【三月号】環状赴くまま #017 新大久保—新宿 編集後記【キ刊TechnoBreakマガジン】

新宿へ向かうと言うのは年甲斐もなく浮ついた気分になる。

そのため、選んだのは月末の月曜にした。

何だか気合が入ろうってものじゃないか。

日の長くなった十八時三十分、辺りが暗くなるのを待って、出発。

パチンコ店の脇にある路地を南下していく。

早速よさげなお店あり、メニューなどよくある大衆居酒屋ものではあるが、やけに小洒落ている、描かれているイラストに『ミライザカ』を感じる。

高田馬場からの路地の延長みたいな雰囲気が続いている。

しかしながら、逆側にあたる環内こそがTHE新大久保コリアン王国なので、今歩いている道はこれでも大分トホホであると言わざるを得ない。

だいたいまず人出が全くないもの、極力写らないように撮影したけど駅前なんかめちゃくちゃ人だかりがうねっていたのに。

宿泊もできるサウナ、こんなのあるなんて実用度爆アガり、当方は赤羽のをよく利用するし、仙台に旅行の際にはCure国分町は候補に入る。

新大久保エリア途絶の予感、ここまで。

左見て。

右見て。

続く路地を真っ直ぐ進む。

ここはどこか、池袋から目白に向かう途中の空隙地帯に似ている。

もちろん、街の側面の一つに、人の棲家という要素もあるが。

しかし、この先にあの新宿が待っているとは想像ができない。

以下が今回のベストショット、私道でしょうか、何か潜んでいる感じする。

指示通り律儀に右へ回って迂回。

この先、東京都道302号新宿両国線(狭義には職安通り)。

これが大久保エリアと新宿エリアの境界だな。

通りが交差する地点では左右を広く記録しておく。

やはり環内の方は人出が多いのか、良く見てみれば、行き来できるように横断歩道が設けられている。

一方でこちら側にあるのは…。

高架下。

有志のクズ入れ、駅前から飲み飲みしてきた空き缶をありがたく捨てさせてもらった。

そして、歩道橋。

渋い、実に渋い。

こんな所をカシャカシャ撮影しているのは不審者に見られる。

人をやり過ごし、カメラを向けないように配慮するのも一苦労だった。

しかし、この狛犬には興醒めも甚だしい。

ま、狙ってないからこそ、この取り合わせなんだろうが。

写真中央に写っているオレンジの光は、新宿のランドマークの一つ、エスパスの電飾である。

職安通りを越え、いよいよ新宿エリア。

しかしながら、意外と閑静なのに驚かされる。

地図を調べると、ここにあるのは西新宿プライムスクエアという共同オフィスなんだそう。

懐の広さを感じさせる施設だった。

新宿の喧騒らしきものは未だ感じられず。

そこの路地を右に覗いてみても繁華街然とはしていない。

が、いよいよそうも言っていられなくなる区域が次の路地。

目星をつけていたのはここの先にある鮮魚店。

後でここまで戻ってきて向こうへ進むことになるのだが。

え、『なんでんかんでん』??

生きとったんかワレェーーーッ!と言う感じに胸が詰まる。

さて、気を取り直して駅の方へ進路をとる。

枯れ井戸と読めそうな縁起の悪いパチンコ店さん。

くわばらくわばらと思いつつ先へ急ぐ。

あ、なんだか安心感のある、見覚えのある光景だ。

新宿は、池袋と同じく、駅前の雑踏が一番充実していて、接続の道に新宿を感じさせるようなものは少なかった。

目の前の思い出横丁へは行かず、先ほどのなんでんかんでんの少し先へ。

今夜選んだ飲み屋さんは、タカマル水産さん。

突き出しはバイ貝の煮たの、こりゃタカマルね〜。

刺し盛りの二人前と生牡蠣で、(二人で飲むのであれば)高コスパな飲みを堪能した。

後から入ってくるお客はみんな断られていて、私が入店できたのが奇跡、こちらナカナカおすすめなのでぜひ予約して行って欲しく思います。

で、〆はここ。

替え玉三つで千五百円ほど。

渋谷にあった商業施設内で食べて以来二、三年ぶりになりますが、めちゃんこ美味かったです。

今回出てきたチャーシューも強かった。

はっきり言ってスープは都内のどのお店でも出会ったことのないお味、おみそれしました。

これからしばらくは、ビール飲み歩きが爽快な陽気が続くだろう。





編集後記

 キ刊TechnoBreakマガジンも、創刊から一年経つ。前身となる「一食一飯」「ラーメンドラゴンボウル」の週刊連載に疲弊して、キの向くままの連載ができるよう、このような一人雑誌を出し続けてみるという試みである。やり切ることができて、今、非常に安堵している。

 いよいよ、後回しにし続けてきた「船橋ノワール」を何年かかったとしても終わらせる必要があるから、キ刊TechnoBreakマガジンはこれで仕舞いにする。わずかな読者の皆様に対しても、物語に区切りをつけるという誠意を示すことができたのではないかと思っている。感謝しています。

 ひょんな事から生まれた宜敷準一、私は彼にアリョーシャとかムイシュキンのような良いやつになって欲しいと願い、この一年があったのだ。彼は逆輸入される形で船橋ノワールの世界の住人になるだろう。本編での登場は期待できないが、スピンオフの「虚飾性無完全飯罪」では活躍すると思う。先月にも書いたが、我らが禍原一屰が今後どのような破天荒をするかしないか、引き続き応援してやってほしい。

 四月からは新企画が始まるから、この場ではその記事が定期的に載るだろう。それは静観していてほしく思う。「環状赴くまま」も月一で継続する。

【三月号】ヨモツヘグリ #013 浦安 三ぶちゃん【キ刊TechnoBreakマガジン】

宇ち多゛に入るから、宇ち入りと言う。

このお店は一寸怖いな、と改めて思った。

土曜なぞ朝十時の開店に向けて、八時過ぎから並び始めると言うのだから。

仕事明けに誘っていたモツ煮込みで一杯やる会、最終回は休日にそのお店へと思っていたが、未来のカミさんの方で午前中に用事があるんだそうだ。

ちなみに、土曜の宇ち多゛さんは正午過ぎには品切れで閉まってしまうらしい。

だからって博多もつ鍋か何かにハズして最終回を迎えようって気もしちゃいないが。

まぁ、兎に角、宇ち多゛さんへ行くのは僕はやめておく。

きっといつか、「何処かの呑み助」がふらっと行って、記事にすることだろう。

じゃあどうするか。

本郷三丁目のじんちゃんさんか、秋元屋さんは西東京でやや遠い、そう言えば東中野のグリル座ボスさんで鶏刺しってのも悪くない、おやそこの裏手に丸松さんってのも出来たのか秋元屋さん系って事ね。

決まらない、もういっそ東十条埼玉屋さんに、いやでもカミさん同伴でマスターに何言われるか分からない、飲み過ぎてしまっても宜しく無い。

と言うか、居心地もつまみもこの頃ますます上々な牡丹屋さんへ二人きりで再訪も良さそうだが。

あれこれ考えてしまって何が何やら訳が分からない。

こっちの方も自由に行こう。

今夜のヨモツヘグリ、最終回は和で刺身だ。

で、モツ野ニコ美女史の地元、浦安で十八時半に落ち合う事にした。

のだが、開店時間の十七時に予約の電話を入れると、その日はあいにく満員御礼なのだという。

和の湯田川さんという処、前々から気になっていたが、またしても行く機会を逸した。

女将さんが電話口で平身低頭して下さっていた様子がよく分かり、もうこのお店に当日予約をするような真似をして、同じように困らせてはならないと心に誓った。

彼女は改札前で待っていた。

象牙色をしてふんわりとした外套を羽織って、こちらに手を振っている。

それで一体どのお店に行ったらいいか、途方に暮れそうになりながら事情を話して歩き出す。

ガード下のお店は気に入っていたが、大分前に店仕舞いしてしまっていたからそちらには向かわない。

ロータリーから見て、左手の路地に入ってみることにした。

「こっちの通り歩くことって無いわねぇ、ウチへは一つ隣の路地なのよ」

などと言いながら、その長く美しい髪をきらめかせながら、その瞳はもっとかがやかせながら、慣れない通りを興味津々で彼女は進もうとしている。

通りを入ってすぐ、左手に前々時代的直球といった風情の焼き鳥屋さん。

僕たちは二人とも、呆気にとられるようにしてそのお店を凝視していたのに気付く。

無言でいるのは、我々が相互に手応えを感じている証拠だ。

和で刺身と決めた今夜の希望に肉薄できそうなお店へ近付くべく、先へ。

すると、目と鼻の先くらいの距離に、あった。

二う゛ちゃん、という由来を聞きたくなるようなお店。

軒には小さく「小料理」と書かれている。

ここだと思って、僕は彼女に様子を聞くこともせず、引き戸を開けた。

中は七人ほど掛けられそうなカウンターと、小上がりの座敷にちゃぶ台が二つで他人ん家然とした如何にもな風情である。

大将と若いの、お客は一人静かに飲んでいる。

前進するしか無いのだが、非常に気後れしている。

と言うのも、男女二人が来易い話など出来そうなお店では無いからだ。

小上がりでも何処でもどうぞ、と言われてカウンターに着く。

湊町で歌謡曲ってお店、こういうの初めてだ。

いつもと様子の違う僕の事を、不思議な顔つきで見つめているモツ野女史は、流石地元だから落ち着いているとでも言うのだろうか。

この日、僕は声をひそめて会話した。

店員さんへの注文ははっきり申し上げた。

瓶ビールとゆずみつサワーで乾杯した。

見つめ合うだけの時間が流れた。

気を落ち着かせながら席の正面を見た。

ホワイトボードが掛かっていた。

本日のマグロ

◎本日の刺身2点盛り¥1,200

①脳天と中おち

②脳天とホホ

③カマトロと中おち

④カマトロとホホ

何だか、色々と完璧なお店が駅前にありました。

①と④、あるいは②と③の組み合わせで注文すれば四種制覇となるので注文。

美味しくないわけがなかったので感想は割愛するが、気を良くして日本酒に手を出してしまいたくなるほどに上々。

鰯のフライ、鰈の煮付けも良い。

地元船橋にこう言う良いお店ってあるんだろうか。

などと少しばかり落ち込みながら、蛇足でもつ煮込みを注文。

こんにゃくを細切りにしたやつが入っているが、高速のSAで出るようなタイプである。

静々としたしめやかな夜は更けた。

退店して駅前のロータリーへ出ると、ブオンと唸った黒いセダンが眼の前に急停車した。

後部座席から、とんでもなく目立つ緋色の軍装に身を包んだ美丈夫が颯爽と降りた。

「徒歩口頭で辞令、傾聴。『エージェントW失踪から三か月、空位の補填のため貴官をエージェントMに任命』以上だ」

「アタシにWAR GEARの筆頭が務まるとでも思ってるって?」

「気の毒だが、まぁ。半人前だがヴィーも馳せ参じるさ。さて、」彼はこちらに向き直って言った「エージェントRだ、ライス大盛りのR。よろしく」

差し出された右手に握手すると、上下にぶんぶんと振られてやけに馴れ馴れしい。

「いつも読んでたんだ、キミの書く食べ歩記、楽しく読んでいた」

「は、これは、どうも」

軍務から籍を外して世迷言みたいな物を書いていた僕は、何もかもバレているのだという感じが今更ながら照れ臭く、軍閥に復帰した身分だというのが今はとても居心地悪かった。

