【人生5.0】Junのラーメンドラゴンボウル(碗) #006 稲毛 炭よし【ONLIFE】

「俺は、お前が切っ掛けになって、俺達三人の友情が終わるんじゃないかと思ってる。」

先日、こう言われた。

ことの発端は、今から遡ること一三八億年前、いや、宇宙の起源にまで遡る必要はあるまい。

我々の問題解決にカントの助力を得ようと欲するならば話は別だが、彼もまた第一アンチノミーに突き当たって因果律が破綻してしまうことになる。

そう、ことの発端はごく私的な問題で、今流行の歌手の歌を流すのを止めてくれと要請したのを、冒頭の発言の主が聞き咎めたのだ。

その男にはこう弁明した、大きな失恋から立ち直れないでいて、その女性がよく聴いていたんだ、と。

二十年来の付き合いの友人は、すぐに私の“ある種の例え話”を察したらしく発言を撤回してくれた。

 

以上の話から二つの議論がなされる。

一つは、これからラーメンを食べるのにカントを持ち出す馬鹿があるか、という判り切った、つまり議論の余地のない議論(それを洒落とか冗談とか与太とかいう)。

もう一つは、大切なものを失ってから嘆く馬鹿があるか、という我々が繰り返し陥る、つまり繰り返された議論(それを友情の決裂とか失恋とか喪失とかいう)。

後者に関して、我々は先にも述べた通り、カントの助力を得ずとも我々自身で解決に至った。

友情のように壊れやすいものは、大切に扱いさえすればいっそう壊れなくなるという、誰もが知るであろう事実の再共有だけで、我々の友情はより強固になったと信ずる。

ただ、逆上せていた私が、恋だの愛だのも喪失しやすいものであると知るのが後になったまでのことだ。

 

今日探し求めるラーメンドラゴンボウルは、すでに喪失してしまったお店である。

 

先ほど、ラーメンを食べるのにカントを持ち出す馬鹿があるか、などと口走ったがそれに似たような粗忽者を知っている。

我々三人がシェアハウスをしていた頃、その家の空き部屋にもう一人入居してきたのがその男だ。

何せ、引っ越しするのに行き先も聞かず、車に荷物を詰め込んだのだから。

で、後部座席でこんな話をしたらしい。

「どこら辺に行くの?」

「イナギ(東京都多摩地域南部)だよ。」

行き先も聞き、道中二人は運転手を尻目に与太話、車が向かう方角が西ではなく東だったと気付くはずも無い。

ついた先は、稲毛(千葉市北部)だったから、二十三区外とはいえ都内に住めると思った男は大いに動転し、行き先を伝えたKもそんな聞き違いに腹を抱えて笑ったという。

 

まるで落語の枕のような話だったが、そこ稲毛に伝説の店舗があった。

駅から徒歩十分強のシェアハウスから最も近いラーメン屋さんが三件。

行列のできる家系、地域密着型のタンメン、そしてそのお店、炭よし。

行列に並ばず、タンメンは食べずの私が選ぶのは当然、炭よしさんだ。

私は部屋に週一度しか顔を出さないので、ある日提案されて這入った。

座右に拝してあるのは、平凡な「醤油トンコツ」の中華そばだったが。

 

「何だ、このメニュー。」ロマンチストのKが惹かれたようだ。

「面白いね、それ頼も。」本文冒頭の発言をした男も話に乗る。

「じゃ中華そばにする。」私のこんな所が癪に障るのだろうか。

 

