【九月号】酒客笑売 #005【キ刊TechnoBreakマガジン】

宜敷君がこの町を書くと言うので、私もこの町での飲酒を書く。

数十年前のことは知らないが、一体全体、この界隈に寿司店が林立していたなんて話はにわかには信じがたい。

西船橋駅構内の立ち食い寿司によく行く私だが、駅から一寸離れた回転寿司の銚子丸の方が落ち着けて美味しいのだが滅多に行かない。

飲んだら帰るだけ、と言うのが確定するから駅から離れて飲むのがイヤなのだ。

だから、海神の寿司屋(現在は二軒ある)には仕事帰りではなく、家にいるときの夜に行く。

しかし、いくら美味しいお魚を提供してくれるとは言え、私は回らない寿司屋で一人酒をするような真似を滅多にしない庶民派だ。

だって、ねぇ、這入って瓶ビールにお刺身を付けてもらって、焼き物から特上握りなんて、高くて美味しいのは当たり前だもん。

お寿司を食べたければスーパーのパックのお寿司で十分。

お寿司屋さんには、真心を頂きたい時に上がる。

その代わり、彼処へ行けばほやの刺身に期待できる。

「あき」という居酒屋さんだ。

お寿司屋さんは二軒あるのに、海神に居酒屋さんはこの一軒しかない。

正確に言えば、他に二、三軒あるのだが(例の海神亭は他所で述べられているので除く)常連や店主が社交的に過ぎるので。

宴会客が来ていれば例外だが、あきさんは落ち着いた雰囲気の店舗で、私はその例外に遭遇したことは無い。

それなのに寂れた様子を感じさせない、通りに面した門構えも堂々として小綺麗な、亭主女将さんお子さんの心地良いお店だ(ここの路地裏には如何にもといった渋いお店が一軒あるが、這入ったことは無い)。

