地域と人とに張り付いている事を生業としていたから、飛行機にも新幹線にも乗らない。
何なら東京駅を使うという事もない。
崎陽軒のシウマイ弁当がジェットだとか知らない。
何世代も昔に販売中止になったとは言え。
先日、関西の同業者と雑談していて、5050蓬莱の話題が出た。
そういえば、下士官だった友人と何も考えない気ままな行楽に一度だけ関西へ行った帰りに買ったっけ。
結果的に強行軍となり非常に疲弊して帰ってくることとなったが。
その時たまたま甘酢のかかった肉団子を買って、帰りの新幹線でビールを飲んだ。
それはこれ以上無いほどに美味しい肉団子で、ちょっとこれ以上の美味いものが駅で売られているようなお惣菜では太刀打ち出来ないであろう事を直感させるものだった。
で、その同業者が言うには、催事かなんかで関東にも出店することがあるから、気にしておくと良いとの事だ。
調べてみれば、なんと明後日から船橋で開催されると言うではないか。
僕は、嬉々として初日を迎えた。
無事仕事から解放されて夕に会場入り、催事場へ急いでいるのは閉店間際だからと言うわけでは無い。
まだまだ時間には余裕がある。
急いでいるのは早く食べたいからだ。
我ながら食い意地が汚くて恥ずかしいが、息を切らせて五階に到着した。
京阪の名産が所狭しと出店しており、大盛況だった。
なるほどね、5050しか無いものかと思っていた。
本当に久しぶりに催事場と言うものに足を運んで、色めき立っている。
お目当ての店舗では、数多くの職人さん達が、せっせせっせと肉まんを包んだり、蒸籠を運んだり、そこへぐるりと並ぶ行列の最後尾には案内のスーツ姿。
表示が出ている。
本日の整理券の配布は終了しました
また来ればいいとかそう言う前向きさのまま、消沈は五階から垂直落下の気分だ。
整理券を獲得できなければ買えないというなら、日中働いている僕はもうお手上げである。
あの時、どうして肉団子だけしか買わなかったんだろう、餃子や肉まんは家に持ち帰って焼いたり蒸したりが必要なやつだったからか。
噂に聞く以上の大人気は、喉から手が出んばかりという比喩に相応しいものである。
なんだか頭の中が蒸籠のように朦朧として来た。
「いつものパターンでは無いか」
僕の頭に、またあの声を聞く。
「外す回はたまにだから外しになるのだ」「この後、近所の下らん餃子などで済ませようとはすまいな」「本当のハズレ回など読みたくはない」「食うのはいい」「だが、タダで食うことまかりならぬ」「餃子も焼売も肉まんも食え」「もう付属の餃子のタレを使わない(かもしれない)とはどう言う意味だ」「書け」「食え」「書くために吐け」「我は貴様が地獄でのたうつ様な暴飲暴食が読みたいのだ」「吐け」「書け」「とくと見せてもらう」
そんな事があった日から四日後。
僕は幸運なことに、丸々一日の休みを得ることが出来た。
降って湧いた様な突然の休暇だった。
僕の仕事は朝早くからの行動を強いられるため、大抵は夜の九時前から飲み始めて十時には寝てしまう。
だから、有難い事にその休みの前は眠りに着く時間など気にせずに飲んで、目覚ましをかけずに寝た。
ところが、である。
昼間まで寝ていたかったのに、何故か午前九時半にむくりと身体が起き上がった。
変だ。
睡眠時間は十分に確保できたかもしれないが、僕はそんなにあの餃子が食べたいとでも言うのだろうか。
シャワーまで浴びてしまった。
こう言う休日は、昼まで布団の中に籠って、腹が減って身動きが取れなくなる事が多いのに。
ちょうど店が開く時間に着くだろう。
集合住宅の部屋を出て、階段を降り、裏路地を縫って近所の催事場へ行く。
僕は京成船橋駅のすぐそばに住んでいる。
そこの駐車場に彼女がいた。
年頃二十歳過ぎの、フリルは付いた空色のワンピースを纏った女性だった。
