【人生5.0】Junの一食一飯 #012 こってりらーめんなりたけ Junのラーメンドラゴンボウル(碗) #001【ONLIFE】

ウルトラネガティブとハイパーポジティブを併せ持つ、エクストリームニュートラル。

私の意匠はこれである。

換言すれば、右も左も均しく斬り捨て、我が身も捨てる、そんな意匠だ。

孔子はこれを中庸と呼んだに違いないのだが、私のような小人には実践できぬと明言している。

「国を平和にすることも、無給で労働することも、白刃の上を歩いて渡ることもできる。それでも中庸だけはなかなか出来ない」と言う風な事を、孔子先生は言っているから。

確かに頷ける、なぜなら私が注文するラーメンは必ずこってりで、均しくあっさりを注文することはなかなか出来ないから。

 

千葉で見初めて、津田沼に通い、飲んだ〆には池袋、はたまた駅前錦糸町、いつか行きたいパリ支店。

こってりらーめんなりたけさんだ(あんまり好きだから以下、敬称略)。

あの福岡西新にも支店があり、営業を続けていると言うのだから驚きである、一寸信じられない。

コンビニのカップ麺にも進出したようで、ご存知の方も多いのではあるまいか。

私はこのお店で十代の身体に焼ごてで刻印を受けた。

はたまた、刺青代わりの刺白と言うべきか、そのくらいに背脂こってりなのである。

 

なりたけのカップ麺は、蓋の上で後入れ背脂を温めておくのだが、仕上げに容器へ入れる際、一寸引いてしまうくらいの量が出る。

これが不思議なことに、お店で食べる際には抵抗がなくなる。

即席とはいえ、この料理—そう信ずる—は自分で作るものでは無いのだと確信する。

自分で作れないから外で食べる、これが外食の醍醐味であろう。

 

船橋から幕張の中高へ通っていた私が初めて食べたのは、同級生のゲーセン仲間に千葉店へ連れて行ってもらった時だ。

当時、貯めた小遣いのほとんど(と言っても昼食代五百円で百円の大きなプリンを一つだけ買った残金)をアーケードゲームの仕合に費やしていたから、電車賃のかかる千葉まで出る機会なぞ滅多に無かった。

また、それまで通っていたラーメン屋さんも一軒決め打ち、魚介だしの醤油ラーメン屋さんだけだった。

だから、都会にはとんでもない食べ物があると、味覚中枢の根幹に衝撃を受けた。

右脳と左脳との裂け目にめり込んだ背脂ツルハシは、私の人格をこってり極右へと大転向させたのだ。

以来、世間一般では背脂ちゃっちゃ系と言うのだろうが、なりたけはなりたけである。

 

普通のらーめんで十二分にこってりなので、騙し討ちを食らう羽目になるかもしれぬが、店名にはっきりとこってりと書かれている。

あっさり志向の方ならば「背脂なし」とか、少なめの「あっさり」を頼むと良い。

背脂の紫色した甘みに脳を焼かれた諸氏ならば、「ギタギタ」で。

私の場合はこれを「超ギタ」にして、大盛り、バター(酔狂で付ける)、もやし抜き(茹でてあるのは水っぽくなるため)、薬味(輪切りの葱の事)多めが基本だ。

気分でチャーシューとライスをつけて定食風にする事もある。

 

「超ギタ」とは、スープが無い代わりに其処にあるはずのものが全て背脂になっている代物である。

半ばこちらの我が儘を聞いて貰って作って頂いているようなものだから、これは飲み干さねばならぬ。

他店さんの張り紙だが、油そばのカロリーはラーメンのほぼ三分の二、塩分は約半分という説があるようだ。

あとはなりたけさんの超ギタを油そばと呼ぶかどうかだけなのだが、それは我々の胸三寸で決まる。

何、背脂の量は自分で選べるではないか、それだって我々の胸三寸だ。

 

「月(にくづき)に旨(うまい)と書いて脂となります。」

と書き出された、良く出来た嘘のような貼り紙がされている。

超訳すれば背脂サイコー程度の意味だろう、それには同感である。

しかしながら、説明の程度としては「土の下に羊を埋めて幸せ」のレベルなのだが、この説は真実だろうか。

旨いとは何か。

 

もう、普通のなりたけなぞ思い出せぬ、一度も注文した事は無かったのかも知れぬ。

近所にお店があって、気軽に行けるなら、普通を頂く機会もあろう。

しかし、私がなりたけに行くのは心が渇いているときだから、飲み歩いた〆に「超ギタが食いてえ!」と吠えるのだ。

普通のなりたけが食べたい、でもなりたけに来たら超ギタが食べたい。

そんなわけで今回も超ギタを注文させていただいた。

運ばれてきたお碗は、一面を蓮の花のように広がったチャーシューが覆い隠しており、とても良い。

この下に、お釈迦様がその蓮が咲いた池から見下ろした、地獄のような超ギタ背脂が溜まっているのだ。

蜘蛛の糸は必要あるまい、中には中太麺がとぐろを巻いて、引き上げられるのを待ち受けている。

卓上のにんにくをたっぷり入れるのを忘れずに。

 

啜り込んだその麺はもちもちとしていて、何より甘い。

ひ、ひ、ひ、思わず下卑た笑いが心の中で巻き起こる。

突き抜けている、全てが脂であるならば、これは全てがスープという事だ。

突き抜けている、普段ならば身体が拒絶するような塩辛さが気にならない。

比較の対象がないから脂も塩分も知らぬ、それほどまでにこってりしている。

人はパンでは生きられない。

イエス様だって息を吹き返し、輪になって踊るだろう。

 

狂気と狂喜が入り混じった食事を終えてからふと気付いた。

食券を何枚渡したのだったか。

チャーシューめん、バター、ライスの三枚、三枚だ。

しまった大盛りを押し忘れていた。

大盛りは百円で麺が二玉になる。

道理で食後の満足感を、切なさが上回ってしまうわけだ。

私は錦糸町駅改札に入った後で、何とも言えぬ切なさを感じていたのだった。

 

そうか、総武線で船橋の手前、本八幡で降りてそこのなりたけへ這入ろう。

どうせなら今度は人生初の普通を食べてみよう。

らーめん、普通、もやし抜き、薬味多め。

私が一番頻繁に通うラーメン屋さんでも「超こってりで。」と注文するが(もう先方で先に確認を取ってくれる)、なりたけの普通には遠く及ばない。

本来あるはずだったスープは熱く、とても美味しかった。

 

普通が一番美味しい、一食一飯の締め括りに相応しい気付きだった。

 

せっかく八幡へ来たので京成駅前のDue Italianで白いらぁ麺を食べて帰った。

【人生5.0】Junの一食一飯 #011 かつや【ONLIFE】

この頃、幸せとは何か、考えさせられる機会が多い。

その際はこんな観念がしばしばまとわりつく。

人はどうして、他者に向けて自分を良く見せようとするのだろうか、と。

見下されると、所属する集団の中で待遇が悪くなるからか。

そんな集団と決別し、一人孤独に、自足した時間を過ごすのは険しい道なのだ。

 

あるいは、良く見せようとしているつもりは無いのかも知れぬ。

にも関わらず、私の目にそれが見栄として映っているのかも知れぬ。

本人は、本当の自分をありありと開示しているのだ。

本当の自分?自分とは何か。

 

ほんの少し硬い話が挿し挟まってしまって、糸楊枝でも欲しくなるかな。

歯痒く感じさせてしまっただろうか、それならば申し訳ない。

少しばかり考え込んでしまったのだ。

と言うのも、一食一飯は次回が最終回だからである。

 

そんな折、「孤独のグルメ」漫画版第一話をたまたま再読して驚いた。

と言うのも、たかだか四ページの中に、人が孤独を享受しつつ幸せに生きる為に必要な力が点在していると気付いたからだ。

発言力、問いを立てる、洞察する姿勢、察知、関連付け、内省、自己肯定、例える力、共感などである。

詳細は別の機会に感想文でも書こうと思うが、今回の一食一飯に関わる点を一つだけ取り上げよう。

 

主人公、井之頭五郎の内言

『うーん…ぶた肉ととん汁で、ぶたがダブってしまった』

である。

これは先述の「関連付け」にあたる。

換言すれば「括る能力」であろうか。

この能力は日常生活の因数分解のみならず、その中を独自性で彩色することも出来る。

提供された料理からぶたという共通因数を括るのは、主人公ないし作家の特徴がなせる業だ。

目の前に並んだ料理という“物”が、介在する人物の心情を通過して語られる事で“物語”となる。

 

だからこそ、今日の一食一飯はとん汁を取り上げたい。

とん汁変更ではなく、はじめからとん汁で出してくれるお店がある。

そして、そこのとん汁がとても美味しい、包み込んでくれるような優しさを感じる。

かつやさんである。

 