その日のお刺身の後には、カキフライとか豚キムチとかを続ける。

だからここでは瓶ビールばっかり飲んでいる。

品書きの短冊の中で目を引くのがカミナリ豆腐、これは豆腐のチゲ鍋みたいなやつで、またビールが進む。

こないだあきさんにお邪魔したら、カウンターに以前の顔見知りがいらして、懐かしいというより照れた。

十何年も前に、他所のお店でたまにご一緒することがあった程度なのだが、以前と変わらぬ美貌の持ち主だった。

もう閉めてしまったが、京葉銀行の目の前に「龍馬」というお好み焼きなんかもできる居酒屋さんがあって、仄暗い灯りのカウンター席で飲んだっけ。

その次にお店へ上がると、「よぉ、屰ちゃん、こないだはウィスキーを(キープしていた物だ)カパカパ飲んでたぜ。」とマスターに指摘され恥ずかしかった。

何せ、小学校の同級生の父親なもんだから。

女性の前で酒豪気取りして泥酔という悪癖が改善されるまで随分長くかかった。

マスターはビートルズが好きで、興が乗るとアコースティックギターで披露してくれた。

太くて噛み応えのある沖縄のもずくとか、どこにでもあるような焼き鳥が偲ばれる。

濁り酒を初めて飲んだのも其処だった。

良いお店というのは立て続けに消えていくらしい。

龍馬と同じ頃に、線路沿いの「なかにし」も店仕舞いした。

其処は独りで行くのも良いが、誰かを連れて、どうだ美味いだろと自慢したくなるようなお店だった。

良いお店というのはいくらでもあるが、自慢したくなるようなお店というのは滅多にない。

寿司店で出すような中トロなんかは良いとして、季節の秋刀魚は半身を刺身、残りを塩焼きにして食わせてくれるのがニクい。

カキフライは小ぶりのやつ二個をまとめて揚げて出す、これもニクい。

食通気取りの大将が能書きを垂れる、これは要らない。

かつては二、三軒の銭湯があり、どこで一っ風呂浴びるかその日の気分で決められるような町だった。

で、流した汗の分ばかり、一寸一杯引っ掛ける。

駅の隣に虫食いみたいな駐車場があるが、その辺がまさに飲み屋街の入り口で、混雑していた。

「大門」なんて言うギリシアなら大いに畏れるような名のお店。

店名に反して、背と腹がくっつきそうなくらい狭く横長で、それはもう串一筋五十年と言った気概の大将と女将さんで切り盛りしていた。

タン塩、レバタレ。

九九より早くそちらの方を先に知った。

此処と銭湯さえ残っていればと悔やまれるが、どちらも遥か昔に閉業している。

大袈裟なようだが、だからこそ地元に縛られない生き方になったのかもしれない。

いや、待てよ。

親父は私が生まれたから地元に、私がいるこの地に縛られたのか。

週に二日の銭湯通い、第三の場として、龍馬や大門を選んでいたのか。

現在、私が飲み屋さんに顔を出すと、「北一の禍原さん」とか「禍原さんのご子息」とか呼ばれる。

潰れてしまったお店ばかり書くことになったが、こうしていると、自身の死のイメージと重ねてしまいがちになる。

たとえばここにホワイト餃子船橋店があったなんて事が、もう何十年かすれば忘却の彼方に追いやられてしまうだろうかのように。

だけど、私が父から受け継いだものを、私から受け継ぐ命を授かる事を見落としてはならぬ。

私は行かないが、商店街にも新しいお店が少しずつできているのに似ている。

シリアルを売る珈琲店やカフェバー。

もしも未来の我が子が其処に行っても、禍原の名が知られておらず、良い遺産を残せていないだろう。

商店街は、海に掛けているのか、水曜定休と取り決めているらしい。

駅の向こうにはアントレという洒落たケーキ店がある。


#005 地元は飲食博物館 了

【八月号】休刊のお詫びに代えて【キ刊TechnoBreakマガジン】

お酒にまつわる失敗談を寄せてくれと依頼を受け、酒客笑売を書いている。

それも一度は断ったのだが、原稿一本につき一席設けるとの口車に乗って引き受けてしまった。

何ということはない、編集長の卍君の月末の飲み歩きの横に付き添うというだけのことだった。

何とも迷惑千万な話である。

食べ歩記、飲み歩紀なら取材に出掛ければ収穫もあるだろうが、失敗談は過去の話なのだ。

といって、山手線沿線の名店から出禁を食らう羽目になるまで羽目を外して飲んで取材に替えれば済むというのは、もう若くないから率先してやりたいとはあまり思わない。

宜敷君の書く食べ歩記は、一食一飯から読んでいた。

よくもまあ、あれだけ食べられるなと思いながら、お酒に関してなら同じくらい飲めるから、もしかすると彼が僕の文章を読んだら同じように呆れているのかもしれない。

彼の文章はからりと乾いた笑い声がよく響くような感じがする。

一食一飯流に言えば、からりと揚げられた唐揚げが、からからいう風な笑い声か。

比較すると、お酒にまつわる感情はそう一面的に書くことはできない。

私は笑い上戸であり怒り上戸であり泣き上戸だからだ。

