【人生5.0】ラ・マンチャの男を観て【ONLIFE】

自分は自分が嫌いだ。

あるいは、自分は自分で良かった。

ほとんど全ての人間がこのどちらかを選ぶ。

幸運な者はそれすら意識しない。

だが、百人に一人か、千人に一人は思うものだ。

自分は自分では無いかもしれないと。


セルバンテスはそんな人物を創作した。

自分は自分では無い。

本当の自分はアロンソ・キハーナでは無い。

遍歴の騎士、ドン・キホーテであると。

男は目覚めた。

だが、取り巻く人々の目には狂気の眠りに就いたと映る。


舞台の幕が上がる。

いや、初めから幕などない。

代わりに階段が、中央に降下する。

幾つかの人が舞台を這いずり回っている。

兵士の隊列が階段を降りてくると、その先は牢屋だった。

劇作家のセルバンテスが投獄される。


獄中で囚人たちから取り上げられた脚本の返還を訴え、セルバンテスはその場の全員を配役した即興劇による釈明を試みる。

主人公ドン・キホーテは脚本家のセルバンテスが演じ、従者サンチョ・パンサ役は作家の助手がそのまま務める。

もう三百年前に姿を消したという遍歴の騎士は、その旅を始めて早々に風車への突撃で槍をひしゃげさせてしまう。

その先にそびえる城、実際は酒場を併設した宿屋が、本作の劇中劇の舞台となる。

宿の亭主は牢名主が演じ、酒場の荒くれ者は囚人たちが演じる。


城へ到着するなり、ドン・キホーテは叫ぶ。

「ドルネシア姫、お慕い申し上げておりました!」

「なに言ってんだいアンタ、アタシはアルドンザさ」

彼女は酒場の給仕をしながら、娼婦もしていた。

生活者としてのアルドンザは、場面々々が痛ましい。

その言葉には諦めの悲しみが、その表情には若々しい怒りが同居している。

自分は自分が嫌いだと、満身から発せられている。


幾度となく否定しても、ドン・キホーテの情熱は止まない。

主人からの恋文を渡すために、サンチョがアルドンザの元へ推参する。

二人とも字が読めない。

サンチョは主人に言われた通りの暗唱しかできない。

その一挙手一投足にドン・キホーテの情熱が重なって見える。

どうして従者を続けているのかとアルドンザが訊く。

好きでやっているのだと、声の限りに叫べば済むのが面白い。


ドン・キホーテことアロンソ・キハーナには、姪が居る。

その婚約者、精神科医のサンソン・カラスコ博士は身内のこれ以上の不祥事を隠すべく、アロンソを連れて帰らねばならないと思っている。

博士は司祭と連れ立って宿屋まで追いついたのだが、そこで異様な光景を目にする。

外の世界から来た二人はそれぞれ、別々の視点で目撃した。

ここで我々観客は大きな問いを突きつけられる。


眠っている者は、眠らせておくのが良いのか?

換言すれば、狂っているのはいったい誰なのか?

