奇しくもその日は水曜日だった。
食肉工房アンドレの定休日であるにも関わらず、今朝は四時に得意先から予約が入っていた。人肉解体業者の朝は早い。相手が相手だけに、寝ぼけ眼というわけにはいかず、昨晩彼は十九時に床に就いた。我ながら健康な生活を送っているとつくづく思うのも、ひとえに肉中心の食生活のお陰だと感じる。全身を締め付ける黒革の仕事着に身を包み、安藤玲はヘルメットの中での瞑想を終えた。
連れて来られたのは、大柄な筋肉質の男。両腕を後ろに縛られて猿轡を咬まされた状態だった。動きを鈍らせるため、右脚にはナイフを刺したままにしてある。その眼には諦めの念が見て取れる。作業場の天井から太い鎖が、ただぶら下がっている。素朴な造りのそれを、男の両腋に通して括り付けた。硬く張られた鎖に両肩まで繋がれて吊るされた男は三十過ぎといった所か。引っ越しあるいは運送業者のような体格をしている。つまり彼は、体型維持の努力を怠らないプロの“運び屋”なのだろうという事が、同業者の直感で解った。
剥き出しのコンクリートに四方を囲まれた、薄暗く手狭な部屋の中は、先日目の当たりにしたスナッフィーの仕事場ほど洗練されてはいないものの、この食肉工房は安藤の聖域である。依頼主から材料が届けられるから、檻などは必要ない。他にあるのは鋭利な刃物が一式、水洗用のホース、お気に入りのチェーンソー。そして、今朝は生きた素材と、それを見ている眼球六つ。『哀れだ。』安藤は似たような境遇のその男に内心同情した。彼と我とに違いは無い。肉体作りは生涯現役の気概の顕れだ。それはつまり、稼業が現状で軌道に乗っている証拠だった。
すぐ傍に、ウェディングドレスもかくやと言わんばかりな純白のドレスに身を包んだ女性が立ち、その光景を睨めつけている。婚礼用には少々機能的に過ぎる意匠だったが、それがどうしたと言うのか。披露宴会場が人肉解体工房で行われている、それだけのことだろう。今朝の仕事は、国際誘拐企業連合から直々に持ち込まれたもの。安藤玲は業者として最優先の顧客相手にこの仕事を引き受けざるを得なかった。東京湾最奥の南船橋を国内最大の拠点とする連合。その船橋支部代表とは、つまり日本支部総帥相応の意味を持つ。International Kidnapping Enterprise Associationで絶大な権限を持つクロエ・ド・リュミエールその人が腕を組み、涼しげな表情をしてその場で傍観している。人肉解体現場の特別桟敷に居ると言って良いだろう。
肉の食い方については、日本では及びもつかないフランスの舌が、クロエとアンドレとを宿命的に結びつけた。切っ掛けは、安藤が手を下す素材に懸ける情熱と、その仕事に対する姿勢だった。解体用人肉の入手経路というものは、とかく人身売買の営業経路と重複が生じやすいものだ。査察として定期的に出向く関東一円の様々な焼肉店で、ある日彼女の舌が一口で見抜いた事があった。鹿浜橋のアドレナ苑店主を丁重な尋問にかけると、彼はすぐに話し始めた。それを辿って行き着いたのが、京成海神駅前の此処、食肉工房アンドレと言う訳だ。以来、安藤は不用意に連合のシマを荒らす事なく、違法ではあるにしても合意の下に新鮮な素材を手に入れられるようになった。そして、連合は暴力部門を持たないながらも、船橋支部代表の手元には忠犬という強力な札が入った。
まさに人形のような顔立ちの彼女の、いつもと変わらぬ澄み切った瞳の奥に、暗い影が射している事に気付く者はこの場に誰もいない。西船橋のホテル街で、安藤が綿摘恭一を殺し損ねたことは、依頼主のクロエとしては想像通りではあるものの予定外だった。連合には暴力専門の部署が無いため、あの時は安藤に外注となったのは止むを得ない事ではあるが。船橋東武第十二位の一騎打ちに便乗し、結果的に東武・連合共に“採用試験”突破とも言える結果。船橋東武にこれ以上の戦力が追加される前に殺してしまう算段だったが、先代第十二位の呆気なさたるや、何ともはや。機関銃を扱う特殊免許もさることながら、一族に代々伝わると言う近接格闘の心得が、あの呉の暗殺術をも凌いだということか。方針転換で恭一を取り込み、協調路線に舵を切ることにしたのは、第十二位就任早々に流れてきた西船橋からの情報が理由だ。曰く、船橋西武のシマで女どもを侍らせ、公然と現船橋東武の体制批判を言い放ったのだという。だから、船橋東武では手出ししにくい、南船橋の虱どもをこの様に一匹ずつ捕らえてやることにした。
