならないと理性が叫んでいる。実を言うと、ねばならないでの行動を、今は回避したい。

目を閉じて「ヤクザ偏差値75」に代わるフレーズを1時間かけて考えようと思った。案の定、快眠は間も無くやってきた。一度目を覚ますと、車内は既に満員で、扉を閉めてはまた開きを四度も繰り返すような有様である。南北線で目黒に来るのは、帰りの電車で昏睡状態になっている時に通過する程度の経験しかないから、それを経験と呼んで良いかは別として、この混雑はほとんど初めての経験だった。新橋へ向かうのに溜池山王で降りるときは流石にこれ程ではないから。むしろ、銀座線の新橋行きへ乗ったときに感じるような状況だ。

泥酔状態で日吉や武蔵小杉の改札を出るときの記憶はほとんどないが、武蔵小杉駅のファサードは太巻きの様な絢爛さとそれを丸呑みする喉元の様な禍々しさを想起させ、ここを抜けるのが初めてでは無いと言うことを思い知らされた。

JRへ移動し、南武線に乗る。これから南部へ行くんだと思った。クレオール料理を食うんだ、と。乗り込んだ列車の短い乗車時間の間にこの記事をメモし始める。「ヤクザ偏差値75」に代わるフレーズを思いつくことはついぞなかった。

川崎駅。此処から先はイヤホンをして音楽を聴いていこう。ボーカルが女性である以外は我々のバンドと変わらないようなのを選曲し、流す。川崎駅改札口の構造は品川駅に似ていると思うが、通り抜ける人達が違う。そんなつまらない想像しか出来ないのは、此処を通るのが何度目かになったからだろうか。十代終わりの頃に来た、此処の深夜のゲームセンターが懐かしい。川崎の土地勘は新宿くらいにはある。つまり、どちらの土地勘も無いに等しい。

この日の前日は、実は、何らかの粗悪なヤクでもやったかのような頭痛と胸の苦しみがあった。その夜、インド料理屋で三杯目の生ビールを飲み終える頃にようやく気分が落ち着いたものだ。

ところがどうだ。迂路を辿った通りの向こうに、高々と赤く光るウェアハウスの文字。横断歩道を渡った先では、二人組の女性がこれから俺がするのと同じようにカメラを向けている。それを見て、さっきまでの不安感は一気に引き、胸がすいた。此処から先は、みんな同じ目的地。観光地に来た。何が違うかといえば、観光後に行く飲み屋がどこになるかくらいだろう。

駐車場へ誘う大きな虚のすぐ脇に、堅く閉ざされた小さい門。同時に通過できるのはせいぜい二人がいいところだ。その正面玄関の前には人だかり。自動扉の前に立つのを怯む者。それを好機とばかりにカメラを構える者。ぽかんと空きの出来た人垣に入り込み、そこを写真に収める。都度、歓迎降臨の四字が書かれた扉が二つに別れて開く。

その間、入店の作法を見て取ることができたから、直ぐに前進する。第一の扉の先に第二の扉。どちらも自動だが、第二の扉が開く時、直ぐ後ろで排気音が鳴る仕組みになっている。初見殺しの粋な計らいと言える。分かっていても、内心それには驚いた。

第二の扉の先は、上階へ向かうエスカレーターまでの廊下が続くが、他の客たちが一列縦隊でゆっくり進んでいた。内装が凝っており、素通りは出来ないのだ。前方には内部の様子を動画で撮影する女性たち。後ろからは常連と思しきスーツの男。廊下の突き当たりにあるのは、真っ赤に光る電脳九龍城塞の電飾を掲げたエレベーターホール。エスカレーターに乗れば、如何にもなビラが貼られてリフレインしている。

エレベーターを登った二階正面は、九龍城砦さながらの意匠を凝らした外壁。いや、内壁。下着にもしないような汚れた服が干され、栄養があるだけ幾分マシな獣肉が干され、空いた壁にはまたビラが干されている。

二階から見上げたその施設の様子は、三階からは眼前に観察することができる。その分、上階の方が撮影者が数多く居座っていたが。四階にある二十四時間営業のスペースは、流石に聖域の感がして行くのはやめにした。二階にあった対戦アーケードゲーム群からは、もはや自分の時代の斜陽の先を感じたりもして、異邦人の心境は清々しいまでに重くなってきていたから。エスカレーターで下階へ行き、案内に沿って店を出る。

あらかじめ決めていたのは、この後に行く飲み屋だ。ウェアハウスに居た幸せそうなみんなに訊ねたい。ここ川崎に来て、この店以上の満足感を得られる店を他に知るか。川崎駅から放射状に延びる道は、なぜかアムステルダム駅前を思い出させる。旧東海道を北東へ。通りの向こう、セブンイレブンの真横に、明かり一つ見えない路地がある。その店の存在感を増すための演出だ。平日火曜の夜八時、客入りは半分ほど。これが翌朝九時まで営業するのだから驚きだ。難なくカウンターに通された。

生ビールを注文し、メニューを見遣る。何も考えていなかったことを思い出した。この店でまず注文するのは三つ。煮込み、ずるずる、とりユッケマヨネーズあえ。生を飲み終えたころに注文が届く。代わりに赤星を頼む。焼き物は頼まずに、一年ぶりの信頼感を楽しんだ。同じのをもう一つずつでも頼めるが、帰るのが億劫になるし、宿代の持ち合わせはないし、何より好い一日の締めくくりにしたかった。

帰りは京浜東北線に揺られて、ゆっくりと感傷に浸っていた。もうイヤホンから音楽を流さなくなって久しい。思いのほか早く告げられた下車駅に出る。ソクラテスは自らのダイモンの声に耳を傾け、何をしないべきかに従ったが、その最期の時ダイモンは死ぬべきで無いとは言わなかったと言う。結局の所、俺のダイモンは当てにならない。この事を知る友人くらいが真の友人なのだろうか。ダイモンは何も言わない。