そんな言葉は一言も発せられてはいないのだが。


最後の戦いでその答えが開示される。

ドン・キホーテの宿敵の魔術師が、騎士の姿に化身して決闘する。

なす術が無いドン・キホーテ。

彼はスペイン中部の田舎、ラ・マンチャの狂った老人に過ぎないのだ。

対手は声高に主人公を罵り、嘲る。

彼自身に思い知らせようとする。

己の限界を、狂気を、夢は夢に過ぎぬという事を。


遍歴の騎士は応じて答える。

「最も憎むべき狂気は、ありのままの人生に折り合いをつけて、あるべき姿のために戦わぬことです!」

これはドン・キホーテの言葉では無い。

作中で演じているセルバンテスの言葉でも無い。

脚本はデイル・ワッサーマン、1965年にブロードウェイで初演されたものなのだ。


たった一度観たきりの舞台を、私は記憶の中で再現することしかできない。

するとどうしてもこの言葉が、最後の戦いの中での激しい奔流のような激情と共に発せられているようにしか思い出されない。

半世紀以上の時を超え、その言葉を松本白鸚が届け続けていることにどのような意味があるのか、私は呆然とする。

舞台ではドン・キホーテが斃れ、セルバンテスから劇はこれで仕舞いだと告げられる。


それでは囚人たちは納得がいかぬ。

もう彼らはセルバンテスではなく、ドン・キホーテの味方だ。

そして、革の鞄に入れられた脚本は完成する。

牢獄の即興劇は真の終幕を迎える。


病床で目を覚ましたアロンソ・キハーナ。

もう、夢は打ち破られて、朦朧としている。

眠っている者を、眠らせておかなかった悲劇。

彼は死の淵にいて、遺言をしたためようとしている。

そこへアルドンザが駆けつける。

ドン・キホーテを正気へ還すべく、声をかけ続ける。

彼女は高らかに宣言する。

「私の名前はドルネシア!」

彼女は彼女に成っていたのだった。


劇中劇は大団円を迎えた。

また舞台中央に階段が降下してくる。

兵士の隊列が階段を降りてくる。

この舞台の主役は、遂に本当の困難へ連れ去られてしまうのだ。

その背中へ向けて、牢名主が問いかける。

「ドン・キホーテはアンタの兄弟か?!」

いよいよ、標題『ラ・マンチャの男』が台詞となる。

セルバンテスはこう言ったのだ。

私たち、誰の心にも、あるべき姿のための闘志が宿っていると。


階段を登っていくセルバンテスに向けて、囚人たちが歌い出す。

我は勇みて征かん。

『見果てぬ夢』この劇の主題歌だ。

セルバンテスの姿が消える。

囚人たちは彼の背中ではなく、観客へ向かって合唱する。

ただ一人、カラスコ博士を演じた囚人だけが背をそむける。

男の背中が、自分だってこう生きたかったと泣いているようだった。





きっと、折り合いをつけて生きている、自分自身。

そんな私に対して

「もっと格好つけて生きろ」

と言われたようだった。

こういうのを叛逆というんだろう。

【人生5.0】スーパー美味しんBONUS #000【ONLIFE】

山岡士郎に自己投影するとは馬鹿も休み休み言えと叱責されそうなものだが。

今回は敢えてそれを放言したい。

第一話、豆腐と水。

山岡士郎(27)、とすれば大学を卒業後、入社五年目だ。

それは私が四年間の非正規雇用を抜けた年齢に一致している。

作中、彼は馬小屋ではなく、オフィスのソファに産み落とされる。

私にもその寝心地は骨身に染みて分かるのだが、そんな所で寝ざるを得ない者の心境たるやどうだろうか。

 

この左右非対称の、寝るためではなく座るために造られたベッドが、自分の揺り篭にもなれば棺桶にもなるのだという漠たる予感。

毎晩飲み歩かなければ生きた心地がしないという倒錯した自足感。

金なんて有るから不安になるのだから、有り金は全て競馬に注ぎ込むという歪んだ自傷。

その背景にあるのは山岡士郎自身の仕事中毒とも呼ぶべきものだろう。

作中そのようなことは一切描かれていないが。

 

彼は雁屋哲も花咲アキラも欺いて、ただ独り、自己の血の宿命と格闘していた。

我々読者は、追々そのことを突きつけられる。

「自分が自分でなければよかった、だが俺はどうしても俺以外ではいられない」

彼の嘆きが、まだ未熟な果実がもぎ取られたような絶望が、叫びとなって聞こえるようだ。

 

山岡士郎に、ある重大な感情的欠落、いや彼自身が希望の代わりに匣の最奥に秘匿した何かがあることを、東西新聞社の社員一同とうに察してはいるのだ。

だが、彼らは決して山岡士郎その人ではないから、それが何かを見抜くことはできないし、その心に寄り添って当人の感情を慮ることもしない。

山岡士郎は右足だけで立っている。

食事は左手で箸を持ち、右目は夜の街を彷徨うために、昼の喧騒は左耳で聞き取りさえできればそれで良いとでも思っているかのようである。

彼は誰も傷つけたくないからと、自らに足枷を噛ませているのだ。

 

手の施しようもなくバラバラにひしゃげてしまった男には、何も知らない女が支えになれば良い。

二人は決定的に出遭ってしまった。

栗田ゆう子(22)、守衛の次に出社する配属三日目の新入社員。

東西新聞は女性社員に対する差別意識が強く、雑務ばかりで自分の仕事が進まない。

仕事をこなすことが、今の彼女を成長させる。

成長とは、出来なかったことが、出来るようになることだからだ。

だから彼女は時間の捻出を発明した。

仕事することが勉強なのだということを自覚している。

 

ーー街角を行く人波が途切れると、月明りさえまぶしいね、こんな日はーー

境界線ギリギリの所に彼女はいるのだという。

山岡士郎と出遭わなかったなら、彼女も数年で、どうしようもなく内でも外でもない、此岸でも彼岸でもない、遊びでも仕事でもない、そういう場所に行ってしまっていたのだろう。

栗田ゆう子に胎動した仕事中毒の魔の種は、表面的にはグータラと評される山岡士郎によってその芽を摘まれることになる。

私たちは皆、その後の彼女を知っている。

 

東西新聞社創立百周年記念事業が明かされる。

物語の大きな車輪が、重い音を立ててゆっくりと動き出す。

三つの豆腐、イとロとハ。

三つの水、AからC。

味覚の試験を突破したのは二人だけだった。

「ワインと豆腐には旅させちゃいけない」

山岡士郎は御覧の通りと言いたかったのであって、決して言葉の上で戯れているわけではない。

彼は味覚の本質を手掴みしたそのままの視力で深淵を眺めている。

眼前に広がる光景を言葉で表そうとするならば

あ・は・れ

とか言う、不具な言葉の切れぎれになったような断片だったかもしれない、そうでないかもしれない、どちらでも良い。

だから彼も深淵からのこだまのような言葉を吐露せざるを得ないのだ。

饒舌さを自分自身に赦してやるのは、唯一怒りに身を委ねているときくらいだ。

 

究極のメニューへの挑戦は難航する。

さらに、海原雄山と帝都新聞の横槍で究極対至高の構図が出来上がる。

その記念すべき第一回が十五巻だそうだ。

以降、おおむね一巻に一回のペースで対決が繰り返される。

その頃の作品にはもう興味はない。

 

美味しんぼを我々読者に面白く紹介する、日本一のサイトがある。

その連載は五回までで未完のままなのだが、その筆者はこう言っている。

「アア!あの頃の美味しんぼはギラギラしていた!」

私も同意見である。

だから、手垢がつきすぎたというより最早、手垢でできた握り飯のような美味しんぼ評論に私は乗り出す。

 