眼の前にいる人物の階級が大尉だからと言うのもある、大いにある。

僕は小者なので小尉、いや少尉なのだ。

それにしても、手をずっと握り続けながら、やけに僕の事をじろじろと見てくるが、何なのだろう。

「私だよ、『紅いホルモンは激情』の」

そう言って、彼は嫌味を全く感じさせないような目配せをした。

「え、白米モリヲ?惑星完食男の!」

それは、僕と似たような物書きの名だ。

そちらではお互い顔も知らぬまま意気投合していた。

「y少尉、貴官はY大尉に昇進だ。二階級特進、死んだ気で励んでほしい、以上」

紅い軍装をたなびかせて、彼は嵐のように去って行った。

「軍閥内部ならまだしも、秘匿中の秘匿みたいな部隊内で恋愛なんて在り得ないから、結婚の話はしばらく、それなりに結構長い事待ってて頂戴ね」

と言いながら、モツ野ニコ美ことエージェントMは、左手の指環を右手の薬指へと移し替える。

モツ煮や餃子で満足していたこの僕が、最後の最後におあずけを食らったのが、こんな夜だ。







ヨモツヘグリ 了

【三月号】棒切れ #011 台無しの詩【キ刊Technno Breakマガジン】

道から外れて法を犯す

社会に対する叛逆だ

理系の頭に偏った

社会に対する叛逆だ

カバンの中には文庫本

空手が上々半端者

ガリ勉インテリ大嫌い

教養失くした基準以下

逆転するなら勉強だ

溜まり場行くのは止めにした

暴力連打の一夜漬け

暴風染みてる詰め込みだ

知らない事が多過ぎた

自分に対する叛逆だ

今ならルールを遵守する

最後は自分に叛逆だ

【三月号】酒客笑売 #011【キ刊TechnoBreakマガジン】

桜の季節がやってくる。

私は大学二年生の頃、四月上旬にくしゃみが続くようになり、自分が花粉症になった事を思い知った。

あれから時が経ち、今では地球環境のせいもあるだろうが、一ヶ月も早く目が痒くなる。

つまり花粉の飛散が、桜の開花をちょうど追い越して行ってしまったという事だ。

こう見れば、桜は兎で花粉は亀か。

私自身、他者と競うようにして飲み比べをする性質だから、いよいよ身体にガタが競うにいや来そうになっている。

誰と比べているのか、誰と競っているのか、そうしているうちには幸せに行き着くことはあるまい。

大学の講義で思い出せる事なぞ、、きっと片手で済んでしまうだろう。

老地質学者の咆哮、ドライアイの理論学者、私をメディアにアクセスさせた名も思い出せないあの講義、余命の無い美学者。

中でも、折に触れて思い起こされるのが、経済学の講義だ。

その精悍な経済学者が言うには、就職したら会社のトイレットペーパーを持って帰って良いのだそうだ。

コンプライアンスを無視した名調子に私は溜飲が下がる思いがしたし、私自身も他者に対してこれくらい正直でありたいと願う。

そんな彼の講義の大部分を私は居眠りしていたが、たまたま起きていたゲーム理論の簡単な小話を受けていた際に紹介された、とある答えをここに書き残しておきたい。

事例として分かりやすいチキンレースが取り上げられた。

双方が崖に向かって車を飛ばし、先にブレーキを踏んだ方が負けと言うやつだ。

ブレーキを踏んだ方は汚名を着せられるが、双方がブレーキを踏まなければ崖の上から車と命を落とす事になる。

経済学者が言うには

「チキンレースには、最初から参加しないのが正解」だそうだ。

他者との飲み比べも、SNSでの暴飲暴食自慢も、最初からやらないのが正解。

失った元手を取り返すためのギャンブルも、レベル上げの見栄とちょっとばかりの所有欲の為にソシャゲに課金する事も、最初からやらないのが正解。

しかし私のように、汚名は挽回するもので、名誉は返上するものだと心得ている愚か者からすれば、経験してみて初めてそれがチキンレースだと思い知る瞬間が多々ある。

なので、事前に察知して不参加を決め込む事が無理ならば、次善の策として気付いた時に降りるのを決めれば良い。

今調べてみたら別の説があり、チキンレースは先に気付いた方が有利なので、その者が何らかの戦術を取る事で自陣の采配をより良い結果に向ける事が出来るようだ。

なるほど、崖に向けての車に乗り込み、チキンレース開始の合図が鳴ると同時に、ギアをバックに入れて全力で踏み込めば良い訳か。

試合に負けて勝負に勝つ。

たとえ愚かであったとしても、我々は試合と勝負とを見定めるだけの教養をせめて身に付けなければならない。

さて、学業から逃避するためにせっせと読書に勤しんでいた学生時代であったが、当時から私にはろくに金が無かった。

ただ、時間ばかり抱えていて、その隙間に不安が押し寄せていた。

飲酒だけが不安を取り除く唯一の手段だった。

私が私である原型は、その頃には確立されていたように思える。

忘れもしない、三月二十五日の卒業式。

私は、同期の二人と落ち合って、卒業式会場のアリーナを出た。

そのキャンパスに来たのは入学式と体育の単位を取る時だけ、とりあえず勿体無いから式辞くらいは受けておこうと赴いたのだ。

入学式ほどでは無いが群衆単位での人だかりが多かった。

飛ぶが如く、高く高く胴上げされている人が見える。

胴上げのサークルらしく、卒業生は誰でもその資格があるそうで、我々は三人とも精一杯

持ち上げてもらった。

「それじゃあ、“いいちこコンプリート”しちゃおっか」

愛嬌たっぷりに西藤が提案した。

「よっしゃ、やろう」

溌剌として永島と私が応じた。

彼らは先々月の記事にちょっと出てきた、私の数少ない友人たちのうちの一人である。

“いいちこコンプリート”とは、「かわいいは、正義!」のキャッチコピーで当時絶賛放送されていた深夜アニメ『苺ましまろ』のOPテーマ「いちごコンプリート」を文字っただけの駄洒落だ。

そのアニソンを歌いながら、いいちこのボトルをラッパ飲みし空になるまで繰り返すと言う、勢いだけで非常にバエル(悪魔の方の)飲酒である。

まだ十四時過ぎだったろうが、無事に“いいちこコンプリート”を済ませた私は、新宿かどこかのアニソンカフェで当時の知り合いが舞台に立つと言うのを応援に行った。

メイド喫茶などに行ってはメロンソーダをしばくと言うのを戒律にしていた私は、その店でメロンソーダで酒を割ったものを四杯も五杯も飲んだと思われる。

そして、千鳥足も逃げ出しそうな満身創痍の兆千鳥足で、南口前の甲州街道跨線橋を彷徨ったのが十八時過ぎ。

向かったのはもう名も思い出せないホテルの一室の謝恩会会場だ。

時間の観念と静粛ムードとをブチ破るようなあからさまな遅刻をかまして、会場へ乱入した。

足取りは悪いながらも、こう言う時の始末に負え無いのだが応答はきちんとしていて、私を知る誰もが何ら異常を感じていなかったらしい。

謝恩会は飲み放題だからここぞとばかりに最後の酒を、誰と競うでもなく、強いて言うならその場の和やかムードや取り澄ましたお上品ムードを一変させたいが為に呷って飲んだ。

目を覚ませば見知らぬ天井だ。

腕には点滴がされているものの、全身の憔悴感いや小水感で、トイレに行くのもままならないほどだ。

これが人生最初の救急車である。

その日の午前中には、四月からの勤め先の最終面接があったから、無理矢理向かった。

そんな私を入社させてしまった、見る目もなければ人材育成の戦略も持たない哀れな企業で、私は何とかやっている。

それでは、桜の季節がやってくる。

卒業や入学、人生の節目の一つがやってくる。

私も卒業しよう。

記憶から失くした飲酒にまつわる失敗談はこれでいっぱいだ。

チキンレースは、もうやめた。

#011 卒業、搬送、涙葬送

【三月号】もう付属の餃子のタレを使わない(かもしれない) #011神楽坂龍朋【キ刊TechnoBreakマガジン】

昼間っから飲酒するのだと、いつに無く意気込んでいた。

酒気帯びの方が気楽にやれる事もある、などと何かに影響を受けていたのかも知れない。

実際そうだ、勤務中に酒気帯びでいると日常が上向くという筋の映画を観た。

この日、僕は十二時半からの勤務で良かった。

車の運転は絶対に無い。

最高のお店で餃子とビール。

僕はかつて一度だけ行ったことのある、神楽坂の炒飯で有名なお店に決めた。

なぜ炒飯なのか、やはりそれもテレビ番組の影響を受けたらしかった。

お店の名は雛朋。

行列必至なのは知っていたから、開店の時刻である十一時に合わせて赴いた。

「炒飯でビールとは、オツであるな」

何処からとも無く帰還した、夏見ニコルが仰々しくのたまった。

「いやいや、違うよ」この自称龍神とやら、浅いぞ。「炒飯の名店で炒飯を注文せずに、餃子でビールを飲むのという行いがオツなんだ。で、そこの麻婆豆腐がね、宇宙一優しい味した麻婆豆腐なんだよ」

と言いかけると、小柄な彼女の可愛らしい笑顔がキラリと光ってこう言った。

「この自称変態食欲、浅いぞ。雛朋は餃子を提供してはおらん、半知半能を侮るでないわ」

この数ヶ月に起きたちょっとした事が、走馬灯の様に頭をよぎった。

自分がどうやら死にかけた事、いやおそらく死んでしまった事。

胸に銃弾を受けたのだから無理もない。

さらに、何故か知らないが僕が今生きている事。

僕の蘇生にどうやらこの、自称龍神とか言う女性、夏見ニコルが介在したらしい事。

きっと僕の味方であり、ずっとそばにいてくれるであろう女性、モツ野ニコ美との出会い(別れたく無いし、死に急ぎたくない)。

抑えが効かなくなってきた僕の食欲と、変わりつつあるヨモツヘグリの意味。

古くからの友人、エージェントW大尉が、最近姿を見せなくなった事も気掛かりだった。

「そんな事より、良いのか。“最終回”に主役の餃子が不在で」

僕は一瞬、天を仰いだ。

そんな僕の心情を、一瞬も二瞬も先回りして彼女が満足そうに言った。

「最後の最後にハズしてみる、それはそれでオツであるな。貴様は、一年前には手作り餃子でもこさえようとしていただろ」

「だからこう言うんだよ、もう付属の餃子のタレは使わない、って」

「おお、肉体という脆弱な牢獄から解き放たれた魂は、いよいよ己の教義からも自由になったか!それでこそ我が見込んだ男!」

彼女が予見した通り、炒飯でビールというオツな展開となった。

着席からわずか一分程度で炒飯が出てきたからだ。

大盛りにしたから、皿の上に双子のようなコブが並んでいる。

グラスに入れた瓶ビールを一口飲んだくらいの頃合いだった。

広大な砂漠のようなやつをレンゲですくってかきこむと、熱すぎずしっとりしていて具沢山の炒飯が口の中で爆発したので、直ぐにビールで流し込んだ。

炒飯でビールか、これは面白い。

続けざまに麻婆豆腐が到着する。

血の油の中で煮えたぎったやつでは無く、やわらぎのある赤みをとろとろの餡が包んだような料理だ。

これも一口。

久しぶりに食べたが、やはり独特で他所にはない味。

辛くないわけではない、ほどほどの辛味が小気味良い。

このお店、やっぱり好きだと実感し、嬉しさにたまらず回鍋肉も追加した。

後から続々と入店しているお客たちの分の調理があるので、少し待つように言われたが、まだ一口ずつしか食事は進んでいないのだから何も問題はない。

そして、回鍋肉の提供は予想の十倍は早かった。

この回鍋肉は、他の料理と比べて量が少なめに見える。

味噌ダレが全体的にべっとりと付いていて、強烈な味がしそうだったが、食べてみるとこれがまたしても優しさを含んだ味わいだった。

最近、回鍋肉食べてないなあ、などとしんみり想う。

龍神ニコルも続けて食べているが、その食べ順やビールを飲むタイミングなど、僕にそっくりなのに気付いて笑ってしまった。

「知っている事と実際の行動とが乖離すると言うのは、善悪の範疇を超えているのだ。」回鍋肉の肉と野菜を両方箸でつまんで、彼女は口に入れた。「一緒に食べる方が美味だと知っていながら、先に野菜から食べてしまう貴様とて同じ事」

