朝っぱらに飲む酒よ。
宿酔の渇いた喉を潤すビールの香しさ。
ウィスキーをロックで飲み干し気炎を上げた昨晩の夢を忘れさせよ。
ひび割れた舌の隅々に染みわたれ酒よ。
一晩の享楽と引き換えにこの日一日を台無しにさせてくれ。
熱く熱く煮えたぎる胃の腑を冷たい泡めきで霧消するのは今。
それがもし叶わないならば二缶目の酒よ。
すぐにまた遠い遠い微睡の向こうに俺を突き放してくれ。
今は、そう思い出せる。
思い出が人を動物である事から救う。
『無常という事』の中でそんな風に言ったのは小林秀雄だった。
だが、朝っぱらから酒を飲まずにいられなかったあの日々は、地獄だったと思い出す事も出来るかもしれない。
仕事が無い日は、ただただ横になって身動きも取らずにじっとしていたかった。
打ちのめされていた私の事を、何よりも酒が救ってくれた、そんな気がする。
人と人との間に何があるか、この頃よく想う。
人がいるから人間だ、と言う認識は近世になってからのものらしい。
人と人との間に何があるか、と言う問いは、答える者を試すかのような問いだ。
金と答える人は拝金主義者には当たらないように感じられるし、言葉と答える人は天使か悪魔か定かならぬ空恐ろしさを感じてしまう。
酒と答える者もあるだろうが、彼は人に恵まれた楽しい飲み会を享受しているのだろうな。
私はこれには当たらない、酒を食らってひっくり返っていたのだから。
酒を飲む愉快の陰に悲哀あり。
そんな当時、オーストラリアに数日出張の機会があった。
民泊のようなホームステイも二、三日させて頂いたのだが、アフターヌーンティーの時間に到着するなり我々皆がビールを飲んだ。
下戸が居なかったもんだから、野暮な事を言い出すのも居なかった。
向こうの国民的ビールはVB、ヴィクトリア・ビターと言うやつだ。
南半球は夏だったがからっとしていて、自分の認識している以上にビールが美味く感じられた。
VBと言えばちょうどその頃、日本文学の黎明と題し、先達がどのように視点を変える工夫をしたか小公演を催した。
小林秀雄の
「当時の日本人は、自分の感情を表現するために、中国からの借り物(注:漢字)を用いざるを得ないことに深い悲しみを抱いていた。」
という主張から、アイデンティティの模索、漢字かな混じり文の発明(竹取物語など)を紹介し、以下の文章をスライドに表示した。
Top Japanese 比以留会社 朝日 久留不 保於留知无久 confronts a chilling business environment upon completing its acquisition of leading濠太剌利久留不 Carton & United
比以留会社 on Monday, as the 己呂奈疫病 crisis saps sales in an already shifting market.
漢字かな混じり文の発明は、まるでこのように英文の中に漢字を混ぜたような衝撃的な発明だったという事を伝えるためである。
訳)日本最大手のビール会社であるアサヒグループホールディングスは月曜日にオーストラリア最大手のカールトン&ユナイテッドブリュワリーズの買収を完了したが、事業環境の冷え込みに直面している。新型コロナウイルスの危機で、ただでさえ変化しつつある市場で売り上げが減ってきているからだ。
これは、まさに当時のニュースを私が訳したもので、VBは今アサヒが出しているということになる。
ちなみに、ドナルド・キーンは、仮名の出現が日本文化の確立を促した最大の事件だという趣旨の発言をしているらしい。
さて、ステイ二日目は持ち前の寝起きの良さで、一部屋にベッドが三つもある部屋から起き抜けた。
一体全体、こういう海外の朝食は腹にたまるものが出されるのだろうか。
結論としては、もう何を食べたのか分からない、おそらく提供される事になるシリアルを今は空腹では無いと辞退したのだろうが、記憶にない。
夕食にはカンガルーの肉付きBBQだったり、現地名物のミートパイだとかをご馳走していただけて大満足だったので、何も英国風の朝食までは求めたりはしていない。
兎も角、昨晩に歓待を預かったテラスへ行って席を確保し、自由に使う事を許された冷蔵庫からVBを取り出した。
アサヒを浴びながらビールを飲んで、爽快感に身を委ねよう。
すると、
「It`s too early to drink, too early!!」
響き渡るババァの甲高い声。
人差し指を立てて、小刻みに左右に振り動かして、
「It`s too early to drink, too early!!」
再度の発言。
年寄りの朝は早く、私と違って飲酒を必要としていない。
なるほど、これは酒飲みの英会話教科書にお手本として出てきそうな感じだ。
「酒を飲むには早すぎる」か。
私たちにとってそんな契約は無いに等しいのだが。
あの鬼気迫る口ぶりと、それを突き抜けた滑稽さを文面で伝えられる芸を身につけたいものである。
結局、テラスの屑籠がVBの空き缶で溢れ返ったのは夜だけだった。
蛇足だが、現地のホストファミリーのご厚意で、山の中腹にあるシードルの醸造所まで車で連れて行ってもらってから、甘味がほのかでドライなアレが好きになった。
南半球の乾いた初夏を思い出すのはシードルである。
四季を誇る日本の夏は、少し蒸し暑すぎる。