ではお待ちかね、今週のクリ子のコーナーです。

日本刀は平安時代にその完成を迎えて以降は、衰退の一途をと辿っているというのが通説らしいが、どうやらクリ子に対しても同じことは言えるようである。

「時よ止まれ、汝は美しい。」

【カラマーゾフの兄弟】カラマーゾフの兄弟を読んで【探求】

たぶん、神様はいないだろう。

だけど、いなかったらやり切れないだろう。

一寸の葦にも五分の魂の意気込みなのだ。

踏まれてすぐ死ぬ虫としてでなく。

この魂が死んでから、おつかれさんの一言もなかったら、やり切れないではないか。

誰に祈れば良いというんだ、目に映る様々の葦たちが、今日踏まれても明日立ち上がれるようにと。

僕が言うのは洒落ではない、ましてや冗談どころの話じゃない。

先日、オリンピック期間中の5日間で開催された能楽祭へ行った。

旅の僧が目の当たりにする美しい景色、その光景に因縁を持つ『残念』がささやきかけ、僧は祈り、本来の姿を取り戻した魂は感極まった舞を披露し昇華する。

そんな舞台を連日ぼんやり見ていると、ふと、当時の旅の僧と、現代の僕たちとを同一視してしまう、そんな感傷に浸った。

当時と今との違いは信仰だ、僕たちはその信仰をもうほとんど忘れ、めいめいが新しい信仰を死守するのに必死になっている。

もちろん、そんなことは感傷に過ぎないのだけれど。

 

神があるかないか、そのシンの所で、僕には信仰が無いから沈黙する。

その沈黙に耐え切れなくて、言葉にすがろうとする。

果敢なく虚しい努力が、藁みたく脆弱な問いを掴む。

ならば、現代風に考え直してみるのだ。

互いの心は分かり合えるか否か、という問題を。

 

分かり合える、分かり合えない、心なんてない…答えはいくつもある中から、その半生をかけた努力によって勝ち得たものを掴んで実践しているはずだ。

しかし、僕が知りたいのは「どう生きるか」ではない。

「どう生きるべきか」が知りたくて煩悶する。

 

燃え上がるような恋愛をしているから。

全てを捧げて奴隷に堕ちたいと願っている。

あるいは、世界中を敵に回しても成就させたい恋だ。

その後は、一寸の虫みたく死んだってかまわない。

他者の眼には、そんなもの恋とも愛とも映ることはないだろう、きっと当事者たちにも。

それを地獄と呼んだって差し支えない。

「乞食、それも特におちぶれ貴族の乞食は決して人前に姿を見せたりせず、新聞を通じて施しを仰ぐべきだろうね。抽象的になら、まだ身近な者を愛すことはできるし、時には遠くからでさえ愛せるものだけれど、近くにいられたんじゃほとんど絶対にだめと言っていい」

次男のイワンは、カラマーゾフの血から冷笑および主要素以外のほとんどを引き受け、その代償に何も授からなかったような男だ。

彼が語る地獄は、眼の前に横溢している。

だから彼は、神が創ったというこの世界なぞ認めない、到底認められない。

その通りだ、僕も思う。

ならばこの世界で、どう生きるべきなのか。

 

羞恥心とは誰に向けてのものなのだろう。

他者の眼、に向けてのものでは決してあるまい。

嫌悪の眼差し、好奇の視線、平静を装っている目など様々だ。

結局のところその瞳の奥にある、その人の心に、自分自身がどう映るだろうかという、いじらしい想いではあるまいか。

その想いを抱いて、いや自分がこんな光景を観たらこう思う、だからきっと誰もが…と陥る思考の隘路だ。

ここから脱却するために足搔かないのならば、諦めてあるいは無関心になってしまうのであれば、心の問題に結論を出してはならない。

さもなければ、何でもありになってしまうではないか。

『全てが赦される』とは気取った言い回しだ。

 

それを神の視線と仮定しているのかもしれない。

本当に良心が無いから得しているように見えるのか、僕の見ていないところで良心の呵責に苦しんでいるのか。

見せているにもかかわらず、それが僕に見えていないのか。

この視線が、他者に向いているようでいて、結局自分の内面を見ているのでしかなかったとしたら。

こんな堂々巡りを繰り返す。

誰かが言う、そんな感傷付き合いきれない、と。

 

お互いの心が分かり合えるかどうか、実際に付き合ってみなければならぬ、経験してみなければ、往来で車に跳ねられるような生の経験として、人と付き合わなければならぬ。

小林秀雄は心の問題をこのように掴んだ。

この捨て身の方法で、書物の中から作家の姿を垣間見ようとした。

対象が骨董品であったとしても、その内的美は外在化せねばならないとした。

ならば、特殊な背景を持たない他者はいないのだから、僕は一般論で会話してはならない。

なぜなら僕は精神科医ではないのだから、僕たちの会話は事情聴取ではないのだから。

そして、僕たちには、僕たちの語彙がある、僕たちの文脈がある。

僕たちは共にそれを創り上げていくことができる。

 

カラマーゾフの血による放蕩の呪いに苛まれながらも、愛と誠実に至った長男、ドミートリイの言葉を以て結びたい。

彼は地獄の渦中にいた。

「だけど、惚れるってことは、愛するって意味じゃないぜ。惚れるのは、憎みながらでもできることだ」

バジ2

 飯田橋のプレサスで、ユニバの「バジ2」を打った。

 僕は、虹が輝き、花火柄が消え残った夕暮れの土岐峠を歩いていた。何故、あの画面を破るようなガラスの破片やスピーカーの重低音が、いつまでも耳に残るのであろうか。画面はまさしく破られたのではあるまいか。菫色の袖が飜り、破幻の瞳がきらめき、鍔隠れの姫君は、未だ眼の前を舞っている様子であった。それはARTの継続という様なものとは、何か全く違ったものの様に思われた。あれは一体何んだったのだろうか、何んと名付けたらよいのだろう、笛の音と一緒にふわりと廻り出したあの二つの真っ白な手先は。いや、陰陽座ははっきり「甲賀忍法帖」と名付けた筈だ。してみると、自分は信じているのかな、陰陽座という人物を、陰陽座という詩魂を。突然浮かんだこの考えは、僕を驚かした。