そこで、酒客笑売を書くにあたって心がけていることがある。

職業柄、コンプライアンスに関して考えることが多い(ライター業では食べていない)。

お客の立場なら、私がステージ上でどのように振る舞えば喜ぶか、演じた結果が的外れだったということが多々あった。

私のようなキ〇ガイが担当者ならば、笑いの絶えない業務になりそうなものなのだが。

同僚からはよく

「変な人だけど、悪い人じゃない」とか

「クセがありすぎて好き嫌いきっぱり分かれる豚骨ラーメン」とか。

私に直接言われるのではなく、他人にこうやって紹介されるのである。

これではまるで、役者さんが思う演技と、観客が期待する演技との相克に引き裂かれているかのようだ。

だからこう思う様にしている。

キ〇ガイを演じたい私と、キ〇ガイは要らないと期待する顧客との相克によって、コンプライアンスなどというワケのわからない観念自体が引き裂かれるべきだと。

私の意図が伝わらない、私が意図していない読者の方々に向けて分かりやすく言い直すならば。

(意図的に他者を傷付けるようなものでもない限り、)コンプライアンスなんぞ糞食らえなのだ。

酒客笑売はその一点だけで原稿を依頼されたと思っている。

ついでに、あなた方にも分かるような言葉で和訳をしておくならば、それは遵守といったところだ。

そして、私の流儀で訳すならば、それは殉死といったところだ。

そう思ってみれば、糞食らえと言いたくなる心情も察せられるのではあるまいか。

では、そんな私から、つい最近あった一食一飯的酒客笑売を、八月号休刊のお詫びに代えてお届けする(よう編集部から依頼されたので書く)。



先日アップロードされた餃子の話の冒頭で、宜敷君はガリの使い所が分からないと書いていた。

あれ、実は私も同感だ。

とりあえず(という口ぶりに反発するような料簡の狭い連中を無視して)生を注文すると、先方でもとりあえずガリをつけてくる。

あぁ、これは韓国料理屋で出されるナムルとかキムチとかカクテキみたいなもんかと思いながら、ガリガリやる。

で、ビールをグッと飲む。

何かちがう。

これなら韓国料理屋へ行けばよかったと半分後悔しながら、しかし肝心のお寿司を注文して気を取り直そうと試みる。

ちなみに、韓国料理屋では冷麺の使いどころが分からない。

何なら、お蕎麦屋さんで美味しいお蕎麦というものを食べたことがない。

私の感覚は、お酒に特化し過ぎているのかもしれない。

西船橋駅構内に立ち食い寿司店があり、仕事上がりに一杯引っ掛ける。

この頃、平日の夕方はハッピーアワーでビールが安くなるのでよく行く。

とりあえず(とは板前に言わず心でぼやきながら)生と、いつものセットを注文して待つ。

他所のお客の注文の狭間を縫って、おっかなびっくり注文せずに十貫出るので気が楽なのだ。

その割に、出てくる順番がデタラメで、決まっているのは仕舞いに穴子と玉子を出すことである(穴と玉で竿はない)。

これらを食べてから、お好みを少しばかり注文していくのが、板前にとって都合が良いのだろう。

しかし、書いていてむかむかしてきた。

というのも、そこの立ち食い寿司での注文の話がしたいからなのだが。

和装のいなせな姐さんが飛び込んでくるなり

「ただいま」と言った。

続けざまに、生とも。

小柄な彼女は提供されるまでになんやかやと無駄口をたたきながら待っている。

その様子を横目に一人で静かにしていた。

「今日、トロぶつある?」

ああ、トロぶつは美味いのに安上がりだから、この店のことをよく分かっているらしい。

姐さんは乗り換えの時間つぶしと冷やかしを兼ねてか、ビールと寿司二、三貫で出ていった。

会話の内容から分かったのだが、乗り換えの時間調整のためによく来ているらしい。

その姐さんと先日二度目の邂逅をした。

腹が立ったのはその時の状況だ。

店内のカウンター半分に偏って、お客がびっしり並ばされた夕刻である。

おいおい、まだ少し早い時間なのに参ったな。

セットを差し込んじまう方が迷惑そうな混雑具合だぞこれは。

生を注文する。

これは板前じゃない店員が用意して出す。

一口で半分くらい飲む、美味い。

夏場は寿司も天婦羅もビールが美味い。

誰だ、さっき韓国料理屋なんて言ったのは。

しかし、である。

私がビールを飲んでいる間にも、お客はめいめい注文する。

板前は

「へぃ」

とか暗い返事だ。

たまに

「順番で伺います」

などと抜かす。

傍から見ていて、こいつはどういう料簡か思う。

何だ、順番とは。

隣の客がこれじゃあ、こうしてビールを飲んでる私の順番はいつ来るのだ。

「注文するな」とでも言いたげではないか。

この店に限ったことでは無いが、こういう状況は廻っていない寿司店でよく見られる。

カウンターにいる全員の手元から寿司の有無を確認し、あまり立て続けになりすぎない程度に、かつ板前の手が空いているのを見計らって、刺すように注文しなければならない状況。