しかし、ここに来てまさか、東武が西武の残党狩りに乗り出す事になったというのはぞっとしない。彼女は自分の思い描いた絵図が、日に日に予定から脱線しているこの事態を楽しもうという気にはなれなかった。今度の仕事で、綿摘恭一は死を免れ得ない。さながら田園の麦のように命を落とす。誰が判断してもそうだろう。クロエの判断も同様だった。だから彼女は苛立っている。一度手放したものをもう一度手放すのが運命なのであれば、彼女はその神を刺し違えてでも殺す女だ。
「支度できました。」安藤がクロエの側近オーギュスト・ドートリッシュに伝える。眺めていたのであればその様子も解っていようものだが、クロエはオーギュストの通訳を受けても知らん顔だった。そしてなに食わぬ顔で、ムッシュ・ド・船橋に執行を命じる。彼女が話す仏語とは、仏の言葉なぞではない。死神からの密やかな口付けだ。
「猿轡を外せ。首斬りにしろ。」オーギュストからの伝達に安藤は竦然とした。
「こんな夜明け前に、猿みたいな断末魔は困ります。」工房でチェーンソーを使用した事は未だ嘗てない。解体にはよく研いだ刃物数本で事足りるからだ。もともと活け造りを前提に建設した工房ではないので、防音には自信が無かった。解体する手順として、まず始めにナイフを入れる喉にこんな形で手を着けさせようと言うのは、全く素人の発想でもあった。水洗用ホースがあるとはいえ、飛び跳ねる血飛沫の量は見当もつかない。それより何より、大好きな喉ナンコツをそのように扱いたく無いのだ。男は必死に目を瞑り、ぶるぶると首を横に振っている。
クロエは詰まらなさそうに右手をぷいと振る。返り血が跳ねても構わないように、オーギュストがポリプロピレン製のカーテンをクロエの前に高く持ち上げる。此処が独裁政権下の某国ならば、機関銃の一斉射撃が始まる合図。殺るしかないのだ。気持ちを切り替える。人間を生きたまま殺す試みはこれで二度目だ。高揚感に身を委ねる。自分の仕事を、連合の麗しき死神が見ている。大きく、しかし早く呼吸する。
その呼吸に合わせ、I.K.E.A.本部が置かれたスウェーデンにあるハスクバーナ社が、安藤の為に特注で仕立てたチェーンソーを始動させる。特注の依頼はクロエの命令であり、その譲渡はすなわち彼女の意思で誰であろうと惨殺するという魂の契約を結んだも同然なのだ。フル回転のエンジンが爆音を鳴らしながら駆動している。名も知らぬ男の眼には、既に生への執着、つまり恐怖という感情が顕れていた。
安藤、さっと左手で猿轡を取り除く。男は泣き叫んで命乞い。
「オイオイ、しっかり胸張って顔上げねえと、キレイに切れねえだろうが。」オーギュストは持ち上げたカーテンを下ろし、男の顔の傍まで寄って言った。必要な伝達事項以外には一言も発しないオーギュストがそうしたのは、つまり顔を上げろと言うのは必要な伝達事項という事だ。クロエとは対照的に、彼は流暢な日本語を雄弁に扱う。安藤としても、そうしなければ余計な箇所まで傷付けてしまうから、顔は上げて欲しい。しかし電動のこぎりに自分から首を差し出すなど、まともな神経では出来ない。出来るはずがない。こんな事になるなんて。殺すなら別の方法で殺してほしい。様々な言葉が男の口から飛び出す。安藤はチェーンソーを停止させて下ろし、ヘルメットを傾げてオーギュストの方を向いた。
「I.K.E.A.のシマを荒らしていいのはI.K.E.A.だけなんだよ。特に、お前たちが扱うヤクは南船橋に流すなって事を、これからみんなに良く知ってもらわないと。」東西の冷戦状態であれば、両者が一線を越えて来る事は無かった。だが、撤退以後に市内が東武一色となる前に、新習志野ー南船橋までに越えてはならない一線を引く必要があるとの判断だ。船橋東武に向けて、これから国際誘拐企業連合が相手となることにやぶさかでないと血文字で宣言をする。肉屋のアンドレこと安藤玲は、駆動を弱めた鎖鋸を再び最大出力で唸らせる。だが男が、男の名は大塚と言うが、大塚が発したのは、家族の名だった。叶うなら最後の言葉を交わしたいと言う願いだった。安藤は再度チェーンソーを停止させて下ろし、ヘルメットを傾げて念押しのようにオーギュストの方を向いた。