 駿府城に詣でた乱破者が、折からこの城に後見人として使える老僧の策により、昔、初代服部半蔵が取り極めし、甲賀と伊賀の不戦の約定を解かれ、四百年の怨敵同士の殺し合いの果て、三代将軍の命運を託され、勝者は一族千年の永禄を約束された。体術と妖術と幻術との極大限度の形式、体術は叫びの様なものとなり、妖術は日常の起居の様なものとなり、幻術は祈りの連続の様なものになって了っている。そして、そういうものが、これでいいのだ、他に何が必要なのか、と僕に絶えず囁いている様であった。台詞と映像との執拗な流れに、僕は次第に説得され征服されて行く様に思えた。最初のうちは、忍者の棟梁の一人は、コンバットマグナム早撃ち0.3秒のプロフェッショナル、クールなガンマン、そのうえ義理堅く、頼りになる男といった声色をしているなどと思っていたのだが。

 老尼が、くすんだ菫色の紬を着て、川縁をうち眺めている。真っ白な三千丈を団子に結んで、口元から少しばかりの歯を二本覗かせているのだが、それが、何かが化けた様な印象を与え、僕は其処から眼を外らす事が出来なかった。天正九年の美貌が枯れ果てているという風には見えず、例えば小役の屍骸めいたものが二つ三つ重なり合い、朧高確の間から、金七が期待できるという風な感じを起こさせた。何故そんな聯想が浮かんだのかわからなかった。僕が、漠然と予感したとおり、婆さんは、何にもこれと言って格別な事もせず、言いもしなかった。含み声でよく解らぬが、所詮生まれの星が宿命を決めるのだぞ、という様な事を言うらしかった。要するに、自分の顔が、弾正にも打ち手にもとっくりと見せ度いらしかった。

 勿論、小役の屍骸なぞと馬鹿々々しい事だ、と言ってあんな顔を何んだと言えばいいのか。追想の刻になり、ホールはざわついていた。どうして、天膳BTのあんな奇怪な顔に見入っていたのだろう。念の入ったひねくれた工夫。併し、あの強い何んとも言えぬ印象を疑うわけにはいかぬ、単発終了するとは思えぬ。何故、眼が離せなかったのだろう。このホールには、ずい分顔が集まっているが、眼が離せない様な面白い顔が、一つもなさそうではないか。どれもこれも何んという不安定な退屈な死んだ魚の眼だろう。そう考えている自分にしたところが、今どんな馬鹿々々しいドル箱を人前に曝しているか、僕の知った事でないとすれば、自分の運に責任が持てる様な者はまず一人もいないという事になる。而も、お互いに天井ハイエナで彷徨き合っては得々としている。滑稽な果敢無い話である。幾時ごろから、僕等は、そんな面倒な情無い状態に堕落したのだろう。そう古い話ではあるまい。現に目の前の台は、天井を狙う以上お札も被った方がよいという、そういう人生がつい慶長十九年まで厳存していた事を語っている。

 愛する者よ、死に候え、そんな事ばかり喚き乍ら、何処に行くのかも知らず、近代文明というものは駈け出したらしい。ルッソオはあの「設定録」で、設定判別など何一つしたわけではなかった。あの本にばら撒かれていた当人も読者も気が付かなかった女々しい毒念が、次第に方図もなく拡がったのではあるまいか。僕は追想の刻の間、茫然と悪夢を追う様であった。

 お胡夷姉さんのあでやかな姿が、画面を縦横に動き出す。それは、念鬼の体毛から咲き出た花の様に見えた。人間の生死に関する思想が、これほど単純な純粋な形を取り得るとは。僕は、こういう形が、弦之介の開眼チャレンジを黙殺し得た所以を突然合点した様に思った。要するに、皆あの美しい天井の周りをうろつく事が出来ただけなのだ。あの慎重に工夫された瞳術チャンスの向こう側に這入り込む事は出来なかったのだ。ユニバの「バー」は秘められている、確かに。

 現代人は、どういう了簡でいるから、近頃新基準機の遊技という様なものが流行るのか、それはどうやら解こうとしても労して益のない難問題らしく思われた。ただ、バケが当たっているのは確からしい、お互いに相手の履歴をジロジロ観察し合ったバケが。誰も気が付きたがらぬだけだ。夢幻泡影という、現世の無常と信仰の永遠とを聊かも疑わなかったあの健全な確率を、ライターは引きと呼んで安心している。

 それは少しも低い確率ではない。何故なら僕は殆どそれを信じているから。そして又、僕は、無要な小役確率の跳梁しないそういう時代に、ユニバが絆というものをどういう風に考えたかを思い、其処に何んの疑わしいものがない事を確かめた。「夜叉丸を討ったのはこのわしぞ」。美しい「バー」がある、「バー」の美しさという様なものはない。バジの「バー」の確率の曖昧さに就いて頭を悩ます現代のスロッターの方が、化かされているに過ぎない。拳の動きに則ってリールの動きを修正するがいい、前者の動きは後者の動きより遥かに微妙で深淵だから、彼はそう言っているのだ。不安定なリールの動きを直ぐ模倣するゴーゴーランプの点滅の様なやくざなものは、お札で隠して了うがよい、彼が、もし今日生きていたなら、そう言いたいかも知れぬ。

 僕は、虹を見たり花火柄を見たりして土岐峠を歩いた。ああ、去年の雪何処にアルゼ、いや、いや、そんなところに落ち込んではいけない。僕は、再び虹を眺め、花火柄を眺めた。

この文章は、小林秀雄「当麻」を元にしたクソ記事です。

小林秀雄が無私の精神でパチスロに向き合ったら、どんなスロッカスになるだろうか。

小林秀雄の「無常という事」収録の一連の作品群は必読ですよ。

【新曲予告】恋す×フォーチュン〇ッキー

“ソレ”を手にするものは、相思相愛になれる。

遡ること一月前・・・。

愛憎入り混じる、血のバレンタインデー。

女の子ならみんな市販の板チョコを鋳溶かして、また新たなチョコレートを成形する。

重い思いに想いを込めるその作業は、さながら年に一度の賽の河原か。

と思えば、想いが人を人たらしめるとも言えるだろう。

チョコレート。

ガーナにおいて“ソレ”は、奴隷労働によって成り立つ産業だ。

They are eating my flesh.

