【七月号】もう付属の餃子のタレを使わない(かもしれない) #004 麻布十番 登龍【キ刊TechnoBreakマガジン】

うれしはずかし、給料日。

昔好きだったアニメで、こんな言葉から始まる回があった。

五人少女の戦隊モノみたいなギャグ、再放送をよく観ていた。

給料日にお鮨屋へ繰り出し、ヘンテコな蛸の板前から酷い仕打ちを受ける回。

あがりというのは最後の番茶を指すもので、とりあえずの場合は出花と言うんだという指摘が妙に印象に残っている。

僕なんか、ガリと呼ばれている生姜の使い所が分からないから、あんな大将がいるようなお店に行ったら怒鳴られっぱなしなんじゃなかろうか。

しかし、お店の方達が使う符牒とか、そういった言葉を知ったかぶって、通気取りの発言が実は場を白けさせていたなんてシーンを想像すると空恐ろしくなる。

そういえば、小学生の頃の理科の授業で、お風呂なんかで見られる湯気のことを、湯気と断言して良いか慎重になって

「白いもやもや」

と言ったのを、クラスのみんなが笑ったことがあった。

「準ちゃん、それは水蒸気だよ」

すると理科に詳しい担任のN先生が、説明してくれた。

水蒸気というのは気体になった水で、それは目に見えない。

目に見えているのは細かい粒子状の液体に戻った水のことで、水蒸気とは別物であること。

湯気と言う代わりに、白いもやもやと呼んだ方がまだ誤りではないのだ、と。

僕の言葉に対する姿勢の原点は、あの授業にある。

話がそれたが、こんな僕にもうれしはずかし給料日がきた。

ただの給料日ではなく、年に二回のボーナスだ。

この日に行こうと決めていたお店がある。

普段の日常の延長で行くようなお店ではないと思えたから、待ちに待った日だといえる。

少々善良にすぎる船橋市民として面白みにかけるのだが、麻布十番という街、何処にあるのやら、詳しくないのだがやって来た。

なんと、乗り換えに門前仲町から大江戸線を使った。

もつ煮と餃子が取り持つ路線になりつつあるのが、なんだか可笑しい。

皇竜というお店は、伝説的なコメディアンの某氏も薦めたという美味しい餃子を出すそうだ。

それが驚くべきことに、というか恥ずかしながら、お給料を握りしめて船橋くんだりからこのお店へノコノコやって来たのは、そのお値段の高さも理由の一つである。

高くて美味いは当たり前のことだから、特にヨモツヘグリの教義は普段口にできない物として滅多にないお店で安い煮込みを頂いたりする。

そこを、今日はちょっと外してみようというわけだ。

で、洒落た船橋、といった印象の慣れない街並みを少しばかり歩き、お店の中へと這入った。

狭い、とまでは言わないが、コンパクトな店内だ。

二階席もあるらしく、そちらは別の落ち着いた印象があるようだ。

調度品は古ぼけていて、良い意味の伝統を感じさせる。

四人掛けテーブルが六つほどある一階の席に着く。

テーブルクロスが不自然なほど真っ白で、高級店の矜持を感じられる。

何せ、瓶ビールが一本千円もするのだから。

麹町にも皇竜さんはあるそうなのだが、焼き餃子を提供しているのはこちらだけだという。

厳選した素材だけを選りすぐって作られる品々が自慢のお店との触れ込みである。

それならば、瓶ビールに素材もへちまも無いだろうと思いつつ、注文する。

銘柄を訊かれた、アサヒかキリンかサッポロかモルツか。

そういう事じゃないんだけどなと思いつつ、喉が渇いているのでスーパードライにした。

小皿三つと併せて提供される。

胡桃に溶かした砂糖を薄く塗りつけたもの、刻んだザーサイ、赤黒いタレに浸された刻みネギ。

胡桃は歯触りと香りがよく、ビールを飲む手に拍車がかかる。

胡桃のお皿が空になるころに餃子が届けられた。

大ぶりの餃子が五つ、見事な焼き目を上にして胸を張る様に並んでいる。

これら一つひとつが、そこらの街中華の餃子一皿と同程度の値段なのだから驚きだ。

あらかじめ調合されたタレも別皿で添えられている。

何もつけずに半分かじりつく。

ビールで呆けた目蓋が見開かれた。

皮の中いっぱいに詰まった熱い肉汁が溢れ出そうになったためだ。

小籠包でもないのにこの瑞々しさは、正直凄い。

包み込んでいる厚ぼったく無い皮に非常な好感を持つ。

冷たいビールで口中と頭を冷やし、残り半分を食べる。

で、再度それをビールで流す。

はっきり言って最初の一つ目に感想は無い、無心でパクついたのだ。

それで、改めて二つ目の餃子を半分かじりつく。

解像度の高い餡、パラパラと口の中でほどけていく。

なるほど、舌触りに緩急強弱を演出する要素の一つは、この春雨か。

さらに加えて、下味がしっかり濃口でグイグイと迫ってくる。

まだ僕は付属のタレを使っていないのだから尚更面白い。

三つ目をタレにつけて頂く。

酸味が立つ印象だが、下味が強いのでさほどの変化を感じない印象。

しかし、どうやら練り辛子を使用したような酸味なので、僕はこちらが好きだ。

辣油の辛さも付加されて味わいに一層の深みが出る。

この日は幸い、皮が張り裂けて肉汁で火傷を負うような悲劇に見舞われることは無かった。

試みに、突き出しの小皿の一つに入っていたネギを乗せて、もう半分を頂く。

パンとはぜるような辛味、これは青唐辛子だったようだ。

ここの餃子、益々楽しませてくれるじゃないか。

このタイミングで、炒飯と麻婆豆腐を注文。

結局、残りの二つは青唐辛子を分けて乗せて、タレはつけたりつけなかったりして食べ終えた。

炒飯来来。

値が張ることもあり、一番平凡な素炒飯にしたが、平凡な見た目だ。

味も平凡で吃驚した。

以前、「麻婆演義」という麻婆豆腐の食べ歩記を行っていた頃から、次は「炒飯立志伝」でもやるかと思っていたのだが、ここの炒飯はもう無いな。

高級店で並のものを選んだ報いかもしれないが、値段不相応も甚だしい。

麻婆豆腐も然りであった。

麻婆演義においても、一言触れておく必要があるかと思われる。

それに、有名コメディアンは、このお店の餃子を推していたのだ。

最後に、ここのところ準レギュラーの担々麺。

こちらのお店では、麺類を一括して皇麺と呼んでいて、筆頭は炒韮皇麺(ニラソバ)だ。

で、我々が担々麺と呼んでいるものは、こちらでは四川皇麺となっている。

こちらは高い分、大満足の一杯だった。

ここ最近、滅多に出くわさない味わいである。

落花生も混じっているようなペーストが全体にたっぷりと掛けられていて、赤茶けた湖の中にふわふわの花崗岩で出来た雲が浮かんでいるかのようだ。

今は閉業してしまった担々麺専門店の味が若い日からの基準になってしまっているため、もう一度食べたいと思えるような担々麺は片手で十分足りてしまう。

ここのお店が三本目の指となった。

つゆを飲み干し、汗だくになりながら御会計。

一人で四、五人前の料金になったのだが、普段からそれくらい食べている。