ただしかつやさん、『とん汁とライスで十分』というわけにはいかぬ。

そのようなものは無いし、私の食欲が満足するということにもならぬ。

だが、どうしても意識せずにいられぬ。

トンカツととん汁で、ぶたがダブってしまうという事を。

 

最初から其処にあったものを、人は山などと呼ぶ。

孤独のグルメの重力場から逃れるということは難しい、非常に。

さりとて、かつやさんが期間限定で放つ

「ほら、揚げれば何でもカツにできる」

と言った体のメニューに乗っかるのは安易に過ぎる気もする。

 

こんな時は、水のように清らかな心で居れば良いのだ。

こんな時は、酒のように朗らかな身体で踊れば良いのだ。

何でも来るといい、カツなら何でも食べられる。

槍でも鉄砲でも持ってこい、揚げれば何でも食べられる。

 

大袈裟は良くも悪くも私の特徴的なところである。

来店早々メニューの表紙には、期間限定で親子カツなるものが掲載されている。

これはチキンカツを卵とじにしたものだ。

高校の部活帰りに寄った肉の田川さんを思い出す、堂々たるジャンボチキンカツだ。

ぶたがダブる懸念は早々に払拭された、注文する。

白いご飯が好きだから、親子カツ煮定食の方を。

 

しかし、同じくトンカツチェーン店の和幸さんと異なり、ご飯のお代わりが出来ない。

和幸さんでは、特ロースご飯一択だから、一食一飯になり得ない。

これほどまでに立派なチキンカツを、お茶碗一杯程度のご飯で平らげるなど、変態食欲の私には出来ない。

ただ空腹が満たされれば良いというわけでは無い。

ならば一番手ごろなカツ丼の梅を注文と洒落込みたい。

カツ煮をおかずにカツ丼を食べて仕舞え。

うん、こうしてチキンカツ煮とカツ丼を食べ比べてみると、肉々しさは鶏肉の方に軍配が上がっても良さそうなものである。

美味しくて、瑞々しくて、大きく食べ応えがある。

一切れ頬張ってから、カツ丼を掻っ込む。

で、そこへ、とん汁をすする。

とん汁は四十円追加で大きいサイズにしてある。

 

回転寿司の活美登利さんも全く同じ味のとん汁を提供する。

それが何だと言うのだ。

仙台の牛タンは大概が豪州産であるのと同じくらい私には関係がない。

私たちは先人から受け継いだ文化を食べているのだから。

思い出を食べているのだから。

小林秀雄は言ったか、上手に思い出すことは非常に難しいと。

ならば私は、せめて美味しく思い出したい、そう思う。

 

私の、俺の、僕たちの脳髄に、肺腑の中心にある何かに、きっとそれは心の根っこに、思い出が群がり湧き起こる。

あれはいつだったか。

職場内のチームで幸せとは何か議論「させられていた」時のこと。

どうしても道化を演じる気分になれず、私は黙って静観していたのだが、それに乗じて「金が全て」と強硬な主張を押し通そうとする者がいた。

その男の険しい目元が、それを演じているのではなく信じているのだという事を、疑う余地のないものにした。

私は気分が悪くなってきていた。

 

俺は

「物質を買うより、自分で作った方が幸せだと思う」と溢すと、彼は笑って

「それはちょっと分かる」と言った。

苛まれていた何かから解放されたような、あの安心したような表情をまだ覚えているから、僕は敢えて自分で作らず外で食べる。

【人生5.0】Junの一食一飯 #010 社員食堂【ONLIFE】

社員という言葉には、輝くという意味がある。

私は私の人生の舞台の傍観者ではない。

できる限りこの人生を喜劇的かつ諧謔的に主演を勤め切ってやりたいと思う。

脚光を浴びて、称賛されたい、誰かのために生き、そして死にたい。

Shineは「死ね」と書くのだと、誰かの揶揄する声が聞こえる。

そんな非難は笑い飛ばしてしまえば良い。

大学を卒業してから一途に同じ企業に勤めている。

居心地は自分に合うように多少良くする事ができた。

録でもない事が起こりでもしない限り、勤め上げたいと思う。

自分の会社のために尽くすのは、世のため人のためになると信じている。

そんな私がここの社員食堂に通うのは、週に二度ほどだろうか。

 

営業中に時間が取れず食いっぱぐれてしまう。

日替わり定食がハンバーグとか、青椒肉絲とかそういうのだとあまり食指が動かない。

単に外食へ誘われたりということもあるし、この頃は自前で弁当を持っていく機会も増えた。

それでも貴重な三食の一角、月始に張り出される今月のメニューはほとんど毎日見遣っている。

社食不精の私だが、厨房のお姉さま方からは覚えが良い。

いつもご飯大盛りで頼んでいるので、普通盛りで注文すると驚いた顔で聞き返される。

 

どこにでもあるようなチェーン店で一食一飯を書いてきた。

今回は世界に一つの社員食堂だが、どこにでもあるような社員食堂の話。

私がよく注文させていただく食事について書く。

 

まず、何よりも唐揚げだ。

おかずに物足りなさを感じたときに手軽に追加できる。

というか、これしかほとんど選択肢が無いのだ。

完全なる自由を求めると、畑の土地探しから始めねばならぬ。

これだけに制限されているということは、見方を変えれば幸福なのかも知れぬ。

 

入社したときには一つ三十円だったが、四十円の時期を経て、今は五十円になっている。

この調子で値上げが続けば、私が退職する頃には一つ百三十円ほどか。

お年を召された大先輩たちが社食を利用するときには

「ご飯半分でお願いします」

とよく言っている。

その歳になってから唐揚げ追加なぞ、もってのほかであろうか。

大盛りは五十円かかるのに、半分にしても五十円引きになるわけでは無い。

妙な工合(具合)である。

 

勝手に蕎麦定食と呼んでいるメニューがある。

日替わり定食やら焼肉丼に、追加でたぬき蕎麦を追加しただけのものだ。

二枚の食券を手渡すと『またか』という表情で苦笑いされることがよくある。

しかし、それは好意的な眼差しをたたえているいるから、私はこの社食が好きだ。

ただ、調子に乗って社食のお姉さまに

「蕎麦だけにお吸い物ですよ」

なぞと放言すると、本気で呆れられる。

ちなみに、このたぬき蕎麦には、調味料コーナーの七色唐辛子をビックリするくらいどっと入れてしまう。

これにも呆れられるが、実際美味しいし、顔も売れる。

 

先にも述べたが、いつもご飯は大盛りにしていただく。

たまに普通盛りを注文して聞き返されることがあるのだが、

「今日は他所でお蕎麦食べて来ちゃったので」

と応答し申し上げることがたまにある。

これにはこの頃『あぁ、どうりで』という優しい表情を返していただける。

お互い名も知らぬ男女である。

 

ご飯大盛りでは足りない時が必ずある。

日替わり定食が鯖の時だ。

オフィスでも上司やお姉さまから

「明日、鯖ですよ」

なぞと喚起していただけるのだが、たいがい

「もう食券買って予約してあります」

と応じている。

社食の予約をしている社員は他にいないから、笑われる。

笑われるのは道化の本懐である。

 

鯖塩焼き定食“普通盛り”の食券を出してお願いする。

案の定、お姉さまが聞き返す。

ちょっと戯けて、重ねておいた二枚目の食券を披露する。

ル・シッフルが最初の大勝負でショーダウンするときのように。

「おおっと、ははは、ブラフだと思ったかね」

両断された半身の鯖を二人前、単純に鯖一匹を食べることになる。

これだけあると、切り身を食べ終えてしまうのが惜しくなくなるから良い。

 

鯖の日はこれだけに止まらない。

その食後にテイクアウト二人前を注文する。

目を見開いて聞き返される、無理もない。

しかし、明日の朝と昼に食べる分をオフィスの冷蔵庫に入れておくのだ。

「本当に好きなんですねぇ、鯖」と口々に、呆れ半分畏敬半分のような表情になって雑談が始まる。

「あんまり好きすぎて、鯖の詩を作ったくらいですよ」

意外だったのだが、お姉さま方みなが、聞きたいと言ってくれたことだ。

諳んじたところ、たくさんの笑顔をいただけたのでこちらにも書いて仕舞いにする。

 

今日も鯖、明日も鯖、鯖鯖鯖鯖、鯖が好き

 

朝起きて、鯖食べて、回転寿司では、鯖で〆め

 

塩焼きだ、照焼きだ、手間暇かけた、鯖味噌だ

 

鯖缶は、大根煮、冷や汁にしても、イイ感じ

 

夕食は、お刺身だ、衣まとわせて、揚げ物だ

 

今日も鯖、明日も鯖、鯖鯖鯖鯖、鯖が好き

 

鯛が好き、鮪好き、それでもやっぱり、鯖が好き

【人生5.0】Junの一食一飯 #009 やよい軒【ONLIFE】

考えろ、考えろ。

俺たち人間て奴ばらにできるのはせいぜい考えることだ。

悩む前に考えろ、そしたら迷わず行動せよ。

時間が無ければ行動しながら考えたって良い。

土曜の昼食が毎週ラーメンではいけない、さりとてその隣にあるカレーというのも芸がない。

両方行くのはもう通用しない。

 