「自分の臆病を家族にまで伝えたらダメだろう、それは。もういい、早くやれ。お前一人だけにはさせねえから、安心しな。」オーギュストはこういった場面に慣れているようで、徹底して冷徹だった。吐き捨てるように言って、またプラスチック製のカーテンを高く持ち上げる。この期に及んで外部への連絡など許されるはずが無いのに、演技か本音か知らないが命乞いはこれだから聞いてはならないのだ。この業界、つまり職業凶手達の間で、命乞いを聞いてはならない事は鉄則の第一条であると言われる。会話などが始まる前に、相手が死んでいる事が職人気質であるためだ。頭では分かっていても実践までに経験が要るし、それまでの命のやり取りで必然と短命な者が多いから、鉄則を遵守しつつ臨機応変という動きが出来無いのは半端者である証なのだが。勿論、今のオーギュストの行動は、主人の望みが恐怖心を与えて殺す事であるから、臨機応変であったと言える。同時に業者に対し、的確な指示も出さねばならない。厄介な問題ほど、解決してから主のクロエは満足するから、従者の腕の見せ所となる。その為に彼は日本語も覚えたし、単純すぎる問題は敢えて複雑にし直すという趣向を凝らす時さえある。
一方で安藤は、逃げ出したい気持ちを抑え、高揚感を維持するのに必死だった。今までしていた死体の処理では、こんな工程を考えすらしなかった。それまで彼が考える死とは、もっと抗いようのない大きくて強い存在だったのだが。最初の経験、西船橋のホテル街では、自分自身が死そのものだったのに。今か、あの時か、錯覚しているのはどちらなのか。一瞬、安藤は大塚と目が合った。無論、ヘルメットがあるから、大塚には分からない。しかし、大塚もその時、磔にされたかのように動きが止まった。瞬間、安藤は大塚の喉元をチェーンソーで縦に突き刺した。鎖鋸は気道と頸動脈の間を裂いて延髄に達し、すぐに大塚は恐怖から解放された。絶命して項垂れた頭の重みで、顎まで裂いてしまわぬよう、最速で仕事を済ませた。気道が裂けた時の、あの喘々という嫌な呼吸も聞こえない。その間、コンマ三秒。だが、安藤玲にとってその時間は、三時間に及ぶと言っても過言ではない疲労に感じた。せめてこの同業者を苦しませたくない一心で仕事をしたい。それ故、横向きに歯を入れて首を飛ばし、頚動脈を断裂させてしまうのを避けたのは本能。喉から得物を抜き出すと、男はすぐにがくんと俯き、裂けた喉からだらだらと血を溢した。返り血は鎖鋸を差し込んだ際に、回転する歯によって飛び散った僅かな血煙がヘルメットを覆ったのみ。
記憶が飛びそうになっている程に鮮やかすぎる仕事を終え、ヘルメットの中で雄叫びを上げたい衝動を堪える。あまりの興奮に安藤は勃起している。このまま刃を振りかざし、安いビニール製のカーテンを切り裂いて、サイコのジャネット・リーよろしくクロエ・ド・リュミエールを惨殺したいという思いが頭をよぎり、彼は下半身を痙攣させて射精した。しかし、フランス人形の奴隷になるのは良しとしても、己の殺人衝動の奴隷にまで堕ちてしまうわけにはいかないのだ。そんなやり方では、自分の手で掴み取ったことには決してならない。凄腕の業者は、その冷静さを併せ持つが故に神域へとその足を踏み込める。今の安藤は、まさに死を体現する存在だった。
黒づくめのヘルメットとライダースーツに隠された男の様子を易々と見抜きながらも、クロエ・ド・リュミエールの不機嫌は晴れない。いつ見ても安藤の仕事ぶりは、期待に応えて予想を裏切る。それだけに、西船橋のホテル街であの忌々しい軍閥からの横車さえなければと思えば腹が立つ。船橋東武の歯車に組み込まれた綿摘恭一が、自分のコントロール下にどんどん置けなくなっているというその事にも我慢がならない。ましてや、その活殺与奪を他者に譲渡するなぞ言うまでもない事だ。この気晴らしには益々の血が要る、と純白ドレスの死神は思った。それは無慈悲で理不尽かつ容赦無い、嵐のような流血を意味していた。連合が戦争に乗り出すとはそう言う事だ。業者は一人では足りない。
クロエはドレスと同じ白のハンカチを安藤に投げて寄越す。飴と鞭ならぬ、ティッシュとハンカチはこれから益々用意する必要がありそうだ。此処でチェーンソーに血を飲ませ続けることになるから。工房の防音改修は費用を立て替えてやろう。欲しいならスウェーデンの家具まで付けてやる。だが、業者は一人では足りない。
今はクロエと目を合わせられないアンドレはヘルメットを脱がず、朝食用に昨日準備したタンシチューの食卓に二人の客を招く準備を始める。献立を聞いたクロエが少女のような喜びの声を無邪気に上げたのは、通訳を介さずとも解る。安藤は顔が耳まで赤くなるのを自覚し、ヘルメットを脱がずにいて良かったと思った。受け取ったハンカチは、ヘルメットの血飛沫を拭うのでは無く、後で使う為にポケットに捻じ込んだ。