「さて、次は何を注文する。麺類なぞ十種はあるぞ、貴様からすれば飲み物なのだろう。胃の腑に入れた物、悉く吐き戻してまた食らうが良い」

「悪しき龍神よ、去れ。僕はもうヨモツヘグリの戒めからも自由だ」

「ヨモツヘグリのyから、一個の小さき者に成るか。優しい約束が恐れ入ったわ。だが、我は往ぬる前にやきそばを食らおう」

やきそばと聞くとソース焼きそばを連想しがちだが、雛朋の場合は野菜餡かけの滋味深い一品だった。

麺もきちんと焼けており、色々な食感が楽しい。

中華丼の上にかかっているのがおそらくこの餡なのだろうが、その日その日の気分で変えられて良い。

何より、僕の中華料理店での選択肢に中華丼が加えられた記念すべき一皿である。

ニコルに礼を言うと彼女は煙のように姿を消したが、また直ぐにでも顕れるだろうと言う予感は残して行った。

大満足の翌日、十一時。

僕はまた雛朋さんの先頭に並んでいた。

一度に食べきれないならば、分けて食べにくれば良いとおもったからだ。

焼きそばには感動した。

では、このお店のラーメンはどうだろうか、それを確かめに来た。

美味しかった炒飯大盛りとビールを注文して着席。

直ぐに二つとも配膳される、食べたい時に速いのは嬉しい。

「麻婆麺ください」

持ってきてくれた店員さんに追加で注文する、大盛りにはしなかった。

十種類近くある中で、なぜか一番確実そうな感じがしたのだ。

今までに麻婆麺を注文した事があるのは、他に仙台にあるまんみさんだけなのだが。

まだ三口くらいしか食べていないのだが、麻婆麺が到着した。

風が語りかけるかのようです。

速い、速すぎる。

兎も角、早速一口頂く。

醤油ラーメンの上に、少し麻婆豆腐がかけられている。

つゆに沈み込まないよう、慎重に麺に絡ませながら啜る。

独特だな、と言うのが率直な感想で、ちょっと唸ってしまった。

このスープは、炒飯を注文しても付いてくるのだが、魚介が強く主張していてなかなか他所で味わう事がなかった。

癖のあるような魚介と調和するかの様に、辛さ甘さを併せ持つ麻婆豆腐が味に変化を付けている。

『今度来たら、ラーメンと麻婆豆腐を単品で注文して一緒に食べてみよう』

炒飯は一先ず置いておき、食べたかった麻婆麺を手繰った。

初めての味わいに感動したのが食を進めたのもあるかも知れない。

すると、ここで手が止まった。

するすると心地良い麺を食べ終えると、しっとりとしていながらもっさりとした炒飯が喉を通りづらくなっていたのだ。

もちろん、単純にお腹いっぱいになっているという事もある。

まだ、ゆうに一人前は残った炒飯を前に、僕はレンゲを持ったまま動けなくなってしまった。

天啓、彼方より来たり。

この炒飯に、麻婆麺の残ったつゆをかけたら、スープ炒飯になるぞ。

碗底に沈んだ麻婆豆腐の残欠は、再び炒飯の上に。

皿は染み渡るスープで満たされ、新たな展望が眼前に立ち現れた。

ヨモツヘグリとは、言わばこの麻婆麺汁かけ炒飯のようなものだろう

熱狂的に恋をして、燃え尽きて次へとうつろう。

もう餃子を食うこともあるまいか。

先ほどの喉の通りとは打って変わって、軽快にさっさっとかき込める。

こんなことやってしまうのは失礼だが、一緒に注文したのならやらない方が損だ。

良い食べ合わせを探し出せて満足している。

僕はきっと塩分過多で死ぬ。

そう思うと、Wの事が気がかりだ。




もう付属の餃子のタレを使わない 了

【三月号】特集 黒と青と白-MTGアリーナ雑感-【キ刊TechnoBreakマガジン】

沼が象徴するのは屍臭と渇望。

変化の静と動を端的に表している。

私、TechnoBreak Junは死の黒マナを欲する。

湖が象徴するのは知識と停滞。

水面は浮かぶものだが、水深は図り知れぬものだ。

彼、TechnoBreak Shoが智の青マナを求める。

平地の白には猫がたくさんいる。

TechnoBreak Shunにぴったりだ。

白と言ったらサバンナ・ライオン!

そんなわけで、Shoメンバーに勧められ、MTGアリーナを開始してからひと月経った。

懐かしい神河やイニストラードは健在らしく、驚いたことに先月はファイレクシアが隆盛していた。

環境の変化、サイクルの流転はめまぐるしいようだ。

今や、人物を主軸に物語を描くのではなく、次元と次元がひしめき合うような共鳴が響き渡っているのか。

ギャザ世界の今を把握するにはプレイを重ね続けるしか今できる事は無い、随想は過去へ遡る。

小平市にある祖母の家へ週に一、二度遊びに連れて行ってもらっていた頃。

今調べたら、あった。

あぁ、懐かしい、ホビーショップFUJIと言うお店だ。

マジック・ザ・ギャザリングとの出会いはそこでだった。

ホビーショップと言うと、憧れの念と共にホビーショップに通っていた事があるなら誰もが、あの雑多な感じにピンと来るはずだ。

あそこは、きっと店長の純粋な遊び心を詰め込めるだけ詰め込んだ結果、全国各地で必然的に顕れる意匠なのだろう。

店内の息苦しさは、そこが聖域である事の証か。

ひっくり返った図書館ように積まれたプラモデルの箱、フィギュアは当時アメコミのが多かった(あれで海外文化の一端を垣間見ることができた)、ショーケースのエアガンやナイフ、塗料、モーター、レジの脇にカード類。

重々しいオーラを放つ、アンティークの木箱。

のような紙箱に入った、たしかポップに「世界最古のトレーディングカード」と書かれていた気がする。

十歳に私には、英語を見るのも無知を思い知らされるようで嫌だったから、日本語版のケースを手に取った。

第四版、恐る恐る手にとって、勇気を出して会計した。

千五百円と言う値段は、桁が違うのだ。

三枚封入されているレアの中から飛び出したシヴ山のドラゴンは、たまたま夕方の情報番組で見知っていたので嬉しかった。

ドラゴンが嬉しくない子供はいないだろうが、有名なカードが出たのには畏怖すら覚えた。

次に停滞、まろやかな筆致の抽象画に眼が向くが、カードの効果は理解が及ばなくて眼を剥く。

アンタップ・ステップを飛ばす?

まず、ルールなぞ全く知らずに買っている訳だから、小さな文字がびっしり書かれた説明書きを読むことになる。

読書に慣れていない子供には酷だった。

父に傍にいてもらいながら試験遊戯をしてみるも、色々カードが出てくるものの、現在理解している仕組みで考えればこんな多色デッキ機能するわけが無い。

そもそも対戦相手が居ないのだから、スターターデッキ一箱ではスタートできないではないか、今思えば失笑を禁じ得ない。

そして、ネビニラルの円盤。

「アーティファクトとクリーチャーとエンチャントをすべて破壊する。」

単純で純粋で馬鹿だった自分は、こんなの弱いと思っていた。

せっかく展開した自陣まで巻き込んで何も残らないだなんて。

そうではなく、数ターン先のリセットを見据えて展開しておくのだ。

数ターン先を見据える、そんな事ができる頭になったのもMTGのお陰だ。

アンタップの訳語が「曲げる」で、カードを横向きに寝かせるのではなく、折り曲げる事だとしか思えなかった自分にとって、このカードは触れ得ざる物に早変わりし、引き出しの奥に仕舞われた。

それから数年後、中三になってようやく、学年内の一部愛好家たちが水面下でプレイしているのを受け、本格的なプレイに参じた。

対抗呪文を打たせる前に暗黒の儀式、ファイレクシアの抹殺者なんて持ってはいない、何を展開していたか覚えていない。

ただ、黒使いでありたいがためだけに沼をタップしていたのだろう。

黒で6マナくらいのレアカードが出れば即デッキ投入、他の色のカードは見向きもしなかった。

確率的には五分の四以上でハズレを買う事になる、視野の狭さが良く言えばあどけないが、悪く言えば人として小さい。

稲妻も怨恨も嫌いだった、使わない色、ゴブリンにエルフ、何もかも。

好きなのは手札破壊、タッチ青で打ち消し。

私の歪んだ少年時代をモロに反映しているみたいだ。

ネメシスのパックを開封して、墜ちたる者ヴォルラスが出てきた時は歓喜した。

Kev Walker氏の美麗イラストに見惚れたものだ。

使ってみると断然弱い、このカードで勝ちたいのに。

だけど六十枚のデッキに一枚きり、そもそも引けない。

ヴォルラスで勝負を決めたい、お前のヴォルラスつえーよって言われたい。

回避能力の付与とか、エンチャントとか、そういうアタマは全然無かった。

消散カウンターは、カウンターの概念がわからず忌避していたので、ブラストダームも弾ける子嚢も理解できなかった。

緑だし。

時は経ち、社会人になって小遣いが増えてからもしばらく再開していた。

都合が付くなら昔のゲーム仲間も誘って秋葉原へ、フライデーナイトマジックに息せき切って馳せ参じた。

ゴシックホラーの色彩が強いイニストラードへ“帰還”したような気がした。

日本を舞台とした神河は学生時代直撃でプレイしていたから知っていたが、MTGを離れていた際の時のらせんブロックというのを知った瞬間は、現役でいたかったと強い衝撃を受けたものだ。

私はラヴニカからゼンディカーまでを知らない。

だからプレインズウォーカーカードも知らなかった。

そしてまた、ラヴニカへの回帰からストリクスヘイブンまでも知らない。

因果なものではあるまいか。

マジック・ザ・ギャザリング三十年の歴史の中で、私がプレイしていた期間はのべ五年程度なものだが、この一ヶ月MTGアリーナで黒マナに浸りながら実感した事がある。

中学生の頃の自分は典型的なティミーだったのだ。

黒のレアカードで勝つことが快感だった。

大人になった私は、今、ジョニーに変わりつつある。

自分らしさをデッキのコンセプトに据えたい、欲を言えば自分らしくなさも。

そして好敵手のShoメンバーと、在りし日のドミナリアや迫り征くファイレクシアなどに思いを馳せながらプレイを重ねる事により、スパイクになるのだろう。

そんなトーナメントが待っている。

最後に、1995年の第四版まで赤の呪文の顔役だった稲妻が再録されなくなってから久しい2010年、五年ぶりに基本セットに再録された際のフレイバーテキストで、私の雑感を終えたい。

火花魔道士は叫び、彼が若かった頃の嵐の怒りを呼び起こそうとした。驚いたことに、空はもう再び見られないと思った恐るべき力で応えた。

【三月号】巻頭言 Shun, Sho, Jun【キ刊TechnoBreakマガジン】

TechnoBreak結成十周年!

たぶんこのまま解散する死期間近の十歳児、TechnoBreakでございます!

サクラチル季節を間近に控え、たゆたう死へと思いを馳せながら、ここで「TechnoBreakいろはかるた」をお届けいたしますぅぅぅ!!



い インポテンツになりたくない

うん

ろ ロッテルダムで退魔すう

うん

は 破壊するなら尿道を

うん

に ニンニク食べ過ぎ胃潰瘍

弱い

ほ 保険のレディが苗字を変えた

嘘つき

へ 屁で語り糞で殴れ

まさに

と 突然死

十歳児

ち チン◯コがかゆい、尿道が痛い

歳だな

り リップサービスの意味が違う

サロン・ド・プロ

ぬ ヌード村ヌード神社ヌード畑

ヌード地獄

る ルビールームで二曲披露

した

を をんな女囚の忍者でPon

クイズ番組

わ ワイドなチン◯ポが入りませぇん

はみ出

か 河童のキューリ、もしくはクルミ

振り返る

よ 四番目メンバー、佐村河内サミー

あった

た 旅に出るなら東海道

いった

れ レールガン、佐村河内に発射する

うった

そ 素朴な疑問がクソを生む

えった

つ 月が見えないとゲップで叫ぶ

おった

ね 猫に小判

うん

な 生肉生酒生ニンニク

うん

ら ランチ行くなら文化飯

うん

む 向こうでババァが手招きしてる

行くな

う 歌が下手クソTechnoBreak Jun

歌うな

い 家がゴミだらけTechnoBreak Sho

捨てろ(嫁を)

の 野良猫も愛するTechnoBreak Shun

真面目か

お おい貴様、◯◯◯◯を××××しろ

うん

く 臭え、この臭いは有村ガス純か

いや

や やはり、この臭いは有村クサ純か

うん

ま マラなのか脚なのか芦田マラ

うん

け GayとGuyを打ち間違えてチャットで喧嘩

Shoが言ってた

ふ 布団がふっとんだ、セックスレスのマットレス

昭和から令和へ

こ 言葉遊びに犯すをロゴス

うん

え エロ過ぎMILFは発情期

うん

て デイブ、アイムアフレイド、デイブ、デイジー、デェェイジィィ

2001

あ 麻原が今朝死んだ

平成最後

さ Sashimi!Sukiyaki!Sushi!Tempura!

うん

き 禁断のおペニス全部まるはだかチン◯ポ

うん

ゆ 愉快は誰かの不愉快

うん

め メスになれ!

うん

み みんなメスになっちゃえ!

うん

し 死〜ん、からのす〜ん(屹立)

死後硬直

ゑ エロ過ぎMILFはるんるんハピネス

うぇ?

ひ 一人ならオナニー、二人ならホモセックス



も もっと突いてホモセックス



せ Therapist見方変えればThe rapist

うん

す 吸ってよし揉んでよし揺らしてよし

Jカップ?

京 京葉地区に串屋横丁

うん



俺たちがトリアーデだ!

キ刊TechnoBreakマガジン…終わりのはじまり、はじまりぃ!