そんな中で、ちょうど思い当たったのがやよい軒さんだ。

身体はCoCo壱番屋さんとその隣にある家系ラーメン店さんの前まで来ていたのだが、考える力が、意志の力が勝利した。

流石アライアンスを代表するシステム、ピッチスペルである。

急いで身体を右へ九十度旋回し、少し先にあるそのお店へと向かった。

 

考えろ、考えろ。

相手はあのやよい軒さん、手強い定食メニューが勢揃い。

鯖か、唐揚げか、カットステーキも捨てがたい。

考えろ、考えろ。

悩む前に考えろ、そしたら迷わず行動せよ。

 

やよい軒さんはご飯おかわり自由だ。

そして、私はお腹がペコペコだ。

今日は濃い目の味付けで、ご飯をたくさん食べさせてくれる一皿にしよう。

鯖味噌か、生姜焼きか、茄子と豚肉の味噌炒めなぞはあるだろうか。

しかし、あれもこれも食べたい私の変態食欲を満たしてくれるのは、やよい御膳これも捨てがたい。

考えろ、考えろ。

今日の一食一飯、私個人対外食産業の決戦の様相を呈している。

 

そして行き着いた店頭に大きなポスター、カキフライミックス定食。

これだ!

外食産業から見舞われた強力なストレート。

季節のメニューに1ラウンドK.O.を喫した。

悔しくなったので、お茶漬け用のミニサバ小鉢を追加した。

塩焼きだ、照り焼きだ、手間暇かかったサバ味噌だ。

だから今日ならミニサバだ。

ご飯おかわり自由なのに、別定食追加なぞする必要がない。

 

食べたかった唐揚げも、ミニ唐揚げで追加しよう。

小鉢で彩りを添えるという、今までになかった選択肢に心が躍る。

大皿定食のお店はこうして私の食欲を満足させてくれるのか。

カキフライ三つと、エビフライ、アジフライ。

これらにはたっぷりタルタルソースを付けて食べたいから、も一つ追加して。

 

お味噌汁変更、貝汁か豚汁か。

いや、今回はやめておこう。

特に豚汁は、毎回変更しているとそういう人になってしまう。

変更しないという選択もアリなのだ。

いや、しかし、納豆汁にするのに納豆を買おう。

この提案は良し、群を抜いている。

 

あ、それとあと、〆にはササっと卵かけご飯にしよう。

ご飯おかわり自由を徹底的に逆手に取るのだ。

卵購入、追加はこれくらいで良いか。

食券の束が腸詰めみたいになってぞろぞろと出て来た。

こういう事ってあるのか、なんだか笑える。

結局、やよい軒さんは色々と食べる分にはイイ感じ感じ検定準一級だ。

これはかなりイイ感じ。

今回は注文しなかったが、牛肉のすき焼き小皿や、天ぷら小皿もある。

席に案内されてから改めてメニューを眺めていて吹き出してしまいそうになった。

定食メニューには「なす味噌と焼き魚の定食」という欲張りセットがあったのだ。

もちろん焼き魚はサバの塩焼きである。

あんなに考えていたんだから、総合的に判断して正解はこちらである。

 

考えていたにもかかわらずカキフライに飛びつくあたりが、人間の愚かしさ。

しかしながら、エビ&アジフライの助太刀があっては敵わなかった。

よくよく考えれば、単品でカキフライ二粒から追加できるのでそれでも良かった。

去年の雪、今いずこ。

されど、反省があるのは考えていた証拠だ。

 

さて、本日のランチがLaunch、榴弾みたいなカキフライ。

定食とミニ唐揚げについているキャベツを先ずそれぞれ食べる。

甘いお豆とか生野菜は先に食べ、メインばっかりでご飯を食べたい。

やよい軒さんのキャベツにかけられているゴマドレッシングは大好きだ。

これでご飯を食べたくなるような絶妙な味付けである。

 

解き放たれた獣のようにカキフライをタルタルソースで食べる。

もう三個全て無くなってしまった。

今やテーブルの上には、エビ&アジフライ定食が置かれているばかり。

山椒魚で有名な井伏鱒二はユーモアとペーソスの作家と言われるが、訳せば諧謔と哀愁という事になるから少し可笑しい。

エビ&アジフライ定食には諧謔と哀愁があった、確かに。

タルタルソースは予備がまだ一皿ある、これは頼もしい。

 

心を落ち着かせるために納豆でもかき混ぜようか。

お味噌汁の中に入れて、よし、これで落ち着いてご飯のおかわりに行けるな。

接触厳禁の今を生きている我々に、文明の利器が優しく微笑んでくれる。

「ごはんおかわりロボ」である。

粘っこく青々した若葉のような優しさを、このロボットは文字通り振り撒く。

これで型式番号がED-209とかだったら苦笑しかしないが。

 

並盛にした二杯目のご飯を、ミニサバで掻っ込む。

もうなくなってしまった。

ミニサバはサバの半身の五分の一程度の大きさだからだ。

本来なら、出汁茶漬けにしてサバをほぐしてたっぷり楽しむためのものを、パッと食べてしまった。

呆けて納豆汁をすする、美味しい。

食べてしまったサバを嘆いても仕方ないので、唐揚げをパクつく、美味しい。

 

しまった、テーブルの上が閑散としている。

エビ&アジフライ定食になってしまった。

注文しすぎたものはことごとく眼の前に無いので、元々何だったかも判然とせぬ。

判然とせぬままに残されたものも食べた。

最後に卵かけご飯だけが残ったが、それも食べてしまった。

人生の縮図であろうか。

 

【人生5.0】Junの一食一飯 #008 珈琲所コメダ珈琲店【ONLIFE】

咖喱の後には珈琲を飲む。

この二つをセットにしているイメージは何処で植え付けられただろうか。

新宿か新橋か、まあそんな所だろう。

前回、CoCo壱番屋さんで咖喱を頂いた。

無論日を改めてではあるが、珈琲を飲みに行こうと決めた。

向かうのは珈琲所コメダ珈琲店さんだ。

 

よく見かける記事には、その質量感に圧倒されて、敗北感と共に退店という一連のクリシェが出来ている。

変態&異常の二重属性を食欲に擁する私には、何、恐るるに足りぬ。

だが念のため、朝食はコンビニおにぎり二つにしておいた。

何も食べないままでは、日課のランニングに障ると判断したためだ。

 

二日前の土曜、会合の後オフィスの寝袋で寝た。

職場泊は二年ぶりだろうか。

間の悪いことに、明くる日曜が工事のため、守衛さんが来てしまった。

騒ぎとなったらしく、朝八時ごろ血相を変えた部長がオフィスに来た。

寝巻きがわりの運動着姿で仕事をしていた私は事情を説明し、小言を貰った。

 

凹んでいても仕方がないので、日曜はやることを済ませて夕方に退社。

親友のKが珍しくLINEを寄越し

「御茶ノ水の蕎麦屋が閉店しててショック」

と言っているので、合流して慰める。

金曜から三日連続で飲んでいる事になる。

聞けば、閉店したのは小諸そばさんだという、私もショックだった。

 

そして、今朝は月曜、いつも通り朝一番に出社して部長に頭を下げた。

お咎めなし、円満解決し、ニコニコで今ランニングに出かけたところである。

身体が軽い、心が清々しい、そろそろお腹が鳴りそうだ。

そんな私を察してか、部長がその日の三時過ぎに丸亀製麺さんのうどん弁当、秋刀魚の天ぷらが載っているやつを差し入れてくれた。

昼食に摂るなら白いご飯も欲しくなるが、おやつには丁度良かった。

 

さて、そんなおやつから遡る事、五時間前。

私は珈琲所コメダ珈琲店さんに居た。

出された水はすぐ一息に飲んでしまった。

ランニングしてシャワーした後だったからだ。

早すぎる昼食、何にしようかと固唾を飲んでいる。

 

入店までの困難もあった。

朝のすき家さん、日高屋さん、プロントさん、松屋さん、富士そばさん。

ランニング後の私はビールが飲みたくなっていたのだ。

さらに、コメダさんのすぐそばには、孤独のグルメにも出ていた有名な飲み屋さんが開いている。

何のためにランニングをしたのだと自分に言い聞かせて、今、コメダさんのメニューと対峙している。

 

しかし、一択だ、やはり。

ヒレカツ、金貨が五枚載っているかのようではないか。

迷宮の男さながらである。

さっきから白いご飯が食べたくてしょうがない。

丸パン二つでは心許ない思いがする。

ここで欲をかくから失敗するのはもう見飽きているのだ。

つまり、サンドイッチに手を出せばバースト、ミックスサンドをぐっと堪える。

 

これなら行けるだろうと探したのは、エッグバーガー。

メニューの上からシールが貼られている。

店舗での取り扱いなし。

ロスト!!

