船橋ノワール 第二章

蝙蝠の叫び声が聞こえる。あいつら月明かりに照らされて、夜闇の中で踊っている。踊らされていることも知らずに。恥知らずで、煩瑣い。朝日に目を焼かれたのか、それとも放たれた輝きから目を背けたいのか、そんな我が身を不遇と思ってはいないらしい。今では、誰も聞こえないくらいの大声で、誰も気付かないほどに堂々と、夜の往来でお喋りに興じる事が出来るらしい。仰向けになってそれを聞いている。頭が痛い。

ソファの上で目が覚めた。痛み、いや生の感覚が身体にある。応接室だ、自宅の。此処で眠ったことは無いが、即座に判る。時計が指すのは深夜二時。二人の男が話している。痛みを堪えて起き上がると、四つの目がきらりと光った。還暦を過ぎた俺の親父、それと昵懇の初老の男性。俺に殺しを教えた男、その男の殺しに資金を提供する男。色あせた伝説と、今もその伝説を夢に見る男。この場に湧き上がった雰囲気は、言わば歓迎。だが、何を。なぜ我々が此処に。俺の頭にようやく混乱が追いついたらしい。始まる問わず語り。

近々、船橋の勢力図が大きく塗り替わる動きがあると言う。その後手に回らないように、予め俺を呼び戻したのだという。数年前に一線を退いたこの壮年の語り手に代わって、俺が東武に所属する。ようやく居心地が馴染んできた王子−十条−赤羽、北区ダークラインに舞い戻ることはもう無いだろう。三度唾棄しても胸糞悪い、あの街を愛しく思う頃が来るだろうか。ともあれ、この界隈で代々凶手の高みに居た綿摘の代替わり、気忙しいことだ。

「イギリスかどっかの話にfrom the cradle to the graveってあるだろ。かつての船橋は、公営ギャンブルからストリップまで何でもあった。ゴロツキから堅気の人間まで、どんな奴の面倒もよく見る街だった。今じゃ、残っているのは競馬くらい。代わりに池袋崩れのチンピラが表で小松菜、裏ではマリファナ。混ぜ物だらけの劣悪品で、俺たち船っこは依存者だらけだ。金を生み出す仕組みとしては、これから益々成長していく。」

船橋を大きく二分する公認非合法組織、西武と東武。しかし、西武勤めだったこの仕事人間が俺を東武側に推したというのは解せない。礼智足らずの仁義信、率直で偽り無い人物ばかりの西武の評判は、誰あろう綿摘壮一その人から口伝てで聞かされ続けて居た。麻薬売買で荒稼ぎする池袋崩れの人で無ししか居ない東武は、地元の癌であるとは何度も言われていた。勿論、西武で父の背中を追いかけて二世アサシン呼ばわりというのは癪だ。しかしそれ以上に、この老獪な年寄りが東武に分岐させた線路の上をこれからも走らされ続けるのは御免だ。

「まぁ、単に推薦があって幹部の席次に着けるほど、東武は甘くないんだ。連中は、地域密着系都市型任侠団体を標榜する西武のやり方と比べるまでもなく…」

壮一の視線がシャンデリアの方へと逸れる。見ているのはその装飾ではない。スロー再生された光の粒子を目で追っている。ツイードを好んで着るようになったが、耐弾繊維仕立てのスーツスタイルは変わらない。派手な裏地も。舞浜で仕立てたのだろうか。

「その、何と言うかな、堅いんだ。何もかもが。氷でできた監獄の地下八階。他者に幸福を与えるための近道は、仕事に苦痛を感じないこと。苦痛の対価に支払われた給料で真の幸福が買えるとは思わんね。」

そこまで言うなら、どうして東武に推薦したんだ?コイツの選択が自分の災厄として飛び火するのはいつものことだが、耄碌している。先の襲撃もその火の粉らしい。東武は幹部に与えられる座を十二に限定している。ゆえに、現幹部と相応の幹部候補との間で移動を行う。最も穏便なものは話し合い、事と次第では件の命の奪い合い。力を得るには力を以って、腐敗を正すには瀉血を以って、規模はさて置き組織の体質を維持している。

