【文学作品後編】Strange Jesters【完結】

承前

§2-1. S(2)

「へっへっへ、こちらですぜ旦那」

 薄暗い地下に続く階段を前に過剰なまでの下卑た振る舞いをまといながら、相手を逃すまいとばかりにSはJに対してベッタリとした笑みを向けていた。

 彼の振る舞いを初めて見る者があれば不快な思いを受けることであろう。だがこのやり取りは彼らの中ではひとかどの知識人としての”お上品な”挨拶のようなものとなっていた。彼らは定期的にこの上流階級の挨拶を交わした後に酒も酌み交わすのだ。

  Sは服を持っていないという訳ではないのだがどういう訳か毎日、同じ服を洗濯しては着古していた。赤いTシャツも、色が褪せ始めた土色のジーンズも何度も洗濯機の中で揉まれたせいで裾が植物の根が生えたかのようにボロボロになっていた。だがSにとってはそこから世界の栄養を吸収しているかのように、その服を着ている時の彼はとても幸せそうに見えた。

  一方、Jは何時も太陽の光を何倍にもして跳ね返すパリッとしたブランド物の白いYシャツに袖を通し、一切の汚れという存在を許さぬと訴えかけるこれもまた見事な黒いスーツパンツを着こなしている。その実、Jの心の中にこそ世界の汚物が集約されていると言っても過言ではない。彼はそのフォーマルな衣装というフィルターを身に付けない限り呼吸することすらままならないだろう。

  一見すると相反する出で立ちの二人だが、どちらも靴だけは本物の革靴を履いていた。Sの服装は靴だけが世界との入り口でもあるかのように必死に浮いていることが滑稽ではあるが、Jにとっても酸素吸入器であるフォーマルさに靴が踊らされていることを加味すればやはり滑稽なのである。

  今回、SがJを呼び出したのは庶民が少し背を伸ばせば届くような金額でステーキやワインを嗜むことが出来る中流階級が己は偉大なる役人様なのだと慰める為にあるような店だ。

 その証拠に決して味は悪くないのだが店は地下に設けられており、窓は一つもなく優雅な景色など望むべくもない。しかし彼らのように心に太陽を飼っている者達にとって人間の言葉(哲学)を交わすにおいて薄暗い地下室は絶対なのだ。美しく澄み渡る青空が視界に入ろうものならそれは夜の帳が下りるようなものだ。薄暗い地下室でこそ彼らの心は燦々とウンザリするくらい光り輝くのだ。

 Jは服装と同様、普段は一流のレストランに行くのでこのような店には来ることはない。だが決してこのような店が嫌いなのかといえばそういう訳では無くむしろ好きなのだ。

 結局のところSもJもただ生活をしたい。それだけなのだ。

 他の差異はこの一点に比べればカスみたいなもので何の意味も持たぬ。【生活と人間】だけが彼らの中では意味のあることで共通項なのだ。

  Jはベタツク笑みを受け止め、投げかけられた視線の先にある地下室への階段を見てやはり下卑た笑みでニヤリと返した。彼の頭の中はこれから体内を駆け抜けるであろうアルコールと人間の言葉でいっぱいになり、あわや涎を垂らす寸前の恍惚な表情を浮かべていた。

「いや、お疲れ様。行こうか」Jは呟いた。

§2-2. J(5)

 SがJとの飲酒で期待しているのは、彼の内心に秘められた真っ黒い太陽が燃え上がらせるフレアの観察なのだが、ここ数ヶ月ほどその心情吐露が見られないから飲み代が割高に感じられる。Jの方では、世界の汚物が核融合する様を披露してやる義務と引き換えに飲み会を開くという契約をしているわけではないから、単なる気紛れの話題に過ぎない。もしかすると、JはSのその期待を察知して、敢えて話題を伏せているということも考えられるのだが、そこまで疑ってしまえば友情の破綻は目前に思われたので、疑念は頭から振り解いた。“疑念”それはドストエフスキーに言わせれば愛の対義語であり、小林秀雄に言わせれば愛に至る唯一の道である。そう考えておいてよかろう。Sは農奴にも中原中也にもなりたいとは望まなかった。