ご飯は無い、ヒレカツ以外にも食べたい、しかし食べきれませんでしたというオチは避けねばならない。

 

ユリイカ、これだ。

コメダグラタン。

珈琲は、たっぷりアイス。

押しボタンで店員さんを呼ぶ。

それぞれ注文し、お水もお願いする。

シロノワール食べたいけど大きいんだよな、小さいサイズだと取材に来た意味が無くなるしな、なんて考えながら。

 

「コーヒーにはモーニングが付きますがいかがしますか?」

「はっ、何ですか?」私はちょっと身構えた。

「こちらのページのモーニングがセットで付きます」

「えっ、た、タダでですか?」私は身を乗り出した。

「はい」まだぎこちないアルバイト店員さんの笑顔が眩しい。

「わっ、やった」私は小躍りしてそのページを睨んだ。

 

コメダ珈琲店さんを利用するのは、バンドの打ち合わせ時ばかりだ。

モーニングの存在は全くの盲点だった。

というか昼食を摂りに来たのに、モーニング?

良いのだ、朝十一時までは珈琲にセットで付くのだから。

尾張魂の徳高さに触れた想いがする。

 

厚切りの食パンが縦半分に割かれたトースト。

Aセットは定番ゆで卵、Bセットは手作りたまごペースト、Cセットは名古屋名物おぐらあん。

シロノワールは注文しないが、Cセットにすればデザートの代わりになる。

そちらをお願いし、トーストにはジャムを塗って頂いた。

たかだか、トースト一切れでバーストなどありえぬ、渡りに船だ、皿に毒だ。

他には、バター、練乳ソースなどがあるという、至れり尽くせりか。

Aセットが気になったので、ゆで卵を追加注文した。

 

さて、しばらくすると、続々と料理が運ばれて来た。

いよいよ最後に、グラタンとセットのバゲットパンの籠なぞは、テーブルに載りきらず、整頓する間しばらく膝の上に置いておいた。

二種類のドレッシング、私はしょうゆではなくオリジナルの方を使用する。

そして、籠にはフォークが一本。

箸が欲しい。

店員さんに訊くと、その拍子に白いご飯はないか訊きそうになるのでやめた。

サラダを平らげて、いよいよヒレカツ。

最後の一枚になって冷めてしまっては興醒めだから、時間との戦いだ。

幸いにも、グラタンは熱い容器に納まっているので、時間差で食べ進めて行けば良い。

二枚目のヒレカツでもう上顎を火傷してしまったのはご愛嬌。

口の中は私のアキレス腱である、どのように鍛えても鍛えきれない。

ええいままよ、とグラタンを味見。

チーズたっぷりでとっても美味しいが物凄く熱い、そっとしておこう、当分冷めるまい。

 

さて、つい気になって注文した茹で卵だが、殻を剥きながら着想あり。

これにオリジナルドレッシングかけて食べたら、擬似タルタルソースになるぞ。

茹で卵を半分に切り、断面にドレッシングをかける。

ヒレカツに追っかけていただく。

ひ、ひ、ひ、思わず下卑た笑いが心の中で巻き起こる。

ロビン・フッドがいねェなら——ロビン・フッドになればいい。

 

丸パンは十字に切り込みが入れられ、バターが載る。

この数を二つに設定したのはコメダさん絶妙だ。

もっと食べたくなって陥穽に転落するのが後を絶たない。

案ずることなかれ、コメダグラタンとバゲットで応じる。

仕舞いにデザート代わりのモーニングトースト。

 

会計を見て珈琲が余計だったと思ったから何にもならない。

【人生5.0】Junの一食一飯 #007 CoCo壱番屋【ONLIFE】

誰も出勤しない休日のオフィスに唾を吐き捨てる代わりに、銚子のビジネスホテルで缶詰になって仕事をしてきた。

晩にはお刺身、焼き魚、煮物、揚げ物が出され、朝は焼き魚と卵とお味噌汁。

昼食時だけ外を出歩くのも格好の気晴らしになる。

普段、往復の通勤時間に充てる三時間はベッドで寝ていれば良い。

キッチンが無いから作りながら飲む事ができないのがまた良い。

その代わりに飲みながら仕事が出来る、これは家ではなかなか難しい。

なので毎晩したたか飲んだ。

 

木曜の晩から日曜の朝まで、そんな生活にとっぷりと浸り、あともう一日泊まりたいという気持ちを堪えて帰路に着く。

千葉駅まで二時間かかる電車の中でも仕事をしながら、では昼食を何にしようか考えていると、いまひとつ仕事が手につかぬ。

挙句、前日は真夜中まで映画を見ながらハイボールで、ほとんどひと瓶空けてしまった。

喉の渇き、胃のむかつき、嫌な汗、二日酔いの喜びが満身に結晶している。

だからカレーが食べたい、無性に。

酒飲みなら誰にでもある様なこの経験が、カレーは飲み物という至言を生んだのではあるまいか。

勘違い行楽気分への絶縁状、ハロー日常、バイバイ旅情。

 

ラーメンなら毎日のように食べるくせに、カレーが食べたくなるのは思い出したようなときくらいだ。

誠意を欠いた付き合い、反省せねばなるまい。

でも、ラーメン屋さんはコンビニくらいあるのに、カレー屋さんはお花屋さんくらいしかないじゃないか。

この男、どうやら反省していない。

誠意を欠いていたのは付き合い方ではなく、この男の性根の問題だったらしい。

真っ直ぐに歪んだ心を、しかしそう簡単には変えられない。

半ベソをかきながらCoCo壱番屋さんへ這入った。

 

手近なところでリキを入れるためにあいがけというのはもちろん効果的だ。

大学の目の前にあった三品食堂という所は、牛めし、カレーライス、カツライスの組み合わせでやっていて、午後の講義を乗り切るために注文する赤玉ミックスは学生当時一番の贅沢だった。

だが、今までの漫文に書いた通り牛丼屋さんでは、𠮷野家さんは牛、松屋さんはカルビ焼肉、すき家さんは混ぜのっけ朝食、カレーが割り込む余地は基本的にない。

おそらく、これら三店舗の中で、一番頻繁に行くお店であればカレーを注文することもあるだろう。

それならば、CoCo壱番屋さんは、一体何が違うのだろうか。

CoCo壱番屋、その本質は一体何か。

答えはシンプル、カレー屋さんなのである。

だが、果たしてそれだけだろうか。

 

メニューにはカレールーが五種類から選べる(CoCo壱番屋さんはこれをソースと表記している)。

ポークが基本で、ビーフは割増料金だ。

こういった時は、松か竹か、迷わず高い方にするのだが、ポークカレーが好きなのでここは身を委ねる。

ライスの量は、表記を勝手に並盛り中盛り大盛り、それ以降は一括して特盛りと捉えて大盛りにする。

それに呼応してお玉二杯分のルーを追加する。

辛さについては長くなるので、調整なしが良かろうとだけ記しておく。

これで未だ千円超えていないのは小学生でも計算できることだ。

観えて来たのはイイ感じ未来予想図、私の心の眼に映る。

 

しかし、CoCo壱番屋さんの本質はカレーの調整に小回りが効くということでは無いと観る。

心の眼で観ているイイ感じ未来予想図が鮮明になる。

そうだ、これは半分だけ真っ白いキャンバスなのだ。

今こそ私は、カレー色の大海原を目の前に見据え、しかと踏みしめるこの白い砂浜に、素敵な物だけたくさん集めよう。

CoCo壱番屋さんの本質は、シンプルにカレー屋さんであるということ。

なればこそ、そのカレーを半無限の自由度で創造出来ることもまた本質。

問われている、私のデザイン思考が。

 

CoCoで会ったが百年目、迷わず冬季限定の牡蠣フライだ。

これが怒りの牡蠣Fury。

Haben Sie ein Zimmer frei?