タランティーノ風に言い換えるならば、寿司屋のメキシカンスタンドオフである。

京成船橋駅前の回転寿司屋さんでは、板前がベテランなのと、常時複数名体勢の分業制であるため不都合を感じないのだが。

西船橋駅構内の場合は、お客がそんなに来ないだろうと高を括られている時間帯は板前が一人なのだ。

二人が立っていたとしても満席の場合は同じく不都合があるにはあるが、そんな夕刻に混雑が起きていた。

板前がピリピリしている以上に、カウンターにずらずら並ばされたお客の方が気を張っているのが笑える。

他のお客が私自身を見る鏡にならないように、自分自身の表情に気をつけつつ、彼らを横目で流し見る。

独り言が多いのと、莫迦丁寧過ぎて滑稽なのと、たまたまやって来た姐さんと、板前が休む暇を与えないよう不遜な注文をしようとしているこの私と他二人。

姐さん以外はみんな狂気に満ちているかのような目付きではないか。

今日は洋装の姐さんだけが、ただ一人板前に軽口を聞いている。

こういう時、気を遣わない奴はいいよ、周りを気にせず自分の好きなものを勝手に注文できるから。

私のような気遣いではなく、気違いはというと、やり切れなくて泣きそうになる。

あんまり泣きそうだからこう考えた。

日本の寿司屋のカウンターに客と板前との隔たりがあるおかげで、我々のように刃物を持たないキ〇ガイは刃傷沙汰に及ばないで済むのだと。

いらつきが嵩じて、適当なところで結局セットを刺した。

のだが、似たような逆の経験をその直後にした。

引退間際の体育教諭は、私の父ほどの年の差なのだが様々に便宜をはかってくれることがあり、年に一度は二人で日帰りの登山に出掛ける。

隔年で群馬県水上温泉に泊まり、翌日谷川岳を登る。

泊まりの夜は酒盛りである。

酒客笑売的破天荒はその場で演じることはないが、飲んでいる時はジジーコゾーの仲だ。

その日は落雷注意報が出ており、切符売り場で早めの下山を勧められた。

なるほど、ロープウェイは霧へ霧へと向かって進んでいく。

天神平スキー場から始まる登山道は五十メートル先も見えないような状況で、先へ行く二人連れはさながら死の世界へ迷い込みに行くかのような不吉さを感じさせた。

我々は雲の世界にいるのだ、などと楽観的な心持ちにはなれない。

晴れの日には見晴らしのいい、木々の緑と、空の青さに囲まれた山なのではあるが。

私の登山は、黙々と進むスタイルである。

右足を出したら、次は左足を出す。

その繰り返しで山頂へ行き着くという、当たり前のやり方だ。

ふうふう言いながら、汗をどんどん落とし、それでも極力早足で登っていく。

谷川岳はほとんどずっと登りで、稜線をずっと渡っていくような快感とは無縁のようだ。

それに加えて、岩場鎖場難所が重なる。

二年ぶりの登山で、この日は軍手を忘れたのが失敗だった。

登山客はまばらというよりは盛況で、行く先々で道の譲り合いが起きている。

寿司屋の状況はそこで再現されることとなった。

と言うのも、物言わぬ私の寡黙な両脚は人をぐんぐん追い抜くからなのだが。

適当な広さのある道では脇から通過したり、曲がり角の外周に差し掛かって休憩をとる方々の横を失礼したりを繰り返す。

そういったことを反復していて驚いたのだが、追い抜いたと思った途端に私の後ろからピタリ迫って歩く登山者が何名もいたのだ。

おいおい、

「順番で伺いますよ」

煽り登山やめてもらえませんかね。

そういった手合いに限って挨拶ができないのが苛立ちに拍車をかける。

以前、卍君が書いていたトリアーデにはこうあった。

対立を行き来せよ、と。

地元駅中の立ち食い寿司と、田舎の温泉宿そばにある登山道とが接続されるなんて、いったい誰が考えるだろうか。

それにしても、彼が書いている船橋ノワールの続編はまだだろうか。

森林限界に到達し、忌々しい霧から抜け出したらしい。

ここは雲より高い世界、天神平から一時間半ほどの距離である。

徒歩ではなく登山となると消耗が激しいが、ここからもうしばらく上へ。

山頂の少し手前に山小屋があり、そこの売店で缶ビールを買った。

思えば今までは、山に登って山頂で食事して戻ると言う、健全極まりない体験ばかりだったのだが。

乾杯。

沁みるような美味さが癖になりそうである。

隣のベンチでカップヌードルを啜っていたお客も、感激の言葉をもらしていた。

抜けて来た雲は群馬県側、新潟県側は快晴だ。

雲の壁は、県境となる稜線沿いに立っていた。

【七月号】酒客笑売 #004【キ刊TechnoBreakマガジン】

根が真面目なので二十歳を過ぎるまで習慣的に飲酒したことはなかった。

二十歳を過ぎてから友人と集まっての酒盛りの楽しいことに気づいた。

今では、一人ででもいいから毎晩飲んでいなければやっていられぬ。

楽しくはなくとも、そこに何かがあるのではないか、そんな酔な気がしている。

毎晩飲むのはアルコール中毒だという意見は、我が国の風土には合うまい。

酒道を駆け出した頃は、ペースもゴールも分からずに、ただただやみくもでひたすらな短距離走者のようなフォームで飲んでいた。

斃れるまで飲むということはなかったのだが、起き上がることはできなかった。

大地との一体化、土は土に、重力に逆らえない水だまりのように飲んだ。

ごろんと転がった私は、もう私なのか、それともさっきまで飲んでいた酒がそこにこぼれている状態なのか、外見からでしか判別がつかないというような概念と化していた。

こぼれた酒のようになった姿は、それはそれはおぞましいらしいのではあるが、いつものごとく記憶はない。

一時的な失踪者となった私を、私自身が捜索する。

たいていは、当日酒席を伴にした人物へ聞き取り調査をすることになるのだが。

狂人のようにのたうっている私を迎えに車を出してくれた、まだ決定的に知り合う以前のSは、本気で叱ってくれたというか本当に距離を置こうと考えていたようだった。

つらつら書いたが、私は他人に迷惑をかける飲み方から、しばらく離れることができなかったということだ。

お酒が好きだがあまり強くない、そんな私のことをお酒の方では願い下げだったのかもしれない。

お酒から嫌われる様な飲み方をするな、と若い頃の私を諭した職場の長老に、お酒はそこまで狭量じゃないと内心で毒づいていた。

お酒の在り方を我々が決めることはできないのだ。

納まる酒器の形に合わせて、お酒もまた自在に姿を変えるのだから。

我々は、ただ我々自身の理念を曲げなければそれでいい。