俺を襲ったのは幹部末席の十二位、呉。ナイフの使い手だという。東武で始末者を請け負ってから随分長く、西武の綿摘とは温暖な冷戦状態を保っていたそうだ。

「持ってるナイフ以上に彼奴の方が堅物だからな。十二位に就いて以来二十年近くになるが、席次の昇格は一切固辞していたらしい。寿命やら何やらで席は上から空いていくのが常なのに。そのまま行ってりゃ今頃は四−五位、麻薬取引の醍醐味が楽しめる役職にどっぷり溺れられる頃なんだがね。言っとくが、十二位なんてゴミ処理幹部を気取った言い回しにしただけだぞ。」

つまり、それに代わって俺が無事ゴミ処理幹部の座に迎え入れられると言うことか。謙虚に行こう。その仕事くらいしか向いていないという自覚はある。

「何、彼奴の胸を受け流しで刺した?よしよし、彼奴の胸元の芯、つまり心までは硬直し切っていなかったって訳か。」

息子の生還や技の冴えよりも、自分の仮説に意外な結論付けが出来た事に満足した様子で頷く。

「しかし、今夜の話が解せねえんだよ壮ちゃん。席次の移動は闇討ち不意打ち何でも有りだが、一騎討ちの掟だけは破っちゃならねえんだから。」

行田団地の長老と呼ばれている男、永井が口を開いた。環状の車道にぐるりと囲まれた団地とは表向き。そこは、習志野軍属の将校が仕切っている要塞だ。かつては海軍無線電信所船橋送信所があり、真珠湾攻撃艦船にニイタカヤマノボレ一二◯八を送信した。彼らは、第三次世界大戦の暁には降り注ぐ炎の槍から身を呈して市民を自衛すると、本気で考えているらしい節がある。船橋でその頂点に君臨する老人は、もう傘寿を間近に控えたといった貫禄だ。この場の三者はそれぞれスーツスタイルだが、彼の生地は表も裏も黒でより細身。暗い部屋の中でも存在感を放つ螺鈿様のボタンは、よく見ると袖口に五つ並んでいる。

「そうですよ。本当に彼奴を見たってんですか?自営業とは言え”連合”の下請けでしょう。だいたい、工房を出て凶手まがいの大立ち回りってのも聞いたことがないし。」

「そうだね。東武の席次には何の関わりもないもんな。」

官僚的な東武のシステムの中で異色なのが幹部の移動だ。分かりやすく言えば、東武は下克上を認めている。ただし、秩序の大きな乱れが無いように、一対一で行えというルール付きで。極端な話、大規模なテロに巻き込むついでにちゃっかり昇進というのでは、巻き込まれる方はたまったものでは無いからだ。麻薬売買の利鞘を得られるような役職となると、下克上と言う名の暗殺を恐れて表には滅多に出てこないようになるし、カウンターアサシンとして俺のような凶手を用心棒代わりに傭う事だってある。

知っている事はそれだけで、他は何も知らない。話を整理しよう。つまり、俺の命は箱の中にあって、ついでに借りてきた猫みたいになっている俺もその箱の中。船橋と言う名の箱の中でこれから先どんなことが起こるか想像もできないが、蓋を開けて見るまで俺が生きているか死んでいるか俺にも分からないと言うことらしい。安否不明、と言うより生死不確定の棺桶の中。一対一という笑えるほど古風な人事異動に、第三の男が存在した理由を知る者も居ない。

「大日本プラザな。あのフロント裏に彼奴居たから、一緒に連れて帰って来たよ。」

呉と言う名の男。物言わぬ姿になっての同道だった。短めの髪が血塗られて、首筋まで赤く染まっている。相方の凶手に仕事を託して、先に逝った。俺さえ来なければ死ななかったプロフェッショナル。俺の倍以上キャリアがあった、第一線の仕事人。ずっと座って居た十二位の席から離れて、何故その仕事を買って出た。無益だ、率直にそう思う。

