【四月号】総力特集 小林秀雄『無常ということ』【キ刊TechnoBreakマガジン】

 滋賀県の日吉大社、山王権現にわざわざ巫女さんのコスプレをした若い女性がやってきた。

「どうであってもかまいません。どうか、どうか」

とんとこと鼓をうちながら、聞き入ってしまう様な美しい声で唄っていた。夜も更けて人が寝静まったあと、十禅師社の前でのことである。

 なんでそんなことをしているのか、人から問い詰められると

「生死無常のありさまを考えてみれば、この世での自分のことはどうであってもかまいません。どうか死後は浄土に生まれますように」

と言ったという。鎌倉時代後期のことである。

小林秀雄『無常ということ』の書き出しは、上記『一言芳談抄』の引用から始まるが、この始まり方の効果は

「何を述べるのか、と読者に一種の謎めいた感じを抱かせ、筆者の思考のなかに一瞬にして誘い込む効果(高等学校現代文B指導書、三省堂(以下、指導書)、p.323)」

があるという。

実は、小林秀雄を扱っている教科書があるという情報を入手し、非常に頼もしく感じたのでその指導書を入手した。

今回はそれに関する雑談と情報のまとめを記しておきたかったのだが、巧く行かなかったため今こうして書き直しているところだ。

結論から言えば、やはり小林秀雄『無常ということ』は、文章でありながらもそこに確固として存在する一つの物質的な美術品である、という実感を強く感じた。

この実感が、書いておいた五千字を粉砕してしまったのである。

では改めて、『一言芳談抄』からの原文を載せる。

「ある人いわく、比叡の御社に、偽りてかんなぎの真似したる生女房の、十禅師の御前にて、夜うち更け、人静まりて後、ていとうていとうと、鼓を打ちて、心澄ましたる声にて、とてもかくても候、なうなうとうたひけり。其心を人にしひ問はれて云、生死無常の有様を思ふに、此世のことはとてもかくても候、なう後世を助け給へと申すなり。云々」

小林秀雄はこの文章を「読んだ時、いい文章だなと心に残った」と続けている。

なるほどそう思う。

日本語訳などと比べてみれば、歴然として文章の“姿”が優れている。

小林秀雄は、人間の外見と同じように、詩や文章や言葉にも姿があるとよく言う。

実はこの『一言芳談抄』の良さを共有する為に、彼は『無常ということ』を書いたのではあるまいかとも思われる(ポータルとしての小林秀雄)。

そして、小林秀雄はこう主張する。

「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」

『一言芳談抄』の和訳という解釈と、私が行おうとした『無常ということ』への解釈。

それを彼は否定する。

「解釈だらけの現代には一番秘められた思想だ」と。

だけど、今回、全国の中高生が格闘するであろう内容を、手元にある指導書をよすがとして、それでも解釈したいと思う。

出来る限り、解釈から離れることに努めながら。

さて、指導書の冒頭「学習目標」から三つの大問題がブチ上げられる。

(以下引用、指導書、p.310)

・「歴史の新しい見方」や「新しい解釈とかいう思想」、これらの筆者が否定している考えは何かを理解する。

・「上手に思い出す」ということと筆者の歴史についての考えとの関係について理解する。

・筆者の個性的な文章表現(文体)を理解する。

(引用終わり)

絶句である。

特に前者二つ。

文体に惚れて読み進めた経験が我々ファンにはあるので、後者一つは頼もしいのだが、それらをひっくるめて教えられるものなのだろうか。

いや、そんな事を意識しながら精読というか分析したことはないし、『無常ということ』を誰かと議論したこともない。

逆に考えれば、今の高校生はその機会を与えられて幸せということなのだろうか(三省堂の教科書を与えられなかった生徒は不幸せだなと思うとかなんとか逆説的な冗談も交えておく)。

唐突だがここで問い。

問 歴史とは何か。あなたの考えを書きなさい。

基本的にこういうのは、連想ゲームでやっていけば良さそうなものだ。

歴史という概念を中心に据え、その周辺にあるものを連想しながら言葉にしていく。

例えば、人、過去、事件、書物、記録、変遷など。

これらに語句を肉付けし、文脈化していけば良さそうだ。

答 過去の人物たちが引き起こした、あるいは引き受けた出来事や記録の変遷。

悪くなさそうだが、指導書には別の指摘も載っている。

「歴史を学ぶことで、よりよい現在の姿を探究する」という面だ、なるほど。

その後の記述には、小林秀雄の文体が「考えるようにして書いた、あるいは書きながら考えた(指導書p.310)」という指摘(文学者内での通念として一般的)、「あたかも物質的な美術品のよう(指導書p.310)」に堅固な文章という指摘(初めて見る意見だがその通りに思えて冒頭で受け売りを書いてしまった)、「「考えること」「書くこと」の奥深さに目覚めること(指導書p.310)」という生徒に向けての願い(今私がこうして書いていること自体、程度は低いが全く同類である)、こんな風なことが述べられている。