私は迷わない、悩むこともない。

考えているからだ。

もしも間違えたらその非を認め、また考えれば良い。

だが待て、私はトッピングのメニューを見てもいない。

牡蠣フライは良いとして、考えずに決めていたではないか。

もしも間違えたらその非を認め、また考えれば良い。

そうだ、問われているのは、私のデザイン思考。

 

しかしどのページを見ても、トッピングのコーナーが無い。

というか、土台みな同じカレーなのだが、上に載せるものだけアレコレ変えるだけで何ページにもなるというのは圧倒的な自由度の表れだ。

このメニュー、しかと目を通して考えねばなるまい。

トッピングのコーナーは大食い元お笑い芸人(灯台下暗しに掛けたつもりだが、石塚英彦さんは現役のお笑い芸人さんである)、ルーの種類やライスの量を選ぶページ下部にそっと載っていた。

 

悩んでいてもはじまらぬ、ここは食べ歩きの直感を信じて選んでしまおう。

有れば注文の牡蠣フライ、意外と安値のビーフカツ、ついつい追加でクリームコロッケ、牡蠣フライ用にタルタルソース、カレーの恋人半熟タマゴ、とっても嬉しいオクラ山芋、チーズで美味しいおまじない。

そう、こと食事に関しては、食べながら考えたって良い。

運ばれてきた一皿は半分白いキャンバスから、だいたい茶色い絵画になっていた。

何処だチーズは、ルーに溶けてしまって確認が難しい。

これは美味しい海洋汚染、清濁併せ呑む時だ。

これは後で知った事なのだが、というより今書きながらメニューを見ていて気付いた事なのだが、ライスを増量するとその分のルーも増加するという。

だから、運ばれてきた一皿を見て、チャレンジメニューのように思われた方々も無理からぬことである。

しかし、私の目の前にあるのは、私自身には他と比較する仕様が無いのでそのまま美味しく頂くことができた。

今更、カレーの味をどうこうと論ずるのは無意味であろう、カレーは美味しい。

ともかく、デザイン思考はresignすることに決める。

【人生5.0】Junの一食一飯 #006 すき家【ONLIFE】

シン・エヴァンゲリオンを観てすぐに気が付いた事がある。

碇シンジは、誰に対しても好意を伝えることに怖気付かなかったのだ。

作中、何度も「好き」と発言する彼に、ちょうどその頃の自分が重なった。

こんな私でも、誰かを、いや接点のあるすべての人と、好感から始まる関係を構築したいと思っているからだ。

子供は「好き」なんて照れ臭くて、言ったほうが負けという観念に支配されている。

当たって砕けた事もないからそうなる、砕けてそのまま腐っているからそうなる。

 

そんなわけで、私は

「好きです、すき家」

というキャッチコピーを前々から良い言葉であると思っていた。

好きと言うのは勇気が要るものだ、強さが必要なのだ、大審問官のラストなのだ。

なればこそ、すき家さんに対して反発したい人がいるであろうことも理解できる。

おそらく、先方も初めの頃は店名が照れ臭かったから、車で行くような立地に出店して我々と距離を取っていたのではあるまいか、好きと言うのは勇気が要るからだ。

でもこの頃は、街を歩いていてもよく見かける。

好きと言うのに抵抗がなくなったというのであれば成長の証拠だと思う。

 

すき家さんとの付き合いは、この頃はじまってから、せいぜい五年程度になるか。

店内には高森浩二さんがパーソナリティを務めるラジオが流れ、合間には歌詞のほとんどが「好き」だけで出来たようなすき家のテーマ曲が差し挟まれる(最近はあまり聞かれなくなったか、耳に馴染みすぎて意識しなくなったかしらん)。

もしも私がバファリンならば、半分が優しさ、残り半分が猜疑心で出来ているような、頭痛に効かない紛い物商品だからこそ気付く事もある。

それは、この徹底的にハートフルな雰囲気が合わないという人もいるだろうという事。

その点で、すき家さんにはもっと人の心の暗い部分にも無言で寄り添えるような、ほんの少しだけでいいから懐の広いお店になって欲しいと願うのは無い物ねだりだとは思わない。

 

私がすき家さんにお邪魔するのは決まって朝食時、電車で寝過ごして別ルートから出勤する道すがら、バンドの打ち合わせで泊まった翌朝、休日にデパートが開店するのを待ちながら。

この時間に馴染みがある、毎朝ではないから特別な時間になる。

そして、朝食と言えばすき家さんではこれは、混ぜのっけ朝食だ。

すき家さんも、おススメ!と書いている。

ご飯大盛りにして、豚汁に変更して、牛皿も鯖も追加して、店員さんにはタバスコをお借りする。

小鉢に入った方の牛にタバスコをたくさんかけて、酸味を楽しむ。

これが出来るから本当に好き、大好きやと叫びたい。

そんな大声で店員さんに感謝の気持ちを伝えても迷惑な客になるから、ここに書き留めるだけにする。

鯖は水っぽいが美味しい、パサついたものを出されるより兆倍良い。

朝起きて、鯖食べて、回転寿司では鯖で〆め、である。

それと、塩分を非常に気にしているので、そこまで塩辛くないのが非常にありがたい。

悲しいかな、日常的なもので塩辛いものを口にすると、命の危険を直覚してしまう。

お魚は鯖、お肉はホルモン、これ以上の贅沢を望まないでおけば、世の中には美味しいものだらけだという事に気付く。

こんな主張でも十分贅沢だと言われるだろうか。

人はパンでは生きられない、脂がなければ生きていく気にもなれない。

 

お碗にはおんたまとオクラが入れられている、ここに好みで袋に入ったかつぶしを入れる、特製たまごかけしょうゆを垂らす。

混ぜのっけ朝食は、このお碗の中で混ぜて、ご飯に乗っけるというお店側からの誘導が読み取れるのでそれに従うことにする。

そうするとお碗にどうしても温玉の黄身がくっついてしまうので、少々もったいない気がする。

同じように卵かけご飯でも、もう随分長いことご飯にかけてから混ぜるのでなく、とき卵にしてからご飯にかけているからお碗につく分がもったいない気がしていた。

ならばこれを天使の塵と名付けよう。

ヘタに手を出してはならぬということだ。

【人生5.0】Junの一食一飯 #005 松屋【ONLIFE】

𠮷野家さんで御馳走を頂いたので、次は松屋さんへ伺うことにしたい。

今はなき船橋西武さんの真正面にあった、これも今はなき松屋さん(フェイスビル一階へ移転した)。

牛めしという商品名が当時の私には珍しく、こちらはお味噌汁が無料で付く。

高校生だった頃の私たちにとっては救いのようなお店だった。

価格競争真っ只中でお安い料金で提供してくれたし、当時の𠮷野家さんは戦場だという認識があったためだ。

例のフラッシュが理由だろう、フラッシュなんて衣類パンツなのではあるが。

 

松屋さんは定食メニューが充実している。

松屋世界紀行は記憶に新しい、シュクメルリ定食(ジョージア)、チキンカチャトーラ定食(イタリア)。

後続は無かったが、スウェーデン料理など出るか、今後に期待している。

回鍋肉定食、麻婆豆腐定食これらも都度出して下さる。

カレーは先代から変化があったし、ハンバーグのバリエーションも嬉しい。

これら期間限定商品には都会の風めいたものすら感じる。

サラリーマンになった今でも、私の救いであり続けるのだ、松屋さん。

嬉しい気持ちが湧き上がる。

 

いつか、津田沼の松屋さんで食事していた時、といっても高校生の時分であるが、おじいちゃんが何やら文句を言っていた。

豚汁に入っている里芋の数が少ないのだと言う。

当時、豚汁に入っていた具は、里芋も豚肉も、目分量でわんさか入っていた。

いつからだろう、里芋の数は二つ、豚肉もほんの少しに変わった。

私は毎回豚汁変更するのでその変化には気付いたものだが、不平等感を無くすと言うこともまた大切なことかも知れぬ。

小声で申し上げるが、里芋と豚肉は好きだから、また増えたら良いなと生涯思い続けたい。

私の変態食欲は一途な恋です。

 

飯田橋の小諸そばさんが閉店なさってからは、その真隣の松屋さんに這入って朝食を摂っていた。

前回の𠮷野家さんは、それに飽きて以降のことである。

カルビ焼肉定食、ご飯大盛りを注文することが多かった。

その頃牛めしに黒七味が付いた。

しばらくしてから小袋になったが、あの工夫は良いと思う、嬉しい限りだ。

 

その後に親友となった、とあるお肉大好きルポライターR女史は、牛焼肉定食をポン酢で頂くのがお好みだと言っていた。

私とは対照的な選択に尊敬の念を抱いた。

彼女も白飯党で、牛丼の類はつゆ抜きと言っていた。

さてそれでは、今回松屋さんに赴いて、何が食べたいかと言われると。

牛めしか、創業カレーライスか、ハンバーグか、いやそれらではなく定食なのだ。

期間限定商品というのでもなく。

 

そんなわけで、今回、そう久しぶりでもなく松屋さんへお邪魔して、いつもの定食をシンプルにアレンジした欲張り定食を注文しようと思う。

カルビ焼肉定食大盛り豚汁変更に、単品牛焼肉たったのこれだけである。

JunのレギュラーメニューにR女史のオススメを合致させた、いうならばJR定食か。

豚汁をつけたのは、なんというか、松屋さんの導きに従ったまで。

タダでもお味噌汁が付くというのに、お金を払ってしまうと、味わいが段違いの汁物を付けることができてしまうのだ。

塩分摂取を極力避けている私でも、こればっかりはもう戻れない身体になってしまったというわけか、悔しい。

𠮷野家さんでは二日酔いの翌朝でもなければBセット(お新香、味噌汁)を注文することは無いというのに。

松屋さん、いつからか卓上ソースからカルビソースが撤去されてしまっている。

注文の組み立てをああだこうだ考える割りに能天気な私は

『今日も切らしているんだろう』

と正式撤去を全く認めようとしていなかった。

一説には、店員さんに言えば冷蔵庫から出してくれるそうなのだが真偽不明。

カルビ焼肉のお皿にはお店から指示されている通りカルビソースを入れていたが、不承不承で焼肉ソースを入れざるを得なくなっている。

しかし食べてみると、人生初で注文した時につけ比べて食べたあの違和感が全く無い。

これはあれか、焼肉ソースの容器にカルビソースを入れているのではあるまいか。

あるいは、毎週せっせと取材と称した食事に出かけて、漫文こさえている私の舌が馬鹿なのか。

後者であろう。

だが私はチェーン店さんでは舌や頭で食事をしているわけでは無い。

料理は心、ご飯は喉ごし。

 