「お前さんはそういう事を言う人だね。」

口数の少ない永井から発せられた鋭い一言。究極の他者批判。それが言えるこの人物に戦慄する。そうだ、俺はそう言う人間だ。しかし、そんなことは自己紹介で丁寧に説明しなければ看破され得ない筈だった。行田の長老と呼ばれている男。習志野軍閥を影で操る男。旧日本海軍の遺産を受け継いでいるとも、ナチスドイツの財宝を譲り受けているとも噂されている男。彼が静かに続ける。

「あんまり自分を買い被りなさんな。十二位の仕事がそれなんだから。淡々と人を殺す生活だ、同業者から女子供まで。」

初老の男は、今夜呉に動きありという情報を掴み、その仔細を見届けに来て居たという。俺の修羅場を、車で片付けたのも彼だ。呉との対決だけならば、東武の流儀に任せるところだったようだが、さらにもう一人のチェーンソー男が現れた時には前代未聞の状況に大変混乱したらしい。この時点で俺の親父達が事前にしていた予想の見通しが無くなった。さらに悪いことに、俺は歯こぼれしないチェーンソーを返り討ちにする術を知らなかった。

「恭、休んだら呉の死体の始末だ。使うのは初めてだろうが、この町にも業者があるのは知っているな。肉屋のアンドレに持って行け。」

と言って、壮一は永井に目配せしてお互い悪戯っぽく笑った。悪い予感はしなかった。疲労と眠気でもう俺の行く末も呉の死体の処理もどうでもよくなっていた。

「しかし、二人とも死んじまってたら、東武の末席に着いてたのは壮ちゃんって事になったのか。狭くて因果な世界だね、ははは。もちろんそうはならない様に加減して撥ねたよ。」

朦朧とした意識の中で、老人たちの戯言を聞いた気がする。その晩は夢も見ずに深い眠りについた気がする。

応接室のソファで一晩明かしていた。身体が痛い。あれだけ派手に撥ねられて医者いらずなことはむしろ忌々しいくらいか。放置された死体袋を背負って歩き出す。案の定、軽くて重い。誰に依頼された訳でもない殺し。地元で初めての殺し。対価の発生しない殺し。椅子取りゲームですらない、単なる席替え。順番待ちの列が一つ動いた。俺はそこに招かれたのだろうか。殺した相手の死体の始末までするのは珍しい。それだけに、この背中の男をもっと知りたい気持ちがした。打ち身を痛ませているのは、彼の怨念だろう。当然のことだ。

目的地は自宅から五分もしない、京成海神駅の踏切向こうにある食肉工房アンドレ。その前に、昨晩オシャカになった仕事道具を調達したい。幸い、その中間に銃匠が居る。築四十年くらいの年季ある建物にさかもとの暖簾が下りている。お好み焼き屋は表の顔。ここのマスターは坂本龍馬が好きで、我が子には竜の字を与えているほどだ。そいつとは西海神小学校で同学年だった。ビートルズが好きで、小さい頃に親父と食べに来た時、気分がいいとギターを弾いてくれた。まさか、こんな形で店に寄ることになるとは。少し緊張しながらカラカラと音を立てて引き戸を開ける。

「よぉ、恭ちゃん!聞いたぜ、実包なんだってな。」

短髪で痩せ身、六十過ぎの笑顔が控えていた。話が早いというか、以前来た時とは表情が違う。昔はもっと寡黙で気難しくて怖かった気がするが。挨拶とともに、昨晩の顛末と注文を告げる。

「あいよ。特注品となると納期が先になるが、それまでのつなぎにこれでも登録しに持って行きな。」

M9だった。習志野のお下がりだろうか。片手では扱い辛いが無いよりはマシだ。連射性能は良いと聞いている。別誂えされた三十発装填の弾倉を四つも出してくれたのは流石の職人気質と感心する。装弾数は多いに越したことはない。頭金の五十万円は後で届けることを約束した。