端麗なイメージの中華そばからは遠い、トンコツ醬油の深い味わいに間違いはなかった。

いや、間違いだった、両名とも眼を剝いて彼らが注文した一杯を激賞している。

私も蓮華で一口頂くと、そこにあったのは鶏ポタージュとしか言い様の無い、濃厚かつ鮮烈な味わいのスープだった。

どろどろの粘性スープは口の中一杯にへばりつき、鶏そのものの香りが鼻へと抜ける。

これは、加熱した鶏がその形状を保てなくなって、どぷんとゲル化した生命の一杯だ。

他店ならば嬉しい肉感の豚チャーシューですら、この碗の中で存在感に疑問が生じる。

海苔めんまホウレン草にさながら家系を連想、花弁の様な白ネギはしゃなりと優しい。

どんとこいや 炭よし :https://minkara.carview.co.jp/userid/602368/spot/709923/

全世界の鶏白湯が単なる白湯に帰してしまうほどに空前だった。

鶏白湯として提供された訳では決してないのだから当然なのだが。

惚れ込んでから何度も食べようとしたが、店主の体調不良とやらで不定休。

もともと稲毛を拠点とした活動に私が参加していたのは週に一度きり。

そして僅か数ヶ月後に突然の閉店を迎える。

鶏ポタージュとして文字通り絶後の一杯は、伝説となった。

 

伝説には噂が付きまとうのが常である。

曰く、マスターは千葉の錚々たる名店を渡り歩き修行していた。

曰く、茹でたてのうどん、揚げたての天ぷらを出すお店だった。

うどんは三百円、天ぷら五十円だったというのだから、店舗周辺での需要と受容があったかどうか疑問なのだが、それにしても安い。

 

曰く、うどんに加えて、長州ラーメンを提供するようになった。

曰く、二〇一二年末(およそ十年前になるとは!)の再オープンを機に、ラーメンのみを提供するお店となった。

にもかかわらず、お客からの要望でうどんの限定提供を再開した。

我々が越して来たのが二〇一四年五月、再オープンから一年半後のこととなる。

 

曰く、以前はカレー屋さんの経験もあるらしい。

曰く、カレーにチーズを溶かして炭の香りをつけていた。

ちょっと何を言っているのか分からない。

そしてその技術をラーメンに転用したメニューも作っているらしい。

 

以来私は、ほんものの鶏ポタージュを食べていないし、目にすることもない。

面影を探して注文した鶏白湯ラーメンに、落胆することなら繰り返している。

今回、この記事を書くにあたって、その美味を伝えきることが出来なかった。

数度だけ食べた感動よりも、喪失した感傷に浸ってしまうのだ、どうしても。

もう朧げなあの味の影を追いかけて、私は関連するウェブサイトを渉猟する。

私はどうして、死んだ我が子の年齢を数える様な真似をしているのだろうか。

そんな風に考えて涙が出そうになり、ラーメンドラゴンボウルを取り落とす。

 

「我々は国宝を永遠に失ってしまったのだ。」

冒頭の発言者、TechnoBreak Shunメンバーが、昨日私を慰めた。

 

【参考一覧】

食べログ 炭善(掲載保留)(4件の口コミ、2012/03再オープン前にうどんを出していた情報が唯一見られる、2012/08再オープン前に長州ラーメンも出していた情報もあり)

https://tabelog.com/chiba/A1201/A120104/12028267/dtlrvwlst/

 

ラーメンデータベース 醤油トンコツらーめん 炭よし(6件のレビュー、2014/01/11鶏塩に「命のラーメン」と記載有、感動の92点)

https://ramendb.supleks.jp/s/66252.html

 

Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E- 炭よし(炭善)@稲毛 千葉の名店を渡り歩いた店主さんが満を持して開業!(2013/03/19お店の背景が詳細に記載されており、資料としての価値が第一級、gooblogの更新頻度も非常に高く今回好きになりました)

https://blog.goo.ne.jp/sehensucht/e/a8041291c24c6dd5447290c58f29bc40

 

Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E- めん屋いとうけ@稲毛 炭よし跡地に家系LIKEな濃厚ラーメンのお店が登場!(2014/11/03炭よしさんが短命でかつ、塩チーズが美味という事を裏付ける内容)

https://blog.goo.ne.jp/sehensucht/e/daaef556f9e0bf37d0a9a4b1bf4b5f71

 

