【十二月号】ヨモツヘグリ #010 中山競馬場 梅屋【キ刊TechnoBreakマガジン】

除夜の鐘を聞くまでは鬼が笑う。

そう思っている慎重派もあるだろう。

だから長寿を願って蕎麦を食うのかもしれない。

どうせなら海老川で獲れた海老天を載せたい。

食べられないものを食べるのがヨモツヘグリだが、叶わないから別のにする。

それに、年の切れ間に関心があると言うわけでなし。

僕は、心も身体も賭け事からは離れた距離にいる。

それでも、中山競馬場から近い距離に僕の身体があるため、年の瀬の有馬記念は知っていた。

世に馬が有る、そういう意味からではなく、出走馬をファン投票で決めるという発案者でもある功労者の苗字を冠したのだと言うから意外だ。

日清日露戦争において軍馬研究の必要性を認めた国の動きが、1900年代初頭にこの競馬場を建設させたのだった。

とはいえ、現在の中山競馬場の前身として、松戸に競馬場が存在していた。

まぁ、僕は詳しくないから話を先に進める。

今回、その詳しくなさが、諸々段取りの悪さに繋がったのだが。

寒空の下、土曜一時過ぎの西船橋駅にモツ野ニコ美女史をお呼び立てした。

明日は有馬記念だ。

だから、前日ならば入場できるだろうという見込みである。

見込みは外れたのだが、外れた先が良い所に落着した。

北口のタクシー乗り場には先客が五組ほど居り、しばらく待った。

やっと乗車でき、行き先を告げる。

すぐに一つ前のタクシーに追いついた。

「同じ場所に向かってるのかしら」

果たしてその通りだった。

なんとこの日は、農林水産省賞典中山大障害というGⅠが開催されるのだと後になって知った。

しばらくして、前方に巨大な病院の様な建築物が現れた。

中山競馬場、あんなだったとは。

僕たちは、“いずれ起きる”と目されている、とある大きな騒動になるであろう現場を事前に視察しておく必要があってやって来た。

運転手は中央門の手前で降ろしたが、もうすでに簡易ベンチを持ち込んで明日の順番待ちをしている競馬ファン達が散見された。

予約入場券を持っていない僕たちは、すぐに南門へ向かわなければならないと知った。

下調べが無さすぎたが、馬券を買いに来ていたならもっと順調だったのだろう。

向こうに颯爽と直立している、真っ赤な軍装の美丈夫と、モツ野女子が目を合わせた。

ような気がした。

黙礼とも目礼ともつかぬ閃光が、ほんの一瞬交差する。

目立つ赤い軍装は、墨東の証だ。

何だか、クリスマスシーズンにお誂え向きの格好だな。

あ、近くを通った女児に手を振り返している。

意外と人情を解しているかの様な“彼”の挙動に、ちょっとした好感を得つつ、四百円を支払って入場した。

僕は、いつものサラリーマン然としたスーツ、土曜日なのに浮いている。

まぁ、この後にちょっとドレスコードに気遣うお店へ行くから止むを得ない。

競馬が貴族の遊びである国では、ドレスコードがあるそうだが、日本のこう言う場所ではコップ酒かなんか片手が似合う装いが結構だろう。

モツ野女史は薄桃色のコートが目立ち過ぎず、地味過ぎず、その主張していない雰囲気が今日の目的によく合っている。

行き交う人々、皆が競馬新聞を熱心に見ている。

僕は、青くて暗くて、自分が何処に立っているのか見失ってしまいそうな大空が怖くて、モツ野女史を手近な戸口から屋内へと案内した。

そうそうお目にかかれない抜ける様な開放感の外を体験した直後だと、施設内はもっと混雑している。

俯き加減の予想者たちの間を縫って、今回のお目当てを探す。

中山競馬場の煮込みは、梅家が美味えやと言うのが合言葉らしい。

それだけは調べて来た。

グルメストリートと言うのがあって、其処は直ぐに見つかった。

施設一階の片面にずらっとお店が並んでいるようだ。

昼時が外れるような時間帯を狙って来たから、たまたま並ばずに注文することができた。

煮込みと中生ビールを二つずつ。

「私、小が良いわ」

「余ったら下さい」

彼女もその方が得だと直ぐに察知した。

ここには、彼女が普段飲む様な桃のサワーが無いので押し通せて良かった。

彼女がビールを、僕が煮込みを両手に持って、外へ出る。

馬場に面した観客席には空席が目立つが、どの席にも、競馬新聞を伸ばしたのやらペットボトルやらが置かれて、誰も座るべからずの威圧を感じる。

こう言うのをそのままにしておくのが、日本人の良い所だと信じたいが、良い所の日本人はこんな残念な席の確保なんかしないのではあるまいか。

彼女に段取りの悪さを詫びると、笑顔で其処ら辺で良いと言ってくれたので、とりあえず足元に手元の物を置いて一息つくことにした。

「ビールのカップ持ってるから、先に煮込みを食べちゃって」

僕の分は両方足元に置いたままで、モツ野女史の隣に控える。

「うんうん、美味しいわ」

僕は、彼女にビールも勧める。

「これ僕も飲んで良い?」

飲み切れないだろうから早速、二口目を頂戴する。

ぐいぐいと、午前中のトレーニングで流した汗を取り返す。

大きなため息が気持ち良い。

間髪入れずに、彼女が一と箸のモツをくれた。

王道の味がする。

予想の的中具合で味が変わってしまうであろう。

そうこうしていると、周りにどんどん人だかりが出来てきた。

十四時五分のノエル賞、何番かの出走馬が検査を無事通過したとのアナウンスが入る。

隣に来た学生二人の会話、いついつのレース展開がどうだのとよく聞こえた。

耳に馴染んだファンファーレ、ああ競馬場か、気持ちが現実から遊離していく。

その頃には、手に手に容器を持って、煮込みを食べていた。

僕なんかは気もそぞろにぱくついていた。

ちょっと僕でも二杯弱のビールはお腹にたまるな。

ワアっという歓声が過ぎ去って、お客の集中が馬場から離れたくらいのタイミングで僕も飲み終えた。

ちょっと物足りないから、さっきのグルメストリートへ戻って、ラーメンでも食べさせて欲しいと提案した。

お店の並びを紹介する表示を確認する。

「やっぱり梅家さんは煮込みの写真で推してるんだね」

「ねぇ、このお店だけ背景色が黒よ」

洒落た差別化に気付いた彼女に敬意を表しつつ、果たして僕は、唐揚げにビールを試してみたくて飛びついた。

それと、聞いたことのある屋号のラーメン、中山スペシャルというメニューは全部載せだ。

大盛りにしたかったがそんな食券は無いらしく、さりとてその後のことを考えると二杯食べようとは思えず。

食後、丁度パドックが始まるらしく人が動いたのでそちらへ。

一通り見終えてから船橋法典まで歩いて行き、新木場経由で銀座一丁目へ。

僕はこの後、ティファニーだか何処だかで指輪を買って、彼女をフレンチに誘うつもりだ。

有馬記念の前日は、見上げれば倒れてしまいそうな青空だった。