なぜ何も無いのではなく、何かが在るのか?
違う、何もでもなければ、何かでもない。
なぜラーメンが無いのか。
ラーメンが無いならば、ラーメンドラゴンボウルも無いのか。
そこに無ければ、無いのだ。
では、何があるのか?
そこには痩せた大地があった。
だが、高く険しい山岳が連なった。
魅せられた人々が集ってきた。
やがて寺が建ち、宿坊が出来、集落が起こる。
千年以上前には歌枕として知られる名所となった。
そこは長野市戸隠。
九頭龍伝説を起源に持つとも、岩戸が高天原から投棄された先とも伝えられる。
戸隠にラーメン屋さんは無い。
お蕎麦屋さんがあるばかり。
規模や範囲は小さいながら、博多にあるのが豚骨ラーメン屋さんばかりであるのと同様か、それ以上かもしれぬ。
ラーメン屋さんの無さ加減は徹底しているからである。
戸隠山のふもとを戸隠と呼ぶが、ここ一帯に五つの社が点在しており、まとめて戸隠神社と呼ばれている。
社には、岩戸伝説に由来する神々が祭られており、修験道の霊場としても名高い。
蕎麦巡りに合わせて、五社巡りもすれば知食共々満たされるだろう。
さあ一緒に、神秘が見え隠れする、雄大な自然と文化に触れる一歩を踏み出そう。
まず、長野県道七十六号長野戸隠線、北端の坂の突き当たり、宝光社からスタート。
いきなりで恐れ入るが300段弱の石段に出鼻をくじかれそうになる。
夏場午前の木漏れ日は涼やかだったのだが、汗と息切れが吹き出す。
ここに祭られているのは天表春命(あめのうわはるのみこと)。
参拝後に杉林の中の神道を歩いていくと、近所に火之御子社。
御存知、天地開闢以来最も有名なダンサー、天鈿女命(あめのうずめのみこと)を祭っており、芸能に関してはこちらに参るのが大原則。
ここの社は五社の中で最も控えめな印象で、参拝のお客もまばらなので良い。
この後、表通りの坂道を登りながら商店街を行き過ぎ「越後屋商店」で真澄を購入する。
入店して左手に冷蔵庫が三台あり、その真ん中下段にあるのが、かつて「みやさか」今は「真澄 出荷年」と銘打たれた美味しいお酒だ。
女将さんは切っ風のいいお方で
「それは美味い酒ですよ」
「酒の味、知ってるね」
なんて言って、良い機嫌にさせてくださる。
坂道を登り切れば中社正面大鳥居。
樹齢九百年と言われる天然記念物に指定されている堂々たる三本杉が脇にあり、今までとの規模の違いは一目瞭然だ。
このすぐ近所にあるしなの屋さんでお蕎麦を召し上がれ。
戸隠という土地柄、どのお店で食べたってお蕎麦は美味しい。
東京では戸隠蕎麦の名をたまに見かける程度だが、本場では「ぼっち」という小分けになってざるに盛られている。
どのお店で食べたって美味しいのだから、店舗ごとの差異はサービスの蕎麦前に出る。
おしんこやらかりんとやら種々様々なのを、しなの屋さんが出すのは蕎麦饅頭。
餡子のはいった小ぶりなやつに、甘じょっぱいタレがぺとっと塗られていて、クセになる。
手土産に買って帰ることもできるが、日持ちしないので宿で夜のつまみにする。
付近のお土産屋さんを物色したら、中社で合格祈願や商売繁盛を。
ここには岩戸伝説の参謀、天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)が祭られており、近辺の繁盛ぶりも含めて個人的に好きな場所だ。
中社から次の奥社までの距離が開いているので、県道36号を登っていき、そばの実さんのすぐ手前を鏡池に向けて折れる。
鏡池の景色は大河ドラマ真田丸のOP冒頭で使われていて、大パノラマと言って良い。
丘にあるどんぐりハウスさんでガレットというのも、お蕎麦の違った楽しみ方だ。
続く先は自然散策道の表示に従って、真っ直ぐ随神門へと進む。
大門は朱に彩られ、屋根は茅葺き。
その威容は、先にある約二キロの杉並木と好対照を為している。
暗く、静かで、日本が誇る幻想風景の中でも屈指の静謐さが身を包む。
二百段を越す石段の最上段にまず、地元で信仰されている九頭龍を祭る九頭龍社があり、少し上に奥社がある。
奥社に祭られているのは、天手力雄命(たぢからおのみこと)。
ここでは必勝祈願を行う。
当然のことながら、帰り道は下りなので助かる。
石段を降り、下り坂気味の杉並木を抜け、随神門と大鳥居の向こうには県道がある。
県道へ出てすぐのバス停からバスに飛び乗れば…。
ここで満を持してラーメンドラゴンボウル、神々しさを後光に伴い、降臨。
随神門の先、大鳥居を出てすぐあるのが、奥社前なおすけさんである。
お品書きからのおすすめは、
葱の香る熱いつけ汁に鴨のお肉や舞茸がごろごろと入った、鴨ざるそば。
山葵より強烈な刺激がクセになる、辛味大根おろしざるそば。
海老、野菜、きのこの盛られた天ざるそば。
ラーメンは無い。
なぜ何も無いのではなく、何かが在るのか?
ラーメン屋さんの無さ加減は徹底している。
そして、戸隠という土地柄、どのお店で食べたってお蕎麦は美味しい。
ならば、このお店がラーメンドラゴンボウル足り得る理由も無いのだ。
ある、理由ならば。
お蕎麦しか無いにもかかわらず、ラーメンドラゴンボウルは存在している。
それは、お品書き筆頭の対を為す、激辛鴨ざるそば。
赤い、激辛の名に恥じぬ赤いつけ汁。
辛い、激辛の名に恥じぬ、思わず唸る辛いつけ汁。
増量のために十ぼっち追加したら、全てまとまってざるに載ってきた。
これが辛い。
食べる手を休めると口の中がひりひりしてくる。
だから、辛さを抑えるためには次々に口へ運ぶ必要がある。
辛いから手を止められない、手を止めないのは美味しいから、美味しいから辛い。
破綻した理論を展開する脳髄は、もはやその思考スピードが、お蕎麦を手繰る動きに追いついていない。
そこに無ければ、他所にも無い、唯一の逸品。
パスタ、ピザなら小鳥の森さんが良い。
岩魚と高原野菜の和風パスタ、おっとこれ以上変わり種ラーメンドラゴンボウルは増やせない。
ちょうど字数も尽きた。