お水をどうぞ 炭よし@稲毛の『中華そば』(2013/03/23鶏塩がリリース時はライトで女性向けだったというのが面白い)

http://blog.livedoor.jp/mostly_benten/archives/1765245.html

 

お水をどうぞ 炭よし@稲毛の『鶏塩ラーメン』(2013/03/23上記記事の直後に注文の連食、コクのある鶏白湯だったという)

http://blog.livedoor.jp/mostly_benten/archives/1765256.html

 

続おもしろラーメンブログ 炭善@稲毛(塩チーズ)(2013/02/16塩チーズの秘術と未知なるカレーの存在に震える)

https://ameblo.jp/yokozunayokozuna777/entry-12476052903.html

 

どんとこいや 炭よし(2013/12/01夏前に来店した記事だというが、鶏塩に“鶏ポタージュ”の記載がある唯一のもの)

https://minkara.carview.co.jp/userid/602368/spot/709923/

 

cafefreak 失敗しない稲毛でのラーメン屋さん探し!食べたくなったら急げ!(2016/01/08稲毛のラーメン事情を俯瞰できる)

https://cafefreak.jp/6337

【人生5.0】Junのラーメンドラゴンボウル(碗) #005 金龍ラーメン御堂筋店【ONLIFE】

年末の職場閉鎖期間、私は研修で大阪へ行く。

都内での研修は十二月中旬にあるのだが、通常業務を優先させるために申し込む事はしない。

止む無く、家で怠惰を謳歌する時間を、自身の鍛錬に昇華させる。

ちょっとした旅行感覚を味わうためにも。

期間は二十九、三十の二日間、これを二十八日に前入りする。

行きも帰りも深夜バス、泊まりはネカフェの貧乏旅行である。

 

休日が湧くと朝七時に起きてロング缶のビールを二本飲んでから寝直し、昼に起きたらワインをボトル半分飲んでから三度寝、活動開始は十六時頃。

大抵はこんな風にして、文化的な活動は無いままに一日を無駄に過ごす。

だったら、無給で働いている方が良いのだ。

中庸は能くす可からざるものなれど、爵祿くらいは辞する事が可能だ、週に一日くらいなら。

 

そんな透かした理屈で誤魔化しているが、真実はきっと違う。

過労だとか過度の飲酒だとか異常食欲や変態食欲とか、碌でもないこれもそれも形を変えた自傷なのだろう。

アクラシア問題、これは哲学上の大議論だという。

曰く、ソクラテスはそれを単なる無知と断じた。

曰く、アリストテレスは欲望や感情による葛藤を生じていると諫めた。

 

だからその頃は恐ろしく金がなかった。

金なんかあるから不安になるのだと信じていたから。

果たして不安はなかった。

だが、金もなかった。

それでも生きていく事は出来たのだった。

 

深夜バスに乗って朝七時前に梅田へ着く。

夜明かしした酔客は駅へと向かっている、あれは夜勤明けの勤め人か。

すれ違うように朝日の射す方へと歩く。

バスのオプションで付けた大東洋の朝湯を浴びる。

一度だけ、その前にウェスティンホテル一階のアマデウスで朝食のビュッフェも付けた事があった。

あのオプションはそれ以来目にしないが、貧乏旅行のクライマックスがいきなり来た感じがして、良かった。

 

だいたい十時頃には拠点である難波へ到着する。

それから夜まで、凡そ碌でもない事をして過ごす。

だから一体何をしていたか覚えていない。

もしかすると、前乗りなぞしていなかったのかもしれない。

研修は十時から十七時までだったから。

 

もう地図に頼らずに難波を歩く事はできるが、周辺に一体どんな名所があるのか、私はとんと知らぬ。

空白の一日なぞ存在していなかった。

存在しない空白の一日を作った心理はなぞだ。

壊されるより先に狂ってしまえ、壊れた事を気付かぬために。

 

