キョウジン、孔子

三十で勃ち

四十でFUCK

以降三十年以上も、

己の心の欲する儘。

孔子と言う大人物を俯瞰でこう眺めてみれば、やはり眺めてみる前よりも大きな魅力を伴って見えてくる。

強靭な精力。

今日はそのことを巡って書きたい。

現代で生きる日本人は、意識しようがしまいが、孔子を避けて通ることはできない。

論語の影響が、日本のいわゆる道徳心に深く根差しているからだ。

論語読みの論語知らずという言葉があるくらいだが、今では論語を一読だけでもした人間がいるかどうか。

論語知り>論語読みの論語知らず>論語読まず=現代人

この図式である。

さて、筆者TechnoBreak Junであるが、まさに2番目の論語読みの論語知らずに位置しているから、論語を自分の血肉とするために今記事にしている所である。

では、まず言っておく。

論語を書店で買え!!

で、パッと捲ったその頁の一節を読め!!

それだけで簡単に脱現代人、いわゆる解脱ができる!!

それで読んだことになるだろうが!!

ちなみに、筆者が好んでいる一節は。

しいわく こうげんれいしょく すくなしじん
子曰 巧言令色 鮮矣仁

言葉巧みで、容姿が良い奴ほど、クズ野郎。

という、2550年前から、後世に俺が現れることを予言していたかのような戦慄の一節である。

好んでいる理由は、まず短くて覚えやすいこと。

さらに、先頭から三番目に出てくること。

ここまで読み進めたら、もう立派な論語読みの論語知らずと胸を張っていい!

この論語No.3、あるいは参番目のタフガキは、職場でよく使っている。

ウチの職場もさながら春秋戦国時代なので、こういう奴らの多いこと!

伝わる通りの孔子の容貌と言うのは、216cmの長身だったという。

当時ならバスケットボールプレイヤーとして中原統一レベルである。

白メシとユッケが好物の今で言う美食家だった。

おそらく、科学的知見を取り入れた結果だと思われるが、

「時間が経ち蒸れや変色、悪臭がする飯や魚や肉、煮込み過ぎ型崩れした物は食べなかった。また季節外れの物、切り口の雑な食べ物、適切な味付けがされていない物も食べなかった。祭祀で頂いた肉は当日中に食べる。自分の家に供えた肉は三日以上は持ち越さず、三日を過ぎれば食べない」(wikiから引用)

これが、冒頭の筆者の主張の根拠にもつながるのである。

食欲と性欲はリンクするし、栄養ある食事と長い睡眠は長持ちの秘訣だろう。

おそらく、吾十有五而志于学とは精通したことの隠喩である、一般的な話だ。

しかし、孔子の孔子たる所以は、以降60年間ずっと悶々とし続けた生涯を貫ききったというその一点に尽きるのだ!

さて、論語を知らないから、ここで小林秀雄の言を借りたいと思う。

確か小林秀雄は、孔子に関して、人物を伝える文章は残されているものが非常に少ないと断ったうえで「道徳的人物の手本のようなイメージと異なり、その言はあまりに苛烈でもはや常軌を逸している」旨の文章を残している。

それは孔子が提唱する『中庸』の徳というものに関する意見にある「理想的な政治はできる、爵禄辞退もできる、白刃の上を素足で歩いて渡ることすらできる。それでもなかなかどうして中庸だけはできないものだ。(筆者意訳)」などの記述を根拠としている。

小林も孔子と同じく『中庸』を理解している者は無いと断ずる。

これは向こうの人の『Hey, yo』に通ずるものがあるように感ぜられる。

すると『中庸』とは、人類皆兄弟という簡単なことを表しているのかと一瞬思えるが、それならば話は単純なはずで、実際の所はそうではない。

いいだろうか、この事を意識し始める、つまり冒頭に述べた事と同様に、孔子の人物に肉感が伴って来れば来るほど論語そのものにも魅力が湧き出してくる。

侠仁、孔子があなたの心に現出するのだ。

美味しい所も書いたので、疲れてきたからそろそろ締める。

孔子の人物に魅力を感じ、色々と物色をしていると、とあるエピソードに心が動揺した。

本人の経験、その万分の一にも満たないだろうが。

実は、その動揺に居ても立ってもいられず記事を書き始めたのだ。

孔子の人生は、無政府主義のシンボルを擁する藤子 不二雄Ⓐが描いたのか。

所は魯国西方、大野沢。

時は哀公、十四年。

行われた狩りで、魯国重臣の従者が動物を捕らえた。

しかし、ソレは鹿とも牛とも見分けが付かず。

異形の相貌と見たこともない毛並みを備えていた。

凶獣怪獣の類は不祥の極み。

重臣一同怖れをなして、ソレを猟場の番人に始末させた。

その話に興味を持った孔子は、重臣の家来に訊ねて歩いた。

事の全容が知れるにつれ、孔子は自分を見失う。

鹿だの牛だのと言って、角が一本生えているなどという事は、あってはならない。

なぜなら、狩りの参加者たちはその動物を決して傷つけてはならなかったから。

実際に見たことが誰もないとはいえ、竜の顔だと気付かない事は、あってはならない。

なぜなら、その出現を丁重に寿がなければならなかったから。

その毛並みを、鱗に覆われていたと見間違える事は、あってはならない。

なぜなら、今の王は未だ仁のある政治を行っていなかったから。

孔子は、書き留めていた当時の歴史書『春秋』に以下の句を残し、筆を折った。

十有四年、春、西狩獲麟