【2024冬号】担々探訪 #003 錦糸町錦鯉【キ刊TechnoBreakマガジン】

「禁酒町へようこそ、ここは最後の楽天地」

 男は谷淵と名乗った。その名の通り、覗き込むかの様な目つきをしていた。同業者の中尉だ。墨東軍閥は臙脂色した軍装が特徴的だが、我々は私服で落ち合った。

パチスロの目押しでもさせたら巧そうだな、と言うのが第一印象だったが、それとは逆に先方は僕に対してどんな印象を抱いただろうか。他人の何倍も食う異常食欲と、人が食わない物まで何でも食う変態食欲を併せ持っているだ等とは思いもしないだろう。

 非公式な短時間の情報交換を終えて、別れた。錦糸町は佳い街だと思う。ここに住んでいる人々は船橋なんて気にも留めないだろう。眩しい快晴の昼下がり、落下してしまいそうな空が爽やかだった。日曜のためか人出がある、ここはその名もダービー通り。Winsに吸い込まれて行く人々、狭苦しい居酒屋に詰めている人々、そんな店からあぶれ出して路上で飲んでいる人々。駅前の華やかさからは想像つかないが、裏道には朗らかな酩酊者達の活気を感じられる。「賄い雑煮」と手書きのビラが垂れ下がっているお店は、僕みたいな外様に対しても歓迎ムードを醸し出している様に見えるが、実際はどうなのだろうか。所変われば人も変わるらしい。表面的にであったとしても、僕から見ればそんな隣の芝は少し羨ましく思われる。

 谷淵が話題に出した担々麺屋さんへ赴いたのだった。あぁ、もう少し先へ行けば亀戸餃子のお店があるはずだ。もう付属の餃子のタレを使わないかもしれない。そう思っていた頃もあったっけ。あの女性は今、何を思っているんだろうか。

「我の事では無いな、知っているぞ」自称半知半能の龍神、夏見ニコル女史がひょっこり顔を出した。

「あんないいお店がそこにはあったのに、どうして出向かなかったんだろう」

「何かに執着していると視界が狭まると言うのは往々あることだろう」と言いながら引き戸を開けて「随分狭い店だな」

 カウンター六席、確かに満席になったら出入りに難儀しそうだ。先客が誰も居なかったのは幸いだったが、それはそれでまた不安に感じた。先ずは飲みたかったので麻辣唐揚げとビールを注文。アサヒが出てきたが、写真ではエビスである。

 店員さんはハキハキキビキビしていて、文句の付けようも無かった。唐揚げは可も不可も無い。辛味タレが添えられていて、好きに付けて麻辣化することが出来る。味付けに選択の余地があるのは嬉しいし、つまみとしての量は悪くない。僕には物足りないので麻辣水餃子を追加。付属のタレ、は無くて予め麻辣の装いで現れた。一口食べるとこれは良い、最初からこっちにしておくんだった。唐揚げ好きの僕がこの時何故そんな風に思ったかは定かで無い。きっと唐揚げ好きになる程に、普通の唐揚げでは満足出来無くなっているんだろう。

 担々麺は辛さを四段階選べ、二から五◯円ずつ増加していく。痺れも同様だが、三から五◯円増加する。辛さ二、痺れ三で合わせて百円追加し、さらに温玉パクチーのダブルのっけ、麺大盛りで注文。通常の担々麺の料金が九◯◯円というのは頑張っていると思えて好感が持てる。本家の汁無し担々麺も同じく九◯◯円。

 瓶ビールもつまみも終えた所で担々麺がLaunch。パクチーが在る必要は全く無いが、好みなのでオプションがあるなら注文させていただく。やはり選択の余地があるのは嬉しい。温玉とダブルで乗せると計二十円お得になる、そう言う細かい優しさもありがたい。総じて頑張っている応援したくなるお店だ。では、肝心の担々麺。濁ったスープ、十分量の肉味噌が中央、青菜、ネギ二種とは芸が細かい。

「これだけ持ち上げておきながら、肝心の担々麺が美味くなければ、それはそれでネタになると考えているんだろう、お見通しだぞ。貴様どれほど邪悪か」

「美味くなかったらネタにすらならなくて、困るのは僕だ」言ったが半分嘘だ。

 僕のベストレンジの細麺でありがたい。博多風で硬さ普通の歯切れ良さが小気味良い。そして、スープに練り込んだのかと思わせる程に濃厚な胡麻の風味。辛さと痺れに料金がかかるのは目を瞑ろう、何を選んだってキリがなさそうだから、辛さ一、痺れニの無料プランでも良いかも知れない。有る所には有るんだな、こう言う佳いお店。

 ニコル女史が満足そうにしている僕の顔をジッと覗き込む。

「これじゃ無い」

 でも、此処にしか無い。




以上、1777字、谷淵が揃えたか。

【2024冬号】担々探訪 #002 大塚鳴龍【キ刊TechnoBreakマガジン】

 謹賀新年。僕は迷信深い性質だから、験担ぎに相応しいと思われるお店へ向かった。某コンビニでカップ麺を買い求めるときは、五割以上の頻度で手にしている商品を監修しているお店だ。大塚、鳴龍さん。辰年を幕開ける担々探訪にうってつけではあるまいか。大塚は、世話になった飲んだくれ化学教師が好きそうな居酒屋も駅前にある、懐の広い街のようだ。