ドキュメンタリーの字幕である。

放送元がイギリスだから英訳されている。

それから20年。

皮“肉”なことに、SK〇48にはチョコの奴隷なる曲があるらしい。

翻って俺はと言えばどうだ。

×安門事件

〇京事件

外にも内にも毒づいているこの俺は。

毒虫ではないか。

カフカの変身だ。

挙句、自身が奴隷であることも知っている。

気が変になりそうだ。

肌が焼け付くのを感じる。

胸騒ぎのする夢でも見ているようだ。

“濃い黒削肉グレゴール”

これが、俺とお前たちの唄。

キョウジン、孔子

三十で勃ち

四十でFUCK

以降三十年以上も、

己の心の欲する儘。

孔子と言う大人物を俯瞰でこう眺めてみれば、やはり眺めてみる前よりも大きな魅力を伴って見えてくる。

強靭な精力。

今日はそのことを巡って書きたい。

現代で生きる日本人は、意識しようがしまいが、孔子を避けて通ることはできない。

論語の影響が、日本のいわゆる道徳心に深く根差しているからだ。

論語読みの論語知らずという言葉があるくらいだが、今では論語を一読だけでもした人間がいるかどうか。

論語知り>論語読みの論語知らず>論語読まず=現代人

この図式である。

さて、筆者TechnoBreak Junであるが、まさに2番目の論語読みの論語知らずに位置しているから、論語を自分の血肉とするために今記事にしている所である。

では、まず言っておく。

論語を書店で買え!!

で、パッと捲ったその頁の一節を読め!!

それだけで簡単に脱現代人、いわゆる解脱ができる!!

それで読んだことになるだろうが!!

ちなみに、筆者が好んでいる一節は。

しいわく こうげんれいしょく すくなしじん
子曰 巧言令色 鮮矣仁

言葉巧みで、容姿が良い奴ほど、クズ野郎。

という、2550年前から、後世に俺が現れることを予言していたかのような戦慄の一節である。

好んでいる理由は、まず短くて覚えやすいこと。

さらに、先頭から三番目に出てくること。

ここまで読み進めたら、もう立派な論語読みの論語知らずと胸を張っていい!

この論語No.3、あるいは参番目のタフガキは、職場でよく使っている。

ウチの職場もさながら春秋戦国時代なので、こういう奴らの多いこと!

伝わる通りの孔子の容貌と言うのは、216cmの長身だったという。

当時ならバスケットボールプレイヤーとして中原統一レベルである。

白メシとユッケが好物の今で言う美食家だった。

おそらく、科学的知見を取り入れた結果だと思われるが、

「時間が経ち蒸れや変色、悪臭がする飯や魚や肉、煮込み過ぎ型崩れした物は食べなかった。また季節外れの物、切り口の雑な食べ物、適切な味付けがされていない物も食べなかった。祭祀で頂いた肉は当日中に食べる。自分の家に供えた肉は三日以上は持ち越さず、三日を過ぎれば食べない」(wikiから引用)

これが、冒頭の筆者の主張の根拠にもつながるのである。

食欲と性欲はリンクするし、栄養ある食事と長い睡眠は長持ちの秘訣だろう。

おそらく、吾十有五而志于学とは精通したことの隠喩である、一般的な話だ。

しかし、孔子の孔子たる所以は、以降60年間ずっと悶々とし続けた生涯を貫ききったというその一点に尽きるのだ!

さて、論語を知らないから、ここで小林秀雄の言を借りたいと思う。

確か小林秀雄は、孔子に関して、人物を伝える文章は残されているものが非常に少ないと断ったうえで「道徳的人物の手本のようなイメージと異なり、その言はあまりに苛烈でもはや常軌を逸している」旨の文章を残している。

それは孔子が提唱する『中庸』の徳というものに関する意見にある「理想的な政治はできる、爵禄辞退もできる、白刃の上を素足で歩いて渡ることすらできる。それでもなかなかどうして中庸だけはできないものだ。(筆者意訳)」などの記述を根拠としている。

