自分は自分が嫌いだ。
あるいは、自分は自分で良かった。
ほとんど全ての人間がこのどちらかを選ぶ。
幸運な者はそれすら意識しない。
だが、百人に一人か、千人に一人は思うものだ。
自分は自分では無いかもしれないと。
セルバンテスはそんな人物を創作した。
自分は自分では無い。
本当の自分はアロンソ・キハーナでは無い。
遍歴の騎士、ドン・キホーテであると。
男は目覚めた。
だが、取り巻く人々の目には狂気の眠りに就いたと映る。
舞台の幕が上がる。
いや、初めから幕などない。
代わりに階段が、中央に降下する。
幾つかの人が舞台を這いずり回っている。
兵士の隊列が階段を降りてくると、その先は牢屋だった。
劇作家のセルバンテスが投獄される。
獄中で囚人たちから取り上げられた脚本の返還を訴え、セルバンテスはその場の全員を配役した即興劇による釈明を試みる。
主人公ドン・キホーテは脚本家のセルバンテスが演じ、従者サンチョ・パンサ役は作家の助手がそのまま務める。
もう三百年前に姿を消したという遍歴の騎士は、その旅を始めて早々に風車への突撃で槍をひしゃげさせてしまう。
その先にそびえる城、実際は酒場を併設した宿屋が、本作の劇中劇の舞台となる。
宿の亭主は牢名主が演じ、酒場の荒くれ者は囚人たちが演じる。
城へ到着するなり、ドン・キホーテは叫ぶ。
「ドルネシア姫、お慕い申し上げておりました!」
「なに言ってんだいアンタ、アタシはアルドンザさ」
彼女は酒場の給仕をしながら、娼婦もしていた。
生活者としてのアルドンザは、場面々々が痛ましい。
その言葉には諦めの悲しみが、その表情には若々しい怒りが同居している。
自分は自分が嫌いだと、満身から発せられている。
幾度となく否定しても、ドン・キホーテの情熱は止まない。
主人からの恋文を渡すために、サンチョがアルドンザの元へ推参する。
二人とも字が読めない。
サンチョは主人に言われた通りの暗唱しかできない。
その一挙手一投足にドン・キホーテの情熱が重なって見える。
どうして従者を続けているのかとアルドンザが訊く。
好きでやっているのだと、声の限りに叫べば済むのが面白い。
ドン・キホーテことアロンソ・キハーナには、姪が居る。
その婚約者、精神科医のサンソン・カラスコ博士は身内のこれ以上の不祥事を隠すべく、アロンソを連れて帰らねばならないと思っている。
博士は司祭と連れ立って宿屋まで追いついたのだが、そこで異様な光景を目にする。
外の世界から来た二人はそれぞれ、別々の視点で目撃した。
ここで我々観客は大きな問いを突きつけられる。
眠っている者は、眠らせておくのが良いのか?
換言すれば、狂っているのはいったい誰なのか?
そんな言葉は一言も発せられてはいないのだが。
最後の戦いでその答えが開示される。
ドン・キホーテの宿敵の魔術師が、騎士の姿に化身して決闘する。
なす術が無いドン・キホーテ。
彼はスペイン中部の田舎、ラ・マンチャの狂った老人に過ぎないのだ。
対手は声高に主人公を罵り、嘲る。
彼自身に思い知らせようとする。
己の限界を、狂気を、夢は夢に過ぎぬという事を。
遍歴の騎士は応じて答える。
「最も憎むべき狂気は、ありのままの人生に折り合いをつけて、あるべき姿のために戦わぬことです!」
これはドン・キホーテの言葉では無い。
作中で演じているセルバンテスの言葉でも無い。
脚本はデイル・ワッサーマン、1965年にブロードウェイで初演されたものなのだ。
たった一度観たきりの舞台を、私は記憶の中で再現することしかできない。
するとどうしてもこの言葉が、最後の戦いの中での激しい奔流のような激情と共に発せられているようにしか思い出されない。
半世紀以上の時を超え、その言葉を松本白鸚が届け続けていることにどのような意味があるのか、私は呆然とする。
舞台ではドン・キホーテが斃れ、セルバンテスから劇はこれで仕舞いだと告げられる。
それでは囚人たちは納得がいかぬ。
もう彼らはセルバンテスではなく、ドン・キホーテの味方だ。
そして、革の鞄に入れられた脚本は完成する。
牢獄の即興劇は真の終幕を迎える。
病床で目を覚ましたアロンソ・キハーナ。
もう、夢は打ち破られて、朦朧としている。
眠っている者を、眠らせておかなかった悲劇。
彼は死の淵にいて、遺言をしたためようとしている。
そこへアルドンザが駆けつける。
ドン・キホーテを正気へ還すべく、声をかけ続ける。
彼女は高らかに宣言する。
「私の名前はドルネシア!」
彼女は彼女に成っていたのだった。
劇中劇は大団円を迎えた。
また舞台中央に階段が降下してくる。
兵士の隊列が階段を降りてくる。
この舞台の主役は、遂に本当の困難へ連れ去られてしまうのだ。
その背中へ向けて、牢名主が問いかける。
「ドン・キホーテはアンタの兄弟か?!」
いよいよ、標題『ラ・マンチャの男』が台詞となる。
セルバンテスはこう言ったのだ。
私たち、誰の心にも、あるべき姿のための闘志が宿っていると。
階段を登っていくセルバンテスに向けて、囚人たちが歌い出す。
我は勇みて征かん。
『見果てぬ夢』この劇の主題歌だ。
セルバンテスの姿が消える。
囚人たちは彼の背中ではなく、観客へ向かって合唱する。
ただ一人、カラスコ博士を演じた囚人だけが背をそむける。
男の背中が、自分だってこう生きたかったと泣いているようだった。
きっと、折り合いをつけて生きている、自分自身。
そんな私に対して
「もっと格好つけて生きろ」
と言われたようだった。
こういうのを叛逆というんだろう。