「恭ちゃん、帰って来て早々かい。なんつうか、血は争えないって言うか。」

担いでいる死体袋を察したマスターに大笑いされながら店を後にした。東京都北区で凌いでいた頃は全く気にならなかったが、地元の居心地の悪さと来たら馘と胴体が繋がっていない気分だ。凶手の個人情報が筒抜けとは厄介な呪いだ。

それから目的地にはすぐについた。食肉工房アンドレ。他の業者とは違って、綺麗に陳列された肉屋の内装。初対面で早速だが仕事を申し込む。

「俺は安藤玲だ。アンドレでいい。」

背の高い男から差し出された右手を握る。肉屋さながらの良い名だと思う、出来過ぎだ。こちらも名乗り、趣味は読書と付け足した。安藤、俺の顔をまじまじと見つめる。少し間を設けて、

「綿摘、俺はアンタを知ってる。」

だが俺は知らない。家柄が有名だからってこんな言い方は無いだろう。地元の小学校には居なかったし、幼稚園の頃のことはお互い覚えて居ないはずだが、少なくとも俺は。だが、この男は耳を疑うような台詞を言った。

「昨晩、俺は戦闘服を着込んでアンタを襲撃した。」

言い終わるのも待たずに、掴んだ右手に力が入る。ここから人差し指だけを掴んで思い切り逆向きに捻じ曲げても良い。殺気立った俺の様子をすぐに察した安藤が続けた。

「ま、待て。見ての通り俺は肉屋だ。業者であって凶手じゃない。東武にも西武にも肩入れしてはいない。精々、連合からの仕事が多いくらいだが、俺は独立営業だ。昨日も連合からの指示で俺はそこにいた。」

International Kidnapping Enterprise Association 国際誘拐企業連合、連合あるいはIKEAといえばこのスウェーデンに本部を置く世界的組織のことを指す。東武の動きに連合が介入したとはどういうことか、聞いても安藤は話さない。この男の真意が知りたい。まだ俺の命が欲しいなら、たしかに今こんな話をせずに不意打ちすればいい。

「こんな業者が連合の真意まで知るはずがないだろ。とにかく俺の仕事は昨日の一晩限りで終わった。で、今日はアンタの仕事を引き受ける。」

契約が成されたことを示すように、握手は解かれた。安藤は俺が担いでいた死体袋の中身を確認し、まるで俺と同じような表情をした。昨晩顔を合わせていた三人が、この場所でまた引き寄せられた。一人はもう何も言わなくなったが、俺たちは本当に敵同士だったのか。それならなぜ今この場で商談が成立したのか。俺は今生きているのか、生かされているのか。そしてその理由は何故か。それが知りたい。

「次来る時には、ウチの肉を試してみてくれ。」

人肉食は趣味じゃない。結局は昨日の修羅場をもう一度演じることはなく、俺は肉屋の建物を後にした。その足で京成線に乗車し、一駅隣の船橋駅へ。京成船橋駅北口と船橋駅南口とを繋ぐようにそびえるFateビルは、地上14階・地下3階。階ごとに商業ゾーン、公共公益ゾーン、オフィスゾーンと区分されている。5階の総合窓口センターで戸籍謄本を取得し、スピード写真機で証明写真を撮り、7階中央銃器登録出張所へ。さかもとから譲り受けた9mm機関拳銃について、特殊銃籍登録申請書に記載し証明写真も貼り付ける。この時間は他に誰もいないので、そのまま窓口に免許証と併せてファイルに仕舞い、提出。

受付の男は引ったくるようにファイルを受け取り、俺の顔を眺めて横柄に言った。

「アンタ、こういうの初めて?」

海堂と名札にはある。その名に恥じぬ肥った男だが、少なくとも地方公務員としてそれなりの資格を持ってその椅子に半日近く座っているのだ。船橋には最近来たのだが、以前は北区で登録したことがある旨伝える。関心無さそうに応じてから書類と免許証を確認して、海堂は目を見開きすぐに起立した。