小林も孔子と同じく『中庸』を理解している者は無いと断ずる。

これは向こうの人の『Hey, yo』に通ずるものがあるように感ぜられる。

すると『中庸』とは、人類皆兄弟という簡単なことを表しているのかと一瞬思えるが、それならば話は単純なはずで、実際の所はそうではない。

いいだろうか、この事を意識し始める、つまり冒頭に述べた事と同様に、孔子の人物に肉感が伴って来れば来るほど論語そのものにも魅力が湧き出してくる。

侠仁、孔子があなたの心に現出するのだ。

美味しい所も書いたので、疲れてきたからそろそろ締める。

孔子の人物に魅力を感じ、色々と物色をしていると、とあるエピソードに心が動揺した。

本人の経験、その万分の一にも満たないだろうが。

実は、その動揺に居ても立ってもいられず記事を書き始めたのだ。

孔子の人生は、無政府主義のシンボルを擁する藤子 不二雄Ⓐが描いたのか。

所は魯国西方、大野沢。

時は哀公、十四年。

行われた狩りで、魯国重臣の従者が動物を捕らえた。

しかし、ソレは鹿とも牛とも見分けが付かず。

異形の相貌と見たこともない毛並みを備えていた。

凶獣怪獣の類は不祥の極み。

重臣一同怖れをなして、ソレを猟場の番人に始末させた。

その話に興味を持った孔子は、重臣の家来に訊ねて歩いた。

事の全容が知れるにつれ、孔子は自分を見失う。

鹿だの牛だのと言って、角が一本生えているなどという事は、あってはならない。

なぜなら、狩りの参加者たちはその動物を決して傷つけてはならなかったから。

実際に見たことが誰もないとはいえ、竜の顔だと気付かない事は、あってはならない。

なぜなら、その出現を丁重に寿がなければならなかったから。

その毛並みを、鱗に覆われていたと見間違える事は、あってはならない。

なぜなら、今の王は未だ仁のある政治を行っていなかったから。

孔子は、書き留めていた当時の歴史書『春秋』に以下の句を残し、筆を折った。

十有四年、春、西狩獲麟

【緊急投稿】自分を完全覚醒できますか

こんばんは、
奇跡の詩人です。

ヒャッハー!
混沌の中にいるぜぇ!!(モヒカン)
時はまさに世紀末ってなぁ!

ほああたたたたたーーーー!右手シュバババ

突然ですが今夜は、
ひとが否定されないルールについてお話ししたいと思います。

スピード出して!
スピード上げて!
スピード極めて!!

   

くぉ~!!ぶつかる~!!

ここでアクセル全開、インド人を右に!

不幸にも黒塗りの高級車に追突してしまう(隠喩)

「ひとりヨシヨシするぞオラァ!!」

どーまんせーまんどーまんせーまん

と言ったわけでございましてですね(漫談調)。

妹スマタにのこしたい世界ということでございまして。

千葉のZER〇いつHP覗いてもエヴァテイストをやめてなくて草が生い茂るんでございますが。

こう馬鹿っ丁寧な口調になりますと、つい自分が谷崎潤一郎にでもなったかのような錯覚を覚えざるを得ませんね、えぇ。

こんな卑屈な言葉使いも、肉体的精神的服従隷属感を演出するべく、このように麻縄を全身の経絡秘孔に張り巡らしているからでありまして(背面合掌縛り)。

シュボッ、麻縄スパー大麻縄スパー。

ここで一曲、ROSIER。

不倫には不倫で対抗だ!!(憑依)

対抗不倫 (青)(青)

どうせお粗末な不倫だったんだろうさ。

えぇ、と。

はい、お粗末さまでございました。

TechnoBreakの三文ライターJunでございます。

えぇ、ご覧の通りの迷走ぶりでしたでしょうか?

動揺しているんですね、ハイ。

動揺しているんですよ、えぇ。

動揺、不安しているんです。

私は、混沌の中にいるんです。

厚生労働省のGメンが来るんじゃないかと!!

今でいうGピープルが来るのではないかと!!

私の、私たちのところにも!!

ここ亀〇に!!

千葉真一(サニーの方)が!!

天使の爪の垢でも煎じて飲ませて下さいよ!!

だから、自分を完全覚醒できますかというタイトルなわけなんですね。

マジで、他人事じゃない・・・。

仕事やっててエナ切れ感は一切ないんだけども、二日酔い時の万能感(酒飲みは早々にこの解脱を獲得した方が良いと本気で思っている)。

これが無いときの、通常営業時の自分の物足りなさ加減ときたら!!

自分を完全肯定できますか、ですよ。

でも生きていかなきゃなの!!!

だから、脳内物質で凌いでいこうと。

出し方教えて下さい。

宛先はこちら↓

俺の方法を授ける、使うがよい。

特捜TV!ガブリンチョのOPで、超ハイテンションで

「ガブリンチョ―――!!」

ってやってる超ハイテンション(2回目)の田代まさしのマネをする。

結論 形から入るのが大事。

だとよ!(断末魔)

 

追記

‪‪Wikipedia情報でアレだけども‬
‪コカインの精神依存性は3.0点満点中2.8点、身体依存性は1.3となっている。比較として、タバコ:精神依存性2.6、身体依存性1.8‬
‪俺、これイケるで。

【ラジオ更新】2020ロードトゥ苦難

昨今のハリポタの流れアレはなあ!十代の頃から予知ってたぜ!!

いたいけな子供心に魔法を吹き込んで鬱展開。

酒よ!!(杖振り)

エロゲーかよ。

もう症状で杖を持つ手も震えて・・・。

あれ、ロードオブザはどうなった?

あれは溶かしてペニスリングになった。

わーお

 

小さいおじさンず。

縄を解いてくれたら動かずにいよう。

その時、掛けておいたコートが地球の重力に耐えきれずに落ちた。

さて、落ちたのはコートか、地球か。

仰向けはよくある。

 

「レシート結構です。」

「はい。(レシート渡す)」

・・・ああ、間投詞のはいだったのか。

乃至、レシート決行と解釈した了解。

 

はっきりと自覚せずに生きているから。

何をか、人生をか。

そうかも知れない、そんな気もする。

だからこそ、出会いたいジャメヴがある。

他者からの受け売り。

それを実体験ですり替えてしまうこともあるが。

原体験と人の言う。

 

新しい早口言葉を考えたからやってみてくれ。

これはおまけだ。

ブードゥー教徒が空洞の中に放尿したって。

オーノー。

 

動画↓

Youtube:

ニコニコ:

SoundCloudのアップロード制限に引っかかってしまったため、現在SoundCloudへのアップロードができません。

音声でお楽しみたい方は、他の方法を探しますので今しばらくお待ちください。
<(_ _)><(_ _)><(_ _)>

再起動、最近どう?