 十二時二十二分着、行列の二十人目だ。呆然として立ち尽くした。賀正という字が頭の中で音を立てて崩れていく、合掌。すぐさま店員さんが駆けつけ、入店まで一時間半はかかると警告をしてくれた。探訪の日程は限られている、引き下がれなかった。諾。このお店は行列の新規が着く度に確認してくれている。それは凄い事だと思うし、一流店の矜持を感じる。その事には感謝したい。

「ちなみに言っておくが」自称半知半能の龍神、夏見ニコル女史「主は可能なら十一時半から並ぼうとしていたようだが、ここの開店は十一時だから、いずれにせよ並ばざるを得なかっただろうな」暴君が嘲笑う。

 そう、その通りだ。忙しすぎて視野が狭くなっていた。ランチ営業は十一時半から、等と自分でも凝り固まった観念に頭が一杯になっていた。

「半知半能ならこの行列をどうにかしてくれ」

「這入りたい店が行列していたら待たねばならぬのは摂理では無いか。我にはどうにもならぬ。半知半能だから待ちぼうけは苦にならんぞ、悠久の刻を生きているでな」

 結局一時間待った。先に並んでいたお客が

「ここは誰が食べても美味しい」

と豪語していた。そうかい、そりゃ楽しみだよ。どうせ並ぶなら開店十分前が良いと思われる。洒落たコートじゃ無くダウンにしておいたのがせめてもの救いだった。こんな寒空では体調を崩してしまうだろうから。

 入店、全面液晶の食券機に注文を打ち込む。寒いのに瓶ビール、よだれ鶏、水餃子、担々麺、替え玉券を二枚、トッピングのチャーシュー、パクチー、チャーシューご飯。このお店は酸辣湯麺の二枚看板だそうだ。六人掛けのカウンターの末席へ。テーブル席は二人掛けと四人掛けが一つずつ。

 創作麺工房を名乗るだけあり、仕事が丁寧に感じられる。瓶ビールと共に、まずよだれ鶏が提供された。白胡麻がたっぷりかけられている。しっとりとしていながら脂気がある好みの味だ。ビールにもご飯にも合う。鶏料理が選択肢に入れられているのは凄いと思った。麺類だけ食わせて出ていけ、としない姿勢が伺える。

 水餃子は三個入りで三五◯円。十分な量の刻み葱が添えられている。食感はつるんとしていて、いくら食べても良さそうだ。五個入り七◯◯円とかにしていないのは素晴らしい。

「おい」ニコル女史がすぐさま口を挟んだ「今、木場の某何々軒の餃子と比較しようとした挙句、先方のラーメンをこき下ろそうとしたな」

「愛のある弄りだとでも思ってくれよ。それにあのお店は、此処と違ってワインという選択肢があるだろ」

 で、本命の担々麺がLaunch。カップ麺と同様、胡麻成分は一箇所に掛けられている。麺は細麺、僕が一番好きな径。こりゃ替え玉しない手は無いね。さっそく手繰って啜ると、頭の中一杯に疑問符が押し寄せる。その理由を知りたくて、もう一啜り。

『酸っぱい醤油ラーメンだコレ!』

 答えが解ってニンマリしてしまった。カップで食べていたときは、自分で掛けたあとがけ芝麻醬調味料の所からかっ食らってたもんな。ラーメンのベースは醤油、味噌、塩そんなもんだ。此処のお店のベースは酸っぱい醤油ラーメン、答えが出た。だからどうって事でも無いのだけれど。

 そんな事を思いながら啜っていると、丁度最後の一口に求めていたインペリアル・トレジャーの味が現れた。つまり、胡麻ソースがどっぷりと掛かっていた所を掬い上げて食べた瞬間だったわけだ。咽ぶほどに濃厚な一箸だった。もう良い、替え玉でその味を享受する事は出来るだろう。やっと出会えた気がする、インペリアル・トレジャーのあの味に。しかし、不思議です。見方を変えれば酸っぱい醤油ラーメンなんですからね。

 並びの時間以外は、おおむね満足して帰ってきた僕だ。無論、担々麺としてはこれもまた違う。それでも、良かった、とても。で、此処から先は蛇足だが、終わりへと収束させよう。実は、この、あんまり大きな声では言えないが、鳴龍さんの味を半全ながら再現出来るかと思ってやってみたのだ。もしも、真に受ける方がいらっしゃいますれば、参考までのお聞き流しに。先ずは、醤油ラーメンを用意する。これはポロ一こと、サッポロ一番醤油味。普通に作って、出来たら適量のタバスコを入れる、コレだけで酸辣湯麺の再現くらいは出来る。で、鳴龍要素としてだ、金胡麻ドレッシングをドッと垂らす。家で格安で、つまり現地で千円かかるところを、三百円以下で再現するにはこれ以上はあるまい。三十点。