 実際、Jの方では何となくこう考えていた。善人としての自己の表面と、犯罪者三歩手前の自己の裏面、大概の人間が二面性を抱えて生きているだろう。週刊誌がそれを暴くのは堅気の生活者ではなく、ヤクザな芸能関係者というだけである。そこで、彼自身はいかさまコインのように表裏の区別を自身に設けようとはせず、ウルトラネガティブの面とハイパーポジティブの面とを極限まで一致させ、それらを総合したエクストリームニュートラルなもの全てを硬貨の縁に刻印してしまうのだ。この姿勢が、彼自身の多面性を象徴しており、微笑の内に無表情を、哄笑の内に穢らわしさを同居させるのに一役買っているらしい。つまり、最近の彼はちょっとばかり本業が忙しいのだ。

 彼らは中流階級である。だから、毎度々々そこらの居酒屋チェーン店で飲まずに済む。話題も自慢話の披露が無意味だと知っている。すなわち、彼らは挑戦者だったというわけだ。お互いに生い立ちや経歴、背景は異なるが、肩を並べている事による違和感はない。自己の優位性を主張する様な無意味なことをやり合うことは無く、尊重し合っているから軽蔑されるという事も無い。これら全て、二人に共通している職人気質のなせる平衡感覚なのであろう。彼らは、過去に生きていた全ての人物が直面していた過渡期に、彼らもまた現代人として処している、という認識を知らず知らずのうちに共有している。だから、昔は良かったなどという嘆きや、あんな決断をしていなければ今頃と言った哀傷が無いのだ。ただただ、幼少期の避け得ぬ家庭環境の影響を、“虐待”と吹聴しては笑い合うのだった。今、豊かな暮らしを送ると言うよりは、しぶとい生活を強いられている事を享受できていると表明するために。

§2-3. S(7)

 薄暗い階段を抜けると角のボックス席に彼らは通された。彼らは席に着くなりウェイターに有無を言わせぬ速さでビールを二つばかり頼んだ。夏が過ぎたとはいえ、世界の太陽は彼らの心を蝕む程にはぎらついていた。

 運ばれたビールを直ぐに飲み干すと二人ともまだキンキンに冷えているグラスを蜘蛛の糸のように握っていた。

「イタリアンバルに来てレア肉と赤ワインを頼まないなんて考えられない!これらを噛みしめてから”無知は幸福”と呟くまでが作法だ!」 地下室と酒という幾ばくかの生活から元気を取り戻したSが鼻息せわしく喚いた。

 二人は互いに然りと笑いあうと注文を進めた。これは前述した通り映画MATRIXのサイファーによる“虐待”としてのジョークである。そしてこのジョークから今日も彼らにとっての人間の言葉が始まるのだ。

「どうです、旦那。ここのステーキは?中々のもんでしょう?やっぱりあっしらは信心深いとはいえ生活を生業にしている人間ですからね。同じ肉としてもパンでは活力が湧きませんからねぇ?」

  Jは笑いながらも何時までその道化を続けるのだと窘めた。Sはしたらばと農奴遊びを終わらせ運ばれてきた赤ワインで喉を潤した。

 そして彼は八重洲ブックセンターを筆頭に次々と消えゆく書店に思いを侍らせた。

「ねえ、J。僕は友達が減っていくようだよ。小説は僕にとって知識というより凝縮された人生なんだよ。もう生きている人と言ってもいい。僕は親友は本で見つけたんだ。ドストエフスキーさ。きっかけは僕が幼少期からずっと煩わされている重度の癲癇だ。何かをしたいと思うたびにコイツに邪魔されてね。こんなんじゃ生活なんて出来ないって思っていたよ。でも彼は僕より酷い発作を持ちながらあんなに多くの人生を残している。並大抵の生活力ではないよ!おまけに癲癇の発作は死刑宣告からの恩赦放免での時に始まったっていうじゃないか。これ以上ない生の実感を得た瞬間に癲癇になるなんて、こんな切なくも笑ってしまう話があるだろうか!彼の作品というより彼の生き様から彼を好きになったんだ」

「分かるよ」Jも言葉を返した。「俺も小林秀雄から酒の飲み方を教わったからね。更に言うなら、、、」

 先を続ける前に矢継ぎ早にステーキを口に頬張り、赤ワインで一気に流し込んだ。彼の脳内を幸福が駆け巡った。段々とじめじめとした部屋のドアや窓が開いていき、新鮮な空気で換気されていく自身を感じ取っていた。

