【04】虚飾性無完全飯罪

CHAPTER:04 そんなら命は頂けない

これは走馬灯だろうか。

懐で暖めたあの卵が小さかったこと。ひび割れてから手出し無用だった、自分が役立たずの傍観者になったこと。殻から顔を出した雛鳥には、真っ先に自分の顔を見せたくて、殴り合いの喧嘩をしたこと。触れただけでも潰れてしまいそうな小さな体から、片時も目を離せなかったこと。鳥篭から離れての仕事に身が入らず、持ちうる時間は徹底的に費やす方法から効率重視路線になったこと。無垢な瞳をこちらに向けて、手のひらから一心不乱に餌をついばんでくれたこと。

いつの間にか頑丈そうな両脚になっているのに気付いたこと。それらしい羽根から翼へと生え揃って来たこと。躍動的な跳躍で重力に逆らおうとしていたこと。もう目を離していても活発な様子が頼もしく思えたこと。夏の青葉が秋色に染まったかのような毛色に変わったこと。部屋の篭から鶏小屋に移した日でも鳴き声はぴいぴいしていたこと。小石を飲み込み、餌をつつく勢いも強くなったこと。それからすぐに鳴き声が変わったこと。それでも手ずから餌やりがしたくて、黒革の手袋越しにしていたのを見つかって殴られたこと。初めて産んでくれた卵のこと。これ以上多く育てるのは自信がないなと苦笑いしたこと。

鶏小屋の掃除は部下任せにしたこと。小石をついばんでいるのを遠くから眺めたこと。地獄のような日々がまた舞い戻ったこと。小屋の掃除の件で部下を殴りつけたこと。その掃除をしながら煙草を吸ったこと。ピイちゃんに割く時間が減ったこと。それに気付かないふりをしていたこと。

瞳から零れた涙に反射して、思い出がキラキラと輝きだす。乱反射する光線の一つ一つから、かけがえのないあの日々が甦る。すぐ目の前にある。手を伸ばせばそこにある。涙が溢れて見えなくなる。だが瞼を閉じても眼に映る。切ない感情が込み上げる。怒涛となって声を出す。

 

Wにはどうしても受け入れられなかった。あれほど大切に育ててきたピイちゃんを、ただ食うために殺すという事を。

「家族を殺せるか!殺させるもんか!ピイちゃんは家族だろ、そうだろ!出来るわけがないだろ、家族だ、家族なんだ!」漆黒の軍装に抱きしめられた鶏は、Wの激した様子も感知せず、ただ大人しく抱かれたままでいた。

「卵をあっためたんだ!こんなにちいちゃかった雛から!あ、あ、あ、悪趣味だ、悪趣味じゃねえか!この、子殺しィ!」迸る激怒が外から内へと聚斂していく。

「食うんなら卵までにしておけよ!ピイちゃんはな、弱って死ぬんだよ!歩けなくなって、横になって、それでしばらくしてから死ぬんだ!そんなのは今日じゃないだろ!ピイちゃんの小屋掃除するから、殺さないでくれよ!そんなにピイちゃんが憎いのかよ!ピイちゃん、ピイちゃん、嫌だ、死なないでピイちゃん…。」別れは唐突に訪れたが、見送ることは出来る、それが幸か不幸かの判断は時間の解決に任せるにしても。

「何もかも体験する必要があるなら、本なんて無意味じゃねえかよ!こんな事させるんじゃねえよ、子殺し!」追いかけて来た部下の准尉二人をはじめとする軍閥構成員たちに向けて、Wは文字通り食い下がっているようだった。

『易々と歯車にはならんというわけか。流石はWAR GEAR筆頭といったところかな。』その様子を監視カメラで見ているのは、ここ習志野軍閥行田駐屯地、通称“団地”の長である永井日出男大佐である。彼の視線は代行者Wの姿から、喪服のようなスーツを着た別の男性へと移った。