しめくくりに、「それにふさわしい批評としての「古典」といえる作品である(指導書p.310)」と、2013年のセンター試験に出題された「鐔」に対するフォローを入れているような風に見える所も面白い(後述)。

本文の要旨をまとめておく。

常なるものを見失った現代人は、もはや人間というより一種の動物である

小林秀雄がこう主張する理由として、自身の体験がまず先にある。

その体験は純粋経験と言っても良いかもしれない(これを「タイムスリップ」と表現しているYAHOO!知恵袋の回答があった、そう読み替えてみるのは良いことだと思う)。

幻覚という言葉だけで片付けられないほどに、鎌倉時代を鮮やかにありありと思い出していた」という比叡山(山王権現)散策中の体験である。

この体験をきっかけとして分析と思索を重ね、ついに

解釈づくで歴史を眺めなくなって以来、ますます歴史は美しい。記憶するだけではなく、思い出すことも必要である」という結論に到る(ベルグソンの思想の影響があるらしいが、ベルグソンについて未だ知らない)。

「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」

自己流で本文を紹介しようとすると、以上のようになるのだが(太字は『無常ということ』本文をパラフレーズして添えた文)、さてここで疑問。

題にもある「無常」や「常なるもの」が一体、本文の内容とどのように関わってくるだろうかということだ。

考えながら書いていたが、直観できないものは分析に頼るしかない(小林秀雄は直観なき分析はないと主張するので、その流儀から逸脱するが、直観がないものは仕方がない)。

そこで、ありがたいことに指導書があるので、それに促されてみるとしよう。

一応触れておくと、小林秀雄の「幻覚体験」の引き金となったのが、『一言芳談抄』中の短文が比叡山散策中に急に思い出されたことだ。

指導書には、当然というべきか、作者の概要を調べ学習させた後、音読と黙読を踏まえてから、『一言芳談抄』の現代語訳と内容確認を指導案の例にしている。

『一言芳談抄』は中世の念仏行者らの信仰をめぐる法語類を集録した書で、『徒然草』に引用があるという。

だから続く本文には「恐らく兼好の愛読書の1つだったのであるが、この文を「徒然草」の内に置いても少しも遜色はない。今はもう同じ文を目の前にして、そんな詰まらぬ事しか考えられないのである。」と書かれる。

例の幻覚体験の引き金となった文章があるにも関わらず、そのときの状態に戻ることができなくなっている。

ここで、小林秀雄は気付く。

「それを掴むに適したこちらの心身の或る状態だけが消え去って、取り戻す術を自分は知らないのかも知れない。」と。

しかし、そんな意見は「子供らしい」と一蹴する。

続いて、悪文登場、私の理解力不足も十分に考えられるが。

「こんな子供らしい疑問が、既に僕を途方もない迷路に押しやる。僕は押されるままに、別段反抗はしない。そういう美学の萌芽とも呼ぶべき状態に、少しも疑わしい性質を見付け出す事が出来ないからである。だが、僕は決して美学には行き着かない。」

理解力不足は指導書に促されるままに読み進もう。

曰く「「途方もない迷路」を文中で言い換えた表現は「美学の萌芽とも呼ぶべき状態」を指し、世の美学者たちが理解するような方法で「美学に行き着」くことはないと宣言している。美とは、あの経験と同様に一回限りのかけがえのないものである」ということのようだ。