霊峰富士を西に見て。

母校の校歌を恩師に向けて口ずさみ、二人で笑い合う。

一泊二日、河口湖畔の小旅行は心洗われるひと時だった。

あれから一週間。

心は荒みきり汚濁の底に堕ちていた。

 

無責任と正義感の狭間で、山積みの課題に背中を圧迫されながら、巣立った希望の絶望を受け、ふと日常に目を向ければ周りは承認欲求の塊だらけ。

もういっそ、宗教と食い物の好き嫌いとが無くなった世界になりさえすれば。

キリストの血であるワイン、イスラム教徒が育てた豚肉、禅寺の山門で栽培したニンニクやニラ、ついでに神社から大麻でも何でも持ち寄って乾杯しよう。

!לחיים

宗教の否定は文化の侮辱、食の矮小化、ひいては幸福の破滅に繋がるか?

いやいや、揚げ足をとるのは結構だが、こちらからは横槍を入れさせてもらう。

側面攻撃の後は中央から騎馬が突撃、これで潰走しない軍は無い。

だが、戦争で誰が幸せになるというのか。

富を奪う奪われるの関係より、分かち合う関係でいたいと思わないか。

持ち寄って、享受しようではないか。

社会主義的発言は日本海を越えてからにしろ?

いや、気付いちまったんだよ、俺。

日本は資本主義の皮を被った潜在的社会主義国家だったってこと。

そこで育った俺は、昨今の働き方改革に見られるような、今までの日本からの脱社会主義化のような動きに我慢がならないんだ。

右倣えで上手くいってたのに、上からの指示通りで楽だったのに、お前ら一人一人が自己判断で動いている社会を誰が信用するもんか。

今夜は飲ませてくれ!

 

 

 

 

 

って事で、作りましたよ痛風鍋。←本編開始

作り方は簡単、牡蠣とアンキモを鍋に入れ一煮立ちしたところで、白子を入れて火が通ったら出来上がり。

本場では、煮干(これもプリン体の塊)の出汁を使うんだそうな。

ま、家では面倒いので味噌仕立て鍋の素を入れましたよ&白子は無かったので鶏皮を使うことにして先に炊きましたよ。

うん、鶏皮さんは鶏皮だ、いつも食ってる。

おぉ、牡蠣氏、次は生食用でしゃぶしゃぶにするか?

ただしアンキモ、テメーはダメだ。

結論

米中サウジの三國核戦争

END

酩酊を力に

ファァァァァァック!!

あ〜、スッとした。

こんばんは、如何お過ごしでしょうか・・・⁈

烏賊が!烏賊がッ!!←いや、ザ・グリード

なわけで、90分で3000人ー喰って喰って喰いまくれーTechnoBreakJunだゾ。

全然、蚊ほども関係ねんだけど、ザ・グリードは今年の6月で20周年だったそうです・・・また観てえなあのパーティムービー

個人的にやっぱここ、あるいはサガット自決シーン。正月に観たい。

 

さて、週末はジェネステがあって、ブログ更新できなさそうなんで、ちょっとフライング気味にシコシコ作文してるわけですよ、ビール飲みながら。

普段は真面目な現場で書いてるんで、シラフなんですが(それはそれでどうかと思うが)、今夜は飲みながらなのでそのテンションが次第次第に変化していく感じが文面から伝わるとイイなという実験ってわけ。

あんたらも災難だったな、こんな実験に付き合わされちゃってさ、Twitterフォロワー90人の読者さんたち☆

ここまで書くのに小一時間消費しちゃって、そろそろ無事に眠くなっちゃうと思われるんですが、ウン♪パ♪ウンウン♪パ♪のリズムにギア上げてイくゾ。

うんうん!うんうんうんうん!!←同意に次ぐ同意

 

全てが股間になる←第一回フェミニスト賞

思いついてから調べたら怒られるやつだな、な ぜ 思 い ち つ た 。

怒られる前にリセットしよう、俺が考えたスーパーサイゼ人

ミラノ、ボロニア、ディアボラ「ドリンク波ーーーー!!」

これにはセルも真っ青ですわ(知ってました?サイゼはストロングゼロ出してるって)。

夢庵もよろしくな!!

なんだろう、このネイキッドマーケティング・・・。

マーケティングといえば、デザフェスでお近づきになった皆々様は可愛いもの大好きそうでいらっしゃったので、そこに狙いを絞ってジェネステ参戦の予定なんですがダメだ笑ゥせぇるすまんで参戦の時点で俺ラ五月蝿ぇすまん。

しかもそのジェネステで他に出店予定の方々も可愛い路線っぺえから!!

やさぐれ飲酒は愛され体質!!

ananかっての…もう寝ますわ、エナドリ切れて輸精管も切れたらしい。

パイプカッター、ハーメルンの両側精管結紮切除男ですわ。

はぁ、ちんすこう。

トータルインポテンスー皆既勃起不全ー

エクリプスとアポカリプスって似てるよね、語感。

さらに語感で言えば、エクリプスとインポテンスも似てるよね。

股間だけにい気味で)。

 

刻一刻と欠けていく月を見上げながら、詩心の無さを謳歌していると、ふと。

啓示を得た、ニコラス・啓示を。

翻訳された異国の文学しか享受できない俺たちは、一体誰とセックスすればいいのだ?ってね。

池袋の風俗へ行けとでも?