【二月号】環状赴くまま #016 高田馬場ー新大久保 編集後記【キ刊TechnoBreakマガジン】

夕闇の訪れが少しだけ遠のいた二月末。

地下鉄東西線の高田馬場駅を地上に出て、一駅歩いた。

恐ろしく寒いというわけでなく、飲み歩きには助かる。

十七時五分、出発の乾杯だ。

山手線外側は高架下の向こう、そちらへ進む。

前回の飲み屋街はすぐそこのさかえ通りにある。

学生の頃は毎晩この辺りで飲み歩いていた、というわけでは無い。

当時は我慢のきく貧乏学生だったから、遊び歩く事は無かった。

人生を損した気になるが、無為に過ごせる時間を持つのは若さの現れといったところか。

すぐ現れる路地を左折。

ここのミカドには行ったことがない。

覗いているケバブも前からあるが、食べたことはない。

野郎ラーメンはよく行く。

今回はここを真っ直ぐ行くだけで良いらしい。

すぐに駅前感がなくなり、道に変じる。

飛行機雲が、たまたま撮れた。

ここは一応、新宿区である。

空が狭い理由をそこに押し付けておこう。

モード学園コクーンタワーがそびえているのが見える。

あの偉容を遠くに眺めやるのにうってつけの路地だと感心した。

環状赴くまま、初の落書き。

これは新宿区の所為というよりは、まだ夕日が明るいために発見できたという事だろう。

ハイスコアガールのポスターも貼られていた。

私は、学生時代はアーケードゲームから大分距離を置いてしまっていた。

何をやっていたのかと悔やまれるが、思い返せば金がなかったのだろう。

良心的大衆酒場と銘打たれている。

その割には小綺麗で洒落ている。

好みが割れそうな店舗である。

北の早稲田口から南の戸山口へ来た。

そういえば普段、駅の北口ゴールで次回は南口スタートのようなことをしていたから、今回見てきたような街並みを観察していた事は無かったな。

馴染みのあった街を、つい知りたくなったのかもしれない。

ここまでに十分かかったが、改めて新大久保に向けて出発。

大通りではないから、ひなびた道が続く。

環状内側はこんな事は決してない、真逆だ。

駅前感はあまり無いが、店舗はあるにはあった。

が、預言CAFEというのが出てきて絶句した。

預言とは、そういう時に授かるものなのだろうか。

ここを歩道橋でまたぐ。

この地点から右を向いた様子が以下の写真。

アパートが邪魔だが、夕焼け時だ。

無機的な景観に囲まれた歩道橋を渡る。

すると、驚いた事があった。

以下、突き当たりまで道なりに歩いた写真で続ける。

落ち着いた良い道じゃないか。

遠くのビルに気を取られなければ、とても東京にいるとは感じさせない。

西戸山公園があったためだろうか、環状赴くままにおいてはじめての道という気がした。

木枯らしという風は秋から冬にかけて吹くのを指すようだが、それを連想させる陽気になってきたのは春への兆しということか。

なお、ここの突き当たりの少し前の右手には、

東京グローブ座があり、ひそやかながらも大きく堂々とした建造を誇っていた。

突き当たりからほんの少しだけ右に行ってから、そこを左折。

街の結界はそこに引かれていたのだろう。

ここから先が、新大久保エリアだ。

案の定、すぐさま韓国料理屋さん。

百人町文化通りと言うのか。

新大久保の観光ガチガチの本街には遠く及ばないが、進むほどに活気付いてくる。

文化通りの果ては、ゲームセンターとマツキヨ、飲み屋、パチ屋。

この街に来るみんなの目当ては、そこの向こう側にある。

本街のある山手線内回りではなく、次回も外回りだから、もしかすると次回は新大久保の裏の顔を垣間見れるかもしれない。

高田馬場戸山口から再出発し、比較的足速に移動したため、現在十七時三十五分。

駅舎沿いに十分、街の間は早歩きで二十分かかったと言う事だ。

駅前から踵を返し、今夜の飲み屋さんへ。

もちろん韓国料理屋さんに目をつけてきた。

こちら「味っちゃん」と書いて、まっちゃんと読む。

ダウンタウン松本さんのイントネーションだ。

職場の知り合いが十年以上前に紹介してくれたお店だ。

何号店かあるため、こちらにははじめて這入る。

サムギョプサルは二人前からで、一人で食べても良いのだが、カルビとハラミとを楽しんだ。

この手のお店のサービスとして小鉢が数点つくのだが(一枚目の写真)、たくあんとカッパが出てきて、キムチは有料というのがなんだか笑えた。

それでも、新大久保に来たら、朝っぱらから飲むのでも無い限り、また味っちゃんを選択するだろう。





編集後記
 二月号もなんとか刊行できた。エージェントYシリーズ(もうタレ、ヨモツヘグリ)は次号で完結、するらしいがどういう風に仕舞いになるか。四月からの事を考えたりしてしまうのが煩わしくもあるが、兎も角一年を締めくくることはできそうである。禍原一屰の酒客笑売については、四月からリニューアルしてメインコンテンツに躍り出る予定だ。環状赴くままは、四周するまで終わらないはずである。(総力特集は中途半端になるので落とすことにした、申し訳ないが次号にある程度の総括と展望の報告ができるはずだ)

【二月号】酒客笑売 #010【キ刊TechnoBreakマガジン】

朝っぱらに飲む酒よ。

宿酔の渇いた喉を潤すビールの香しさ。

ウィスキーをロックで飲み干し気炎を上げた昨晩の夢を忘れさせよ。

ひび割れた舌の隅々に染みわたれ酒よ。

一晩の享楽と引き換えにこの日一日を台無しにさせてくれ。

熱く熱く煮えたぎる胃の腑を冷たい泡めきで霧消するのは今。

それがもし叶わないならば二缶目の酒よ。

すぐにまた遠い遠い微睡の向こうに俺を突き放してくれ。

今は、そう思い出せる。

思い出が人を動物である事から救う。

『無常という事』の中でそんな風に言ったのは小林秀雄だった。

だが、朝っぱらから酒を飲まずにいられなかったあの日々は、地獄だったと思い出す事も出来るかもしれない。

仕事が無い日は、ただただ横になって身動きも取らずにじっとしていたかった。

打ちのめされていた私の事を、何よりも酒が救ってくれた、そんな気がする。

人と人との間に何があるか、この頃よく想う。

人がいるから人間だ、と言う認識は近世になってからのものらしい。

人と人との間に何があるか、と言う問いは、答える者を試すかのような問いだ。

金と答える人は拝金主義者には当たらないように感じられるし、言葉と答える人は天使か悪魔か定かならぬ空恐ろしさを感じてしまう。

酒と答える者もあるだろうが、彼は人に恵まれた楽しい飲み会を享受しているのだろうな。

私はこれには当たらない、酒を食らってひっくり返っていたのだから。

酒を飲む愉快の陰に悲哀あり。

そんな当時、オーストラリアに数日出張の機会があった。

民泊のようなホームステイも二、三日させて頂いたのだが、アフターヌーンティーの時間に到着するなり我々皆がビールを飲んだ。

下戸が居なかったもんだから、野暮な事を言い出すのも居なかった。

向こうの国民的ビールはVB、ヴィクトリア・ビターと言うやつだ。

南半球は夏だったがからっとしていて、自分の認識している以上にビールが美味く感じられた。

VBと言えばちょうどその頃、日本文学の黎明と題し、先達がどのように視点を変える工夫をしたか小公演を催した。

小林秀雄の

「当時の日本人は、自分の感情を表現するために、中国からの借り物(注:漢字)を用いざるを得ないことに深い悲しみを抱いていた。」

という主張から、アイデンティティの模索、漢字かな混じり文の発明(竹取物語など)を紹介し、以下の文章をスライドに表示した。

Top Japanese 比以留会社 朝日 久留不 保於留知无久 confronts a chilling business environment upon completing its acquisition of leading濠太剌利久留不 Carton & United
比以留会社  on Monday, as the 己呂奈疫病 crisis saps sales in an already shifting market.

漢字かな混じり文の発明は、まるでこのように英文の中に漢字を混ぜたような衝撃的な発明だったという事を伝えるためである。

訳)日本最大手のビール会社であるアサヒグループホールディングスは月曜日にオーストラリア最大手のカールトン&ユナイテッドブリュワリーズの買収を完了したが、事業環境の冷え込みに直面している。新型コロナウイルスの危機で、ただでさえ変化しつつある市場で売り上げが減ってきているからだ。

これは、まさに当時のニュースを私が訳したもので、VBは今アサヒが出しているということになる。

ちなみに、ドナルド・キーンは、仮名の出現が日本文化の確立を促した最大の事件だという趣旨の発言をしているらしい。

さて、ステイ二日目は持ち前の寝起きの良さで、一部屋にベッドが三つもある部屋から起き抜けた。

一体全体、こういう海外の朝食は腹にたまるものが出されるのだろうか。

結論としては、もう何を食べたのか分からない、おそらく提供される事になるシリアルを今は空腹では無いと辞退したのだろうが、記憶にない。

夕食にはカンガルーの肉付きBBQだったり、現地名物のミートパイだとかをご馳走していただけて大満足だったので、何も英国風の朝食までは求めたりはしていない。

兎も角、昨晩に歓待を預かったテラスへ行って席を確保し、自由に使う事を許された冷蔵庫からVBを取り出した。

アサヒを浴びながらビールを飲んで、爽快感に身を委ねよう。

すると、

「It`s too early to drink, too early!!」

響き渡るババァの甲高い声。

人差し指を立てて、小刻みに左右に振り動かして、

「It`s too early to drink, too early!!」

再度の発言。

年寄りの朝は早く、私と違って飲酒を必要としていない。

なるほど、これは酒飲みの英会話教科書にお手本として出てきそうな感じだ。

「酒を飲むには早すぎる」か。

私たちにとってそんな契約は無いに等しいのだが。

あの鬼気迫る口ぶりと、それを突き抜けた滑稽さを文面で伝えられる芸を身につけたいものである。

結局、テラスの屑籠がVBの空き缶で溢れ返ったのは夜だけだった。

蛇足だが、現地のホストファミリーのご厚意で、山の中腹にあるシードルの醸造所まで車で連れて行ってもらってから、甘味がほのかでドライなアレが好きになった。

南半球の乾いた初夏を思い出すのはシードルである。

四季を誇る日本の夏は、少し蒸し暑すぎる。

【二月号】棒切れ #010 幸せDAYS【キ刊TechnoBreakマガジン】

釜山で焼肉食べたい

MIKIMOTOパールでウハウハ、ハハッ

成程々々穴掘るぞ

両性具有でグフグフ、グヒッ

地殻と海洋が

激突しないよう

ハデスとポセイドン

闘い合わないよう

夢が溢れるDAYSに

幸せつなぐDAYSに

燃えてるお城は、安土城

紅蓮の挙句を、安土城

釜山で焼肉食べたい

MIKIMOTOパールでウハウハ、ハハッ

成程々々穴掘るど

両性具有でグフグフ、グヒッ

ダフ屋を殴って手に入れろ

返却しよう入場券

天国DAYSに別れを告げよ

監獄DAYSに這入ろう

【二月号】ヨモツヘグリ #012 山手線某駅 牡丹屋【キ刊TechnoBreakマガジン】

さっきも都合良く其処に触れて、気紛れに腹に入れた駅蕎麦を吐いて来たばかりだ。

食券機の仕組みを逆手にとって、二倍盛りざる蕎麦+大盛りという、まあ口頭で言うには少々抵抗があるような注文が可能だった。

さりとて、提供された商品の量が果たしてそれであったかの検証はできない。

幾ら食っても食い足りない、この僕の性質は悪夢と言うより呪いだ。

ヨモツヘグリ、初めはそんな気などさらさら無かったのに。

喉仏を内側から触れると、生命の繊細な工夫を感じられて、最後に灰ばかりになった時に脆く崩れてしまうことも納得であるとしみじみ思う。

などと言っても仙骨と喉軟骨は全く別物で、火葬すれば跡形も無くなってしまうから、せめて手を合わせているお釈迦様の面影を偲んでおく程度に都合よく解釈しておくのが良いだろう。

実際、此処が輪切りにされたのを串に並べられたやつなんかは、プラスチックな味わいがする。

ここで指すプラスチックとは熱可塑性と言った意味合いよりも範囲を広げて、都合が良いと解釈するのが僕の流儀である。

ベタつきを拭き払った手を繋いだ相手は、仏様ではなく神様みたいな人。

薬指にささやかな指輪をしてくれている。

モツ野ニコ美は僕のカミさんになる。

今日はお気に入りのお店で、僕の気心知れた友人たちに彼女を紹介する。

高校の時に面白い先生がいて、その人がある日の化学の授業で突然言っていた事を、山手線某駅からの道すがら彼女に話した。

「石田なんとかが不倫は文化だ何て言ったこともあったようだが、それは本質が剥き出し過ぎで理解できる人間が居なかったわけだろ。我々現代人が文化というものをどれだけ軽蔑ないし失念して来たかを浮き彫りにしているな。だからね、少し視点を変えて、どうして我々の辞書に“人妻”何て言葉が載っているのかと言う事を一度検討してみたまえよ。」