あ、定食の生野菜があった。

ごまドレッシングを適量かけて、全部食べる。

漬物などでもない限り、食事はお肉とご飯で良い。

この理屈で、回鍋肉も先にキャベツとピーマンを食べてしまう。

これをやると友人から白い目で見られる。

白い目で見られながら食べる白いご飯も美味しい。

変態食欲のなせる業か。

 

牛焼肉のお皿にポン酢を入れて、つけて食べる。

カルビ焼肉に比べて淡白なお肉に、酸っぱい味がついている。

酸っぱすぎて吹き出しそうになる。

カルビ焼肉と牛焼ポン酢は180°味が違う。

なんだこの酸っぱいお肉、美味い不味いではなく笑える。

家でしゃぶしゃぶを食べたってポン酢と牛であるには変わりないが、慣れていないというだけで結構な事件だ。

私にとっては最早カルビ焼肉が良い箸休めとなっている。

R女史はこれをいつも食べていたのかカッコいい、さすが香の者。

 

豚汁に関してはあまり書こうとは思わぬから、別の機会にする。

JR定食に関して言えば、通常のお味噌汁で十分という気がしている。

【人生5.0】Junの一食一飯 #004 𠮷野家【ONLIFE】

職場の最寄り駅出口すぐ横に𠮷野家さんがある。

毎朝そこへ這入って食事を済ませて出勤する。

そういうことが長く長く続いていた頃があった。

私は𠮷野家さんを尊敬している。

早い、安い、美味い。

それに加えて鰻が年中提供される。

味噌汁が高い、そこは大目に見る。

寛容になれる自分を認められる、そんなお店だ。

 

絶滅危惧種を頂くのはよくない。

でも売られてしまっている以上お救いし申し上げなければなるまい。

頼まれてもいないことを、まさに買って出る。

人生はハードモードを選びたい。

鰻と苦労は買ってでも…なんて言葉もあったか。

可愛い子には旅をさせ、私はいつまでも赤ん坊の弾力的な心を大切にしたい。

人の心は赤子のごときもの、とは宣長さんも言っている、それに賛同しよう。

 

いつも注文していたのは、鰻重味噌汁牛小鉢セット、ご飯大盛り、もちろんタレ抜き。

タレが好きな人は普通にお召し上がりください。

私は太く長く食べ続けるために塩分を諦めている、それだけである。

ちなみに𠮷野家さん、豚丼はタレ抜きができない。

タレに自信ありというわけだ、だから私は豚皿とご飯とを別々に注文する。

ホントは多分、レトルトパックからご飯に上げるのにどうしてもタレごとかかってしまうからなのだろう、邪推は私の悪い癖だ。

しかしながら、スタミナ超特盛丼ではタレ抜きができた。

調理場の方にはたいそう怪訝な顔をこちらに向けて頂けた、無理からぬこと光栄である。

 

この夏、酔狂で𠮷野家さん、松屋さん、すき家さんで鰻を食べ比べてみた。

ちょうど、どこか新興のウェブサイトで似たような企画をしていたからだ。

まぁ、あんまりどこも大差なかろうかと思う、尻尾が出てくるところもあった。

一枚盛りで注文したのが良くなかったか、まぁ当然だろう。

𠮷野家さんで注文するのは、満足度と値段のバランスをとって二枚盛りだ。

異常食欲のなせる業か、私の食事に朝晩は関係ない、バランスが何だというのか。

それでも社会人としてお酒は控える。

ドイツ人にあらざる私には止むを得ない仕儀である。

 

鰻はタレ抜き。

なればこそ、牛丼を頂くときにはつゆ抜きである。

だから今回の来店では、やはり牛丼つゆだくだくというのを試すべきだろう。

いや、自分の心のまま正直に告白する。

つゆだくだく食いてえ、と心が叫ぶのだ、私の身体を支配しているのは心だ。

ということで、この度、鰻重二枚盛りタレ抜きと、牛丼アタマの大盛りつゆだくだくを注文させて頂いた。

普段𠮷野家さんで牛丼を食べるときには、アタマの大盛りつゆ抜きと決めている。

お味噌汁は注文しないでおいた。

なぜって、つゆだくだくのこれはもう汁物だということに勝手に決めたから。

で、ここの鰻は簡単に左右に別れてくれるというのが特徴だ。

見た目には上下なのではあるが。

プロとコントラ(賛否)あるかと思うが、食べやすい大きさに別れてくれるのは良いことだとしておく。

皮目の焦げた味わいが強いのがもう一つの特徴だ、これも賛否あるだろう。

まぁ、そういうののためにお店にお邪魔しているわけではないので気にしない。

 

鰻にかけるために、山椒の小袋が付いてくるが、これを見て欲しい。

この「どこからでも切れます」を装って、ど真ん中に切れ込み一本だけが入っているこの小袋を。

この小袋には諧謔があると見るが、どうだろうか。

これは私の在り方ほどには及ばない。

私の場合は、諧謔を通り越して単なる道化だから。

それゆえ、この小袋のように在り方までをも強制されているというのには、同情の念を禁じ得ない。

いやいや、これ以上、𠮷野家さんの山椒小袋に自分を重ねるのはよそう。

破こうとして、真ん中から勢いよく開くと、中身が散らばってしまうので気をつけて欲しい。

お重の上で、慎重に開封することをお勧めする次第である。

 

鰻からご飯と一緒に頂く。

パリパリよりトロトロが好きな私は大好きだ。

で、追っかけて牛丼をざっとかっ込む。

ひ、ひ、ひ、思わず下卑た笑いが心の中で巻き起こる。

天使がラブソングを歌っている。

落ち着けローリン・ヒルよ、ここで紅生姜を頬張る。

これを繰り返す、笑いが止まらない、落ち着けローリン・ヒル紅生姜。

なんというか、もうカレーを食べている気すらして来た。

合間にグッと飲む水も非常に美味しい、カレーだこれは。

 

こうなると、鰻が美味しいのか、久しぶりに食べるつゆだくだくに感動しているのか、なんなのか一体分からない。

鰻は毎日食べるものではなかったのだな、不承不承ながら平賀源内に頭を下げる。

我々は、長いことAを考えあぐねた挙句、Bに行き着くというやり方もあると、そんな認識を持ってもよかろうと思う。

毎日鰻を食べ続けた挙句、鰻はたまに食べるのが良いと気付くような。

無論、やるやらないは別として。

そうこうしているうちに、狂喜のカレー定食はきれいになくなった。

胃袋の満足感を抱えてお会計を済ませる。

 

さて、かつての毎朝鰻生活は、筋トレ命、筋肉の権化みたいな大先輩から

「身体に毒だぞ」

とかなんとか言われ、長く続いた朝の幕開けは終焉を迎えたのだった。

だが、真偽不明のこんな発言に影響を受けることは、読んでくださった諸氏には無用のこと。

単に懐具合を気にして思い止まったまでである。

【人生5.0】Junの一食一飯 #003 小諸そば【ONLIFE】

前回、期せずして博多ラーメン屋さんに這入って慢文を終えた。

麺類皆兄弟ともいう。

ジャパニーズファーストフード(発音としてはファストだろうが、表記はファーストに従う)の代表の一つ、お蕎麦を食べに行きたい。

 

仕事まで行く乗り換えの飯田橋駅前、東西線の改札から出て、一旦階段を上がってすぐ、小諸そばさんがあった。

朝六時だか六時半には開いていたんじゃなかったか、非常に心強いお店だった。

今は閉店して、富士そばさんになっている。

衣類パンツである(諸行を衣類、無常をパンツと置き換えてみると、どういう風情か肌で感じられるのではあるまいか)。

 

親友のKは富士そばさん贔屓で、そこの冷やしたぬき蕎麦大盛りに限ると言っている。

もう以前の話だが、上野界隈で飲んだ後、決まって彼は上機嫌になって不忍池のほとりのお店で奢ってくれた(飲み代を持っていたのが私だからである)。

彼はドストエフスキーが大好き、私は小林秀雄が大好き、ここに妙な接点があった。

だからといってドストエフスキーが富士そばさんで、小林秀雄が小諸そばさんと言いたいわけでは決してない。

日露代理戦争を、何も二つのお蕎麦屋さんで勃発させようなどとは思わない。

きのこの山とたけのこの里に別れるんじゃなく、にんにくの家においでよ。

全部美味しいよ。

ただ、小諸そばさんと富士そばさんとは、違いがある、それは追々述べることにして、小諸そばさんについて書く(ゆで太郎さん御免なさい)。

 