その日も朝八時五分前に、綿摘壮一は自宅を出た。ゆっくりとした足取りだが、一歩々々は確かだ。軋んだ身体が痛みはするが、痛いだけであってそれ以上でもそれ以下でも無い。彼は今朝も、いつもと変わらぬ陽の光を浴びながら、その光の粒子一つ一つを眺めながら歩く。丁度八時、ログハウス風の外観とスペイン産の石窯を擁するベーカリー、パァントムに到着する。
駐車場に停まっていた真っ黒なセダンから永井老人が姿を現わす。この車は西船橋で綿摘恭一と安藤玲を諸共に撥ね飛ばしたものだ。運転席からは小林秀英が壮一に目礼する。堅気だから軍隊式の敬礼は遠慮してくれと綿摘壮一は常々言っていた。そういう彼自身、極道の中の極道だったのだが。
「おはようさん、いい天気だね。」こんな言葉をどちらからかけたかは、彼ら二人の長年の関係からすれば取るに足らない事だった。開店から一時間後のこの時間は、普段なら店内に他の客が十人弱と空いている。二人の朝はここから始まる。何もなくなった船橋にインフラが整備され、上前を撥ねられることなく物流が循環し、味わいや質の高い飲食がまた提供されるようになって出来たこの店で。
揃って店に入ると、この日は既に二十人程の客が店内に居た。それだけでも十分な数なのだが、休日ともなるとこの倍は店に入り、自分の意思で動く事すら困難なほどになる。今朝の壮一はカレーパン、永井老人はいつもと同じくるみパンをトレーに載せた。名札にすずねと手書きされた女子が、明るい声でイタリアンパニーニが焼きあがった事を告げ、売り場に並べ始めた。焼きたてのこの商品は、ふっくらとはりのある見映えで、これ以上ないほど美味そうだ。
「鈴音ちゃん、おはようさん。」と永井老人がその店員に挨拶する。壮一とは異なり、最早歳相応の胃袋になってしまった自分。その事に今朝は怪しく物狂おしい感情を抱きながら、運転手の小林少佐の為にイタリアンパニーニに手を伸ばす。毎朝のようにこれを好んでパクついている小林が何とも微笑ましい。
「おじいさん、おはようございます、今朝は暖かいですね。」彼女の明るい返事は、暗くなった心中を陽光のように照らし、影が伸びきった感情を一掃した。妻子無き彼にとって、この場所から壮一と一日を始めるのは意義深いものだった。孫ほども歳の離れたこの娘と言葉を交わし、壮一に託した夢に揺られて、この老骨が朽ちていくのを身を以て感じる日々は何たる幸福であろうかと思う。いや、これからもまさしく幸福であるに違いなかった。昨日、あの報告を受けるまでは。
「コーヒーカップは三つでよろしいですね?」レジに立つ店長の横手英理子が訊ねる。購入者はここで、受け取ったカップにマシンからコーヒーを注げるサービスが得られる。受け取ったカップに壮一がコーヒーを入れ、そのうち二つを永井に渡す。永井はカップ二つを手に取り、その片方とパニーニを運転席で待機している小林に差し入れた。
綿摘壮一は店舗入り口の傍にあるテラス席でコーヒーを啜っている。
「なぁ壮ちゃん、良くないことが起こる。」
「県民の森が燃えちまうより酷いことですか?」焼け落ちたスナッフィーのアジトは、広報ふなばしの第二面に不審火として小さく載るだけで処理された。これに便乗するかのように紙面には、災害時の避難やら廃棄物の処分やら住宅改修の費用やらと言った防災対策の記事が掲載された。県民の森の松林に延焼しなかったのは奇跡としか言いようがないが、その住人が建てたシェルターの堅固さの裏付けでもある事を知る者はごくごく僅かだった。
「それ以上かも知れない。こんなに早くなるなんて思ってなかったよ。燃えるのは県民の森じゃなく、その隣…。」
「…⁈」報告を受けた壮一は、三十を過ぎたばかりの我が子の死に様を想像した。それは壮絶で、堂々たる犬死に他ならなかった。願わくばそうならないで欲しいが、不可避のものであるとは壮一自身が一番良く知っている事だった。
「恭一が死んだら、俺が船橋東武の第十二位ですか?」壮一が軽口をたたいてみせたものの、永井老人は二の句が継げぬと言う表情をしていた。
朝十時、船橋大神宮には穏やかな時間が流れている。