出し抜けにそんな話をした先生は化学だけでなく道徳も教えている、生徒間では変わり者で知られている人だった。

妻と言う言葉で済まさずに“人妻”と言う言葉が必要だった理由は何故なのか、考えてみれば、答えは自ずから出てくると先生は言っていた。

「いや、訳わかんないわよ。その先生の話も、その先生の存在自体も」

モツ野女史は呆れて笑った。

「それは、神妻の対義語として生み出されたものなんだって。神妻に手を出せば神罰が下るが、“人妻”ならば問題ないとか何とか言うのがの先生の論理でね。」

手を引きながら話したのは下らない昔話だが、待ち合わせの駅からお店までの時間はあっという間だった。

実際、駅から歩いて一分程度と非常に近い。

ひと月も前に予約しておいたそのお店は地下にある。

少々急な階段を降り、牡丹屋の年季の入った戸を開ける。

奥のテーブル席を案内された。

既に男が二人座っている。

スゥとソゥ、船橋士官学校の下士官。

彼らは僕の事を特に慕ってくれているので、モツ野女史との顔合わせの席を設けたのだった。

もう一人、エージェントWも真っ先に声をかけていたのだが来ていない。

彼の事はこの頃見ないが、昨日の前日連絡に対しても返事がない。

気を取り直して、下士官二人にモツ野ニコ美女史を紹介する。

もちろん、真鍋乃二子と言う、信憑性がある方の偽名も併せてである。

二人は彼女の美貌に声も出ないと言った風で、口を開いたら自分達のボロが出るとでも思っているのか、終始会話は僕に向けてのものだった。

それでは、全員生ビール。

モツ野女史も合わせてくれて、珍しくビールの様だ。

すぐに出るマカロニサラダを二人で一つの、二つ頼む。

僕はこれが世界で一番美味しいマカロニサラダだと思っていて、一度の来店で三皿も食べることがある。

それとスゥが好きそうなはらみ炙りと言う、炭火でレア焼きにした大きなはらみ肉を削ぎ切りにしたもの、味付けはポン酢では無くスタミナにしてこれも二人前。

串焼きは飲み物が来る頃までに決めておこう。

と言っても、お決まりがあるのだが。

店員さんが下がる前にソゥがもやしナムルも、と叫んだ。

それも二つ。

すぐに中ジョッキが到着し、乾杯。

男どもはすぐに飲み干すので、ボトルを入れて白ホッピーを三つ注文。

僕以外のみんな、メニューをしげしげと見ていた。

先ず安さ、それと提供する商品の豊富さが理由だろう。

テーブルに立てかけられた表示には、その筋では高名と思しき罠師が紹介されている。

安さ豊富さの理由は、仕入れにあると言う事だ、なんと頼もしい。

ここ牡丹屋さんは、都内屈指のジビエの名店なのだと僕は思っている。

その名の通り猪や鹿肉などを提供している日もあるのだ。

僕はここ以上に良いお店を他に知らない。

焼き物も注文しておく。

第一弾はレバ、チレ。

これが僕のお決まりだ。

このお店は、お客の方に格別な好みでも無い限り、お店のおすすめの味で出してくれる。

串物はタレ派の僕からすれば、自分自身の主義を通す必要のないお店は気楽だし、信頼できる商品を提供してくれるからこそ安心できる。

「心のこりも」

手元の品書きでは無く、壁に張り出された短冊を見たモツ野女史が言った。

「気になっちゃって」

と彼女は僕に耳打ちした。

ああそうだ、主旨を忘れるところだった、すぐに出る煮込みも注文しよう。

牡丹屋さんの煮込みは塩と味噌とがある。

塩はスタンダードな白モツがたっぷり入っているが、僕はコッテリした脂が多い味噌が好きだ。

一気に注文しても、調理時間によって徐々に提供されるから、懐石風になると言えるのが趣き深い。

心残りと言えばエージェントWの不在だったが、後半になってフラッと大物気取りで現れるつもりか、あるいはバズーカ級のサプライズを引っ提げて乗り込んでくるかも知れない。

ガラス張りの戸をブチ破って乱入して来た、船橋のイタリアンみたいなのは困るけれども。

結局Wは来ないまま、楽しい夜はしめやかに更けた。

【二月号】もう付属の餃子のタレを使わない(かもしれない) #010 催事の551蓬莱【キ刊TechnoBreakマガジン】

地域と人とに張り付いている事を生業としていたから、飛行機にも新幹線にも乗らない。

何なら東京駅を使うという事もない。

崎陽軒のシウマイ弁当がジェットだとか知らない。

何世代も昔に販売中止になったとは言え。

先日、関西の同業者と雑談していて、5050蓬莱の話題が出た。

そういえば、下士官だった友人と何も考えない気ままな行楽に一度だけ関西へ行った帰りに買ったっけ。

結果的に強行軍となり非常に疲弊して帰ってくることとなったが。

その時たまたま甘酢のかかった肉団子を買って、帰りの新幹線でビールを飲んだ。

それはこれ以上無いほどに美味しい肉団子で、ちょっとこれ以上の美味いものが駅で売られているようなお惣菜では太刀打ち出来ないであろう事を直感させるものだった。

で、その同業者が言うには、催事かなんかで関東にも出店することがあるから、気にしておくと良いとの事だ。

調べてみれば、なんと明後日から船橋で開催されると言うではないか。

僕は、嬉々として初日を迎えた。

無事仕事から解放されて夕に会場入り、催事場へ急いでいるのは閉店間際だからと言うわけでは無い。

まだまだ時間には余裕がある。

急いでいるのは早く食べたいからだ。

我ながら食い意地が汚くて恥ずかしいが、息を切らせて五階に到着した。

京阪の名産が所狭しと出店しており、大盛況だった。

なるほどね、5050しか無いものかと思っていた。

本当に久しぶりに催事場と言うものに足を運んで、色めき立っている。

お目当ての店舗では、数多くの職人さん達が、せっせせっせと肉まんを包んだり、蒸籠を運んだり、そこへぐるりと並ぶ行列の最後尾には案内のスーツ姿。

表示が出ている。

本日の整理券の配布は終了しました

また来ればいいとかそう言う前向きさのまま、消沈は五階から垂直落下の気分だ。

整理券を獲得できなければ買えないというなら、日中働いている僕はもうお手上げである。

あの時、どうして肉団子だけしか買わなかったんだろう、餃子や肉まんは家に持ち帰って焼いたり蒸したりが必要なやつだったからか。

噂に聞く以上の大人気は、喉から手が出んばかりという比喩に相応しいものである。

なんだか頭の中が蒸籠のように朦朧として来た。

「いつものパターンでは無いか」

僕の頭に、またあの声を聞く。

「外す回はたまにだから外しになるのだ」「この後、近所の下らん餃子などで済ませようとはすまいな」「本当のハズレ回など読みたくはない」「食うのはいい」「だが、タダで食うことまかりならぬ」「餃子も焼売も肉まんも食え」「もう付属の餃子のタレを使わない(かもしれない)とはどう言う意味だ」「書け」「食え」「書くために吐け」「我は貴様が地獄でのたうつ様な暴飲暴食が読みたいのだ」「吐け」「書け」「とくと見せてもらう」

そんな事があった日から四日後。

僕は幸運なことに、丸々一日の休みを得ることが出来た。

降って湧いた様な突然の休暇だった。

僕の仕事は朝早くからの行動を強いられるため、大抵は夜の九時前から飲み始めて十時には寝てしまう。

だから、有難い事にその休みの前は眠りに着く時間など気にせずに飲んで、目覚ましをかけずに寝た。

ところが、である。

昼間まで寝ていたかったのに、何故か午前九時半にむくりと身体が起き上がった。

変だ。

睡眠時間は十分に確保できたかもしれないが、僕はそんなにあの餃子が食べたいとでも言うのだろうか。

シャワーまで浴びてしまった。

こう言う休日は、昼まで布団の中に籠って、腹が減って身動きが取れなくなる事が多いのに。

ちょうど店が開く時間に着くだろう。

集合住宅の部屋を出て、階段を降り、裏路地を縫って近所の催事場へ行く。

僕は京成船橋駅のすぐそばに住んでいる。

そこの駐車場に彼女がいた。

年頃二十歳過ぎの、フリルは付いた空色のワンピースを纏った女性だった。

表情はあどけなさと、目鼻立ちの綺麗さが同居した、妖しい美しさをしていた。

まるでこの駐車場の一角だけ、現世から隔離されて、裏路地からさらに隠れる様な羽目に遭っているような、そんな異様な感じがする。

だが、僕は彼女を知っている。

「私は夏見ニコル」

彼女が浮かべた笑みは、僕を睥睨する様な不遜に満ちている。

「貴様の宇宙で唯一の読者だ」

宇宙で唯一とは大袈裟な気もするが、言われた僕はそれで全て合点がいき、少し嬉しい気持ちがした。

どう言う訳か、僕たちは互いに自己紹介の必要も無さそうだった。

一食一飯に訪れた駅周辺の飲食店を幾つか、例えば回転寿司とその向かいのラーメン屋さんとかを紹介しながら、我々は今度こそ催事場へ向かった。

整理券は、開店から十八時までの間ならいつでも並べるものだった。

朝一番だ、一旦引き返してもう一度並び直そう。

僕たちは近くのスーパーで、デンマークかどこかのクラフトビールを買って来た。

行列は最後尾で四十分待ちと表示されていたが、僕たちは二十分程度で済んだ。

迷わず二千五百円くらいのBセットを一つ。

これには餃子が十五、焼売が十、肉まんが六入っており、5050を網羅できる欲張りかつお買い得なセットだ。

だって、十五個入りで六百円しないと言う事は、五個で二百円しないって事だ。

お店で食べる半額ではないか。

「何にするの?」

「多元宇宙に持ち帰ると怪しまれるから」

はたから聞けばブッ飛んだ事を、夏見ニコルと名乗った女性は返答する。

特に説明も無いままにこちらも頷く。

人の身体で顕現している時は、半知半能程度しか力を発揮できないのだそうだ。

それでも十分ブッ飛んだ性能だが。

僕が会計を済ませると夏見女史が続けて注文を始めた。

焼き餃子と肉まんだ。

半知半能では、三十分前後行列に並び直すと言うのはしんどいのだろうか。

赤い紙袋に入ったBセットを受け取ると、ズッシリと重い。

僕の感慨がそのまま質量になっているのだろう。

ちょうど隅に一息入れられる様なテーブルと椅子があった。

ここは何も買わずに帰宅する事を余儀なくされた際に確認していた。

僕の様に、そこで食べてしまおうなどと心得ている人は少なく、座席には余裕があった。

きっと、となりで売ってるアイスか何かを食べる場所なんだろう。

「何に乾杯するんだい?」

「永遠の命に」

随分と優しく無い話題を好むようだ。

よろしくと伝えて缶ビールを開栓、グッと飲む。

さて、それでは焼餃子だ。

箸、それはバッグの中に他所で買い物した時に使わなかったのが何本もある。

紙箱の熱気がたまらない、辛抱し切れずパクついた。

ぐわ、ドーンと来る香味野菜が濃厚で、これはビール以上にご飯食わせる様なやつだ。

はっきり言って、この月一餃子で一番美味い、海神軒ゴメン。

日本で一番美味しい餃子ということなら、それはすなわち多元宇宙で一番美味しい餃子という事である。

そんな餃子を夏見ニコル女史にも五つほどお裾分けし、ペロリと食べてしまった。

続いて、大きな紙箱から冷める前に肉まんを一つ、ほじくり出すようにして手に取った。

かぶりつくと、もちっとした皮の芳醇な甘みと、中味の香味野菜の濃厚さが、口の中で兄弟戦争を引き起こしている。

これがたまらなく取り合わせが良いから、食べながら笑みがこぼれてしまう。

やはり、タレに付けでもしなければ食べられない様な餃子は紛い物である。

だが、それは裏を返せば、僕が忌み嫌う塩分を身体の中へ筒抜けにさせてしまっているということでもある。

僕はちょっと黙ってしまう。

家に着いてから意外に思った事だが、焼売の紙箱を取り出した時が一番ズシリとした感じがあった。

言われてみれば、焼売なんかはほとんど肉と言って良いだろう。

味は無論のことである。

夏見女史との顛末は、来月に譲るつもりだ。

【二月号】巻頭言 苦くて甘くて香り高い-週に一度、美味しい珈琲を-【キ刊TechnoBreakマガジン】

世界中で石油に次ぐ取引量であるという。

コーヒー豆のことだ。

私は、習慣的に珈琲を飲むという事がない。

だからこの一年以上、週に一度は珈琲を淹れる時間を設けた。

ハンバーガーと言えばマクドナルド、だからスーパーサイズミーになる。

それならコーヒーと言えば?