コンビニで売り出され始めた第三のビールが安くて美味く、心身ともに命の水が沁み渡った頃だった。

とはいえ、いくら安かろうとも懐具合は一向よくならず、満足のいくまで飲酒に耽るというのも難問だった。

十分な睡眠を確保しなければ、学業や仕事に支障をきたすことを知っていたから、眠るためにまずしっかりと飲む必要もあった。

満足するまで飲めないが、しっかり飲まねば眠られない。

値頃感のあるラム酒を部屋に置き、呷ることで解決をはかった。

ある土曜の夜、学友となけなしの金で居酒屋で飲み、地元のコンビニに良い気になって這入って行った。

家でまだ飲もうという魂胆である。

もう資金は尽きかけているので、一番の安酒を買った。

当時は、飲めばイカレるまで飲んだものだったから、よせば良いのに飲酒の追い討ちをかけたかったのであろう。

日曜の昼に気付けばミイラのようになって仰向けになっている。

口の中がひび割れるほどカラカラに渇いていて、動くことさえままならないほどだ。

後になって、机の下に転がったウィスキーの空き瓶で、昨夜のただならぬ様相をうかがわせる。

つけっぱなしのラジオから愛川欽也の放送が流れているのがなんとも無常だった。

こういう時は、何を飲んでもいくら飲んでも喉の渇きが癒されることがない。

おまけに猛烈な空腹感が、食べても食べてもおさまらない、いくらでも食べられる気がする。

それを世間様は胸やけと呼ぶのだということを、十年以上経ってから知った。

そう、あの頃から十年以上経っているのだ。

どうして私は飲まずにいられなかったんだろう。

学業のためか、仕事のためか。

いやいや、そうではない。

学業も仕事も、十分な睡眠がなければ成り立たないと直観的に知っていたためだ。

それは学生時代の孤独感と、社会人になってからの焦燥感が原因だった。

そして、酒飲みであることを知られれば知られるほど、飲酒の機会がついて回った。

お酒の方から嫌われるのを通り越して、嫌がらせでも受けているかのようである。

それでも私は、誰かとお酒を飲むのが好きだから、悪い気はしないでいる。

最後に、私が死ぬまで飲酒をやめないだろうと予期させる笑い話で〆る。

学部四年前期の打ち上げが、某所で盛大に開かれるのが、うちの学科の特徴である。

教授や助手たちが数名つき添い、泊まりで開催される。

学部にたった一人しか友人のいなかった私は、もう早々に酔っていなければ周囲に合わせられない。

売店で買った美味そうな赤ワインを引っ提げて、カニか何かを食べながら、ぐいぐいやっていた。

実を言うと、何を食べたのか思い出せないのだが、それこそしたたか酔った証拠である。

翌朝、大部屋の雑魚寝から目覚めてみると、寝違えたのか左腕が痺れている。

水が飲みたいのだが、とりあえず何事か見てみると、左腕が沸騰中の鍋の如くボコボコになっていた。

宴会場を出る際にフラフラと転倒し、カセットコンロで熱々のまま準備された〆の味噌汁に左腕を突っ込んだのだと言われた。

以来、その打ち上げに〆は無い。




#004 小林秀雄のエピゴーネン、ふたたび 了

【六月号】酒客笑売 #003【キ刊TechnoBreakマガジン】

高校進学後から制度化された門限が、次第々々に延びて行き、いよいよ撤廃されたのが二十五の頃だったろうか。

文句があるなら家を出れば良いわけだが、生来の無計画が動脈瘤のように人生の行き先に詰まっており、おかげで私は成人を過ぎた子供のままでいる。

恥ずかしくはないのだが、恥ずかしむべき次第である。

仕事は向こうから来る、男は三十過ぎてから、この二つを心の中に無闇矢鱈と高く掲げて居たために、二十五の頃も非正規雇用に甘んじていた。

親からすれば、その時の私に一度見切りをつけた格好だろうか。

帰らぬ子を心配するのではなく、帰らぬ子は親の手を離れたと認識することが肝要である。

帰る選択をするより、帰らない選択の方が楽なのだから。

帰っていた頃もあった。

制度がまだまだ厳しい、学生の時分である。

酒を止めろとか、家を出て行けと言われては生きて行かれぬ。

私個人の権利を守るためには、酩酊しても泥酔しても、家に帰ると言う義務の履行は必須のように当時は思えていたのだった。

必ず帰る。

終電過ぎまで飲んで、東西線が東陽町止まりしかなかった時でも。

必ず帰る。

東西線を西船橋で起きることなく、折り返し逆方面の中野で起きたとしても。

必ず帰る。

いや、中野止まりならまだしも、運悪く三鷹まで行ってしまったときには帰れなかった。

駅から最寄りの古びたビジネスホテルのフロントに、ここのホテルと共に歴史を歩んできたかの様な古びた、それでいて気品のある老紳士が居たのが印象的だった。

必ず帰る、たまに帰れなくなる。

そんなこんなで、次第々々に門限は延びて行ったわけである。

千葉県船橋市に住んでいるから、東西線の終点である西船橋を中心に行動することになる。

そんな私でも、ここはどこだ?という経験が何度かある。

今日はそれをつらつら書く。

酒客ならば誰しも経験のある、珍談とも妙談ともつかぬ漫談である。

最初の衝撃は大船駅だった。

ということは京浜東北線だろう(酔っているので定かではない)。

私は西船橋から飯田橋を経由して荒川橋へ勤めに出ている。

端にあるから橋なのではないが、端から端へと移動する。

王子、十条、赤羽の呑助ゴールデントライアングルで気炎を上げる。

すると、赤羽から王子までのわずか二駅の帰りに深い眠りに就くことがある。

そのまま大船にたどり着くまで気付かない。

鎌倉市、小林秀雄の拠点ではないかと感慨深くなるはずもない。

前後不覚であることに変わりはないし、不慣れな駅はそれなりの規模があり、終電過ぎの時間に辺りは真っ暗で判然としない。

夏場なら路地裏のコインパーキングの端で仰向けになって、空が白む頃まで眠る。

幸いにも冬の大船へ終電で着いたことはなかった。

この頃は修行の成果が大分身についたらしく、大船まで足を伸ばしてしまうこともなくなった。

万一そうなったとしても、今ならば何処かへ転がり込むだけの元手はあるだろう。

駆け出しの頃は放埒生活がゆえに手元不如意がいつものことであった。

運悪く真冬にこうなったのが、東西線から東葉高速鉄道線へ抜けた東端、東葉勝田台で目覚めた時だ。

何紙か買った新聞紙に包まってアーケードの下で横になったのだが、あまりの寒さに耐えきれず、三十分おきにコンビニのカップ麺で暖を取るなどしていた挙句、たまらずなけなしの有り金をはたいて目の前のカラオケに逃げた。