「失礼しました。」

男が受け取った書類は一般銃籍登録申請書では無かった。特殊の二文字が赤で印字された免許証も添えられていた。一般人がのこのこやってきたと思ったら、実は実包だった。アンタ、こういうの初めて?自分の非を認めることができる点は優秀だが、役所の人間は権威への服従以上に人間性を大事にするべきだろう。この手のタイプは閣僚の指示のもとにミサイルの発射スイッチを押すことに驚くべき才能を発揮することもある。アイヒマンめ。命令があれば、何度でも繰り返しスイッチを押下する。押しては離し、離しては押し。船橋Fateビルのアイヒマンは、将来その予行練習とも呼べるような流暢さで登録手続きの作業を終えた。仕事に対する自信が態度に出ていた、その典型の様に見えた。

「今後も色々とご入用になりましたら、どうぞお越し下さい。」

海堂の深々とした一礼を受けながらその場を背にする。そうだな、次はM9の代わりが仕上がった時、その日が益々楽しみになった。

 

この日の用事が全て済み、大分遅めの昼食いや少し早い晩酌でもしようと本町通りを南下した所で、東武の連絡員を名乗る男から接触を受けた。昨日の今日で整理がつかず、十二位の迎え入れはあと二、三日先になるので待機せよ。さらに明日の夜、東西の臨時総会が設けられる事になっているのでそれに出席せよとのことだった。総会とは定期的な各組織間での調整の場だ。今回の開催は西武側からの緊急の召集によるもので、市内各組織の担当者は可能な限り出席するように連絡されているらしい。東武の方からは、たまたま機会が重なった十二位の動きを伝達する程度なので、その場つなぎに居ろと言うことか。一方的な指令だけを受けて、俺は大人しく翌日の晩を待った。

総会の場は、シャトー船橋。隣合う東武と西武の庁舎に丁度挟みこまれるような位置にある複合商業施設。その名の通り、城塞の様な外見と宮殿の様な内装を併せ持っている。国内の政令指定都市や船橋の様な中核市などではよくある非武装中立施設として指定され、市内ではこの一箇所のみである。南館三階を貸し切って行われる今夜の会場は経営母体がMOTHER牧場で、アイスミルク飲み放題だった。早くから会場入りした俺は、アイスミルクの二つ名を辞退すると共に東武十二位の席に案内される。それからしばらく経って二、三人が連れ立って来たが席は用意されて無いらしい、離れた所で話し込んでいる。すると、一つ上の席へ男がやって来て座り、俺に手を差し出した。

「俺は義竹仁、東武十一位だ。噂は聞いてるよ。お互い歳が近い同士仲良くやろう、機関銃の。」

流石一つ上の男、言葉尻に嫌味を感じない屈託の無い笑顔。集団の中心から少し外れた所で、しかし気付けば人が周りに集まってくるような魅力がある。お仲間が多そうで羨ましい。お互い歳が近いと言うのは推測だろうが、自分なんか新入生転校生の部類だ。腕に覚えがある分、不登校になる事は無いだろうが。この義竹と言う名の好青年が、この組織で初めての友達、仲間より上等な表現としての友達になり得るだろうか。俺は勿論、こういう手合いが大嫌いだ。俺が起こした焚き火を隣で眺めながら、次第に人を集めて俺だけの焚き火を矮小化するような男を。しかしながら、親切にも彼からこの会場の顔ぶれをご教授頂ける事になったのは助かった。彼らを知ることから百戦の始めとしよう。

