好きな作家の全集

かつて「小林どうかしてる逸話集」という記事を投稿した。

本家「文豪どうかしてる逸話集」のパロディである。

各所にある逸話をそれなりに再提案できるお気に入りの記事だ。

どのエピソードもそこらのWeb上ではそうそうお目にかかれないものばかり。

これが『小林秀雄 クズ』の検索上位にヒットするとGoogleが伝えてきた。

ホームページクリック数1000%超増、だという。

これを機に、ひとつ小林秀雄について、俺なりの薦めを残そう。

文アルや文ストにいまだに登場しない文豪が居る。

彼が文豪と呼ばれた事が無いからなのかもしれない。

彼は文学の神様とか教祖などと呼ばれていたし、自分自身では文士を称していた。

読みにくい、分かりづらいという悪評があるにもかかわらず、入試で頻出の時代があったほどだ。

姓も平凡、名も平凡、二つ合わせて平々凡々とは本人の記述。

にもかかわらず、小林秀雄という四文字の姿形に凛とした風格を感じるのは、私のようなファン心理に限定されているものなのだろうか。

 

 

理系に進学したから、現代文や古典との関わりは高1で終わった自分が、こういった推薦文を書くのは不思議の感がある。

たまたま父がファンで、家の目立つ場所に全集が置かれていたため、大学時代にふと手に取ったのが読み始めたきっかけだ。

家にあったのは旧字体の第三次全集で、慣れるまで読むのに苦労したわけだが、気付けば慣れるまで読んでいた。

ページ数が少なく、タイトルに興味があるものだけ拾い読みすることが出来るのが、全集の良い所だと思う。

この読み方で初めは十分だろう。

 

 

単純に言えば、小林秀雄は読書感想文のプロだ。

「徒然草」という4ページくらいの感想文に現れる、昔読んだ教科書の中からでは決して観えない兼好の人物像。

それが非常な名文で書かれている。

「平家物語」に関しては5ページほどだが、合戦の描写がドラマティカルでその心理と肉体とが鮮やかに想像できる。

小林秀雄との出会いはそれだけで事件だった。

こんなしがないサラリーマンが、日本人はせめて高校生までは古典を学ぶ必要アリなのだと本気で思っているほどなのだから。

もう一度書くが、短文で、興味あるタイトルを拾い読みする事。

そうすれば後は、文章の気迫が自然と読者を引き込んでくれる。

全集第一巻の「様々なる意匠」から読もうとすると必ず挫折する。

 

 

短い文章もいずれ読みつくして、次に何を読もうかと思う人が一人でも居るかもしれないので、その時が来れば文春文庫から出ている「考えるヒント2」への挑戦を薦める(1の方は各テーマが独立していて良くない)。

これをじっくり読んで良かったことは幾らでもあって、広い視野、語彙、言語化能力、文書作成力などを獲得できた。

おかげで、考えの偏ったダメなオトナにならずに済んだ。

言い換えれば、周りがしていない経験を読書で十年先取り出来た。

 

 

今では第六次、新字体で脚注付きで分厚すぎない、親切な作りの全集が出版されている。

一人の作家で全集が生前に四回も出版されるということは非常に稀だという。

彼は、読書についてという短文に「好きになったら、その作家を書簡から何から全部読め」という風なことを、これから来る読書者に向けて言っている。

現代の全読書者の良き先達だ。