前書きに代えて
Shunメンバーが不在となるため、Shoが気を利かせて、Junに声をかけた。
「何か二人で記事でも書こうか」
急遽、土曜の昼に上野で落ち合い、飲みながら話した。
① 互いに文章を書いて、リレー形式で執筆。
② 制限字数は1000〜1200
③ 起承転結、承転にはこだわらないが、必ず結末を書く。
つまり、最終的に4000字以上の文章作品が二つできる。
④ テーマは『ドストエフスキーと小林秀雄』
そのまま飲みながら、テーマについて話し続け、会話は録音して共有した。あくまで参考であって、本文の内容を全て話したわけではなく、内面の描写などはもちろん創作の範疇である。
本文は二週連続リリースされる。チャプター§には、前編を1、後編を2とし(前編、後編と便宜上記載しているが各々は独立した作品である。)、起承転結に代えて1〜4を加えた。さらに、誰が書いたか判るようにSJを記し、()内に双方の執筆で完成した順を併記した。例えば、
§2-1. S(2)
は、チャプター2-起、(チャプター2は次週公開の内容)、執筆者Sho、執筆完了時点で二番目の作、を意味する。
§1-1. J(1)
悪魔の不審、天使の純真、野性の激情、鬼畜の残虐。そして、道化の諧謔。
その曼荼羅はカラマーゾフの血で描かれたのではない。ドストエフスキーの精神をバラバラにもぎ取ってキャンバスに叩きつけて出来たものである。さらに、彼を取り巻いていた筈の“彼女ら”が泥濘に浮かぶ様な華を添えている。彼はいったい何人分の人生を経験したのか、多重人格ではなく多重人生をその一身に引き受けたとも、自ら進んで買って出たともいえる。
Sは、愛読するドストエフスキーの深淵に畏敬の念を抱いている。深淵が意味することは、断崖絶壁から覗き込んだ奈落の底ではあるまい、それでは直接的にすぎる。深淵とは、底知れない前方に向けて果てしなく広がる暗黒の事である。だから、彼が創出したといわれる人物たちは、カラマーゾフ以前の作品にも数々登場しているではないか。ところが、である。
Sを事有る毎に飲み屋へ誘い出すJという男が、一体何を思ったか、面白半分でカラマーゾフやら何やらを読み進めていると言うではないか。あまり真っ当とは言えない様な仕事をしている連中に、ドストエフスキーは一朝一夕に読める様な物ではない。したがって、彼らが週に一、二度酒を酌み交わす際に、都度話題として繰り広げられるのが、必然この手の話になる。SとJとの付き合いは長く、十年くらいになるのだが、ここ三年ほどはそういったことが続いている。そうこうしている内に、Sはある疑問が確信に変わったという事に気付いた。
Jはどうやら、週の全てを職場で過ごすという苛烈な実務家だという事らしく、自己の社会に於ける存在意義の探求に余念がない。だからこそ、自身が自由に使える時間が毎日一定量あるらしく、その時間は同僚でも顧客でもない、顔も知らない誰かのためへの奉仕に使っているという。時は金なりとはよく言った物で、Jの給料を時給換算すれば唖然とせざるを得ない程に低いのだが、そんな彼は時として何の躊躇もなくそこいらに札ビラをばら撒く。切り出す話題の大半が事件、事故、対立の問題で、彼はたいてい冷笑を浮かべながら否定的で消極的で非人道的なのに、誰も言わないが故につい笑ってしまうことを強要される冗談を挟む。彼は酩酊して来ると口癖の様にこう言う。
「芸能業界にいられないなら、俺なんて刑務所にいなけりゃな」
Sは、Jから危害を被る予兆を察し何とかそれを回避するために、彼のことを“キリスト”と称して慰めてやることが多いのだが、それは内心でサイコパスだと断定しているがためである。Jは小林秀雄を愛読していたから、初めのうちはお互い読書家だからこそ話が弾んだ訳であったが。
§1-2. S(3)