小高い丘の上に広い境内を持つこの神社は正式名称を意富比神社と言い、太陽神を意味する大日、あるいは食物神を意味する大炊に社名を由来すると言うが、諸説ある。主祭神に天照大神を祀っているのは、日本武尊が東征の折、船橋において戦勝祈願のついでに地元の旱魃を救おうと、天照大神を祀って祈願したことに端を発するとある。この直前、現在の横須賀走水から上総へ船で東京湾を横断する際の荒天を、妃の弟橘媛、古事記では弟橘比売命の入水と引き換えに鎮め、無事渡り切っている。その喪失感は余りに大きく、嘆きの歌が詠まれた碓氷峠、古事記では足柄峠以東の諸国が吾妻と呼ばれるようになったのがこの故事に因むというのは有名な話だ。降ったのは叫び泣く様な大雨だったと察せられ、祈りの旱天慈雨がこの地を潤し、枯れた河川を瞬く間に蘇らせた。船橋市の臍に位置する、金杉の御滝不動の湧水を源流とし、東京湾へ流れ着くその川は海老川という。船橋市街に於いては市街東境を北から南へ流れる。本町一丁目交差点から東へ直進すると、船橋大神宮の正面に海老川橋が架かっている。それには船橋地名発祥の地という碑があり、その全文をここに引用したい。
『古い伝説に寄れば、船橋という地名の起こりは、この海老川の渡しに由来する。古代の英雄が東征の途次、此地の海老川を渡ることが出来なかったとき、地元民が小舟を並べて橋の代わりとし、無事向こう岸に送り届けたという。海老川は長く住民に親しまれてきた。春堤に風吹けば花蝶遊び、秋洲に水澄めば魚鱗踊るといった時代を経、近年の都市化の中で浸水被害が繰り返され、流域住民にとって“恨みの川”となったが、今、市政五十周年の記念すべき年に当り、国、県の御協力を得、市の総力を結集し、河川及び橋梁を改修、“希望の川”として蘇ることとなった。』昭和六十二年のものである。昭和三十年代から始まる海老川の河川改修事業の経緯も非常に興味深いが、ここでは触れない。関東が政治の中心となる江戸時代以前の海老川は、今では想像もつかない程の大河川だったか。日本武尊は走水において、この程度の海は一っ飛びであると大言し海神の怒りに触れたのが余程堪えたと見え、船橋の土地の民に助けられたと言うのが面白い。
海神と言えば無論、船橋にもある地名だが、日本武尊の別の伝説にその名の由来があるらしい。曰く、ここの海上に光り輝く船を見つけ、怪しく思って近付けば柱に掛かる神鏡があり、その鏡を持ち帰った場所、だから海神と呼ぶ。神鏡が祀られて出来たという神社には二つの説がある。と言うのも、元々海神は船橋海神と呼ばれた海神村と、行徳海神と呼ばれた西海神村に別れており、おそらく双方の村で主張していたのではなかったかと思われるからなのだが。あるいは、双方真実か。いずれにせよ、千葉街道こと国道十四号線以南は埋立地で、かつてここは遠浅の東京湾の海岸だったから、二つの神社の鳥居は当時南の海へ向けて建っていた。
一つは船橋中央病院前の十字路傍にある龍神社。大海津見命、仏名で娑竭羅龍王を祀るが、むしろ弘法大師空海にまつわる石芋伝説の方が知られているかもしれない。かつて神宮寺を務めたのは、そこから東に四百メートル程度の位置にある赤門寺こと大覚院。龍王山海蔵寺の号に当時の名残がある。
もう一つは国道十四号と総武線との陸橋付近、入日神社。ここの石碑には由来として
『当町鎮守「式内元宮入日神社」は皇統第十二代景行天皇の王子日本武尊が東夷御征討の砌り伊勢湾方面より海路を利用し先ず上総の国に上陸。次いで軍団は上総の国を出帆せられ下総の国に入るに及んでこの地に上陸された。上陸地点は現在地に当たると伝へられている。その後村人によって日本武尊の上陸を記念し且つその御遺徳を偲び併せて郷土守護、五穀豊穣、豊漁の神として社を建立し崇拝して来たのが即ち入日神社である。祭神は天照皇大神と日本武尊を祀り古くから船橋大神宮意富比神社の元宮と言い伝えられている。』そう主張するのはこの碑文のみだが。
この言い伝えについて船橋大神宮は、天照大神との関係を、市街北一キロ先の夏見台一帯が伊勢神宮の荘園、夏見御厨だったことに起因するとしている。平安末期の頃だ。夏見御厨について詳しい事は未だに判明していないが、吾妻鏡には院御領船橋身御厨の記述があり、室町時代まで存続したと推定されている。その後、夏見御厨の衰退と共に、地元最大の太陽神を祀る意富比神社に合祀され、以後は天照大神への信仰が強くなっていったと言うのが通説である。
この夏見と言う地名に関しても、その由来に日本武尊の東征と縁がある。父である景行天皇がこの地へ赴き、地元の人にこの地の名を問うたところ、都言葉を理解できず
「只今は、菜を摘んでおります。」と返事をした云々。東征完了後の巡幸であったか。海老川には船橋を架けて渡ったか。以上、記紀には一切記述の無い事だが。