同じ人間、しかし言語も文化も違う人間たち、彼らは意外なほど身近であるという悲しみ。

悲しみの池袋風俗。

 

そんなわけで奴はその次の夜もまた池袋へ繰り出したってわけ。

カーモンベイビーアフリカ(合いの手)

売女と傷心の男、それを許容する街。

こうなればもう鬼に金棒、もとい鬼畜に肉棒。

いや、ふじみ遊戯

 

だが、そんな男の身体の内部では、前日の月蝕が心象風景として血潮の中を駆け巡っているらしかった。

性欲はあるのに勃起不全ートータルインポテンスーってやつだ。

さながら、詩になる風景を目前にしながら、詩心の無さに呆然としているその感覚。

昨晩の蝕に魅入られて、囚われて、肌重ね合わせて勃起不全。

もう風林火山の山担当

犯すこと火の如し?なにそれ。

こうなりゃ手コキだ!俺たちゃ無敵だ!!

剥き出しの性欲ぼかしをかけて、エレクトカリパレード

そのまま黙って帰宅した、人生は続く。

ペニスジェネシス

キンタ万力 ⇄  万力ンタマ  苦痛の連鎖を抱きしめて。

Shun「ふぅ〜、おしっこしたい」

Jun「主はお許しになりました」

Sho「神様はいつも見てるよね」

すげえ、俺たちスマップみてえ←解散すんじゃん

 

さて、そんなApocalypseなうな我々TechnoBreak、高◯社長も真っ青なノリですがいかがお過ごしでしょうか。

俺たちと一緒に、終末論の最先端を開拓していこうぜ!!アナルバール右手にして)

世界終末時計は真夜中の二分前を指し示しているApocalypseなうを生き抜いている俺たちに『時計の長針を進めるために悪の秘密結社が組織されたことで、

逆に時間が逆戻りした』っていう幸福なニュース飛び込んできたっていいじゃない!

進歩が必要だ、幸福との調和がとれた進歩が。

それは前立点から前立腺へ、前立面へ、前立体へと因数分解されていくことだ。

営まれたこの前立界で生を授かった俺たち。

こんな世界で見出す性の喜びとは、生きることに心を吹き込むこと。(知ってたか?立心偏が心を表す部首だって)

言い換えれば、ユークリッド幾何学においては二点間の直線はただ一本に決定されるが、卑ユークリッド幾何学ではお尻のシワとシワを合わせて幸福という修辞学。

 

別の視座で言うなら俺たち人の子って奴儕は、

罪犯し過ぎ可笑杉田君に他ならないわけで。

そんな性分を認めて受け入れて何とかやっていくのが幸福への遠い近道、そう思えて泣けてきやしないか?

止めどなく溢れる涙が川になり心の悲しみ流し去ってくれるように願い込めて、善人か悪人かどちら側かと聞かれたら俺はチャオプラヤ川だと答えてやるのさ。

過ぎ去った夏を惜しむ代わりに、ビーチクをキツく噛み締めて。

受け取ってくれ、俺のエナG

ってことで、High先程コンビニで新商品のエナジードリンク

サントリー南アルプス PEAKER ビターエナジー

を発見したのでそのレビューだ。

その名の由来は、PEAKの上を優雅に飛ぶ一羽の赤い鳥からだろうか。

ラベルに書かれているキャッチフレーズは「最後まで落ちない」である。

正直、まずこの文言に攻めの姿勢を感じた。

というのも、周囲でチラホラ散見されるレッドブルの「切れた」感や、エナの「前借」感といったおよそエナジードリンクの名を冠する全ての清涼飲料水に付きまとう如何ともしがたい「事後」感に対する、これは

たたきつけられた絶縁状であると読めるからだ。

 

アルチュール・ランボー未読の理系諸兄も安心してほしい。

キャッチコピーが書かれたラベルの裏面には件の「最後まで落ちない」を分かりやすく表示したグラフが載っている。

いかがだろう、これは酵素濃度一定の時に基質濃度を増加していったときの反応速度の変化を表すグラフに良く似ていると思ったのは私だけではないはずだ。

 

さて、見てくれの感想はこれくらいにして、実際に一気エナしてみることにしよう。

なるほど、ビターとは最近よく口にする例のビター感のことか。

その直後、精神に襲い来るエナ感の無さという強烈な違和感!

う~ん、いや、味が全てではないんだけどもね、入ってるの?コレ。エナ成分。

だって、飲んだ後に胸が苦しくならないもん!

 

それもそのはずだ、それがサントリー南アルプス PEAKERの売り。

含まれるカフェインは、緑茶500mL程度だという。

「天然水だからこそ、人の身体をいちばん大切に。」

ポスターには最後にこう記されている・・・。

オイオイ、ヒッピーだってマリファナやってたぞ。

 

原材料名を改めて読むと、馴染のあるエナ成分はとんと見かけない。

唯一「グアユサエキス」とあるのが、もしかするとそうなのかもしれない。

だが、俺の身体はエナ切れだ!←ザヨゴォォォォ

エナが足りないからもうキーボードから手を離すことにするが、この記事に俺が敢えて与えたアキレス腱、このグアユサエキスに関して詳細に記述することは、私の論を喝破するための一つの正攻法と言える。

 

私見だが、有効成分も無いのに翼はさずけられないし、ココロもカラダもみなぎらないのだ。

これは比喩ではない。

グラフが原点から正の傾きで大きく伸長していたのは何によってなのか。

有効成分が無いのなら、偽薬を食べたらいいじゃない!

それならそれである種のエナ革命となるわけだが笑わせるな、俺がロベスピエールでも断頭台送りだ。

そもそも当方、二日酔いの朝の頭痛やエナドリODによる胸の締め付けを実感できている時ほど調子が良いという負のプラシーボ効果を体得している(体調不良酔拳ともいう)。

 

では、レッドブルキメて、仕事ラストスパート頑張ろう。

こちらからの報告は以上。

 

追伸

エナ爺っていうキャラ考えた。

寿命は来世。