土曜の午後、睡魔と闘いながらこれを書いている。
人生で五回だけ観た能舞台でも睡魔に襲われた。
能楽祭を、五日通しで観に行った時のことだ。
三日目か四日目の鑑賞で、『今日の大皮はイマイチだな』と思った。
案の定と言うか、打ち手にテーピングがされていた。
能楽に関して私が語れるのは、この事が全てである。
小林秀雄は『当麻』で、「夢を破るような」と表現した。
彼もまた、睡魔に寄り掛かりながら観ていたのだろうか。
何が書きたいのかというと能についてだ。
酔狂でスタバの豆の飲み比べというのをしてもみたが。
仙台店を二度訪問しただけでお二郎を知った気になってもいるが。
ちょっと考えてみよう。
「あなたを一言で表すと?」
「あなたにとって生きるとは?」
これらをスタバと二郎と能、それぞれに問うならば。
スタバならばあの人魚(セイレーン)が語るだろう。
「私は場であり空間です」
「私にとって生きるとは、喜びを分かち合うことです」
こんなところだろうか。
二郎ならばどうか。
「二郎は二郎である」
「二郎にとって生きるとは、腹一杯食わすことである」
では、能は。
世阿弥の魂は何と答えるか。
それが知りたくて『風姿花伝』を読んだ。
小林秀雄のいわゆる「花」はあまりに有名で、有名すぎるがゆえに、観阿弥が伝えようとし、世阿弥が筆を執った「花」を誤解させかねない。
無論、彼が意図したわけでは無く、読者である我々の『解釈』の問題なのだが。
坂口安吾も『教祖の文学』において、その花についてやっかんでいるくらいだ。
しかし、その「花」に目を奪われて見落としてはならないだろう。
小林秀雄はその直前に、引いているではないか、そのことがやっとわかった気がする。
「物数を極めて、工夫を尽くして後、花の失せぬところをば知るべし」と。
つい先日、飛鳥山で薪能があった。
演目は『船弁慶』、五番目物だ。
作者は世阿弥の甥の子、観世信光。
室町時代は後期へ移り、娯楽性が増している。
ああ、最後に観た『道成寺』に似ていると思ったら、どうやら同じ作者のようだ。
能とは本来、陽が出ている間に通しで行われるらしい。
詳しくは知らないが「能楽の上演形式」で調べると丁寧すぎるほど書かれていた。
以下引用
『翁』を冒頭に、能5曲とその間に狂言4曲を入れる「翁付き五番立」という番組編成が、江戸時代以来続いている能楽の正式な演じ方である。
引用終わり
能楽祭は、正式な能楽を五日間かけて上演するという企画だったのだ。
ちなみに、能と狂言を内包する能楽というものが明治時代に確立され、我々が現在享受できるのはこの能楽を指すものの、翁付き五番立の中から能と狂言を一組上演するのが一般的である。
それ以前は猿楽と呼ばれていたりするのだが、いかんせん歴史が長いので複雑だ。
時代の求めに応じた、というよりも生き残りのために生じた娯楽性。
それ以前、観阿弥と世阿弥の頃にも、やはり生き残りがかかっていた。
流派間の能勝負があるためだ、ラップみたいで面白いなと思う。
ここに世阿弥の天才が花開く。
娯楽性の前に、能に、能に、何性と言えばいいか、神秘性ではズレている気がするし、物語性というのは現代的過ぎるのだが、言い様のない性質を付加した。
書けば書くほど、能を知らなさすぎるのが浮き彫りになって恥ずかしくなるので、あと三つばかりで辞める。
世阿弥は、能に残念を託した。
業平を想う花の精や、壇ノ浦の平家の亡者などだ。
現を彷徨う残念が、旅の僧の元にすがる。
念は曰く由来のある場に留まっている。
僧侶はただただ傾聴している。
それはまるで、夢でも見ているかのように。
最後、僧侶の祈りにより成仏あるいは退治され、無念となる。
その形式を複式夢幻能というが、この言い様のない性質は、前々から松岡正剛が私に紹介して知っていた知識を凌駕していた。
さらに、僧という、私からは肉体的にも精神的にも極北にある存在を、有り難いとも感じた。
彼等の存在が媒介となって、我々観客の目にも残念が映るということ。
室町時代以前の人々には本当に視えていたのかもしれないと、熱烈な帰依ではないがかすかな畏怖を抱く。
小林秀雄に、「現世の無常と信仰の永遠とを聊かも疑わなかった」という時代は「少しも遠い時代ではない」と言い切らせる力があるのか。
「何故なら僕は殆どそれを信じているから。」
そんな筆致を、私は他に認めることができない。
「花の萎れたらんこそ面白けれ、花咲かぬ草木の萎れたらんは、何か面白かるべき」
世阿弥の魂は何を伝えたかったのか。
『風姿花伝』だけでは、父から継承した守しかわからない。
その後、四十年に渡って体得した破の章が『花鏡』。
夭折した息子、元雅に相伝する筈だった『去来花』。
能がますますわからない、わからないから書いた。
「あなたを一言で表すと?」
「あなたにとって生きるとは?」