ところで、この川は当時から海老川と呼ばれていたわけではなく、古代は大日川と書いておおいがわの名であったらしい。意富比神社の信仰はやはり篤かったことを示しているようだ。では、それが何故海老川と呼ばれるようになったかと言うと、この地へ来た源頼朝に川で獲れた海老を献上した際に名付けられたという説が広く知られたものである。無論、冗談に過ぎないのであろうが、洒落た冗談だ。
実際にこの地へ来た征夷大将軍は、徳川家康である。東金への鷹狩の折り、旅の宿泊地として船橋御殿を建設し、三代に渡って利用していた。それ以後、東金での鷹狩が催されなくなると、船橋御殿は廃止された。ちなみに、その跡地には日本一小さいと呼ばれる東照宮が建っている。さて、船橋大神宮境内の見所の一つに、土俵があるのだが、これは徳川家康が漁師の子供たちの相撲を供覧して以来のものだと言う。十月二十日の例大祭では奉納相撲の取り組みがあり、その前の土日には子供相撲が開催される。
境内の見所と言えばもう一つ、かつてこの場所が海岸であったことを示す灯台だ。あの忌まわしい事件により木造瓦葺だった初代は焼失したが、被災から十年の期に新たに建てられた。以来四十年、夜空に向けて煌々とライトを照らし、光の柱を演出している。灯明台は、船橋復興を象徴する存在である。
朝十時、船橋大神宮には穏やかな時間が流れている。神主である大神宮秀作は、その灯明台の下を箒で掃いていた。灯明台は、彼の策謀を象徴する存在でもある。陽が沈んでからLED光が照らすのは、何も夜闇ばかりではない。
十三時ごろ、スナッフィーこと飯島誠は、トレンチコートの上から重ね着したいつもの浮浪者のような身なりで喫茶店に入った。愛用の鶴橋も入れられるバッグと同道するその姿は、やはりどこからどう見ても浮浪者にしか見えない。覆面をしていない時の彼は、市街では一人のホームレスに過ぎない。違いを挙げるとするならば、処刑動画配信から足を洗うと決めてからの彼が、ホープレスでは無くなったと言う事か。注文を告げて席に着く。
美味い話と甘い香りは気を付けろ。大麻の依存性が低いなんて事はない。それが事実だとしても、実際に出回っている紙巻には即効性と持続性と依存性が高い合成麻薬がかさ増しのために混ぜられている。美味い話は無いし、その香りは純粋な大麻でも無い。入るのは楽だが、一歩踏み出せば真っ逆さま。これが真実だ。タダより高い大麻は無い。いわんや覚醒剤をや。
虚栄心ならまだマシな方だ。他者より優位に立ちたいという心理は自然なものだから。だが、他者との比較に疲れ、自分がオンリーワンではないと気付いた瞬間、何故あの時ナンバーワンを目指す努力を怠ったのかという後悔と絶望が押し寄せてくる。優劣だけで人間関係を築いた“離脱症状”に抗うためには、より多くのものに“依存”しておく必要がある。酒、煙草、博打のどれか一つくらいなら我慢できるのと同じように。
畢竟、絶望とはその場限りの幻想にすぎない。絶望には決まって現実味が伴っているのが厄介なだけだ。それは薬物を摂取したときの症状によく似ている。だが、覆水が盆に返らないとは誰が決めた。泥水でも啜ってみれば分かることがある。例えば、薬物に手を出すよりは経済的である、とか。虚栄心にすらも絶望色の化粧が必要になってしまったこの世界では、0.01mm程の規範なぞあろうはずもなく、ただ剥き出しになった陰部に短絡的な旭光を当てるのに誰もが必死だ。
ゴキブリが一匹死んでいる。だが、死んだゴキブリに興味はない。今までの俺は屋根裏に巣食った蜘蛛。捕えて、喰らい、肉とする。だが、その屋根裏、いや地下室はもう無い。狩りの時間は終わった。もう十分だろう。もっと対外的な持て成しをするべき段になったという事なのだ。いつ狙われているか分からないだけに、元々連中にとって分が悪い戦いだったのだから。これからは、この俺が敢えて火中の栗拾いと洒落込もう。生身の人間相手のルールは破棄だ。此処船橋で最も薬物精製能力を持つ施設はどこか。先ずは、五十年経っても政府から見放された東京湾沿岸、海浜地区の工場群から当たることにする。船舶航行がきな臭いのはそういう理由からと見える。良いだろう。あいつらが大好きな、もっともっと甘い香りを囂々燃やしてやる。
「お待たせしました。」丁寧を通り越した卑屈な笑みを浮かべて、船橋本町の珈琲屋焙軒の店主、降巣惹句が言った。六十手前で、うねりのある髪が肩にまでかかるロングヘアの男だ。その甲高い声に飯島誠はふと我に返ったのだが、そんな様子に気付くことなく店主はこちらに猫背を向けてカウンターの方へと引き下がっていた。