たまに駅前に乗合の白タクがあるが、それでも安いとは言えない。

通常のタクシーなど言わずもがなである。

池袋からタクシーに乗った時と変わりない様に思えるのだが、酒客の記憶違いだろうか。

一方で、南北線から埼玉スタジアム線へ抜けた北端、川口元郷は駅前が全面公園のような歩道である。

辺りが真っ暗なのを良いことにごろ寝したが、朝日に照らされた私は通勤客たちの見せ物になった挙句、近所の無宿人から声をかけられた。

同僚たちがよく知っている土地柄なので、あぁあそこで寝たんですかと随分驚かれる。

知らぬが仏だが、死人に口なしにはなりたくない。

先日、大船に行かなかった代わりに、何故かはじめて蒲田で気付いた。

「久しぶりに地獄の様な飲み会がしてえ!」

と会長の一声で後輩三人と連れ立った帰りだ。

地獄の様な飲み会というのは、私自身が遺伝子レベルで記憶を消してしまいたくなるような醜態を晒すためか、私自身に記憶はない。

代わりに周囲の後輩たちが記憶していて、後日職場の記録に残る。

で、私の隣駅に住んでいる後輩と二人仲良く蒲田に落着し、アパホテルの厄介になった。

朝起きてシャワーを浴びて出るだけ。

アパホテルでなければならない理由はないのだが、酩酊泥酔状態の酒客に経世済民の判別などつくはずもない。

そうそう、この日も万一が(確率的には百に一程度の頻度とはいえ)起こったのだが、いつものことながら手元不如意である。

インターネットカフェで済ませれば良いものを、後輩に借してもらって泊まった。

翌昼前に起き抜け、近くにたまたまあった燕三条系ラーメンに這入って迎え酒。

おつまみが豊富で上機嫌である。

よほど飲み過ぎたのか、後輩はげんなりしている。

出されたラーメンの異様な威容に圧倒され、彼は悶絶していた。

そのお店は亀戸でよく行っていたので、私は懐かしく美味しく頂いた。

帰りに電車の中でベラベラ喋った挙句

「元気すぎ」

と言い放たれたのは忘れもしない。

興じて

「次から一駅分、ここ(電車の中)で俺が土下座し続けられたらもう一件付き合ってよ」

と言い返したのだが、彼にはまだ理性が残っていたらしく、我が野生の土下座は実現しなかった。

さて、今回も字数が近づいてきた。

またいつか、高島平で会いましょう。

と言いたいところだが、肝心の高島平に関する知見を示し、同じ悲劇が繰り返さない様にしておく義務があるように思える。

南北線で飯田橋を寝過ごし、目黒だか白金高輪だかから折り返す際に、おそらく赤羽岩淵行きではなく都営三田線の西高島平行きになってしまうらしい。

三鷹と東葉勝田台を行ったり来たりするだけの単純な東西線(および総武線、東葉高速鉄道線)に慣れた身には思いがけない陥穽、いや関頭である。

板橋区だか練馬区だかの奥地には四年に一度程度のありがたくないオリンピックみたいな頻度で流れ着く。

掃き捨てられるとも、吐き捨てられるとも言って良いだろう。

周囲には何もない、大通りをずっと遡って、二駅先へ行かねばならない。

西高島平、高島平、西台。

ここへ来てやっと駅前らしい施設が現れる。

二、三十分歩いた末、そこのインターネットカフェに泊まるのだが、そのときの安堵と言ったらない。

都営三田線での失敗は、疲れることはあっても絶望することはないのだ。

野宿する時は、2Lのお茶のペットボトル、親指で持つ部分に窪みがあるのをコンビニで買うのをおすすめする。

水分補給は無論だが、枕にちょうど良い。

#003 手元不如意の金色不如帰 了

【五月号】酒客笑売 #002【キ刊TechnoBreakマガジン】

「酒の席での迷惑は掛けたもの勝ち」

小林秀雄にお酒の飲み方を教わって以来、私の意匠は変わっていないらしい。

経験主義者の我々としては、迷惑の掛らない飲み方は無作法であるとすら感じられる。

すると、私の方はお酒が好きだが、お酒の方から嫌われている。

なんていう厄介な勘違いを持ち出して、また人様に迷惑を掛ける。

これは甚だ無益な次第であり、無作法は私の側にあること明白だし、心得た飲助から叱責か説諭かどちらかを頂戴することになる。

だが、彼らが一体何を心得ているというのか、覚束ない気もする。

家庭か、持病か、懐具合か。

まあそんな心得に過ぎまい。

生老病死の経験主義者たちに、いわゆる経験病の末期症状を垣間見ること通じて、何らかの尊敬や羨望の念がゆくゆくは生まれることを期待していたい。

さりとて、今この一杯の幸福感が、二十年後の幸福に関りがあれば上々なのだが。

