約束の地、シド。
誰がそこに行く。
僕と、その他に誰かが。
その誰かと、僕は会えるだろうか。
いつか、どこかで。
七輪の煤煙に包まれて。
策が成るか成らぬか、成るように為すのか。
二十日ほどの勤労、心労、気苦労、過労。
あとは実働部隊が為すこととして、僕は連絡会の帰路についた。
隣を歩いているのは深緑のコートを着た女性、謎の女モツ野ニコ美。
風を切るようにして二人は、日本橋一丁目を歩く。
僕は肩の荷が降り、彼女は現状の成り行きに満足していた。
「時に」と言って我ながら可笑しな日本語を口走ったものだと思わず笑い、「銀座線で新橋へ出てから、川崎まですぐなんだけど。」口調が統一されていないのがさらに可笑しい。
「川崎、そうね」彼女が微笑してこちらを向いた。
「覚えてる?」
「もちろん、いつ行けるか楽しみにしてたの」
「今夜」その日初めてしたかのように、僕たちは目を合わせた。
解放感をビールで恍惚感へと止揚する、おあつらえ向きの夜だ。
寒風すらも肌に心地良い。
川崎駅前は、さながら「池袋」の活気である。
さくら通りを横断しようとすると、外国人旅行客が立ち止まり、地面に向けて硬貨を投げた。
何かと思いそちらを見ると、ボロを着た老人が、そばに平皿を置いて地べたに座っていた。
誰が乗せたか、硬貨の枚数はそれなりにあるようだ
横切ろうとしてすれ違った、これもまたボロを着た別の老人は、高濃度酎ハイの缶を手にして歩き飲みしている。
歩き飲みの老人は、地べたの老人を忌々しそうに見下して、何事か口にしながらとぼとぼと歩いて行った。
約束の地、シド。
あるとすれば、それはここかもしれない。
そうであっても構わない。
新川通りの左側をしばらく歩く。
通りの向こうはまるでサンシャインシティを平屋にでもしたかのような施設だ。
四つ目の曲がり角は、いくらか狭い路地なので見落とさないように。
そこで折れて少し行けば、軒先に七輪を積んだその店「さおやん」が。
ガラリと引き戸を開け、奥へ。
店内は満員御礼。
そんな気がしたので席は予約しておいた。
ここ川崎総本店は朝九時まで営業しているから、待っていることができさえすればいずれ席は空くのだろうが。
モツ野女史が決めるのを待つ。
梅酒ソーダ割り、ふむ彼女の好みが分かってきた。
僕は瓶ビール。
これに併せて、煮込み二つ、鶏ユッケのマヨネーズ味二つも注文してしまう。
すぐに届いた飲み物で乾杯して喉を鳴らし、深くため息をつく。
それからすぐに注文の品が届いた。
ここの煮込みは、言うなればジャパニーズトラディショナルシチューだ。
中にはちょっと何が入っているやら分からないが、色々とゴロゴロとしていて美味しい。
硬すぎず柔らかすぎず、ハッキリと形が残っている髄がたまらない。
一口頬張って、グイグイとビールをあおる。
僕が世界で二番目に好きな煮込みである。
向かいの女性は無言で、しかしながら箸が止まらないといった感じで食べている。
鶏ユッケは満遍なくマヨネーズで和えられている。
「これが鶏マヨね」モツ野女子は臆することなく卵黄を崩し、食べた。「あっはは、これも良いわね。ねえ、七輪で焼くものも注文しましょうよ。これしかないと、すぐ食べ切っちゃうもの。ゆっくり焼きながら、それに合わせてつまみたいの」
「焼くものを注文するのももちろん良いが、食べ切ったら追加したって良い。僕はね、卑しく聞こえるかもしれないが、ここに来るたび鶏ユッケはお代わりする気でいるんだ」
と言って気付いた。
一人じゃない、独り占めじゃない、報われる瞬間だと。
ここではシビレを食べておきたい。
他所ではなかなかお目にかかれない。
シビレの語源は、sweetbread、甘い肉を意味する膵臓のことだ。
このsweetbredという言葉が日本に輸入されたため、sweetの音から膵臓と呼ばれたんだとか。
膵臓とは全く別の位置にあるものの、胸腺の事も指すそうで、まとめてそう呼ばれている。
膵臓は足が速いので、実際に店舗に出回るのは胸腺であることがほとんどらしい。
仔牛の胸腺は、フランス料理でリードヴォーと呼ばれる。
それと、刻んだネギがたっぷりと載ったハラミ。
それぞれ七輪に載せて、炭火でじっくりと焼いていく。
早くも僕の鶏ユッケがなくなったので、予定通りお代わりを注文。
それから、賽子状の豆腐、納豆、めかぶ、おくらの上にとろろがかかり、生のうずらの卵が載っている、ずるずるという商品も頼んだ。
これは醤油を適量たらして、箸で滅茶苦茶に掻き混ぜてから頂く、いわゆる爆弾というやつで、僕にとってはこれくらいのタイミングで持ってこいの逸品なのだ。
焼き目がつかないようにじっくりと焼いたシビレを互いの皿に載せる。
以前は付いていなかったが、別皿に特製パウダーが盛られている。
ははぁ、パリパリに焼いた鶏皮串に振りかける例のあれか、悪くない。
シビレはもちもち、くにくにとした食感だが、味わいは白子のように濃厚だ。
このお店、川崎さおやんには、ならではの商品が多いからいつも来店を楽しみにしている。
どうしたらこういうお店を見つけられるのか、と黙って食べていたモツ野女史が満足げに聞いてきた。
十何年も昔の記憶が一気に蘇る。
路地裏の溜まり場で一際懇意にしていた、三歳年上の摩耶という変わった名の男。
学生の頃に連れられてきて以来大好きなお店になったのだった。
彼はすぐにトヨタに就職が決まって、愛知県に越してしまった。
あんなに魅力的な人格者だったのに、最後に会った日には気弱になっていた。
友達なんてあの人にはすぐにできるだろうに、なぜか分からなかった。
会うときは決まって、僕一人だけと会っていたという理由も。
ここでならまた会える気がして、毎回通っているのかもしれない。