【人生5.0】ドストエフスキー探究 序【ONLIFE】

ー フォン・ゾーン、どうしてこんなところに残るんだい!今すぐ町の俺の家へこいよ。うちは楽しいぜ。せいぜい一キロかそこらだ。こんな植物油の代わりに、子豚に粥を添えてご馳走してやらあな。いっしょに食事をしようじゃないか。コニャックをやって、そのあとリキュールだ。いいイチゴ酒があるぜ……おい、フォン・ゾーン、せっかくの幸せを逃すなよ! ー

(フョードル・パーヴロウィチ・カラマーゾフ)

友人に非常な文学好きがいて、彼はドストエフスキーに救われたと言っていた。

「人生どう生きるべきか、悩んでいたときによく読んだ。」

「人生は素晴らしい、祝福されるべきものだと知ることができた。」

酒を飲みながらの熱っぽい語り口には感心させられた。

一方で自分は、文学の世界はまだ垣間見た程度だが、小林秀雄はよく読む。

その小林秀雄は昭和8年、31歳で『「永遠の良人」』(原題『手帖』)を文芸春秋に発表、以来30年以上に渡り作品論を発表し続けている。

還暦を過ぎてから本居宣長を10年以上書いていた小林秀雄が、脂の乗り切った若かりし日からの30年以上をドストエフスキーに費やしているというのは驚きだ。

何せ、家の便所の棚に第三次全集が揃っているから、第五巻『ドストエフスキイの生活』、第六巻『ドストエフスキイの作品』の両冊は昔から知っている。

だから手が出せなかった、ドストエフスキーを読んでもいないのに、小林秀雄で読んだって何になるだろうかというわけだ。

ページ数が短くて知っている題から、『徒然草』『平家物語』『失敗』『カヤの平』そこら辺から『考えるヒント』読んでいるのはそんなところである。

そしてそれで十分だと思っていた、考えるヒントの『忠臣蔵Ⅰ』以降に、思想と思索の深淵のようなものを、おっかなびっくり山頂まで行って少し覗くことができたと思っているから。

だから『モオツァルト』『ゴッホの手紙』『近代絵画』無論『本居宣長』も未だ通読は果たしていない。

そんな自分が『友人との会話の中に、俺たちの語彙をドストエフスキー から仕入れたい』そう思うようになっていったのだ。

 

突然だが、8年間のバンド活動が休止になった。

新曲制作が佳境に差し掛かり、感染拡大防止措置のリモートセッションはもう意味を為さないという判断によるから、宣言が明ければ再開する。

代替のミーティングも無しで、毎週の活動がふっと消えて無くなったのだ。

つまり、バンドに夏休みがやってきたというわけで、なら夏休みの自由研究を行おうと俺が提案した。

よって、行うのは「ドストエフスキーをテーマとした読書感想文」である。

そして、読み終えている作品は『賭博者』だけだし、これに関して書く必要性を認めない。

ただし、『罪と罰』『白痴』『悪霊』は上下巻を買い、既に1/4程度は読み進めているし、さらに『未成年』をすぐに購入予定だ。

これら長編4作品は「同時進行で読み進め、同じ機会に結末に達する」という読み方を課すことにした。

もちろん、時間がかかるので、夏休み中にこの読書実験は果たせないだろう。

しかしながら、『カラマーゾフの兄弟』を今、中巻の半分以上まで読み進めているし、この調子ならあと5日ほどで読破できると見積もっている。

夏休みは『カラマーゾフの兄弟』で行くのだ。

長編4種は四半区切りずつ、連載形式で綴る。

 

昭和14年、小林秀雄は文学界に『「ドストエフスキーの生活」のこと』として出版に際しての、ごく短い執筆後感を文章にしたものを発表している。

その引用で、序を結ぶ。

ーこの次には「ドストエフスキイの文學」という本を書こうかと思っているが、いつになるか、わからない。どういうものになるかもわからない。わからないから書くのだ。それが書くという奇妙な仕事の極意である。ー

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です