さて、小林秀雄に「失敗」という短文がある。

そこに倣って、私と全く関わりない誰かとの一座建立を書こうと思う。

見ず知らずの人とお酒の席で会話が始まるというのは、先方によほどの余裕がある時か、双方が十分に酔っている時くらいだ。

前者では面白く無いので、後者を思い出す。

私は自分のペースで飲むということが出来ない成人した子供である。

初めのうちは見栄でグイグイ飲む。

酔いが回ってきてからは、お酒に呑まれてまたグイグイ飲む。

だいたい、今夜飲もうかと思い立つ動機といえば、飲まねばという半分は強制的で半分は強迫的な観念からだ。

これから脱しきれないうちは子供だと思う、達人の域には到底立てぬ。

酒体的ではなく客体的、言い方を変えれば他人事で飲んでいる。

そして、その場に安住しているのだから始末に負えない。

その日は九時過ぎに合流ということで、八時ぐらいから亀戸で飲んでいた。

テーブルが立ち並んだ広々としたホールにお客はまばらだった。

大衆居酒屋とダイニングの悪い所を併せたようなお店だ。

自分の引きの悪さとこれから来る友人の間の悪さ。

腹の虫を鎮めるように飲んでいた。

あまりビールを飲みすぎても、後に飲めなくなってしまう。

矮小な馬刺しをつまみながら、黙々と日本酒を続けた。

時間通りにKが来る、予定通り私は酒に狂う。

Kというのは彼死のKであり、幸福のKであり、また、仮名のKである。

予定通りとはいえ、七合飲んでいたとしても、別段普段と見分けが付かないそうなので、四合未満に飲んでいた私は楽しくおしゃべりを始めた。

Kの乾杯に合わせて私もビールからやり直す。

「韓国人が食べるクサい飯のことです」

「何ですか?」

「監獄料理」

「南仏料理にニンニクは厳禁です」

「その心は?」

「南無阿弥陀仏と言うためです」

「あんま巧くないぞ」

「イライラしてるから、イラマしてくれよ」

とまぁ、そんな下らない、いつものオゲレツ大百科で酒場をゲスのどん底に陥れていると、だいぶ酔いが回ってきた。

当然だ。

何食わぬ顔で二周目攻略スタートしたからである。

気が大きくなって気前良く注文した貧相な馬刺しの二皿目をKに勧めて、じゃあそろそろもっと良い店へ腰を落ち着けようという運びになった。

根が張るばかりで満足度の低い肴にイライラしてきていたのは事実だった。

「イラマしてくれよ」

「うるせえよ!イラマはするもんであって頼むもんじゃねえ!」

異常な放言に対し、真っ当らしい狂気の主張をしたKと店を出た。

今はもう閉業してしまったが、国道十四号線の裏路地にふくわうちという料理屋があって、景気の良い夜は都度利用していた。

本場物とまではいかないが、信頼のおける馬刺しを出してくれるお店だった。

当時すでにご禁制だったレバ刺しも、馬のものならば提供可能だったようで、高価だったがありがたがって食べていた。

酩酊寸前、いや、一線を踏み越えた私がそのお店へ這入った。

三席程度のテーブル席は全て埋まっていたが、五人掛けのカウンターは誰も居らず通された。

適当に瓶ビールと言わず、馬刺しに合わせる日本酒を注文。

徳利二つ、盃二つ、男二人、ご機嫌である。

人にこれを飲もうと言っているときは気が大きくなっている証拠だ。

どうやら、真後ろのテーブルに着いている女性四人の気配を感じ取って、粋がっているらしい。

当時まだまだ赤貧だったKはイマイチ懐具合が落ち着かなさそうだ。

「これ美味そうだ、食おう、出すから」

「いやぁ、悪ぃな」

「イラマしてくれよ」

カクン!

ありえない角度で私の背中が仰け反ったと後日談。

私は不覚にもカウンター席に腰掛けながら居眠りを漕いてしまいそうになったらしい。

確かに会話をしているようなのだが、突然眠りに落ちるらしい。

入眠の衝撃ですぐに目が覚めるので、眠気が払拭されると言うこともない。

グリン!

身体を捩りながら仰け反ったので、今度は動作が大きかった。

いよいよこの異常事態に見ず知らずの女性四人は騒然となる。

その様子を鋭敏に察したKは振り向いて

「失敬」

とだけ言ってカウンターに向き直る。

この一言で、尋常ならざるサーカスの幕が上がった。

観客の女性たちは無念無想ピエロに声をかける。

「何してるんですか〜?」

「私は会長です」

何してる違い、私を除く一同爆笑。

グリン!

「失敬」

「もぉ、会長大丈夫ですか〜?」

「もう大丈夫です」

カクン!