表情はあどけなさと、目鼻立ちの綺麗さが同居した、妖しい美しさをしていた。
まるでこの駐車場の一角だけ、現世から隔離されて、裏路地からさらに隠れる様な羽目に遭っているような、そんな異様な感じがする。
だが、僕は彼女を知っている。
「私は夏見ニコル」
彼女が浮かべた笑みは、僕を睥睨する様な不遜に満ちている。
「貴様の宇宙で唯一の読者だ」
宇宙で唯一とは大袈裟な気もするが、言われた僕はそれで全て合点がいき、少し嬉しい気持ちがした。
どう言う訳か、僕たちは互いに自己紹介の必要も無さそうだった。
一食一飯に訪れた駅周辺の飲食店を幾つか、例えば回転寿司とその向かいのラーメン屋さんとかを紹介しながら、我々は今度こそ催事場へ向かった。
整理券は、開店から十八時までの間ならいつでも並べるものだった。
朝一番だ、一旦引き返してもう一度並び直そう。
僕たちは近くのスーパーで、デンマークかどこかのクラフトビールを買って来た。
行列は最後尾で四十分待ちと表示されていたが、僕たちは二十分程度で済んだ。
迷わず二千五百円くらいのBセットを一つ。
これには餃子が十五、焼売が十、肉まんが六入っており、5050を網羅できる欲張りかつお買い得なセットだ。
だって、十五個入りで六百円しないと言う事は、五個で二百円しないって事だ。
お店で食べる半額ではないか。
「何にするの?」
「多元宇宙に持ち帰ると怪しまれるから」
はたから聞けばブッ飛んだ事を、夏見ニコルと名乗った女性は返答する。
特に説明も無いままにこちらも頷く。
人の身体で顕現している時は、半知半能程度しか力を発揮できないのだそうだ。
それでも十分ブッ飛んだ性能だが。
僕が会計を済ませると夏見女史が続けて注文を始めた。
焼き餃子と肉まんだ。
半知半能では、三十分前後行列に並び直すと言うのはしんどいのだろうか。
赤い紙袋に入ったBセットを受け取ると、ズッシリと重い。
僕の感慨がそのまま質量になっているのだろう。
ちょうど隅に一息入れられる様なテーブルと椅子があった。
ここは何も買わずに帰宅する事を余儀なくされた際に確認していた。
僕の様に、そこで食べてしまおうなどと心得ている人は少なく、座席には余裕があった。
きっと、となりで売ってるアイスか何かを食べる場所なんだろう。
「何に乾杯するんだい?」
「永遠の命に」
随分と優しく無い話題を好むようだ。
よろしくと伝えて缶ビールを開栓、グッと飲む。
さて、それでは焼餃子だ。
箸、それはバッグの中に他所で買い物した時に使わなかったのが何本もある。
紙箱の熱気がたまらない、辛抱し切れずパクついた。
ぐわ、ドーンと来る香味野菜が濃厚で、これはビール以上にご飯食わせる様なやつだ。
はっきり言って、この月一餃子で一番美味い、海神軒ゴメン。
日本で一番美味しい餃子ということなら、それはすなわち多元宇宙で一番美味しい餃子という事である。
そんな餃子を夏見ニコル女史にも五つほどお裾分けし、ペロリと食べてしまった。
続いて、大きな紙箱から冷める前に肉まんを一つ、ほじくり出すようにして手に取った。
かぶりつくと、もちっとした皮の芳醇な甘みと、中味の香味野菜の濃厚さが、口の中で兄弟戦争を引き起こしている。
これがたまらなく取り合わせが良いから、食べながら笑みがこぼれてしまう。
やはり、タレに付けでもしなければ食べられない様な餃子は紛い物である。
だが、それは裏を返せば、僕が忌み嫌う塩分を身体の中へ筒抜けにさせてしまっているということでもある。
僕はちょっと黙ってしまう。
家に着いてから意外に思った事だが、焼売の紙箱を取り出した時が一番ズシリとした感じがあった。
言われてみれば、焼売なんかはほとんど肉と言って良いだろう。
味は無論のことである。
夏見女史との顛末は、来月に譲るつもりだ。