「名人、やろうか。」綿摘壮一だった。なぜか分からないが、兵卒達の騒ぎの様子を見にきていたのだ。隣には小林少佐が控えている。壮一は、腕っぷしに驕りの見えるWの事を、よく名人と呼んでいた。

『此奴は掴んで投げ墜とす。』Wは思った。物を考えるということは、物を掴んだら離さないということだ。

Wは差し伸ばした両腕を、肩から一瞬で切断された。かと思うほどの衝撃を受けた。前方にいた綿摘壮一は、今や後方遠くで背を向けている。

「手前、何を背中向けてやがる!残心!」Wは両肩を押さえながらありったけの怒りに任せて吼えた。

頭が在った場所に両脚が飛び上がるほどの掌底がWを見舞った。真っ逆さまに地面へ落ちるその刹那に、彼は走馬灯を見た。

「見事です。」息を飲んで小林少佐が洩らす。

「氷嚢を当てて、食堂で寝かしといてやってくれ。献杯には目を覚ませるように。」

綿摘壮一は、我が子の恭一には雄弁だった。しかし、徒弟達に優しく接することはあっても、あまり多くを語らなかった。刈根流の最奥をあまり覗き込まれるのをよしとしなかったためだろう。だから、結局最後はこれだった。つまり、喧嘩するほど仲が良い。

雨がぽつりぽつりと降ってきた。仰向けになったWの顔を濡らした。

「師範先生!でもやっぱり、あんまりなんじゃないでしょうか!」Wの部下であるソゥ准尉が言った。

「鶏はまだ良いです。だから、大尉や我々にもっと優しい言葉をかけてくれませんか!」同じくスゥ准尉が言った。

「Wだけじゃないですよ。俺たちだって歯車じゃないんです!」

自棄になったか、無謀になったか。Wが見せた、雲一つない青空に落ちた稲妻のような在り方に絆されて、集まった十数人の男達が訴えた。土砂降りの雨が降り出した。

「兵卒達が意地を通す、か。あっち向いててくれ。」綿摘壮一は小林少佐にそう頼んだ。間髪入れずに、喪服が闇夜を舞った。

一撃の中に千撃を込めた本気の壮一を見るのは、小林少佐にとってこれが二度目である。言われた通り背を向けようとする前に、状況は決した。一対十三の戦いではない。十三対十三の戦いだった。皆が一撃のもと、同時に倒れた。これを見せつけられると、小林は堪らない気持ちになる。自分が百代がかりでもこの域には行けないと思い知らされるからだ。

そして小林は、ふと、何か異様な観念に囚われた。なぜ彼は、死戦を潜り抜ける時のような全力を、今この場にいる我々に演じて見せたのだろうか、と。彼にとって、二度目なのだ。一度目は、相手全員が銃口を壮一に向けている状況だったのだ。以来、今まで一度も見たことが無い光景だった。

不吉な予感めいたものを感じた小林は、壮一の顔を見ようとした。しかし、彼の顔は倒れた男達に向けられており、その表情を伺うことはできなかった。天候は、既に小雨に変わっていた。雨模様のように予想がつかない状況だとするならば、一体この予感は何なのだろうか。

壮一は向こうの人員に向けて手を振り、大きな声で応援を呼んだ。すぐに数名が駆けつけて、辺りを見るなり彼らは呆れたような笑顔になった。師範先生の技を直伝されたというのは非常に名誉な事だからである。倒れた男達に向けて、口々に羨みの混じった文句を言い、抱き起こして帰って行った。壮一はその後ろについて歩いた。談笑しているように見える。

小林少佐は、足元に転がって誰からも忘れられたようなW大尉を見遣った。Wはそれにいびきで応じた。良い表情だ、と思った。船橋は地獄だ。起きればすぐに地獄巡りの再開だ。せめて今くらいは、良い夢を見ると良い。小林の親心は、柄にもなくそんな感傷的な事を思った。Wの事を肩に担ぎ、士官学校校舎に向けて歩いて行く。其方には明かりがある。

奇しくも流血の無い夜。だが深い破滅を内包した夜。啜り泣くように静かな夜。

 

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