【七月号】酒客笑売 #004【キ刊TechnoBreakマガジン】

根が真面目なので二十歳を過ぎるまで習慣的に飲酒したことはなかった。

二十歳を過ぎてから友人と集まっての酒盛りの楽しいことに気づいた。

今では、一人ででもいいから毎晩飲んでいなければやっていられぬ。

楽しくはなくとも、そこに何かがあるのではないか、そんな酔な気がしている。

毎晩飲むのはアルコール中毒だという意見は、我が国の風土には合うまい。

酒道を駆け出した頃は、ペースもゴールも分からずに、ただただやみくもでひたすらな短距離走者のようなフォームで飲んでいた。

斃れるまで飲むということはなかったのだが、起き上がることはできなかった。

大地との一体化、土は土に、重力に逆らえない水だまりのように飲んだ。

ごろんと転がった私は、もう私なのか、それともさっきまで飲んでいた酒がそこにこぼれている状態なのか、外見からでしか判別がつかないというような概念と化していた。

こぼれた酒のようになった姿は、それはそれはおぞましいらしいのではあるが、いつものごとく記憶はない。

一時的な失踪者となった私を、私自身が捜索する。

たいていは、当日酒席を伴にした人物へ聞き取り調査をすることになるのだが。

狂人のようにのたうっている私を迎えに車を出してくれた、まだ決定的に知り合う以前のSは、本気で叱ってくれたというか本当に距離を置こうと考えていたようだった。

つらつら書いたが、私は他人に迷惑をかける飲み方から、しばらく離れることができなかったということだ。

お酒が好きだがあまり強くない、そんな私のことをお酒の方では願い下げだったのかもしれない。

お酒から嫌われる様な飲み方をするな、と若い頃の私を諭した職場の長老に、お酒はそこまで狭量じゃないと内心で毒づいていた。

お酒の在り方を我々が決めることはできないのだ。

納まる酒器の形に合わせて、お酒もまた自在に姿を変えるのだから。

我々は、ただ我々自身の理念を曲げなければそれでいい。

コンビニで売り出され始めた第三のビールが安くて美味く、心身ともに命の水が沁み渡った頃だった。

とはいえ、いくら安かろうとも懐具合は一向よくならず、満足のいくまで飲酒に耽るというのも難問だった。

十分な睡眠を確保しなければ、学業や仕事に支障をきたすことを知っていたから、眠るためにまずしっかりと飲む必要もあった。

満足するまで飲めないが、しっかり飲まねば眠られない。

値頃感のあるラム酒を部屋に置き、呷ることで解決をはかった。

ある土曜の夜、学友となけなしの金で居酒屋で飲み、地元のコンビニに良い気になって這入って行った。

家でまだ飲もうという魂胆である。

もう資金は尽きかけているので、一番の安酒を買った。

当時は、飲めばイカレるまで飲んだものだったから、よせば良いのに飲酒の追い討ちをかけたかったのであろう。

日曜の昼に気付けばミイラのようになって仰向けになっている。

口の中がひび割れるほどカラカラに渇いていて、動くことさえままならないほどだ。

後になって、机の下に転がったウィスキーの空き瓶で、昨夜のただならぬ様相をうかがわせる。

つけっぱなしのラジオから愛川欽也の放送が流れているのがなんとも無常だった。

こういう時は、何を飲んでもいくら飲んでも喉の渇きが癒されることがない。

おまけに猛烈な空腹感が、食べても食べてもおさまらない、いくらでも食べられる気がする。

それを世間様は胸やけと呼ぶのだということを、十年以上経ってから知った。

そう、あの頃から十年以上経っているのだ。

どうして私は飲まずにいられなかったんだろう。

学業のためか、仕事のためか。

いやいや、そうではない。

学業も仕事も、十分な睡眠がなければ成り立たないと直観的に知っていたためだ。

それは学生時代の孤独感と、社会人になってからの焦燥感が原因だった。

そして、酒飲みであることを知られれば知られるほど、飲酒の機会がついて回った。

お酒の方から嫌われるのを通り越して、嫌がらせでも受けているかのようである。

それでも私は、誰かとお酒を飲むのが好きだから、悪い気はしないでいる。

最後に、私が死ぬまで飲酒をやめないだろうと予期させる笑い話で〆る。

学部四年前期の打ち上げが、某所で盛大に開かれるのが、うちの学科の特徴である。

教授や助手たちが数名つき添い、泊まりで開催される。

学部にたった一人しか友人のいなかった私は、もう早々に酔っていなければ周囲に合わせられない。

売店で買った美味そうな赤ワインを引っ提げて、カニか何かを食べながら、ぐいぐいやっていた。

実を言うと、何を食べたのか思い出せないのだが、それこそしたたか酔った証拠である。

翌朝、大部屋の雑魚寝から目覚めてみると、寝違えたのか左腕が痺れている。

水が飲みたいのだが、とりあえず何事か見てみると、左腕が沸騰中の鍋の如くボコボコになっていた。

宴会場を出る際にフラフラと転倒し、カセットコンロで熱々のまま準備された〆の味噌汁に左腕を突っ込んだのだと言われた。

以来、その打ち上げに〆は無い。




#004 小林秀雄のエピゴーネン、ふたたび 了