今回も彼らは崇高な精神に触れるべく、トランス(酩酊)状態を求めて雑多な大通りから地下へと続く階段を降りた。そこには来るべくJを拘留する日を待ちわびていたかのように昔から存在している薄暗いイタリアンバルが広がっていた。早速席に着くとアメリカ産の無添加の煙草に火を付け、見通しがつかなくなるまで肺一杯に煙を吸い込んだ。抑圧から吐き出された煙は逃げ場の無い地下室の中でいつまでも天井のシミを隠すために留まっていた。逃げ場の無い密室で失敗を隠すことだけが唯一許された行動であるというのは正に人生そのものである。
ひとまず頭の中の煙を全て追いだした後、重みはあるが同時に大地の甘みを余すことなく携えた赤ワインのボトルとそれを更なる高みへ引き上げるマリアージュを求めてステーキを注文した。直ぐに運ばれてきたワインで口を湿らせながらJが口を開いた。
「馬鹿にイラつかせられてもコイツは教養が無いから仕方ないと納得出来るようにラテン語を学ぼうと思うんだ」
その言葉を聞いてSは”始まった!”と目をぎらつかせた。キリストの皮を被ったサイコパスに教養など片腹痛いものであるが、その矛盾の中にこそ相手の生活が詰まっているのである。早速Sは意気揚々と返した。
「君が敬愛する小林秀雄はどうなんだい?彼は教養を身に付けることで怒りを制御出来ていたのかい?」
別に彼の事は関係ないが聞かれたから答えることが義務かのように、また口をワインで湿らせたJが応えた。
「彼はドストエフスキーかのように激情家のところもあり、カッとなりやすいところもあったが家庭では紳士であったと聞くよ」
Sはその言葉にまた目を輝かせながら喋り出した。
「へぇ!てことは君は偉大なる小林秀雄様が出来なかった事が自分には出来ると思っている訳だ!?馬鹿を言っちゃいけないよ。君はもう若きウェルテルではないんだ。既にその血肉はすっかり出来上がっていて滅多なことではもう変えられないんだよ!」
沸々と湧き上がる心の高揚に呼応するかのように血が蒸発する音を発しながらステーキが運ばれてきた。それに気を良くしたSはステーキとワインを口に頬張りながら後を続けた。
「ねぇ、J。君の損得勘定を抜きにした行動に対して僕はキリストと表現しているけど、その実は違うことをもう分かっているんだろ?君の一部は幼いころのDVによってもう小林秀雄なんだよ。それも厄介なことに性質という部分が特にね!キリストは教養によって多くの人に奇跡を与えるだろうさ。だが君に教養を与えたところでそれは君自身に起こる奇跡にしか使われないんだ。どこまで行ったって君は酒を飲めば馬鹿な女に帰れと暴言を吐くだろうさ。この赤ワインとステーキという相乗効果が起こるなんて期待しない方がいいぜ?狂人に教養を組み合わせたって食あたりを起こすのが関の山さ!」
Sは挑発するかのようにJの目を覗き込んだ。
§1-3. J(4)
Jが次の煙草を手に取ると、Sは使い古しのジッポーを開いて点火してやった。喫煙量はSの方が相対的に多く、オイル切れにならないように気を遣うのが当然なのだが、Jの方はというと愛用のダンヒルのライターをガス切れのままにしてしまっている。燃料で満たした道具も、習慣的な喫煙がない所為で炎を出させてやる機会も与えず使わないままでいれば、次第に気が抜けて役に立たなくなる。しかしながら偏屈者のJは内心で、役に立たないとしても、人目に触れられなかったとしても、所有している事に意義があるものがあるのだと信じているのだ。Sからは時間稼ぎにも見える様な一服の煙を吐き出し終わって、Jは言った。
「狂人の教養とは、さながら教人の狂養だな」お得意の言葉遊びから彼は切り出した。「教えてやる立場にいながら、僕は存分に狂った教養を身に付けてきたんだが、やはり少しばかり物足りなくなってね。賢しらな顔した同僚どもや顧客連中に対して道化を演じながら、お前たちが手元で飼っている教養なんぞは、俺が巻き起こす嵐の様な破天荒を前にしてはひとたまりも無いんだぞと内心で毒付くのもまぁ悪くは無いんだが。君の言う通り、食あたりというかね、反吐が出るんだよ。それで良いと思っているし。それにどうかな、教養と冠しておきながらやるのはラテン語ってのはさ、日本人として世界標準に唾棄してやろうかって気概だよ」