 僕はまた来月から、あの味を求めて彷徨うことになるだろう。結構な事である。

 それではみなさんが、良い年になりますように。

【2023冬号】担々探訪 #001 船橋川菜味【キ刊TechnoBreakマガジン】

 JR西船橋駅構内にインペリアル・トレジャーという担々麺専門店があった。大層美味くてよく行ったし、飲み仲間からも〆によく誘われた。麻婆豆腐も好きだが、それ以前から好きだったのが其処の担々麺だった。僕はまたあの味に巡り合いたい。急に感傷的になっている。

 東武と西武が対立していただなんて、池袋さながらではないか。それなのに、地元に担々麺の名店が無いというのであれば、船橋の名折れである。ちょっとした対立は駅前でまだ見られる。小籠包の名店、南翔饅頭店と鼎泰豊とが肩肘張って睨み合っているからだ。ブランド志向の方はぜひ行ってみてください。この先の文章を読む必要は無いでしょう。

 そのお店は街中華では決して無いが、高級店と言う程でも決して無い。程々なお店だ。程々なお店だが、提供する料理の数々は高級店のそれなのだ。だから、ランチタイムは程々に混雑している。駅からそれなりに歩く船橋の外れであるにもかかわらず。駅近が良いなら福満園、栄華光、謝謝、旬輝。

 途中ぶらぶら歩いていると、築五十年という当て推量がピッタリ合いそうなお惣菜屋さん、実際には天ぷら専門店の前に出くわす。ぼろなお店の外見に馴染んだ味わいのある店主さんに好感を得て、ふと買い食いしてみた。船橋のど真ん中にいなか亭と言う屋号がたまらない。店内にはわずかに座席があって、天丼が五百円で食べれるらしい。にんじんの天ぷら、七十円、そのままくださいと言った。

「じゃあ紙に包んで塩振っとくね。小さいのつけとくからお連れさんも」

 誰も連れてはいないのだが、脇を見ると、自称半知半能の龍神、夏見ニコル女史がニコニコしていた。いつの間に現れたのだろうか。お菓子のお家から出て来たかのような身なりをしているが、悪目立ちしていないのもまた不思議だった。

 おまけしていただいた小さい方は、ゆうに五十円分になりそうなくらいの大きさで、築五十年の重みある優しさが嬉しかった。噛み締めたにんじんは甘く、歯触りが硬すぎず緩すぎず絶妙だった。皮剥きが面倒だから、カレーにもどんな料理にもにんじんを使うことは無いのだが、にんじんを食べるなら天ぷらが一番だと僕は思っている。その事をはっきりさせてくれたのも嬉しかった。

 ずっと先へ行けば市役所がある。駅から市役所まで一直線に歩いて行けば、こんな所にまでだらだらと飲食店が散在しているのかという様子が可笑しい。かつては、帰路に就く公務員たちを受け入れていたであろう各店舗は、てんでばらばらの装いだ。天ぷら、蕎麦、刺身、大衆居酒屋にアメリカンバイカーズサロン。そんな中に、川菜味という中華料理屋さんがある。千葉街道側からしか店舗入り口に辿り着けないので注意されたい。開店前の時間調整なら、近所に石井食品のカフェ兼販売所があるので覗いてみるのも良いだろう。僕の好きなイスラエルワインが手に入るから、そこのことは信頼している。

 さて、川菜味さんに入店して早速注文する。上品で落ち着いた中華料理店さんの内装が嬉しくて、口を衝いて出たのは麻婆豆腐とライス。しまった、担々麺を食べに来たのに。でも折角川菜味まで出向いたんだし、これは外せないだろう。ランチ時なら川菜味御膳も間違いない。麻婆豆腐は塩味が強く、ライスと頬張ればうんうんと頷いてしまう旨さである。塩味が強いとは書いたが、決して塩辛いと言う訳では無い。鋭い旨味を強く感じさせるのを、塩味が強いと表現させていただいた。辛かろう臭かろう、市井の麻婆豆腐とは比べ物にならない丁寧さを感じずにいられない。

 店員さんから紙エプロンを勧められたのは、ニコル女史が襟元に手持ちのハンカチを広げて挿したためだ。おいおい、半知半能なら跳ねさせずに担々麺くらい食えるんじゃ無いのか。可愛らしい服装なのは分かるが。僕は紙エプロンを遠慮した。着ていたのは白いワイシャツだったが、担々麺を食べる時ってのは跳ねても又良し、跳ねなければ尚良しである。

 その担々麺は極細で喉越しが良いのに驚く。これがまた塩味が強い、いや鋭い旨味を強く感じさせる。非常に細粒に粉砕された白胡麻が、一面にさっと浮かんでいるのがきらびやか。熱々で辛さが後から来るスープはジャーに入れて持って帰りたいくらいなので、しっかりと胃袋に仕舞う。麺は大盛り、あっという間に無くなった。

『これじゃ無いんだよな』食後の満足感と込み上げる熱気に浸りながら思った。そして、そう思いながら、また近々お邪魔するであろうと感じていた。僕は呪われている。

 船橋市政の正義を守るという建前で軍務に励んでいる、万年中尉だが。で、あの女性とは別れた。それについては、追々書く機会もあるだろう。