「まず、俺たちに一番近い隣の席、派手な服の太ったオッサンが十位の桃井。お分かりかもだが、東武のシマの風俗を仕切ってる。」

こういう手合いの方がお近づきになりたいね。互いの利益が保障されている間は頼もしそうな風体をしている。

「次に九位の円月、地元飲食街の顔役で東武側。八位の戒備、駅前の飲食と娯楽を牛耳ってる。七位以上はいつもの通りお越しでないようだね。」

さらに、西武の席であろう一角はまばらな着席だ。西武の場合は厳密な序列のようなものは無い、いわゆる家父長制を年功序列で定めたような疑似血縁関係を以て統率している。それゆえ、一家総出でこの場に乗り込んでいても良いのだ。見得切る顔で生きている西武らしからぬ事態が目の前で起きているらしいことはぞっとしない。

「おっと、あれ見な。奥の部屋に入ったの、あの大神宮だ。」

大神宮秀作。意富比神社、関東のお伊勢様こと通称船橋大神宮の宮司。なんとも目立つ白尽くめのスーツでお出ましだったが、すぐ奥の別室に移動した。今夜の招集は業界を問わず声がかけられているのだろうか。いよいよ総会の開始時間に差し掛かる頃、

「お、今夜はお出ましだ。ほら。」

小柄ながら凛とした佇まいの外国人女性が会場に入る。この会場であれほど女性として悪目立ちしているというのも珍しい。さらにもっと珍しいのは、アイスミルクのグラスを持っているのも彼女一人だけだという事。目を疑うのは、その女性をエスコートしているのが安藤。あの食肉工房アンドレの安藤玲が、ブラックのタキシードを着込んで同行しているのだ。

「目が釘づけって感じだが、まあ無理もないよな。彼女、連合の船橋支部長だぜ。」

義竹が笑う。連合が拠点にしているのは東京湾内、つまり船橋支部長とは日本支部総帥を意味している。生で見てみると思う所が多いが、随分大胆な女だ。俯いた安藤とは対照的に一座を睥睨するかのような視線と、俺の視線が交差した。ような気がした。時間だ。

「本日は臨時総会のお招きにお越しくださいましたこと、誠に恐縮の極みであります。」

船橋西武会頭、戸井田が深々と頭を下げ、言った。次の言葉に、会場の誰もが言葉を失った。

「このたび、我々西武は地元船橋五十年の歴史に幕を下ろし、東西抗争四十年の歴史に終止符を打たせて頂く協定を約定いたします。」

放心する者、笑みを浮べる者、崩れ落ちる者、いずれにせよ誰もが落ち着かない者たちだった。俺はその中の誰でもない、誰にもならないように努めた。しかし、放つ言葉は誰に向ければ良いのだろうか。俺は自分自身に何と言う言葉をかけるべきなのか。続く。

「本日の臨時総会に西武から参りましたのは私と、最後まで共に歩むことを誓った同志たちであります。すでに庁舎にいる者どもはそこを引き払ってありますので、少数でこの場に顔を出す運びとなりましたこと何卒ご容赦ください。」

「ちょっと待つんだッフィィィィィィィィィ!!!!」

渾身の勢いで蹴り破られた扉。甲高い笑い声と共に異形の男が乱入して来た。座した全ての人間の視線がその男に釘付けにされる。身体は磔にされたように、誰も身動きを取れずにいる。今や国内どころか世界のアサシン界隈でその存在を知らぬ者はいない。エンジェル・ダスト、船橋シティのジョーカー、売人殺し、世界の処刑から、ご当地キラー、様々な通り名が一人歩きしている存在。ここ数年でローカルな都市伝説を世界に向けて配信している、メディアが作った報道の中だけの存在が今、誰の目の前にも居ることに全員が青ざめている。茶のストッキングで顔を丸々覆い、猫、いや犬の耳のついた緑のベレー帽を被ったトレンチコートの男。船橋市全域で東武末端の麻薬小売人達を次々に拉致し、薄暗い部屋で私刑に処してはその様子を動画共有サイトに投稿し続けている男。売人達の生命の価格が、麻薬末端価格に追いつくその日まで処刑をやめないと宣言し続ける狂った男。スナッフィー。