「失敬」

女性たち爆笑。

延々とこれを繰り返して夜は更けたらしい。

サーカスの主人はピエロを出汁にして、女性たちと大いに盛り上がったという。

私が無事家に帰り着けたわけがない。

帰れない話は次回にでも書く。

我が酒客笑売の殆どが、私が伝聞した後日談である。

#002 小林秀雄のエピゴーネン 了

【四月号】酒客笑売 #001【キ刊TechnoBreakマガジン】

私のお酒は四合が分水嶺だ。

ここで掌が赤く熱を帯びてくる。

七合で前後不覚、一升飲んだという記憶も記録も無い。

こう言うと、大抵の人からはお酒が強い人だと見做されるのだが、そんなことは下戸の言うことで、私は酒豪でも酒聖でもない。

せいぜい酒客が関の山である。

だが、酒好きの飲助であることには変わりない。

人並みに、お酒にまつわる喜怒哀楽を享受している。

これまでの経験から、好きだが飲まないとか、飲み放題でセーブしながら飲むという様な人たちは、どうやらかつてお酒で大きな失敗をした反省があるらしい。

後悔しても反省しないが第一原理の私である。

大きな失敗を繰り返して来たし、またそんな失敗の記憶を忘失して来た。

繰り返す宿酔の不快感と高揚感が、眼の前に拡がる実生活という小さな世界を駆動させる。

この頃、愉快な事には事欠かないが、不愉快なことが殖えて来た。

だから、毎晩の深酒で朦朧とした脳髄から、不愉快の観念を打ち払うために書く。

読者は、他人の愉快は自分の不愉快という真理に照らして読むことに留意されたし。

さて、職場では「会長」の尊称で呼ばれているが、そこに至るまでの損傷は数えきれない。

勤め始めて二年目くらいか、部署で慰労会が設けられた。

池袋の百貨店屋上で開催されたビアガーデンである。

ジンギスカン染みたバーベキューのようなものでも食べながら飲んだ。

無論飲み放題、注ぎ放題だ。

ビアサーバーなぞ、飲む側の人間がおいそれと操作出来るようなものでも無いので、そこから注ぎ放題というのは気持ちが浮かれるものである。

私の気持ちが浮かれているのは、まだ良い。

毎晩飲むと言ってもその頃は、麦とホップのロング缶二本程度だ。

仕事なら向こうから来ると高を括っていたから非正規雇用に甘んじており、毎晩飲み歩くなんて必要性を発明するだけの懐事情ではなかった。

当時は過度の減量に励んでいたから、四十分のランニング後に飲む発泡酒はたまらない。

過度というのは、今と違って食事制限もしていたためで、肴は決まって豆腐である。

その状況下で、食べ放題、飲み放題、慰労会。

私の気持ちが浮かれないわけがない。

部署の中から八名の飲み会だった。

四、五歳離れた先輩二人、私の同期が一人、十五上の課長二人、大御所格が男女二人。

この中でもとりわけ、先輩の一人は私を会長と呼び始めた張本人だし、課長の一人は後に同じプロジェクトで反目する羽目になるので、別の機会に書くことにもなろう。

宴も闌の頃になって、前に座った先輩が二人ひそひそやっている。

私はまだ、右も左も判らぬひよっこ、二人は気鋭の有望株だ。

すると、副島先輩が席を立ち、しばらくしてから戻って来た。

「禍原(まがはら)さん、飲み過ぎたんじゃない」

「これはどうも」

先輩から受け取ったジョッキにはウーロン茶が入っていたのでグッと飲んだ。

一口で判った。

これはウィスキーだ。

注ぎ放題だとこれがある。

試されるのが嫌いで、挑発には乗るタイプの私だ。

すぐにその中味をウーロン茶でも飲み干すように一気に空けようとして止められた。

副島先輩は、悪戯好きだが優しい方で、職場内で非常に慕われている。

全部飲み切る前に止めてくれたから、私も慕っている。

この一件があったから、彼は私を「会長」と呼ぶようになった。

広域指定暴飲暴食団 禍原会 会長 禍原屰一

以来十年弱、これが私の肩書だ。

さて、愉快な話の裏には不愉快な話がある。

その日の帰り、当然私は酩酊した。

学生時代から帰巣本能だけは破綻したことが無かったため、タクシーに乗せられ家まで送り届けられた。

池袋から船橋までの料金は、当時赤貧の暮しだった私には大きな痛手である。

だが、それはまだ良い。

金曜夜の宴の翌日は、職場で外部のイベントに駆り出されていた。

集合時間に大きく遅刻し、出番には辛うじて間に合った。

イベントも終えて、慌ただしく搬出を行っていると、階段の踊り場で例の課長に呼び止められた。

この男を仮に、残念な方の福沢とでも呼ぶ事にする。

福沢は先ず、至近距離で右手を差し出した。

その仕草を「私から貴方へ、伝えることがある」という意味に捉えられなかった私は、失礼に当たらぬようすぐさましっかりと握手した。

固い握手のまましばらく小言が続いたのだが、昨夜の酒がまだたっぷりと残っていたからまともに聞ける筈もない。

代わりに、どこまでがおでこでどこからが頭か判然としない、眼の前にあるぴかぴかに禿げ上がった頭部に、呆けたような冷笑を備えた自分の顔を写し見するようであった。

私は笑えない酒が嫌いだ。

#001 会長、禍原一屰の無謀 了