「いや、僕は君から危害を被りそうだ」付け合わせのフレンチフライを赤ワインでぐいと流し込みながらSが口をはさんだ。
「来た、見た、勝ったなんて、僕が言っている日本基準としてのトリアーデに通ずると思うがね、Veni, vidi, vici.を知っている奴なんざうちのオフィスに一人だって居ないんじゃないかな。僕は暴力に抗するための、暴力の様な知識を欲している様なんだ。カエサルのものはカエサルに、ってね」
トリアーデとは、ヘーゲルの弁証法における正反合を表すが、Jはその範囲を拡大し、雪月花や守破離の様に漢字三文字からなる概念に対して用いている。雪月花とは全てが酒の肴だから日本人の酒に対する態度を示す概念だと主張し、守破離とは教わる側の段階ではなく指導者が喉元に常に意識せねばならない刃であるなどと主張している。
『ナポレオンがカエサルの軌跡を追った様に、Jもまたカエサルに続かんとしているのであれば』Sは思った。『俺自身がブルータスになるのは御免被る』
§1-4. S(6)
未だに天井で行き場を失っている白い煙の揺らぎをSは見つめていた。
『裏を返せば奴が暴君になる前に俺が刃を突き立てなければ狂養で持って俺を殺すということか?』
ステーキを切る為のナイフを強く握りこんでいる落ち着きを失った右手と共に視線をJに戻した。ワインのように真っ赤な顔がそこにはあった。それを目にすると俄然Sは嬉しくなった。
「は、は、は!結局、教養やなんだって言いながら君は馬鹿が我慢ならないんだ!言葉遊びの次に吐き出された教養はそのままもう形すら変わっているじゃないか!やっぱり君にとっての教養は君自身を英雄にし、政治の実権を握らないと癇癪を起こす狂人を生み出すことに使われる事が一番似合っているよ!」
それを聞いてJはギロリとSの視線に応えた。
彼の中には確かに見返りを求めない善行を自然と行えるキリストの姿を見ることが出来る。ただそれは彼が赦すことが出来た馬鹿に対してだけなのだ。根本的なところ、彼もまた激情家であり馬鹿をそうそう赦すことが出来ないのだ。特に近しい者であればあるほど。
「S、やたら突っかかってくるじゃないか。君ならそんな言葉尻を捉えて勝ち誇ったりせずただ一言、カラマーゾフ的だね。で済ませられる頭を持っていると思っていたよ。俺はフョードルであると同時に、社会と繋がりではイワンとしての顔も持っていることも既知の事実だろ?」彼もまた皇帝として振舞うべくステーキを口に頬張り、赤ワインを嗜んだ。
「全く、カエサルなんて持ち出して冷や冷やさせるじゃないか。この名前が出たついでに言うけどね、最初の言い方だとまるで君が君自身への治世の中でコイン(教養)に君自身ではない別の誰かの顔を刻むかのような話しぶりだったじゃないか。そこに君の顔が刻まれているのであれば僕だって何も言わない」
それを聞くとJもやっと頬の強張りが取れ、ワインの赤みだけが緩やかに残った。
「それを聞いて安心したよ。まぁ、もう一本開けようじゃないか。俺の帝国の晩餐会ではワインに毒なんか入っちゃいない。毒が回っているのは俺達の頭の中だけで十分だ」
Sはヤレヤレという面持ちで彼から注がれるワインを受け止める。
この短い時間の間で彼らは存分に意識の上層で互いの殺生を楽しんだ。Jに至ってはいつもの事だがローマ人の如く更に食べ物や酒を限界まで腹に詰め込み吐き出しては再生するのが常である。ルネッサンスなんていう大層なものではない。彼らが自己を見つめ直しているのかすら怪しい。ただこのような場を設け、定期的な死に触れることで彼らの生活はより強固なものになっていくのだ。
煙草の煙はワインが一本空いてもまだ尚、天井のシミを隠し続けていた。
本作はJun始まりからのリレー作品である。
次週はSho始まりからのリレー作品§2.を投稿する。