「本を読まない、知識がない、教養が無い奴に自己同一性なんて持ち得ないんだよ。つまり、”虐待”さ」

彼らは陽気な声を上げた後、再びグラスをカチンと鳴らした。

§2-4. J(8)

 楽しい時間はあっと言う間であった。席に通された時に二時間制であると宣言されていたのも信じられないほどで、すでに頭の片隅に会計の精算がちらついている。その頃には、クアトロフォルマッジをSが手帳の様に折りたたみ、Jはナイフとフォークで手を汚さぬ様に食べていた。この物語調の文章も、今やエピローグというわけである。

 Sは、以前Jが吹聴したとある言葉が頭から離れずにいた。曰く、自己同一、自己肯定、自己実現という世の主流派が掲げる、無責任で所在不明の月並みな標題に対して、自己欺瞞、自己諧謔、自己叛逆という生き様を無自覚にせよ意識的にせよかれこれ十年以上続けて来たのだと。この日、共に酒を酌み交わした話題の中で、何かその姿勢を実感できた。それは、Sが敬愛してやまないドストエフスキーの生活そのものだったように思えたからだ。

 ドストエフスキーはその遺作『カラマーゾフの兄弟』において、父親殺しを告白していたのではないかと彼らは議論した。父を取り巻く三兄弟は作家の欺瞞をそれぞれに分け与えた人格であり、父自身は精力に満ち満ちた道化としてその諧謔、ひた隠しにしてきた農奴への使嗾を作品に託して告白するという叛逆。もしかすると、仮初の善を打破し、生きるための新たな指針を獲得することこそが、個人の再生ではないだろうか。Sは、最後の煙草に火を付けて、そんな事を思った。

 安く酔う鉄則はボトルを入れること、それと食い放題に注文しないことだ。しかし、二時間弱とはいえ空きっ腹にステーキ半分とピザ一枚程度では、SならばともかくJはまだ食べ足りない。自分の真っ赤な顔を見る事もなく、Jは開けたワインの最後の一杯を飲み干した。彼は、もう何年も、飲み会での会話を覚えている事を放棄している。それは換言すれば、飲み過ぎて食べ過ぎた胃の内容物もろとも、吐き出して忘れてしまうと言うことに他ならない。こんな事、小林秀雄は一言も言い伝えてはいないのだが。

 けれども、Jにとってこの日の酒は、どうやらいつまでも忘れがたい記憶になりそうだった。その理由は、彼がまだ飲み過ぎて食べ過ぎていないから、と言うわけでは決してない、事実には違いないが。というのも、目の前で道化を装うようにしていたSが、それでもこちらの意見を傾聴していたことをつくづく感じたからである。さらに、彼からの問いかけが、我々の議論を活性化させたではないか。

『なるほど、これが教養か』

 “疑念”抜きの純粋な愛、それは人間という存在への信頼感かも知れない。

 面と向かっていられなくなったJがふと上を見遣ると、天井のシミが、まるで自分には関係ないと嘯くように、二人を煙に撒いていた。





Strange Jesters 了

後書きに代えて

 2週に渡る本作は前書きにて述べた通りJunとShoでリレー形式で1つの文章を書いてみたという作品群である。これは私Shoが小学生の頃に授業で行った班内で原稿用紙を回して1つのお話を作るというのが楽しかったという記憶が起点になっている。また、私も文章を読むのが好きなのだが最近めっきり文字を書くということもなかったのでそのリハビリにJunに付き合ってもらったという形であろうか。
 作品としては先週リリースしたJun始まりの作品の方が全体的にしっかりまとまっていて個人的に好みだ。だが本作の出だしの1章部分は1000字弱という長さで自分の好きなドストエフスキーの”ちょっとウザくなる情景描写”っぽいものが書けた気がして大変満足である笑
 暇な時にこの連作に触れ、文学を拗らせた30過ぎたのおっさん2人のいちゃいちゃぶりを楽しんで頂ければ幸いである。共に睦み合ってくれたJunに謝意を述べて本文を閉じさせてもらう。