『小汚ねえ野郎。コーヒーショップにコーヒーなんか飲みに来やがって、一文の得にもなりゃしねえ。さっさと消えろ。』この小汚く見すぼらしい、風呂にもまともに入っていない様子の男に対して、降巣は心の中で悪態を吐き、それから完全に興味を失くした。浮浪者なぞという者は例外なく、薬物という頼りになる最後の友達に裏切られた成れの果て。だから、そういう目をしているものなのだが、男の眼はそれとは違った種類のギラつきを帯びており、降巣が最後まで気にしなければならなかった点はそこだった。しかし、浮浪者は浮浪者に過ぎないのだし、なによりスナッフィーこと飯島のような薬物中毒にならない覚醒剤常習者がいるという事自体、通常考えられる事ではない。飯島の表情からは、乱用者特有の気配すら読み取ることが出来なかった。
飯島がグッと口に含んだ珈琲は、それでも降巣がこだわって淹れた果実の香り高い甘みを含んだ一杯だったが、彼の味覚がそれに気付いたかどうか知れない。まだ熱いカップの中身を二口目で飲み干し脇に退け、皿の上に勘定を置いて店を出た。滞在時間は僅か十分に満たない。足取りは一歩々々踏み締めるかのようだ。防犯カメラのレンズだけが、店での一部始終を見つめていた。
徹夜で徘徊していた眠気を醒ますには贅沢過ぎる時間だったが、代わりに毎日々々覚醒剤を注射というわけにもいかないのだ。頻度にだけ気を遣いさえすれば、薬物に魂の全てを売り払うこともない。その実感があるだけに、飯島は世の依存症どもが憎くて憎くて堪らなかった。彼にとっては、ドラッグもジャンキーも纏めて殺して万事解決としたい。昨晩から今日にかけての、調査と言う名の徘徊はこれで終わり。新たな、仮初めの根城を目指して、船橋駅北口のバスロータリーへ向かう。タクシーを拾う程度の金には無論困ってはいないが、今の飯島誠には金も時間も夢すらも十分に有るから、バスに揺られているのが良いのだった。駅を越えた先、一旦エスカレーターで上に昇り、もう一度乗り場の中心へ向かって降りる。小室駅行きの5番乗り場でバスが来るまで十数分待った。結局、乗るバスも行き先も、今までと変わってはいない。それは、己の来し方行く末を暗示しているのかも知れない。得た夢の対価は何か、飯島は早く思い知る必要があったのではあるが。
十四時過ぎ、船橋東武第十二位綿摘班一同は、船橋駅前から北上する県道を、トヨタのSUVに揺られながら通過していた。
「背中に拳銃とモノ押し当てられて、後ろから『たとえ親の死目に会えなくなっても、お前みたいに小利口そうな面した男をブチ犯してやるのが大好きでねぇ』って耳元で囁かれたのよ。」子桜がルイジアナ・スピリット・ペリックの煙を吐き出しながら言う。
「え⁈男から⁇」助手席の瓜生が聞き返す。
「そう、男から。」車内の男達は、後部座席の子桜が語る、先日舞浜であった出来事のハイライトに耳を傾けていた。
「ま、そこは探偵さんですよ、演技でギャン泣きしておしっこ漏らしてやったら、奴さんのチンポも萎えちまったらしく解放。」子桜の言に運転席の鈴井が間髪入れずに、
「殉くん、行く前とスーツ変わってないよね。どうやって帰ってきたん?」
「そん時のスーツだよ。」
「降りろお前!俺の車おしっこ付いちゃう!」
「うひゃひゃ!君ってものはモテモテじゃないの、舞浜にはドレス着て行ったわけじゃないのに!」瓜生はもう車内で何本目になるか分からないドライバー6mgの煙を、美味そうに吸い込んでいる。彼の喫煙ペースは車内で一番早く、バニラ香の副流煙は全員が厄介になっている所だ。
「流石ソドミーってだけあるよ、ドレス着て行くんだったかなぁ。」舞浜のソドミーランドとゴモリーシーとの冷戦が紛糾する予兆を逃さずに現地へ飛んだ子桜だったが、幸か不幸か火薬庫に火が着く前に不本意な撤退を果たしたと言うことらしい。
「しかし気に入らねえな、女装趣味のオカマ野郎が自分の貞操第一で尻尾巻いて逃げてきたとは、飛んだ処女様じゃねえか、行くんならケツに気合入れて行ってこいや!」子桜の志半ばな撤退に対する率直な批判。こういう時の瓜生は公平だった。それに慣れている子桜はにこにこしながら言わせ放題にさせているし、鈴井はどこ吹く風で運転を楽しんでいるらしい。車内の騒がしさは、事務所での騒がしさと遜色なかった。
『マンハントじゃねえか…。』吐き捨てるように子桜が言った。
