気心の知れた友人にこの話をすると受けがいいのでここでもする。
私の祖父は、満州でスナイパーをしていた。
というのも、祖父は床屋を営むくらいに手先が器用だったからなのだが。
父が修学旅行でマッチ箱に入れてきた京都の苔を庭一面に殖やしたり、父が油絵を嗜むのを尻目にこっちは上塗りできないんだと言い放って日本画の個展を開いたり。
裏を返せば学が無いわけだが、芸があった。
一人殺せば犯罪者だが、百人殺した祖父は英雄だった。
戦争は憎いが、身内のことは誇らしい。
一つの中に二つの矛盾だ。
ビールだって同じ。
コクがあるのに、キレがある。
コーヒーならば、苦くて甘い。
そういう存在は確かにあると、認めねばならないのではないか。
小さい頃はそんな祖父の寡黙さが怖かった。
父も家を出るまではよく殴られたらしい。
その体験があったお陰で、私は父から殴られることはなかった。
毎晩浴びるように飲んでいたという。
満州の記憶から逃れるためだったのか。
孫には手先の器用さではなく、酒癖の悪さが遺伝したらしい。
挙句、英雄に成れるわけもない。
だから職場では道化を演じている。
道化とは何か。
一流の道化は笑いを取るが、超一流ともなると顰蹙を買う。
これが私の持論であり、実践だ。
「罪と罰」のマルメラードフよろしく、これが嬉しいんだよ!というわけだ。
我々道化は、笑う者達の喉元に突きつけられた切っ先である。
それは、北極点では方位磁針が役に立たなくなるのと同じこと。
早く達したいものである。
交わらないはずの平行線も、地球儀の経線ならば極で交わるわけだ。
何たる矛盾か。
スピーチの原稿を寝ずに考えていた翌日に、ガラッと内容を変えてしまうようなものだ。
何たる自己叛逆か。
ここまで来ると、たいていは受けがいいが、後々になって不味くなる。
概論はこのくらいにして、実践報告に移ろうか。
これは、数年前のことである。
新しく来た副社長が所信表明で、当人が受けた粋な計らいを例に持ち出し、我々社員一同にもそういった粋な計らいができる様にと御高説を垂れたことがあった。
そんなわけで、その後の歓迎会では真っ先にその、「粋な計らい」というフレーズを連呼しながら、これこそが粋な計らいであると言わんばかりに歓迎の醜態を演じた事があった(何度か言っている事だが、飲み会の会長なので、職場では副社長よりも私の方が役職は上である)。
座席の都合で、先方は私に背を向ける格好になっていたわけだが、振り向いて観覧するといった様子もなく背中で以って不快感を露わにしており、この場で文章にでもしておかなければ危うく「行き場わからない」感情になるところだった。
こういう時は、よく冷えた日本酒を何合か空けた後である。
その前の副社長は雅一という、マサかという感じの名前だったのだが、酒席で私が酔っ払っては
「なぁ、そうだろマサイチ!」
と繰り返し絡むのを前々から見ていて、現副社長がこのマサイチ呼ばわりを私からパクったりもした。
その様子が羨ましく妬ましく眺められたのであろうが、同じ事でも三十がやるのと五十がやるのとでは時分の花が違うという好例と言えよう。
それだけに、道化稼業も工夫が要る。
打算の無い捨て身だけが、我々道化に残された唯一無敵の方法である。
いや、打算の無い捨て身を得る事が、我々道化が征く唯一素敵の目的なのだ。
道家ではないなりに、道外にはいられるかもしれない。
以来、コロナ禍が続き(私の苗字、禍原の一字がこれの所為で先に有名になってしまって、忌々しい)副社長が同席する様な大規模の飲み会が開けずにいるのだが、いつか正常位を執拗に強要する強靭な精神力を持った狂人を演じながら、
「正常位しぃ!(腰振り)正常位しぃ!(腰振り)俺は異常石井!(決めポーズ)」
と成城石井のロゴの入った炭酸水でも片手に叫び回りたいと割と本気で思っている。
しぃとは、言わずもがな、使役の助動詞の命令形である。
「会長、よくそんな事考えつくね」
と同僚に呆れられるが、彼らと私とでは、背負っているものや考えている事が違うのだから仕方ない。
さて、こんなことを書いていて、百万が一にでも、副社長の目に入りでもして大丈夫かと心配してくれている千人に一人の読者に伝えたい。
安心してほしい、私の様な毒を組織の中に隠し持てるかどうかで、その組織の生命力が試されているのだから。
毒ならば薬にもなるし、私は血も涙もない道化、顔で笑って背中で泣くのだ。
誰に宛てるでもなく、書いておきたかった。
一度っきりだからこそ狂言というのに、文章は文字だけが残るからこそ美しくないものである。
#006 諧謔のカラマーゾフ 了