「突然でっすが、クイズです。呼ばれてないのに来ちゃうのは①参上②推参③水酸化ナトリウム④硫酸入り水鉄砲、どーれだ?」

②だ。しかし、誰もが固唾を飲んで答えられない。いつの間にか、コートの懐から水鉄砲を取り出して左手に高く掲げている。

「不正解でも正解でも、無し汁ぶっかけて顔面やらなにやら焼いちまおうって気は無いよ。それくらいのモラル?ルール?は弁えているから、ご安心ご安心。」

辺りを見渡して不遜に言い放つ。視線はこちらに移されて、どうやら義竹に向かって

「ん?なんでアンタそこに座ってるの?」

と言って水鉄砲を懐に仕舞う。アシッドアタックの警戒を解くことなく、いつでも防衛できるように会場の全員が身構える。重大な挑発行為。事と次第によっては、永田町からミサイルが飛んでくると言っても過言では無い。ソドムとゴモラに比べれば、この街に善人はいるのだ。船橋市民は、その全てが犯罪者ではない。地下世界の住人はほんの一握りだ。そこに、問答無用の裁定が下る。絶対安全の連絡会で起こった混乱の一切を厚生労働省は許さない。掌の上で踊る存在でなくなれば、国がハルマゲドンによるリセットをかけてしまうことは容易なのだ。

「表で小松菜売って裏でマリファナ売ってる東武はのさばって、西武のあんたらが一足先におさらばとはどういった了見だッフィィィ!」

意外だったが、この喧しい闖入者はこの場の全員が思っていることを代弁したようだった。しかし、そうそう彼の立ち居振る舞いを冷静に見ていられる人間も少なかったため、会場には怒声が響く。

「まぁまぁ、落ち着いて。俺はアンタらからすれば連続殺人鬼かもしれないが、乱射魔だったことは今までもこれからも無い。今日はそこにいる東武の新人さんにプレゼントを持って来たのさ。」

懐からサッと抜き出されたのは、ウィスキーボトルか。いや、バカルディとある。その瓶を振り上げて俺に向かって放り投げた。

「食らうナッフィ。」

そこは召し上がれとか飲めとかだろう。ボトルがきらきらと光っている。ガラスの表面に反射した光がきらめく。違う。この無数の光の煌めきは何だ。直観から分析までのほんの僅かな時間は、今、熱せられた飴のように引き延ばされている。きらきら光っているのは瓶の中。これは蛇の鱗。その煌めきを俺は知っている。アルミニウム粉末だ。この瓶が落下するのはもっと先の机。頭が指示を出すより早く身体が動いた。二歩踏み込んで机の上に飛び出す。両手で受け止めた瓶の中には溶接されたガラス管が見える。瓶の中身はおそらくガソリン、ガラス管には濃硫酸。裏が出て瓶が割れていたらと思うと危険なコイントスだった。舌打ちが聞こえたが、覆面の男の表情はニタニタと笑っているのが分かる。

「喉乾いた?」

殺意は殺意で返す主義だ。すぐに拳銃を抜いて発砲。非武装中立施設のため右手で作った手振りだが、必ず殺してやる。応じたスナッフィーは胸元を押さえて苦しんだ振りをして、楽しそうに笑いながら退場した。茶番だ。実弾であれば必ず頭部に当てる。連絡会会場から一歩出れば、直ぐに東武の構成員から烈火の如き報復攻撃が始まりそうなものだ。しかし、万に一の生存確率が、奴の余裕ぶりで十倍にも百倍にも高まっていくのが目に見える。

結局、この騒動と、西武側の通達が判明したこともあり、総会は三々五々解散した。当然だろう、スナッフィーが今度は爆発物を満載したトラックで突っ込んで来ないという保証は無い。今、この会場に集まった人間は、スナッフィーという共通の脅威を目の当たりにして、奇妙な連帯感が生まれているようだった。

