【人生5.0】Junの一食一飯 #006 すき家【ONLIFE】

シン・エヴァンゲリオンを観てすぐに気が付いた事がある。

碇シンジは、誰に対しても好意を伝えることに怖気付かなかったのだ。

作中、何度も「好き」と発言する彼に、ちょうどその頃の自分が重なった。

こんな私でも、誰かを、いや接点のあるすべての人と、好感から始まる関係を構築したいと思っているからだ。

子供は「好き」なんて照れ臭くて、言ったほうが負けという観念に支配されている。

当たって砕けた事もないからそうなる、砕けてそのまま腐っているからそうなる。

 

そんなわけで、私は

「好きです、すき家」

というキャッチコピーを前々から良い言葉であると思っていた。

好きと言うのは勇気が要るものだ、強さが必要なのだ、大審問官のラストなのだ。

なればこそ、すき家さんに対して反発したい人がいるであろうことも理解できる。

おそらく、先方も初めの頃は店名が照れ臭かったから、車で行くような立地に出店して我々と距離を取っていたのではあるまいか、好きと言うのは勇気が要るからだ。

でもこの頃は、街を歩いていてもよく見かける。

好きと言うのに抵抗がなくなったというのであれば成長の証拠だと思う。

 

すき家さんとの付き合いは、この頃はじまってから、せいぜい五年程度になるか。

店内には高森浩二さんがパーソナリティを務めるラジオが流れ、合間には歌詞のほとんどが「好き」だけで出来たようなすき家のテーマ曲が差し挟まれる(最近はあまり聞かれなくなったか、耳に馴染みすぎて意識しなくなったかしらん)。

もしも私がバファリンならば、半分が優しさ、残り半分が猜疑心で出来ているような、頭痛に効かない紛い物商品だからこそ気付く事もある。

それは、この徹底的にハートフルな雰囲気が合わないという人もいるだろうという事。

その点で、すき家さんにはもっと人の心の暗い部分にも無言で寄り添えるような、ほんの少しだけでいいから懐の広いお店になって欲しいと願うのは無い物ねだりだとは思わない。

 

私がすき家さんにお邪魔するのは決まって朝食時、電車で寝過ごして別ルートから出勤する道すがら、バンドの打ち合わせで泊まった翌朝、休日にデパートが開店するのを待ちながら。

この時間に馴染みがある、毎朝ではないから特別な時間になる。

そして、朝食と言えばすき家さんではこれは、混ぜのっけ朝食だ。

すき家さんも、おススメ!と書いている。

ご飯大盛りにして、豚汁に変更して、牛皿も鯖も追加して、店員さんにはタバスコをお借りする。

小鉢に入った方の牛にタバスコをたくさんかけて、酸味を楽しむ。

これが出来るから本当に好き、大好きやと叫びたい。

そんな大声で店員さんに感謝の気持ちを伝えても迷惑な客になるから、ここに書き留めるだけにする。

鯖は水っぽいが美味しい、パサついたものを出されるより兆倍良い。

朝起きて、鯖食べて、回転寿司では鯖で〆め、である。

それと、塩分を非常に気にしているので、そこまで塩辛くないのが非常にありがたい。

悲しいかな、日常的なもので塩辛いものを口にすると、命の危険を直覚してしまう。

お魚は鯖、お肉はホルモン、これ以上の贅沢を望まないでおけば、世の中には美味しいものだらけだという事に気付く。

こんな主張でも十分贅沢だと言われるだろうか。

人はパンでは生きられない、脂がなければ生きていく気にもなれない。

 

お碗にはおんたまとオクラが入れられている、ここに好みで袋に入ったかつぶしを入れる、特製たまごかけしょうゆを垂らす。

混ぜのっけ朝食は、このお碗の中で混ぜて、ご飯に乗っけるというお店側からの誘導が読み取れるのでそれに従うことにする。

そうするとお碗にどうしても温玉の黄身がくっついてしまうので、少々もったいない気がする。

同じように卵かけご飯でも、もう随分長いことご飯にかけてから混ぜるのでなく、とき卵にしてからご飯にかけているからお碗につく分がもったいない気がしていた。

ならばこれを天使の塵と名付けよう。

ヘタに手を出してはならぬということだ。