悪文と断じたのはまだまだ私の経験不足だったようだ。

「僕は決して美学には行き着かない」という、これは小林秀雄がよくやる、他の一切を斬り捨てる断定だったというわけか。

キーワードから連想しながら、徐々に文脈化を進めていけば、すなわち。

歴史

―― 歴史は美しい。

―― 幻覚のような鎌倉時代の美しい思い出 。

―― あの美しい歴史上の人々や事件、すなわち景色を上手に思い出すということは、生が一回性であることに無自覚なままでいなければきっと出来るはずだ。

これを以って、私自身が『無常ということ』にケリをつけたと言っても良いだろう。

どうだったであろうか。

私の解釈が『無常ということ』本文に粉砕された様が伝わったであろうか。

それは、『一言芳談抄』の訳文という解釈と、原文の美しさとの差の様に歴然と顕われていると観てもらえるのであれば、筆者としての目的は達成したと一応は言えるか。

「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」

と書かれているのに、随分と駄目なことをした。。

興味本位で逆上せて、指導書なんぞ入手してみて、その暴露的好奇心を満たすために『無常ということ』を解釈してしまったことで気付けた。

学生時代に小林秀雄を読むことが習わしになっていた私にとって、高校卒業後に「教師が現れた」というのは、世の中捨てたもんじゃないなと思わせるような出来事だった。

それはきっと見方を変えれば、「生徒も現れる」と言ったって良いはずなのだ。

全ての人に対して、謙虚に教えを乞うような生徒でいたいと私は思う。

雑記Ⅰ

小林秀雄を全集一巻から読んではならない。

とくに『様々なる意匠』を読むべきではない。

ただし、小林秀雄は全集で読むべきである。

図書館で借りるのが良い、文庫を買うのは勧めない。

目次をざっと見て、短いページ数の関心あるテーマを選ぶのが良い。

例えばそれは、スポーツかもしれないし、好きな作家の作品評かもしれないし、国家や教育といった概念かもしれないし、ゴッホや徒然草かもしれない。

朝日新聞の特派員として戦地に赴いた従軍記や、紀行文も面白い。

小林秀雄はあまり自分語りを遺していないからだ。

美食家だったが、食に関しては、知る限り『蟹まんじゅう』の一作品しか遺していない。

これは上海にあったという南翔饅頭店の前身である長興楼に(場所は推測である)、小籠包を食べにいくという食レポなのだが、読むだけで絶品である。

雑記Ⅱ

池田雅延(小林秀雄晩年の編集者、小林秀雄をよく知る生き証人)の『随筆 小林秀雄』二十七回において。

小林秀雄は、朝日新聞『天声人語』と夏目漱石に並ぶ入試頻出御三家の一角だったという。

しかしながら、丸谷才一による批判があり、一九八◯年ごろから入試に出題されなくなった。

そんなようなことが書かれており、面白く読んだ。

意見を受けた小林秀雄の姿勢や指摘の的確さ、池田雅延の憤りや痛快な意趣返しも良かった。

そんな中、十年ほど前、二◯一三年のセンター試験に小林秀雄の『鐔』が出題され平均点が大幅に下がり、大きな議論を引き起こした。

共通一次を含めた史上初、まさに満を持してである。

反面、受験生たちの(ツイッター上での)声で印象的だったのは

「古文が出た」

というもので、彼らの無念がひしひしと伝わってくる。

文章は良いのだが、同じ小林秀雄の別の作品を選べば良かっただろうにと思う(例えば後期に書かれた平家物語など)。

のではあるが、これを機に十代の中高生が小林秀雄を読むようになれば良い。

理由は分からないが、だから今回の文章を書き始めたようなものだ。

小林秀雄の文章は難解で飛躍もあるのだが、読み切れば

「そういう見方もあるのか」

と為になることが豊富だ(それが顕著なのが『考えるヒント2』)。

課題は何を採り上げ、どの順に提示するか、これが上手く行きさえすれば読者は自発的に次へ次へと読み進めるだろう。

小林秀雄のユニークな見方、多様な見方、どちらも生きる力の一助となるし、古典や美術に対するポータルともなり得る。

大学卒業までにしっかり読み切っておけば、同期の十歩先は楽に行ける(採用面接で好きな作家や尊敬する人物として挙げてしまうと、もしかすると面接官が入試で嫌な目に遭っているせいで落とされることもあるかもしれないから気を付けたい)。

雑記Ⅲ

小林秀雄に『年齢』という文章がある。

四十八歳の作だ。

鎌倉小町通りの天ぷら『ひろみ』にはかきあげ・穴子・メゴチが載った「小林丼」というのがあるのだが、この『年齢』という文章には「小林定食全部載せ」といった趣があって、この頃大好きである。

前年秋に京都の寂光院の見慣れた景色が何とも言えず美しく感じられたこと、若い頃に八ヶ岳で経験した壮絶な登山体験、谷崎潤一郎『細雪』における鯛や桜の問題、孔子の耳順、喧しい頭脳で識ろうとする美術と単純に見るという目の作用との乖離や調和、若い人が面白がろうとしても理解できない『徒然草』。

ここで再度、『無常ということ』からおよそ八年ぶりに主張がなされる。

「「平家」には、見えたものだけが見えたと書かれていて、題も「足摺」と附けられた。」

すなわち

「解釈を拒絶して動じないものだけが美しい」

八年の歳月を経て小林秀雄は、ついに『細雪』を通して明言してくれた。

「年齢とは、頭脳と感性の一致を指すのだ」と。

そんなことは一言も書かれていないが。

最後に、私が小林秀雄を読むようになったのは、石川一郎氏のblog『ロックンロールブック』に負うところが大きい。

氏は、何らかのケリが着いたらしく、そのblogは今は読むことができない。

代わりに『ロックンロールブック2』として、その思索や鑑賞の幅を広げて執筆中である。