『ポーさんのマンハント‼︎』何かのアトラクションのつもりで瓜生が発した。
『人の味を覚えたヒグマかな?』鈴井の羆好きは高水準のようだった。
昨夜の打ち合わせでは、この日の船橋東武第十二位への指令は、初の団体行動と言う事だった。終戦協定と同時に解散したはずの船橋西武残党が、武装して立て籠もっている拠点の制圧。家屋の襲撃であればものの数分で済みそうなものだが、今回は範囲が広い。第十二位の集団規模のみでは到底人員が足らず、第十一位の義竹たちとも合流して遂行する。今彼らが北上している県道は、ほんの数日前に、綿摘恭一と安藤玲が通行した経路と全く一緒である。
子桜は重々しい口どりでマンハントと評した。最終的かつ不可逆的な殺戮を目的とした根絶作戦は東西抗争の頃には見当たらないのに、事実上の終戦から間も無くそれが行われるというのは非常に恥知らずな事ではないかと憤っていたためだ。そして、これで自分たちはいよいよ、かつての親兄弟に銃口を向けることになる。資料上での東西抗争に詳しい子桜は、連絡員の鈴井から伝達を聞いて、今回の作戦が船橋暗黒街史上稀に見る殺戮になる事を予見して気乗りしなかった。鈴井と瓜生はこれまでの歴史を知らないし、興味もないらしい。職業凶手として、ある程度割り切っているような節がある。
彼らが向かっているのは船橋アンデルセン公園。先日焼け落ちたスナッフィーのアジトがあった県民の森のすぐ隣に位置している。閉鎖前は、世界の人気観光スポットテーマパーク部門に於いて日本国内第三位だったこともある施設だ。組織を失くした船橋西武構成員たちのごく一部は船橋東武への抵抗を決め、残された武器を手に大親父格を頼ってそこへと流れた。
大親父格とは、当代の親父格以前にその地位に居た者たちへの尊称である。非合法組織のトップが代替わりするというのは、その大概が死亡によるものだ。そのため、大親父と呼ばれた時には既に故人である事が殆どである。その代の構成員が大親父と呼ぶかどうかで、生前の会頭が支持されていたかどうかが露骨に分かる。船橋からの全面撤退に踏み切った弱腰の戸井田興造なぞはその典型で、ジジイで呼んでもまだ足りず、風貌から渾名した狸を頭に付けた蔑称で呼ばれる程だ。
だが、その先代は違った。歴代会頭の中でも屈指の武断派で、彼の穏やかな引退はその苛烈なる半生からはとても想像がつかない。長生きをすればするほど怨恨堆積するこの界隈で、結局は誰もが彼への意趣返しを企てなかった。そんな気を起こしただけで悟られてしまいそうな、畏怖の念が船橋全土を覆っていた時代が十数年前にあったのだ。これにより正面切っての抗争は避けていた船橋東武だったが、その一方で麻薬売買での資金調達はこの期で絶頂に達した。あまりにも強大なトップが引退した反動は、潤沢な資金力を武器にした東武を勢い付けた。戸井田が無能なのではなく、その先代があまりにも偉大過ぎた、それだけの事だ。
船橋西武構成員達は例外なく、彼を特別視していた。何処と無く異国じみたその風貌と、余生を過ごす根城としてアンデルセン公園を選んだことから、引退後の彼は幹部達から親しみを込めて大パパと呼ばれていた。男の名は大典而丹。現役時にはトレンチコートを身に着け、中折れ帽と眼帯がトレードマークの男だった。結婚して姓が綿摘に変わる前、刈根壮一が二十代の頃から兄弟と呼んだ、その倍ほども歳の離れた兄貴分。親父格に付けられた時は、幹部筆頭の叔父貴格に壮一を抜擢する事を条件に、渋々引き受けた。今では、彼を慕って集った義兄弟らと共に、ネオ・ウエスタン再興に想いを馳せているのだろうか。音に聞くかつての伝説も今は昔。その年齢は八十をゆうに過ぎ、九十に差し掛かると数えられた。
「おじいちゃん子だったから、気乗りしねぇ・・・。」あくまで悪評を気にする子桜。
「じゃんじゃん殺るぞー、殺し合いに歳は関係ねえ。」知名度を上げる気満々の瓜生。
「それ鳴らしてくれたら迎えに行くから頑張ってねー。」ドンパチには我関せずの鈴井。
第十二位一同を乗せたSUVが、荒れ果てたアンデルセン公園北ゲート正面の駐車場に乗り入れた。鈴井は回収係として、この後付近に車を移動させて待機。瓜生は助手席のドアを開けるなり足元へ吸い殻の山を捨ててから降車した。後部座席から子桜と恭一がそれぞれ出る。
人の出入り絶えて久しいチケット売り場、幽明境を異にする。入場料は九百円、かろうじて読み取れる。綿摘恭一は、今日初めての煙草に火をつけた。
第四章 前途憂々 了