私が小諸そばさん贔屓の理由は、冷やし蕎麦の艶やかさにある。

同業他社の全店舗を食べ比べたわけではないが、これにはちょっと驚いた。

かけ蕎麦のなんとも言えない優しさを好んでいた私が、もりやぶっかけにあわや転向だ。

あまりの食感の良さに、一度無理を言って、もり蕎麦の食券を買って、かけつゆを別の丼にお願いしたことがある。

冷たく〆られたお蕎麦を、かけつゆのあったかいのにくぐらせて食べたかった、つけ麺のように。

言下に無理と申し渡され、もり蕎麦を頂いた、やはり艶やかで美味しかった。

その日の帰り、かけを食べ終えたつゆに、追加で買ったもり蕎麦をくぐらせて試したが、やはり美味しかった。

 

だから、そのお蕎麦自体の信頼感で、夏場は冷やし、冬場はかけ。

中でもたぬき蕎麦をお決まりとして注文する。

かき揚げ蕎麦を食べるのはかっこいい、第一回で述べた通り生徒指導部長が怖くて私にはできぬ。

コロッケ蕎麦を食べるのもかっこいい、学校来ないでバイクに乗る不良染みたかっこよさがある。

こういう事を考え出すと頭の中がややこしくなるので、天婦羅への憧憬を少しまじえた、たぬき蕎麦をお決まりにしている。

 

小諸そばさんの揚げ玉は、フライヤーに残った天かすを出してくれる。

よく見ようと見まいと、玉葱の切れ端や小海老なんかが混じっていて香り高い。

富士そばさんの揚げ玉とは、ここに宿命的な違いがあるので、好きである。

話は逸れるが、大阪出張でたぬき蕎麦を注文したら、お揚げが乗っていた。

これにはニンマリだった、食い道楽の喜怒哀楽を享受した思いがした、お揚げも出汁も美味しかった。

さらに逸れるが、山怪という体験談集にあるのは、狐は化けるし化かすし火を使うらしい。

一方で、たぬきがするのは、いわば声帯模写というやつで、木こりが斧を使う音を真似るのだが、近年はチェーンソーで木を切る音の真似をするという。

 

今回、いまはなき飯田橋店に代わって、神楽坂店へお邪魔した。

また食べたいのがたくさんあって迷うが、一番よく食べていたものにする。

ミニ鳥から丼セット二枚盛りをかけで、天かす追加ダブル、鳥から丼はタレ抜き。

大盛りは三十円、二枚盛りは六十円払うのだが、安くて助かるというか二枚盛りが通常量という感覚にすらなる。

 

天かす追加は口頭で行う。

のだが、そういうのはやっていないのだそうだ。

視界が暗くなって目眩がしそうだ。

だったのであるが、すぐにやっていないけれどやりますと言ってくれた。

そうか、飯田橋店ではそういうローカルルールが通っていたということか。

天かすは二つの猪口に入れられて供される。

 

食券の番号が呼ばれて受け取りに行く。

のだが、注文したものと違う。

親子丼セットになっている。

道理でお釣りが少ないと思った。

この商品はどうやら期間限定のようだ。

ミニ丼ではなくフル丼だ。

だから少し値段が高い。

 

この親子丼の鶏を食べるだろ。

そのあとに揚げ玉を口に運ぶだろ。

そしたら唐揚げになるだろ。

いやいやそれは観念だろう。

 

小諸そばさんでお蕎麦の紹介をしながら、実はここは唐揚げがオススメなんですと運ぶつもりだったのに。

お店の前の張り紙で、鶏の唐揚げ丼って書いてあるじゃないですかと言って、それはテイクアウト用ですと言われている間に誤った食券を買ってしまったか。

いやいや落ち着こうではないか、親子丼は私のもとにやって来てくれたのだ。

入る腹はあるのだから、ミニ唐揚げ丼は追加しよう。

だが、食券機には単品のボタンが見当たらない。

聞くと店員さんがやけに特殊なコマンドで購入してくれた。

さっきの揚げ玉トッピングといい、小回りが利いて非常に好感が持てる。

期間限定の親子丼は、いかにも親子丼といった風だったが、なか卯さんには行きつけていないので、ちょっと比較にならない。

そして、親子丼は月に何度か作るので、自作のものの方が美味しいと感じる。

一方でこのベタっとした衣の鳥からが、個人的には一番好きだ。

鳥天って言えば良いのに鳥から、鳥からなのにからっとしてない、これが良い。

実は冷やしの艶やかさ以上に、これを伝えたくて書いた、今回は唐揚げの回でもあるのだ。

 

卓上の小樽に輪切りの葱がたくさん入っている。

小諸そばさんはこれが使い放題だ、太っ腹すぎて、いや頭が下がる。

一気に大量に入れると、つゆが辛くなるし冷めてしまうので、少し載せて食べるの繰り返し。

思い出したら親子丼をがっついて、つゆを飲んで流し込む。

ミニ鳥から丼は、唐揚げが二つしか乗っていないので、貴重品である。

食後、暑くなったからもり蕎麦を追加して身体を冷やした。

満腹すぎたのか、往年の艶やかさをあまり感じなかった。

ちょっとした歯車のズレで、上手くいかぬ日だった。

久しぶりに、高校生の頃の量を食べることになった。

しかしながら、痩せ我慢ではお蕎麦を食べられない。

何より、お店の方々に救われたような気がしている。

【人生5.0】Junの一食一飯 #002 もり一【ONLIFE】

美談というものがある。

プロになるべくして滑舌、発声、発音の研鑽を積んだが、この美談のイントネーションがいまひとつ口腔に馴染んでいない。

破談の音か、示談の音か分からない、ちょっとどちらも縁起が悪い。

回転寿司のレーンを思いついたのは、ビール工場の流れに触発された発明だという。

これは美談に属すると思われる。

 

最近の回転寿司は、新幹線の模型がお皿を運んでくるところもある。

これは社長がシンカリオンを見たんだろうか。

変形メカが運んでくる日も間近だろう。

どこかにはペッパー氏が応対しているところもある。

 

このペッパー氏(氏をつけているのは、ジィドのテスト氏の影響か、未読)、私は心ひそかにヴェルギリウスとお呼び申し上げている。

英語読みでバージルとなるから、ペッパー氏のスパイスに対してハーブを持ち出したまで。

全部解説すると面白くもなんともないが、こっちの勝手だ。

私はコドモだから、かいけつゾロリのまじめにふまじめを実践しているまで。

遊びで手抜きと不正をする者は、遊びに誘われなくなるものだ。

 

苦しい枕はそろそろ捨てて本題へ入ろう、個人々々に合う枕の用意は難しい。

古よりのジャパニーズファーストフード(発音としてはファストだろうが、表記はファーストに従う)の代表の一つ、お寿司をつまみたくなった。

のではあるが、お邪魔するお店のもり一さんは、都内を横断するような形で、ごく数店舗しかない事をあらかじめお詫びさせていただく。

もとは一皿百円、百三十円、百五十円と経て、現在は一皿百八十円で頑張ってくださっているお店だ。

コロナの所為でまた値上がりした。

コロナめ。

 

もう何年も前、職場の近くにもあった。

同い年の後輩と二人、バスに乗ってよく繰り出した。

長居はしない、というか出来ない。

生ビールを飲み飲みお寿司をつまんで解散。

そんな風な職後の潤いを与えてくれたお店だった。

並んだ空きグラスを下げてもらうようにお願いすると

「飲み放題になっちゃうんで」と笑顔で店員さんに言われたのは今でも笑える。

そこはもう閉店してしまったが、地元船橋にもあるし、以前バンドの拠点にしていた亀戸ベースの傍にもあった馴染み深いお店だ。

 

こちらの特色は、酢飯に赤酢を使っていることで、シャリにはほんのりと色がついている。

味わいも酸味に若干のクセがあるのだが、人を選ぶようなものではないから、ちょいとオツな気分になれる。

流れてくる容器の中にある山葵は多めに取ってしまおう。

それと、レーンの上ににんにく醤油が乗って回っているので、お好みで使われるのが良い。

おみおつけは浅利か海苔だが、気まぐれなメニューもあろうかと思う。

 

席に案内されつつ海苔椀をお願いし、板前さんにはアボカド巻きをお願いする。

レーンの〆鯖を取って露払い、三貫のっていて気前がいい事この上ない。

粉山葵を、むせる寸前ぎりぎりの量、べったりとつけて頂く。

真っ白に〆られた鯖の酸味と、過剰な山葵が口の中でかめはめ波の撃ち合いをする。

ひ、ひ、ひ、思わず下卑た笑いが心の中で巻き起こる。

トリップ感というヤツだ、これは、間違いない。

今鳴り響いているBGMはJ.A.シーザー作曲「さかなクンさんすなわち魚」。

 