私はスターバックスで調達する事にした、さながらミ・トレンタだろうか。

トレンタとは日本では発売されていないサイズで、イタリア語の30を意味する。

ちなみにヴェンティは20を意味する、単位はオンスだ。

スターバックスではドリップコーヒーが一杯で四百円、コーヒー豆なら一杯分の十グラムでおよそ五十円ほどで売られている(コンビニなら一杯百五十円前後である)。

半年くらいは名代とも言うべきハウスブレンドを自分で挽いていた。

この豆は苦味が頑としているが、甘い余韻を発と残す。

甘い味付けがされる製品にはこれぐらいはっきりした焙煎が良いのだろう。

多く飲むにはくどいが、喉が渇いているときにひと口含むと、一瞬別世界に行ったような心地になれる。

エチオピアで祈祷と共に飲まれたと言うのも頷ける。

茶道には疎いが、精神性は一致しているのだろう。

私は、洋の東西に同時に存在しているかのようだ。

美味しい珈琲を淹れたい一念で、黙々と飲んでいると欲が出る。

もっと安く、それでいて納得出来る味を求める。

私は自家焙煎に手を出してみたくなった。

通販でコーヒー生豆が一キロ二千円弱で入手できる。

ブラジル産のものだ。

その豆を、これまた二千円弱で売っている銀杏煎器でガスコンロの直火に当てて焙煎する。

上手くいけば一杯二十円程度で飲めるから、スターバックスの半額以下だ。

美味しい珈琲を淹れるコツは、焙煎前の生豆をザッと水洗いした後に虫食いや変色のある豆を取り除く点にあると思う。

これをハンドピックと言うそうだ。

大規模な工場ではこの作業は省略せざるを得ないから、この一点だけならスターバックスよりも優れていると言える(産地で収穫後、出荷前に女性たちの手で選り分けられる工程があるが、虫食いや変色はその後にも起きる)。

煎器には生豆百グラムを入れるのが良いが、その内一割弱は取り除かざるを得ない。

それに加えて焙煎により水分が失われるから、重量はさらに一割減る。

つまり、生豆一キロから得られる珈琲はおよそ八十杯と見積もれるので、コスト計算の際に見落とさないように注意したい。

直火で焙煎していると、なるほど大豆のような懐かしい匂いが立ち込める。

煎器をコンロから十五センチほど上にして、絶え間なく揺り動かすのは大変な作業だ。

しばらくすると、豆の中から揮発した水分がはじける音がパチッパチッとしはじめる(これは一ハゼと呼ばれる)。

この時点ではまだまだ浅煎りで、酸味が強すぎるから飲めたものではない。

頃合いは目と耳とで判断する。

豆が黒く艶やかになり始める頃、一ハゼとは音の様子が変わってピチピチ言い出す(二ハゼと呼ばれる)。

このタイミングが火から上げる最低ラインで、好みによってもう少し火を通せば酸味が減って苦味が増す。

ただし、二ハゼから間もなく白煙が立ち始める事があるので、確認した場合それは強制終了の合図だ。

コーヒー豆から油分が表面に浮き出ているため、白煙が生じると直ぐに炎上して騒ぎになる。

余熱で焙煎が進行してしまうのを防ぐため、すぐさま団扇を使ってコーヒー豆をあおいで冷まさねばならないから気を抜けない。

火元で汗をかくような作業を終えても、飲み頃まで寝かせなければならない。

コーヒー豆の内部から炭酸ガスが少しずつ出て落ち着く、二、三日経ってから飲むのが良いらしい。

数多くある自家焙煎の記事を読みながらそこまで夢想し、かかる手間を考えるまでもなく生豆の購入は諦めた。

時間は取り返せないが、ある程度ならお金で買うことが出来る。

自分のクラフツマンシップを探るために、没頭してみたいという気持ちが無くもない。

とある調理師の専門学校では毎週あんを捏ねているという記事を見かけて感銘を受けた事もある。

さて、支払う金銭と負担する労力との兼ね合いを考慮して、うすうす気付いていた事がはっきりとした。

コーヒー豆を挽いてから珈琲を淹れるという営みには、時間がかかると言う事である。

一杯五十円の珈琲を得意になって飲んでいたつもりが、実は一杯千円だったわけだ。

これに気付いて、私は珈琲ことが一気に嫌いになりそうだった。

ドリップ用の『オリガミ』というのは六杯で七五◯円、ドトールならバラエティパック四十杯が千二百円しないから、価格と時間を重視するならこの線だ。

しかし、味はどうだろうか飲み比べたわけではないからなんとも言えぬ。

気掛かりな事が二つ現れた。

他のコーヒー豆はどうかと言う事。

それと、豆は挽いた物を買えば良いのだと言う事。

スターバックスにはCORE COFFEEと言う、全店舗に常備された豆が十八種類ある。

二五◯グラムで千五百円しない程度のものばかりで、十グラムからの量り売りが可能だ。

浅煎りで明るい色のブロンドローストはライトノートブレンドを含む全二種、私は酸味が気になって好まない。

中煎りのミディアムローストが主力で全九種、非常な深煎りに感じられるハウスブレンドもここに含まれる。

深煎りのダークローストが全六種で、フェアトレード商品を標榜するイタリアンローストも含まれる。

週替わりでこれらを二種類ずつ飲み比べていた頃もあった。

記録を取っておけばよかったのだが、簡単に言えばハウスブレンドが私には合う。

イタリアンローストは苦いが後味がすっきりしていて、気紛れに買うのも良い。

ダークローストで唯一、千五百円を超えるスマトラは一口で美味いとすぐ気付いた。

これらを店舗で挽いてもらって飲んでいたから、何とか一杯千円の珈琲からは脱却出来た。

ペーパードリップに勧められたのは七番の粒度。

調べると、細かい順に一番から十三番まであるようで、七番がその中間という事になる。

水溶液のpHみたいだ。

七番で挽いてもらったハウスブレンドはいつもより薄く感じたが、味を比較するためにCORE COFFEEは全て七番で挽いてもらう事で通した。

手で挽いた豆を四人分ほど抽出していると、仕舞いにはフィルターの中身が粘土状になっていて、淹れる時間も長い。

もちろん挽く時間も。

七番では普段の粒度より荒めだったと言う事らしく、湯の滴下が早く、私が慣れていた味に比べて成分の抽出が不十分だったのだ、きっと。

ミルで挽いた豆は、淹れ終わる頃には粘土状になっていた事だし。

先方が推薦する粒度と、私の手元のコーヒーミルの粒度とに齟齬があり、濃い抽出の珈琲が私好みという舌になっていたというわけか。

同僚に飲ませた時の反応も、「あぁ…これは」と言って刹那の沈黙があって「美味いですね」と言う者や、「ガツンですねぇ!」と爆笑する者、一口飲んで感想も言わない者など様々であった。

彼らの慣れない味だったのだろうと気付いたのは、つい最近の事だ。

あんなハウスブレンドはスターバックスでも提供しちゃいない。

味の好みという、卑しさすら感じるような面のある中で、ちょっとした喜怒哀楽の享受が出来るから、珈琲が世界中で愛されているのだろうと今は思える。

美味しい珈琲を飲んでもらえる事は、嬉しい。

嬉しい気持ちを相互に授受する時間は、楽しい。

この活動は、ある種の千利休ごっこでもあった。

好意を珈琲で伝えるという事。

一昨年の年末、セールだったのでブルーマウンテンNo.1を奮発して買った。

百グラムで三千円くらいする。

その事を伏せて副社長に飲ませると、後日、美味しかったと一言もらった。

あんなものはただ優等生的な味というだけで、美味いなどとは思わない。

美味い不味いは、好き嫌いの議論の延長でしかないから、私が美味いと思う珈琲を振る舞えば、口を閉ざすような人達も居るだろう。

通じる言葉を話さなければ、話にならないのだ。

あれから私は、豆を五番で挽いてもらうようにしている。

いつものハウスブレンドと、気紛れに注文するイタリアンロースト、滅多に飲まないスマトラ。

こないだ、コンビニにmeiji THE Chocolate のブラジル、ドミニカ、ペルーの三種類が売っていたのを見かけた折、確かに味は違うだろうが、それは七十%のカカオを除いた三十%の影響ではあるまいかと思った。

同じ事はコーヒー豆にも言えるだろう。

ちなみに、このミルは受け皿に収容できる量が想像以上に少ないので用の美を損なう。

水筒は四人用ドリッパーを乗せる事が出来るため重宝している。

対立は極同士に偏在しているが、矛盾は一つのうちに内包されている。

だから矛盾に対しては、目をつぶることが困難に見える。

本当は対立だって、同じ人と人とにまたがって内包されているはずだけれども。

ありがた迷惑に思われる家族を愛する訓練として、好きだけど嫌いな恋愛感情に苦しむ前の心構えとして、苦くて甘いという矛盾する二つを内包する珈琲を飲む時間を大切にし続けたい。

ホームレス対策として、広場に敷かれた突起やベンチの仕切りなどを見て、我と彼との身を同時に案じる優しさを獲得するために。

清楚系ギャルは存在しない?

馬鹿言っちゃいけない。

【一月号】環状赴くまま #015 目白ー高田馬場 編集後記【キ刊TechnoBreakマガジン】

年明けに高田馬場か、と言うことで大学の同期を誘って新年会を兼ねた環状赴くままをした。

我々は、一年次の化学実験班の三人で、いつもつるんでいた。

当日はジマ氏の仕事が長引いたので、私とグチ氏の二人で歩き出した。

目白駅、前回に続いて下車するのも初めてである。

一月六日、二十時、乾杯。

迂回せず、駅真横にあったエレベーターから下りることとした。

このパターンは初だ。

線路沿いが早速、むき出しみたいになってお目見え。

路地裏感しか発していないのが笑える。

池袋に偏りすぎた、この駅自体が真空地帯のような、そんな気がする。

道が続く。

駒込ー巣鴨ー大塚ら辺で経験したような道が。

ふと思ったが、駅前と呼べるのは最初に乾杯した「改札前」くらいだ。

この線路沿いの写真から、ここが目白だと看破できる人は何人いるだろうか、専門学校の看板を写すことが無かったなら。

ある程度の消去法は効くだろう。

新宿、渋谷、秋葉原のような感じは直感的にしない。

が、先ほども言った通り、駒込とも巣鴨とも、あるいは鶯谷とも言えなくない。

何も、山手線沿線の東京でなければならないという理由も無いかもしれない。

街は其処にしか無いが、道は至る所にあるのだと言う事か。

彼岸である。

上は山手線が通り、向こうは内環。

グチ氏にぽつりぽつりと、この企画の趣旨を説明しながら歩く。

道連れはとぼとぼと着いてくる。

ここら辺は在学中に詳しかったのか、彼にしてみれば対した興味を引かないのかもしれない。

私自身、ただ歩いているだけと言う感覚以上の物は無い。

右へ迂回を試みる。

すぐ先の曲がり角を左折。

街の明かりはまだ無い。

都道8号、新目白通りに出た。

渡って、写真右手の小さな公園で煙草を吸った。

グチ氏も貰い煙草が好きな質で一緒に吸う。

不意に現れる公園の公衆トイレって、セーブポイントみたいだった。

再度、右へ向かって迂回を試みる。

大通りに出たのが、鉱脈でも掘り当てたかのような雰囲気の変化を感じる。

ここはまだ豊島区の範囲内のようだが、高田馬場エリアの前哨地と言って良さそうである。

大通りを左折したら踏切が。

西武新宿線のようだ。

祖母の家へ行くのによく乗っていた。

近所の京成線もこんな踏切である。

山手線一周ではあまりお目にかからない。

その先の、あれに見えるは。

神田川にかかる、清水川橋だ。

ここ、地図ではよく見る。

感慨深かった、ここがはっきりした境界だ。

街の雰囲気の切れ目が、中間にあるのではなく、街ギリギリに寄っていた。

向こうにある飲み屋街の明かりが眩しい。

高田馬場のさかえ通り。

ここの一番奥が新年会の会場。

スタートからちょうど三十分でゴール。

予約は十九時まで、それ以降は当日連絡して空きが出来次第取り置き。

この日は事前に連絡したものの、金曜ということもあり電話の対応も不得要領。

飛び込んでみたが満席で、空く気配も無い。

店員さんが近くの姉妹店、串鉄を紹介してくれた。

踵を返すと其処へジマ氏が通りがかったので三人で移動。

三年ぶりの再会になる。

幸いにも串鉄は座席に余裕があった。

一本百円しないくらいの美味しい焼き鳥を提供してくれる、学生の味方だ。

散歩好きのジマ氏から早速、今日の収穫を聞かれたものの、イマイチ良いところを伝えきれず、今までの企画であったことをかいつまんで話した。

物好きなShoが、週末で打ち上げ気分に浸りたいと言うこともあり、少し遅れて合流。

ジマ氏の北朝鮮渡朝の話、我々の欧州周遊の思い出、グチ氏が一部始終を見ていた私の左腕大火傷の話など、いつ集まっても同じ話をShoに聞かせ、あっと言う間に終電。

私は翌朝早くから大事な仕事があったのでお開きとなった。

年に一度と言わず、また会いたい。



編集後記

 ディズニーリゾートラインをぐるぐると周回しながらこれを書いた。振り返ってみれば、一月号は高田馬場特集のようだが、どちらかと言えば人生回顧大特集の様相である。最近までのテーマ真善美、学生時代、ヨモツヘグリではいよいよエージェントyの過去と船橋ノワールとの接点が明かされた。再来月でキ刊TechnoBreakマガジンは仕舞いになる。四月からのことを思えば茫洋とする。素面では詩の一片も書けずに茫洋とした。

【一月号】ヨモツヘグリ #011 東十条 新潟屋【キ刊TechnoBreakマガジン】

こちらはにいがた、あちらはさいたま、なぁんだ?

