年明けに高田馬場か、と言うことで大学の同期を誘って新年会を兼ねた環状赴くままをした。
我々は、一年次の化学実験班の三人で、いつもつるんでいた。
当日はジマ氏の仕事が長引いたので、私とグチ氏の二人で歩き出した。
目白駅、前回に続いて下車するのも初めてである。
一月六日、二十時、乾杯。
迂回せず、駅真横にあったエレベーターから下りることとした。
このパターンは初だ。
線路沿いが早速、むき出しみたいになってお目見え。
路地裏感しか発していないのが笑える。
池袋に偏りすぎた、この駅自体が真空地帯のような、そんな気がする。
道が続く。
駒込ー巣鴨ー大塚ら辺で経験したような道が。
ふと思ったが、駅前と呼べるのは最初に乾杯した「改札前」くらいだ。
この線路沿いの写真から、ここが目白だと看破できる人は何人いるだろうか、専門学校の看板を写すことが無かったなら。
ある程度の消去法は効くだろう。
新宿、渋谷、秋葉原のような感じは直感的にしない。
が、先ほども言った通り、駒込とも巣鴨とも、あるいは鶯谷とも言えなくない。
何も、山手線沿線の東京でなければならないという理由も無いかもしれない。
街は其処にしか無いが、道は至る所にあるのだと言う事か。
彼岸である。
上は山手線が通り、向こうは内環。
グチ氏にぽつりぽつりと、この企画の趣旨を説明しながら歩く。
道連れはとぼとぼと着いてくる。
ここら辺は在学中に詳しかったのか、彼にしてみれば対した興味を引かないのかもしれない。
私自身、ただ歩いているだけと言う感覚以上の物は無い。
右へ迂回を試みる。
すぐ先の曲がり角を左折。
街の明かりはまだ無い。
都道8号、新目白通りに出た。
渡って、写真右手の小さな公園で煙草を吸った。
グチ氏も貰い煙草が好きな質で一緒に吸う。
不意に現れる公園の公衆トイレって、セーブポイントみたいだった。
再度、右へ向かって迂回を試みる。
大通りに出たのが、鉱脈でも掘り当てたかのような雰囲気の変化を感じる。
ここはまだ豊島区の範囲内のようだが、高田馬場エリアの前哨地と言って良さそうである。
大通りを左折したら踏切が。
西武新宿線のようだ。
祖母の家へ行くのによく乗っていた。
近所の京成線もこんな踏切である。
山手線一周ではあまりお目にかからない。
その先の、あれに見えるは。
神田川にかかる、清水川橋だ。
ここ、地図ではよく見る。
感慨深かった、ここがはっきりした境界だ。
街の雰囲気の切れ目が、中間にあるのではなく、街ギリギリに寄っていた。
向こうにある飲み屋街の明かりが眩しい。
高田馬場のさかえ通り。
ここの一番奥が新年会の会場。
スタートからちょうど三十分でゴール。
予約は十九時まで、それ以降は当日連絡して空きが出来次第取り置き。
この日は事前に連絡したものの、金曜ということもあり電話の対応も不得要領。
飛び込んでみたが満席で、空く気配も無い。
店員さんが近くの姉妹店、串鉄を紹介してくれた。
踵を返すと其処へジマ氏が通りがかったので三人で移動。
三年ぶりの再会になる。
幸いにも串鉄は座席に余裕があった。
一本百円しないくらいの美味しい焼き鳥を提供してくれる、学生の味方だ。
散歩好きのジマ氏から早速、今日の収穫を聞かれたものの、イマイチ良いところを伝えきれず、今までの企画であったことをかいつまんで話した。
物好きなShoが、週末で打ち上げ気分に浸りたいと言うこともあり、少し遅れて合流。
ジマ氏の北朝鮮渡朝の話、我々の欧州周遊の思い出、グチ氏が一部始終を見ていた私の左腕大火傷の話など、いつ集まっても同じ話をShoに聞かせ、あっと言う間に終電。
私は翌朝早くから大事な仕事があったのでお開きとなった。
年に一度と言わず、また会いたい。
編集後記
ディズニーリゾートラインをぐるぐると周回しながらこれを書いた。振り返ってみれば、一月号は高田馬場特集のようだが、どちらかと言えば人生回顧大特集の様相である。最近までのテーマ真善美、学生時代、ヨモツヘグリではいよいよエージェントyの過去と船橋ノワールとの接点が明かされた。再来月でキ刊TechnoBreakマガジンは仕舞いになる。四月からのことを思えば茫洋とする。素面では詩の一片も書けずに茫洋とした。