頭の中に魚群が到来している間に、アボカド巻きが出来上がった。

中太の巻物で、ネギトロに包まれたアボカドが一緒に入っている。

この巻物は三つに切られ、断面を仰向けにし、さながら蛇の目の様相を呈していて、ときにはちょうど三つ盛蛇目のようになっていることもある。

気取らないお寿司屋さんで、こういう変化球は醍醐味である。

寿司ネタ変化球も様々にあるが、私はコレがあるからもり一さんが好きだと言っても過言ではない。

店舗限定メニューもあるし、ハーフ&ハーフも受け付けてくれるから、数え上げたらまさにキリがない。

さて、数多の中から次を悩む前に、回っている〆鯖をもう一皿取った。

忠臣蔵において、浅野内匠頭は吉良上野介に「鮒侍」と散々いびられた挙句、刃傷に及んだと描かれている。

それなら私は鯖侍が良い。

今日も鯖、明日も鯖、鯖鯖鯖鯖、鯖が好き。

鮪が高騰しても、鯖が食べられれば私は足りる。

海原雄山から、しょせん下魚だなどと罵倒されたって、是非に及ばず刃傷に及ばず。

 

バチ鮪のトロが数量限定で放出される、美味しい。

脂の乗った鰤の腹身が同じく流される、美味しい。

軍艦にたっぷりと盛られた雲丹を取る、失敗した。

忘れかけていたミョウバンの味を思い出すために取ったようなものだ。

そう考えると酔狂な味がする。

うつむいていると泣いちゃいそうになる、強がりで顔を上げる。

壁のメニューを見るフリをして、虚空をグッと睨む。

 

えんがわと書いてあるのと目が合ったので注文する。

こういう時の注文はアドリブが良い。

この感情を受け入れてくれる懐に広さに流されてしまえ。

何頼んだって良いし、何頼んだって百八十円。

好きに食べたら良い、それは制限のある中で最大限の自由。

 

お酒の提供も無いことだし、長居はせずにサッと出る。

同僚という友もなく、酒という友もなく、サッと食べるだけ。

口の中が赤酢の酸味と、お魚のさっぱり感で一杯になった。

サッと出たのは、口の中がさっぱりし過ぎたためである。

だから、向かいの博多ラーメン屋さんに這入って〆た。

 

【人生5.0】Junの一食一飯 #001 てんや【ONLIFE】

十二時過ぎの放課後が来て、家に帰らずゲームセンターへ行っていた土曜日。

当時中学生だった私は、同級生のTと共に船橋のてんやさんでしばしば昼食を摂った。

穴子と海老が載ったやつの、薩摩芋を茄子に変えてもらって、大盛りタレ多め。

Tはそこへさらに卓上のタレをどっとかける、私も悪乗りで同じくかける。

味の濃い所にさわやかなおしんこを頬張る、でまた天婦羅を食べる、食べる。

カラカラになった喉を冷たい麦茶でぐっと潤して、また食べる。

 

てんやさんにはそんなかつての懐かしい思い出もあって、よく行く。

現在バンドの拠点にしている文京ベースにも最寄りにある。

今は定食にして注文する、白いご飯が好みになったからだ。

定食にするには百九十円払う必要がある、どうだってかまわない。

喫煙者が千円になるまでは吸い続けようと思っているのと変わらない。

 

定食には天つゆがつく、これが嬉しい。

ほうれん草のおひたしもつくし、ご飯は食べ放題になる、これも嬉しいが言ってみればおまけだ。

定食にすると、天婦羅を天つゆでも、お塩でも、タレでも食べられる。

選べるというのは幸せなことだ、悩めるというのは贅沢なことだ。

白状すると、人の倍食べたくてタレの塩分を避けたいのが無いではないが。

 

そんなわけで、てんやさんに夕食を摂りに来た。

一番安い天丼を定食にしてもらって、穴子を追加。

他は海老、烏賊、野菜どれも嬉しい。

どうしても鱚の思い出が頭から離れないから、赤魚は変えてもらう。

執着するのは醜いが、無頓着ではいられない。

こちらでは大抵季節の天婦羅を出してくれるから、それは追加する。

春の山菜、夏の真鯛、秋の牡蠣、冬の帆立。

ここは必ず注文するが、他にも季節の野菜などちょっと迷うくらいある。

準レギュラーみたいな鶏天も小回りが利いて良いが、皮つきの腿肉ならより良いのにと思う。

カロリーお化けが出来上がっても別にいいだろう、天婦羅を食べるのは私にとってハレの日だ。

 

穴子は最初には食べない、食べ進める喜びが尻すぼみになるから。

と言って最後にも食べない、冷めて美味しくなくなるのは嫌だ。

のぼせているだけだろう、子の字に濁点は不要と思っているから。

穴子のことを考えていると、なんだか恋でもしているみたいだ。

 

かき揚げは試されているような気がするから敬遠している。

私は天邪鬼だから、かき揚げのあの

「賞味できるのか、お前に」という雰囲気に顔を背けたいんだろう。

高校の頃の生徒指導部長の威厳染みたものを感じて、私のような脛に傷持つ半端者には怖れ多い。

そんなことで誤魔化して、かき揚げ賞味の鍛錬に励まないから、また遠ざかる。

 

だから、何が言いたいのかというと、かき揚げにたっぷりとタレをたらして、ドロドロのべたべたになったやつを頬張って、白飯を一気に掻き込みたいのだ。

否、ビールでもいい、ビールがいい。

思えば、てんやさんで日本酒を呑んだことが無かったな、これは不覚だった。

天婦羅で日本酒、ビールじゃない方のコロナの馬鹿野郎。

 

そんなわけで、かき揚げ丼を追加する。

私は人の倍食べたいし、色々な味を食べたい。

心の中に、異常食欲と変態食欲とが同居していると思っておく。

こうすると天婦羅が冷めないで済む、どうだろうこの策は?

 

しかし、メニューにはかき揚げ丼が見当たらない。

ならば単品でよかろう、定食ならご飯のおかわりもできる。

だが、単品も見当たらない。

生徒指導部長、衝撃の左遷。

みんな同じ思いだったのだろうか、私との再会そして和解もならず。

執着するのは醜いが、無頓着ではいられない。

目を皿のようにして探すと、季節のメニューに「つまみ揚げ」というのがあった。

これだ、ハーフサイズのかき揚げだ、夏野菜の天丼を注文だ。

さて、てんやさんのかき揚げを頂くのも、タレったれを頂くのも久しぶりである。

ちなみに、白いご飯が好きなので、ご飯にタレをかけないでいただきますよう注文した。

ここからはさらに卓上のタレにも存分に御活躍願いまして、頂きます。

ひ、ひ、ひ、思わず下卑た笑いが心の中で巻き起こる。

ラプチャー、というヤツだろうか、これが。

蕎麦をどっぷりとツユにひたして食べるというあの感覚か(もちろんこれは江戸時代の都市伝説であり、蕎麦店の系譜ごとに妥当な食べ方があることは断っておく)。

こんな浮かれ気分の頭を、襟首ぎゅっと掴まれて、ぐんと現実世界に引き戻す力が作用する。

つまみ揚げに含まれたセロリのさわやかさだ。

ズッキーニも米茄子も甘唐も大振りで非常に愉快だった。

 

非日常の満足感を懐に仕舞い、お会計へ。

レジのてんやおじさんに目礼する。

フォールアウトのマスコットそっくりだといつも思う。

ごちそうさまでした、こんな身近な所に美味しいお料理をありがとうございます。

「またの!」そんなふうにおじさんが言った気がした。

 

件のゲームセンター、ゲームフジ船橋はもう何年も前に閉業してしまった。

私も大学の頃には、ゲーマーとしての第一線を退いてしまっている。

当時の相方のふ〜ど氏は今や、日本を代表するプロゲーマーであり、尻職人ことグラビアアイドルの倉持由香さんを奥さんに迎えて本当に良かったと思い、祝福する気持ちに溢れている。

羨ましいんだよこの野郎、ともちょっとだけ思っておくことする。

 

そして、船橋のてんやさんも去年閉店を迎えた。

今、その跡地には、このコロナ禍でもハイボールを平気の平左で出す居酒屋が建っている。

別に、外飲みをどうこう言うつもりはない、“感染しなければ”酒類の提供に何も文句はない、むしろ私を含めた世の飲助たちへの懐の広い対応に頭が下がる思いもある、ちょっとある。

だけど、そんなんなら、船橋のてんやさんを返して欲しいという気持ちのほうがある、もっともっとあるのだ。

でも、誰に言えばいいか分からない。

分からないからこうして書いた。