有名ななぞなぞである。

東十条二丁目、北区保健所交差点を挟んで、狛犬の様に店を構えた串焼き店だ。

川口ノワールもとい北区ダークトライアングルと呼ばれる王子、十条、赤羽で、僕は十年弱活動していた。

その頃この界隈に居たoathというコードネームの凶手、綿摘恭一を監督下に置くための潜入だ。

oathとは、なんとも優しくない約束だと、今はつくづく思う。

もう数年ぶりになるか、悲喜交々のこの北区東十条へ、モツ野ニコ美女史とやって来た。

「東西線の東の端から、南北線の北の端まで来るのって、ちょっとした冒険よ」

彼女は、寒空を物ともしないような薄墨色のトレンチコートを堅く着こなして、颯爽と歩いていた。

ここの向こうにあるのが彩球屋、威勢の良い二代目がフレンチのコースのような、例えば霜降り肉のベリーレアだとか軍鶏肉のサルサソース添えだとかの串焼きを提供する。

説明を聞いているモツ野女史の瞳が輝いたが、そこの飲み物が濃い目のレモンサワーか生ホッピーか、シェリー酒だと言われ、彼女が行くような店ではないのだと悟ったらしい。

僕は彩球屋の大将たちのことは大好きだが、久しぶりに顔を出すなり、婚約者を同伴というのも少々気恥ずかしい。

潜入を終えて直ぐ、一度軍閥から身を退いてライターごっこに興じていたため、親からもらった顔を変えずに今まで過ごして来た。

それに、彩球屋の煮込みは、普段食べているのとは次元が違うのだ、あれは上等のシチューである。

何かもっと特別な事があったときに、誰か別の仲間と来ようと思えるのが僕にとっての彩球屋。

では、懐かしの新型屋の引き戸を開ける。

入って左手のテーブルは特等席であり、この日も埋まっていた。

そのテーブルを予約した事は一、二度しかない。

一人か二人でカウンターに座るお店なのだ、僕にとっては。

彩球屋と違って、このお店のカウンターでは人と人との間に居る無力な個人に還れる様な気がして落ち着く。

先客が、奥へ案内された。

後に続いてお店のお姉さまに顔を出し、指を二本立てる。

奥のテーブルが空いているからそこへと言ってもらえた。

非常な幸運だ、僕らの到着で店内はもう九割五分埋まってしまった。

浅漬けの突き出しに応じて瓶ビール、キリンを注文。

モツ野女史好みの果実酒が無いため、サワー。

煮込みを二つ。

「楽しそうね」

「緊張してないだけ」

「もう指環を渡せたから?」

と言って、モツ野ニコ美こと真鍋乃二子は、無論これも偽名だが、自分の胸にちくりとした痛みを感じた。

「慣れてる店だからさ」

気の利かないセリフに彼女は少し落胆した。

かつて監督者だった僕は、今では被監督者なのだと言う事をまだ知らない。

飲み物が来てから直ぐ、煮込みが届いた。

これで三百円、あれから値上げをしていない事に、矜持を感じる。

ちなみに、同じ煮込みでも彩球屋では和牛リブロースの煮込みが出るのでしっかりと値が張る。

乾杯して、箸をつける。

この一年の、数ある名店の煮込みが僕の脳裏に去来する。

「此処の煮込みって、好きじゃなかったんだ」

僕はぽつりとこぼした。

「じゃあ、何で連れてくるのよ」

彼女は苦笑して言った。

「美味しいって感じるんだ、今」

不思議なことに、その理由も分からないまま、箸をつけては杯を傾ける。

彼女がいる安堵では無い、もっと大きな何かに包まれている。

煮込みと言えば此処しかなかった自分の半生の重みを感じている、彩球屋は高級店だったから。

その重みから解放されたのは、彼女との一月々々の飲み歩きで、やっと僕にも新型屋の煮込みを味わえる舌を授けられたと言う理由による。

柚子仕立てのあっさりした煮込みには、シロ、ハチノス、ミノなどがたっぷり。

空腹で直ぐに平らげてしまった。

これから、一本百円均一の焼きとんを、どれもミソで注文する。

一巡目は、チレ、レバ、タン。

これに山椒を振るのが好きだ。

【一月号】棒切れ #009 真夜中は酔いつぶれて【キ刊TechnoBreakマガジン】

真夜中は酔いつぶれて、終えたはずの予定も覚えていられず。

あしたの呆けた重い足取りで、思い起こせる保証無く。

食うというのはこれほど惨めで浅ましいのかと嘆いている。

こんなもんだ人生は、と達観した気で仰向けになる。

図々しさが空を支えている。

季節感が身体を鈍らせている。

後悔していても、反省を知らない。

紙幣代わりの不愉快を肌身離さずに。

口数が少ないのは酔っていない所為。

記号か言語か話しているのは何。

黙っているのは秘密を伏せてる所為。

真実か事実か狭間にあるのは何。

真夜中は静寂につつまれて、自己も他者との関係も煩わしく。

あしたには何事も無かったかの様に、服を着るのに疑問を抱く事も無く。

食うと働くとの隔たりはこれほど不可逆的だって思い知っている。

分からないままでいるという事が、一歩を踏み出す戸惑いになる。

【一月号】総力特集 なぎスケ【キ刊TechnoBreakマガジン】

謹賀新年。

目出度い新年の総力特集に、一時期連日連夜観ていたアマゾンプライムビデオの『なぎスケ』を据える。

その前身は言わずもがな、テレ朝の『『ぷっ』すま』だ。

世紀末、一九九八年から二十年続いたレジェンド級の番組である。

Wikipediaに詳細が載っていたのだが、ダウンタウンの浜田雅功が他局の番組で言及したとか、番組進行上の小芝居やモノマネなど、読んでいるだけで笑えてくるからもうこの記事は要らない気がしてきた。

GA関係の総力特集二本に似せて、各回の見所をざっと紹介して終わりへ向かうこととする。

この番組は…

ゲストが今アツくなっているものにとことん付き合って

ハマったものを今後の人生に取り入れ

多趣味で素敵なオトナになる事を目指した

人間成長バラエティー

EP.01

 『ぷっ』スマ最終回から二年弱、草彅が入ったバーのマスターは、なんとユースケだった。という恒例の小芝居から、久しぶりのフリー過ぎるフリートークがバーカウンターで繰り広げられる。最後は番組テーマを二人で作る事になるのだが、なんだかんだでユースケがミュージシャンっぽく見えるのが因果である。

やりたい企画を話しているうちに、やりたくない企画を挙げる消極性

 この回以降は、全て前後編の二本撮り。実を言うと、この回はイマイチどこで盛り上がったら良いか分からず、続くEP.2〜EP.3を鑑賞してドはまりしたため、この回で躓いてしまわないでほしい。小林秀雄の『様々なる意匠』的回である。とは言え近況報告などは、当時の二人からすると必然だっただろうから、濃い話が聞ける。

EP.03

 初ゲストに何とも華のない酒井敏也が、趣味のクレーンゲームを引っ提げて登場した後半。対戦と没頭の熱が冷めやらぬまま、喫茶店へ移動して最新のオンラインクレーンゲームに挑戦。カメラに映し出された筐体の中には美少女…何も知らされていなかったユースケは

「川崎あやちゃんです」

彼女の胸元に乗せられた、ブロマイドをクレーンで落とす事が出来るか?

毎回登場するグラビアアイドルが大きい見どころだ

 企画がゲスい。だが、それが良い。『ぷっ』スマの亡骸にゲスが取り憑いてなぎスケが生まれたのではあるまいかと確信させる回だった。以降、前後編のどちらかに挿入されるお色気が見所の一つ。これが無かったら記事にしていなかっただろう。

EP.06

 何故か三ヶ月ぶりの収録らしいが、いつもの小芝居ではなさそう。玄関の中から現れたゲスト、東幹久のジャン=クロード・ヴァン・ダムみたいな目力が泣けるを通り越して笑える。BBQ食材をかけたミニゲーム対決のテンポが早くて非常に軽快だ。最後はユースケの為に美女二人を交えたツイスターゲームで〆。こういう時にイキイキしているユースケは個人的に頼もしい存在である。

草薙の初恋の女性を指す、当然出ない

 真面目な話、なぎスケで一、二を争うんじゃないかという優秀な回。ミニゲーム盛りだくさんの企画を楽しんでいるのがよく伝わってくるからだろうな。しんみりする、東幹久の眼を見ていると。

EP.09

 ドローン悪用回、ゲストは前回に引き続き千秋。

タンデム操縦と言う名のセクハラである

 想像を絶するゲス企画に我々紳士一同屹立。スタッフが反省したのか、以降四回はマトモな企画になるので面白く無い(笑)

EP.14

 チャーハン回。次回神回のため、その予告に必見。二店舗のチャーハンを食べ比べるのだが、たかがチャーハンと言うなかれ、作り手の工夫が明かされるのは素晴らしい。

ゲストのおすすめを全否定から番組は始まる



EP.15

 前回に引き続き、チャーハン回。年間千食の内、九割王将を豪語する俳優の鈴木浩介がゲスト。

やらされているのに酷い口ぶりだが、本番はこの後からだった

 お色気パートが早速有り、ASMR咀嚼音でチャーハンを食べているのはどれかを当てるのも笑えるのだが、本番はそれからだった。これ以上どう書いたら良いか分からないのだが、とにかく笑える。全話通してスタッフが一番笑ってるんじゃ無いだろうか。ユースケの発言に伏音が被せられるのも本当に珍しい。最後は究極のチャーハンを自作する事になるのだが、その展開も波乱に満ちていた。チャーハンを作るのにリストバンドとか。

EP.16

 真鍋かをりがゲストとして、VR体験アトラクションへ。

 真鍋かをりが美人で、観ていて安心感がある。チャーハンから良い流れに繋がった。バンダイナムコのスゴく偉いであろう人が、博士に扮してさかなクンさんばりのテンションで同行するのが、なぎスケコンビには上滑りしている様が痛烈。次回は出ないのでそれはそれでホッとする。

我々世代のゲーマーならこの人を知らないはずがないのだが…

 スタッフの意見として、VRをプレイしている絵は地味だろうと言うのを、上手く視聴者が楽しめる編集をしてくれた製作者さんたちに感謝。アトラクション施設に行きたくなってしまうし、次週はさらに面白い。

EP.17

 前回の続きでVR体験。

 VRスカート覗きに躍起となるユースケのゲスさが笑える。やっぱコレだぜ!ってくらいに突き抜けたゲスは清々しい。なぎスケの各回前後編からゲスを抜いたらだめになる。

この後、シーンをカットするよう要請しているがしっかり放映されていた

 あと、草彅剛はアーティストだなと思える詩心を発揮していて良かった。

EP.22

 雅楽師・東儀秀樹がゲスト。それだけで充分資料価値があるのだが、自前のクラシックカーをロケに提供というのもスゴい。いつもと少し違う雰囲気の番組を観るのもオツなものだ。

今回の主役はこのクラシックカーと言って良く、雨模様でもフルオープンだった



EP.44

 間が開くのはコロナによる満足なロケ実施が不可能だったためで、この期間はスタジオ収録となり残念ながらイマイチ。今回はアナウンサー登坂淳一と、究極の米炊きを学ぶ。

 ご飯派の人は見ていて結構感心するというか、為になる内容だと思う。これはみんなに見せたくなる回だ。お米のありがたみだけでなく、技術の進歩にも感謝したくなる。あと、ゆめぴりか食べてみたくなる。

