【人生5.0】Junの一食一飯 #004 𠮷野家【ONLIFE】

職場の最寄り駅出口すぐ横に𠮷野家さんがある。

毎朝そこへ這入って食事を済ませて出勤する。

そういうことが長く長く続いていた頃があった。

私は𠮷野家さんを尊敬している。

早い、安い、美味い。

それに加えて鰻が年中提供される。

味噌汁が高い、そこは大目に見る。

寛容になれる自分を認められる、そんなお店だ。

 

絶滅危惧種を頂くのはよくない。

でも売られてしまっている以上お救いし申し上げなければなるまい。

頼まれてもいないことを、まさに買って出る。

人生はハードモードを選びたい。

鰻と苦労は買ってでも…なんて言葉もあったか。

可愛い子には旅をさせ、私はいつまでも赤ん坊の弾力的な心を大切にしたい。

人の心は赤子のごときもの、とは宣長さんも言っている、それに賛同しよう。

 

いつも注文していたのは、鰻重味噌汁牛小鉢セット、ご飯大盛り、もちろんタレ抜き。

タレが好きな人は普通にお召し上がりください。

私は太く長く食べ続けるために塩分を諦めている、それだけである。

ちなみに𠮷野家さん、豚丼はタレ抜きができない。

タレに自信ありというわけだ、だから私は豚皿とご飯とを別々に注文する。

ホントは多分、レトルトパックからご飯に上げるのにどうしてもタレごとかかってしまうからなのだろう、邪推は私の悪い癖だ。

しかしながら、スタミナ超特盛丼ではタレ抜きができた。

調理場の方にはたいそう怪訝な顔をこちらに向けて頂けた、無理からぬこと光栄である。

 

この夏、酔狂で𠮷野家さん、松屋さん、すき家さんで鰻を食べ比べてみた。

ちょうど、どこか新興のウェブサイトで似たような企画をしていたからだ。

まぁ、あんまりどこも大差なかろうかと思う、尻尾が出てくるところもあった。

一枚盛りで注文したのが良くなかったか、まぁ当然だろう。

𠮷野家さんで注文するのは、満足度と値段のバランスをとって二枚盛りだ。

異常食欲のなせる業か、私の食事に朝晩は関係ない、バランスが何だというのか。

それでも社会人としてお酒は控える。

ドイツ人にあらざる私には止むを得ない仕儀である。

 

鰻はタレ抜き。

なればこそ、牛丼を頂くときにはつゆ抜きである。

だから今回の来店では、やはり牛丼つゆだくだくというのを試すべきだろう。

いや、自分の心のまま正直に告白する。

つゆだくだく食いてえ、と心が叫ぶのだ、私の身体を支配しているのは心だ。

ということで、この度、鰻重二枚盛りタレ抜きと、牛丼アタマの大盛りつゆだくだくを注文させて頂いた。

普段𠮷野家さんで牛丼を食べるときには、アタマの大盛りつゆ抜きと決めている。

お味噌汁は注文しないでおいた。

なぜって、つゆだくだくのこれはもう汁物だということに勝手に決めたから。

で、ここの鰻は簡単に左右に別れてくれるというのが特徴だ。

見た目には上下なのではあるが。

プロとコントラ(賛否)あるかと思うが、食べやすい大きさに別れてくれるのは良いことだとしておく。

皮目の焦げた味わいが強いのがもう一つの特徴だ、これも賛否あるだろう。

まぁ、そういうののためにお店にお邪魔しているわけではないので気にしない。

 

鰻にかけるために、山椒の小袋が付いてくるが、これを見て欲しい。

この「どこからでも切れます」を装って、ど真ん中に切れ込み一本だけが入っているこの小袋を。

この小袋には諧謔があると見るが、どうだろうか。

これは私の在り方ほどには及ばない。

私の場合は、諧謔を通り越して単なる道化だから。

それゆえ、この小袋のように在り方までをも強制されているというのには、同情の念を禁じ得ない。

いやいや、これ以上、𠮷野家さんの山椒小袋に自分を重ねるのはよそう。

破こうとして、真ん中から勢いよく開くと、中身が散らばってしまうので気をつけて欲しい。

お重の上で、慎重に開封することをお勧めする次第である。

 

鰻からご飯と一緒に頂く。

パリパリよりトロトロが好きな私は大好きだ。

で、追っかけて牛丼をざっとかっ込む。

ひ、ひ、ひ、思わず下卑た笑いが心の中で巻き起こる。

天使がラブソングを歌っている。

落ち着けローリン・ヒルよ、ここで紅生姜を頬張る。

これを繰り返す、笑いが止まらない、落ち着けローリン・ヒル紅生姜。

なんというか、もうカレーを食べている気すらして来た。

合間にグッと飲む水も非常に美味しい、カレーだこれは。

 

こうなると、鰻が美味しいのか、久しぶりに食べるつゆだくだくに感動しているのか、なんなのか一体分からない。

鰻は毎日食べるものではなかったのだな、不承不承ながら平賀源内に頭を下げる。

我々は、長いことAを考えあぐねた挙句、Bに行き着くというやり方もあると、そんな認識を持ってもよかろうと思う。

毎日鰻を食べ続けた挙句、鰻はたまに食べるのが良いと気付くような。

無論、やるやらないは別として。

そうこうしているうちに、狂喜のカレー定食はきれいになくなった。

胃袋の満足感を抱えてお会計を済ませる。

 

さて、かつての毎朝鰻生活は、筋トレ命、筋肉の権化みたいな大先輩から

「身体に毒だぞ」

とかなんとか言われ、長く続いた朝の幕開けは終焉を迎えたのだった。

だが、真偽不明のこんな発言に影響を受けることは、読んでくださった諸氏には無用のこと。

単に懐具合を気にして思い止まったまでである。