一人、本町通を南下しながら考える。この数日、急なことがあり過ぎたように思う。二回も死にかけたが、それでもしぶとく生きている。飲んでいる時は、過去の悪いことを忘れられる。どこかで、先代十二位の弔い酒でも飲めないだろうか。東武の中では古参のナイフ使い。上席を拒み続けていた職人気質。あの男は、果たして死地に赴くつもりであの夜やって来たのであろうか。あんな終わり方を予期していたのだろうか。黙々と彷徨い歩く夜の船橋。今夜は酔って、何もかも忘れたい気持ちだった。俺の人生の半分は悪かった。残り半分は、酒を飲んでいるからもっと悪い。

本町通り中ほどを左に折れると、大きな構えの大衆酒場が見つかった。賀々屋。そうか、船橋にも賀々屋があるのか。東十条では、駅前のニュー賀々屋にたまに行っていた。地元なのに不慣れで不安だったのか、馴染の店に出くわして急に嬉しくなる。迷わず店内に入って、カウンターに座る。先ずは生ビールと、モツ煮込み。厚化粧の淑女に注文すると、まず真っ先にモツ煮込みが運ばれてくる。この速さは他の追随を許さない。

味噌汁に味噌を入れるのは出来上がる直前なのに、味噌煮込みはそんなことはない。新鮮な味噌の活き活きとした舌に刺さる味わいは美味いと感じる。しかし、味噌が死に絶えたかのような、残滓となってしまったかのような味わいには勝てない。主張の強さとしては、死者と共通しているではないか。死んだ人間があれほどまでに人間らしさを帯びるのと同じように、煮込まれた味噌たちがこの一杯のように紡ぎ出す物語の雄弁さ。今夜の俺が呉に対して思う感情に、この一杯は驚くほど同じだ。生ビールを一気に飲み干し、次はホッピーセット。ダラダラと飲んでいたい。外が無くなるのと同じタイミングでモツ煮込みを食べ終わる。ここから楽しくなってくるところだ。さらにモツ煮込みとホッピーセットを追加する。

 

ふと視線を上げると、隣の席に食肉工房アンドレの安藤が座ろうとしているのと目が合った。お互いなぜここにという表情だったに違いない。だが今は、歌おう。謳歌しよう。安藤はもうタキシードを着ていないが、今夜のことを問い質す。

「連合の総帥、リュミエールはフランス人なんだが。俺の出すモツ料理がフランスのモツ料理と並ぶほどお気に入りなんだそうで。市内で近いこともあって、ウチは連合からの仕事をよく頼まれるようになったんだ。今夜みたいに、防弾代わりのエスコートを任されることもある。」

なるほど、食肉工房というだけのことはある。では安藤の視点から、近所の肉屋で注目している所はどこだろうか。

「ウチで仕入れていく所では、京成西船の鵤かな。わざわざ自分から行こうって気はしないけど、商品を大事に扱ってくれているのを感じるよ。俺自身はここ賀々屋のモツ煮込みと雰囲気が好きなんだ。バイクで来るから、飲むのは烏龍茶だが。」

全く、ジャック・ルピック氏に、だ。

「焼肉食いたい時には、京成の高架下にある熱々って店。そこは内臓専門店で、仕入れも芝浦まで行ってるそうで食ってて幸せになるよ。」

お互い好きな料理が同じこともあり、俺は嬉しかったし、したたか酔った。気付けば自宅で目覚めた。どうやら安藤がバイクに乗せてここまで運んだらしい。水を飲んで二度寝する。今日ならまだ十二位の整理は終わらないはずだ。昼過ぎに起き上がって、昨晩のことを詫びに食肉工房アンドレへ赴く。安藤に簡単に挨拶をし、昨晩の顛末を聞けば、自分一人にだけ飲ませている安藤に散々管をまいていたそうだ。改めて詫びた。

そして、最終的にこちらは勝手に意気投合した気になって、安藤にしきりに下の名前で呼ぶようにせがんでいたらしい。そのことを報告してから、

「下の名で呼ぶのは交際相手だけと決めていたんだが・・・。恭一、俺は安藤玲だ。アンドレでいい。」

背の高い男から差し出された右手を握る。

 

第二章    協定約定    了

 

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