 次回は、お米から離れ、登坂淳一と日本語で遊ぶ。私は日本語で遊ぶのが好きなので、その回も非常に好きだ。

番組はシーズン1・2それぞれ52話で終える。

コロナが憎い。

またの復活を望んでいる。

【一月号】もう付属の餃子のタレをつかわない(かもしれない) #009 高田馬場 餃子荘ムロ【キ刊TechnoBreakマガジン】

禍原先生の酒客笑売、高田馬場という地名を久し振りに聞いて、少し懐かしくなった。

機会があれば行ってみたいと思っていた餃子店があるためだ。

餃子荘ウロ、気紛れに其処へ行ってみよう。

調べてみると、一九五四年創業だというから驚いた。

歴史の長さとは、信頼の深さの表れである。

学生の頃に全く認知していなかったのは、駅前から少しばかり逸れているためだろうか。

ルノアールを越えた辺りからは踏み込んだことが無い地区だ。

お、と思った飲み屋さんや、別で行ってみたいと思っていたトンカツ屋さんを見遣る。

いくつ目かの通りを右に折れる小径、お店は簡単に見つかった。

先客二名、空いているカウンターに勝手に座らせていただく。

荷物は後ろに置くよう、勧めて頂いた。

九人がけ、二人がけのL字カウンターが店内の全てだが、清潔感がある。

二階席もあるらしく、土足厳禁でスリッパが多数置かれていた。

ここも席を間引いているように感じられる。

取り立てて下調べもしないままにメニューを見ると、驚いた。

ビールも、つまみも、さらには餃子も高い。

この価格設定で成立するのだろうか。

高価格だから先客二名なのか、先客二名だから高価格にせざるを得なかったのか。

腑に落ちないながら、好みの物を物色。

餃子荘と冠している割に、麺類、飯類、その他料理はそれなりにあるから、餃子専門店と言うわけでは無い。

ピータン豆腐、豚の骨付き唐揚げ、瓶ビールは小瓶のみ。

女将さんから、どれにするかと聞かれ、メニューをよく見るとなるほど大体の種類が揃っている。

プレモルを選択。

突き出しがネギみそ、ネギの辛味が絶妙だ。

正面で真面目そうな亭主が餃子をこしらえている。

会話によると、明日送って明後日着くらしいのだが、カウンターに着席していたオヤジが礼を言っていた。

待っている間に、と言って亭主がオヤジに酒瓶を寄越していた、いくらでもどうぞと添えて。

オヤジは、こんなに良いお酒をと感激していた。

優しげな、渡哲也似の亭主である。

薄皮カリカリの豚唐揚げが先に届いた。

中華スパイシーでかなりの香ばしさを出している。

骨の周りの肉が美味いとよく聞くが、ゼラチン質で確かに美味い。

このお店が採用しているのが骨付きでなければならない理由がハッキリした。

こういうのは他所で食べたことがない。

しかし、残すところあと一つというときに、歯が折れそうなのが混じっていたので、念のため僕は次回以降は遠慮しておこう。

塩分を控える気持ちに加えて、いつまでも自分の歯で食いたいという願望がある。

さて、唐揚げを食べ終える頃にピータン豆腐が入れ替わりでやって来た。

そのタイミングで、餃子を注文する。

此処のお店の餃子はにんにく不使用だそうで、非常に落胆した。

以前、ビールを提供していない餃子屋さんに這入った時と匹敵しかねない。

何も考えず、にんにく餃子を注文。

丸で入っているという註が付いていた。

しかしなぁ、どれも一皿七百円、さすが老舗と言うべきか、時代が違うと言うべきか。

さて、遅れてやってきたピータン豆腐。

視界の隅に、絹豆腐をキッチンペーパーか何かに包み、念入りに水分を切っていた様子が見えた。

時間がかかった分だけ、美味い気がする。

いや、口当たりがしっかりとしていながら非常になめらかだ。

この一手間かけた絹ごし豆腐なら、家でウニやイクラなぞを載せても水っぽくならず美味かろう。

今度やってみたい。

一口食べ終えてから、添えられている薄い金属製の蓮華を使って全体をざくざくに切って、混ぜてしまう。

激安中華食べ放題のお店では、どんぶりに入っているやつをスプーンでぐるぐるに混ぜて食べることが多い。

熱々の唐揚げのあとに、さっぱりと清涼感のあるピータン豆腐、この順序もすこぶる良い。

丁度食べ終える頃に、餃子が提供された。

「チーズ二つ付けときました」

寡黙だが人柄の良さそうな親父さんから、温かいサービスをしていただいた。

新規の客に親切なのはありがたい。

それにしても随分と小ぶりだ、サービスされたにせよこれで一つ百円の計算か。

タレは、前もって調合されたやつが小皿に入れられて出された。

カウンター上には箸入れくらいしか入れられていない。

チーズから頂くが、カレーの風味がするのは気のせいではなさそう。

噛んでいるうちに、口内にチーズが残った。

メニューにはエダムチーズ入りと書いてある。

エダムチーズって何だろうか、さけるチーズのような食感がする。

にんにく餃子は、しっかりホクホクになったにんにくが半かけほど入っている。

ちなみにタレは、酢醤油4に味噌1といった風情のやつだ。

食べ終えて会計を済ませようかと思うと、先にカウンターのオヤジが支払った。

三万円である。

それだけの数量の、おそらく三百個という郵送を依頼しに来ていたわけか。

彼はしばしの別れめいた口上を述べてから、「お元気で」と言って出ていった。

僕はそれに続いて三千円ほど払って出た。

半時間程度の滞在で、僕たちお客三人と、後から来た三、四人とが入れ替わる格好になった。

芳林堂側へ向けて歩き出すと右手にすぐ、肉汁餃子を大きく打ち出した店が現れた。

立て看板には書かれていたのは

「餃子とビールは文化です」

それを見て、僕は何とも言えない心地になった。

【一月号】酒客笑売 #009【キ刊TechnoBreakマガジン】

たった今、次の日曜のプレゼンの担当者であると連絡があった。

今年度は十月末の一度きりと伝えられており、日曜は司会を任されていたため、非常に憤慨している。

怒りに身を任せるのは全くの快感である、と言うことに気付くまで色々な試行錯誤があった。

新年なので、新年会の景気の良い話でもと思ったが、三年ぶりに会って何を話したやら碌に覚えていない。

だから、私がむしゃくしゃした時の話を書く。

駆け出しの頃だが、会長と呼ばれ出していた。

当時から部長の、剣道でもやらせた強そうな大男で、実は『男はつらいよ』の鑑賞とかが好きそうな奴がいた。

私のごとき三下が口をきくような機会なぞなかったが、デスクにいるとよく大声が聞こえてきた。

「ったく仕方ねぇ奴だな、言っとく言っとく!」

と、部下や同僚の不心得や不行き届きを、自分から指導するという風な発言だ。

その年に通しで観察しておいおいと思ったのだが、どうやら口だけでは「言っとく言っとく!」と言っておきながら、何も果たしていなかったのだ。

以来、総務部長の宮川は、図体ばかりデカい意気地なしと認識されている。

それからしばらくの忘年会。

一次会は焼肉で、二次会が狭苦しい大衆酒場のテーブル四席に散り散りになって行われた。

したたか酔っており、千円札をストロー状に丸めたのを咥え、ライターで火をつけようとしているのを止められたのを覚えている。

私のテーブルには同期の塩屋、二つ後輩の女子社員である松木が座っていた。

宮川も当時は大いに傲っていたから、先輩風を吹かせて二次会まで出張って来ていたが、我々の卓から対偶の位置にある卓に居た。

塩屋も松木も、当時は宮川の部署だったので、自然話題はそちらへ逸れた。

「やっぱり米は美味ぇんだよ!」と濁声で宮川の真似をする塩屋。

別の飲み会で、宮川が日本酒好きで焼酎も米に限ると気取った事を言っている様子の再現だ。

塩屋も松木も、宮川の酒癖の悪さ、絡み酒にうんざりしているらしく、対応にはとうに慣れている。

塩屋が相槌を打ち、松木が酌をする、そうこうしている内に宮川は満足して大人しくなる。

その日も宮川の「米」発言に塩屋が正面から相槌を打ち、松木の手元のボトルを右隣から酌していたらしい。

すると、

「焼酎も米でな、それならロックが美味ぇんだよ!」

と日本酒から焼酎に代えた宮川が大声で息巻いていると、松木が塩屋にだけわかるように指差したボトルにはキッチリ“麦”と書かれていたらしい。

「もうパンを食え、パンを!」

「日本人が米と麦、間違えちゃダメですよね」

「貧乏人は麦を食え!」

鬱積していた我々はさんざんにこき下ろした。

最後の発言は池田勇人の言葉を借りた私のものだが、それでも百年前とかに日本人全体が毎日米を食べられていた訳ではないと言うことは付記しておく。

こちらの盛り上がりが誰の話題かも知らぬままに、宮川の大声がこちらに聞こえてくる。

意気地なしの碌でもない放言の類だ。

私はトイレに行きたくなった。

そう言えば、宮川は店の前に自転車を乗り付けて停めていたっけ。

あれのタイヤにじゃあじゃあやって仕舞えばさぞや気分も晴れるだろうと思った。

が、私自身、意気地なしだからやらなかった。

ちなみに、自転車には前輪に金属の短い棒を差し込む型ではなく、後輪を蹄鉄状の金属で止めておく型の鍵が取り付けられていた。

宮川との思い出はこれくらいしかない。

さて、十年近く昔の忘年会の話では、新年の記事に締まりがないから付け足そう。

先週の金曜に、大学の同期と高田馬場で新年会をした。

丁度、環状赴くままが目白ー高田馬場に当たる月だったので、彼らと歩いてから新年会と言う算段である。

道程は月末の記事にするとして、ここには飲み会の話を書く。

その場には、ジマ氏とグチ氏と私、それに加えて、私の交友関係に興味を持ったらしいShoも、華金気分でやって来た。

結局、何度繰り返したか分からない、昔話のプレイバックと言った会だったが、のこのこ顔を突っ込んだShoは初めて聞くような話が多くて楽しそうにしていた。

ジマ氏は数年前に北朝鮮へ渡朝し、この世の楽園で監視の役人と三泊して来た話をした。

ガタガタの高速道路を走行中に、フロントガラスに何かがぶつかり、運転手がその雉を捕まえて鍋にしたと言うのは何度聞いても笑える。

ジマ氏から四年の九月下旬にヨーロッパ周遊を持ちかけられて、初日にオランダに降り立った時は思い出す度に愉快になる。

「お前だけは誘ったら快諾するって信じてたから」とジマ氏が言ったのを聞いて、Shoは目を丸くさせていた。

ちなみに、その前の月に私は左腕に大火傷を負ったのだが、その現場に居合わせていたのがグチ氏である。

久しぶりに事の経緯をグチ氏から聞かされたが、彼はもう話すのもうんざりと言った有様である。

私の近況報告として、プレゼンで半気狂いになって喋り倒し、コイツに重要な仕事は任せられないと思わせるようにしていると言ったら、それは特に学生時代から変わっていないと二人から頷かれたのだが、今の人格は『カラマーゾフ』仕込みだからそんな事は無いはずである。

三月には卒業式で起きたことを覚えている限り書き残すつもりだ。




#009 酩酊原点高田馬場ーSai Baba Punk2023ー

【一月号】巻頭言 真と善と美【キ刊TechnoBreakマガジン】

不思議な経験を何度かした。

おそらく二度ほどか。

恐る恐る進んでいたのだが、さて、次の道をどう行くかという段になって、ふと、手元に地図が届けられるという風な。

「ほら」とは誰も言わないのだが、さりとて、私が其処へ行き着いたとも思えないような、不思議な経験なのだ。

「ほら」と言われる代わりに、すっとそちらへ指がさされるような。

答えを出しておきたくて、この一年真善美を問い続けてきた。

割と早い段階で真=善=美、というシンプルなものでは無さそうだという事は直観した。

領域の重複として=に相当する部分はあるだろうが、弁図よりも相関図として→で表した方が良いかもしれないと思った。

行ったり来たりをしていたためか、相関図に対する信頼が増したとも言える。

西田幾多郎は『善の研究』において、「善を学問的に説明すれば色々の説明はできるが、実地上真の善とはただ一つあるのみである、即ち真の自己を知るというに尽きて居る。」と述べつつ、自己と宇宙との主客合一を主張している。

小林秀雄が『美を求める心』で、「言葉は眼の邪魔になるものです。」と言った事は、『善の研究』が叙述する純粋経験と同義だ。

別個に当たった論が、後になってから相互に絡みついていたのに気付いたこの感覚は、私としては不思議としか言い得ない。

分かっている人は当たり前のように言うだろうか、それでも、いやだからこそ真=善=美なのだと。

高校の行事で狂言教室があったのを思い出した。

能は難しいが、狂言ならばまだ当たれるのではあるまいか。

そこで、野村萬斎氏の映像を調べていると、NHKのプロフェッショナルが見つかった。

タイトルは「果てなき芸道、真の花を」。

どうしてここで「真」の字に突き当たるのか、私は愕然とした。

もしや、この中で狂言の世界の真とは何かが語られているのではないかと、直ぐに手にした。

結局名言はされていなかったが、かえってそれが良かった。

真似ているだけでは駄目で、創意工夫が果てしない、それは守破離に言えることだ。

中高でボランティア同好会に五年間在籍していたので、善を考えるにあたり、ボランティアを切り離すわけにはいかなかった。

NHKのプロジェクトX「よみがえれ日本海」をたまたま見る機会があり直観した事がある。

重油流出事故で汚れた福井県の海岸を再生するため、全国から集まった三十万人のボランティアの中から、数名に焦点を当てて紹介した回である。

専門学校を卒業後フリーターだった女性と、定年退職後に役立たずになったと感じていた男性。

女性は、冬場の長期にわたるボランティア参加者の健康管理のため、血圧測定を開始した。

彼女はボランティアを終え、看護師を志したという。

男性は、培った在庫管理の技術情報を活かし、支援物資の整理を買って出た。

彼は、また会おうね、と言ってボランティアの地を離れるという。

私は、そう思わざるを得なかったし、その想いは今も変わらない。

善の果てに真があるのでは無いかと。

善を重ね続けることだけが、真の自分に出会う方法なのでは無いかと。

その積み上げられた善から、真の成果が完成するのでは無いかと。

きっと、そうする人の姿勢や、成し得た物が美なのだ。

小林秀雄の言った「美とは信用であるか、そうである」とは物質的な美よりも、人が営む精神的な信用を我々が美と感じると看破したものだったのか。

この取り組みで、共に考えてくれた友ができた。

彼は「真とは信だ」と喝破した。

ベクトルは違うかもしれないが、大きく伸びた彼を頼もしく思う。

今年もできるところまで問い続けたい。

辿った軌跡は以下の順

善1、『小学生と退職後のボランティア』

美1、『へうげもの』

真1、『褒めて伝える』

善2、『よみがえれ、日本海』

美2、『利休にたずねよ』

真2、『果てなき芸道、真の花を』

善3、『善の研究』

美3、『美を求める心』

真3、『本当のありがとう』