研修を終えてから、ネカフェのチェックインまで五時間以上ある。

御堂筋と千日前通が交差するすぐそばに、フラットタイプの完全個室をナイトパックで予約してある。

それまで碌でもない事をして過ごすのだ。

貧乏旅行はこれだからたまらぬ。

年末の大阪で雪に降られた記憶はない。

寒さが身に染みると思ったこともあまりない。

懐具合が唯一の欠点だったのだが、制限のある中で自由を求める事なら出来た。

 

いや、それを彷徨と言うのかもしれない。

自由を求めて彷徨っているのであるならば。

なぜならば自由なんて無いのだから。

この皮膚の外に、物質的自由というものなぞ存在するまい。

自己の中にのみ、精神的自由がきっと在るのだ。

 

否、在った。

物質的自由が、其処に、目の前に、頑として。

御堂筋をぶらついていれば、その一角は厭でも目に入る。

金龍ラーメンが其処に在る。

迫り出したカウンターというより、これは台と呼びたい。
その内部から立ち上る朦々たる湯気がこの店の放つ熱気を物語る。

そこへと群がる客たちで、台の周りがひしめきあっている。

椅子は無く、立ち食いだから混沌が秩序立っていて面白い。

 

強烈な何かに束縛されてお店へ突入、何が自由なものか。

食券は二種類、ラーメン六百円とチャーシューメン九百円。

対峙する券売機に見据えられ、強烈な制限を受けた私の全身が強張る。

震えるほどに痺れる、このお店は大盛りなど用意していない。

つまり、チャーシューメンを食べて、次にラーメンを食べてそれが大盛りという事になるのだ。

大盛りラーメン、千五百円、ここに爆誕である。

 

台の上には、ラーメンボウルに白菜キムチ、ニラの辛子和え、きざみにんにくがそれぞれ盛られて割り箸が突っ込まれている。

勝手に取って、勝手に味を調整する事が無言で示されている。

これは啓示か、屋根から突き出た龍の啓示か。

しかし、未だ七つ集めきらないラーメンドラゴンボウル。

降臨するのは一体何。

 

そのラーメンはすぐに出てくる。

チャーシューは薄いが、冬場のこの寒い季節感と精神的疲労感による感謝の念が勝る。

生存本能がチャーシューを味わう事を禁じ、麺と一緒にさっと手繰ってしまう。

その麺を一口食べると、なんともスタンダード未満のとんこつ醤油様の味がする。

換言するならば、懐の広いラーメンの味という事だ。

清濁併せ呑むかのような、個性を主張しない事で却って個性に目が向くような、そんなラーメンだ。

すかさず台の碗から全ての具材を、これでもかというほどに、どかどか投下する。

何を食べているのか分からなくなるほどに入れてしまう。

熱いつゆにキムチをひたしたもの、その脇に麺が沈んでいるような料理だ。

これには火傷を防ぐという効果もある。

つゆが辛いのはニラのせいではない、にんにくを入れすぎたからである。

これが私の、にんにくジェノサイ道。

臭くなるのは生姜無い。

 

関東者が往く、年の瀬の立ち食いラーメンは、普通とは一体何か私に問うている。

二十四時間営業だから、なんなら翌朝も食べてしまう。

金龍ラーメンさんは、ミナミに五店舗あり、残り四つは小上がりの座敷で食べる。

さらに、そこは大釜からご飯を自由に取る事ができる。

なあんだ、金のない貧乏旅行者にも優しい面をちゃんと見せてくれるではないか。

休日返上労働者の諧謔と哀愁、肉体と精神双方の再生。

【人生5.0】Junのラーメンドラゴンボウル(碗) #004 木場 來々軒【ONLIFE】

ラーメンのアタマにお野菜は不要だ。

これが私の基本的視座である。

無論、嫌いなわけでも食べられないわけでもない。

不要だと思っているだけで、イデオロギーではない。

人間の主体的思考の枠組みを犯すから、イデオロギーは大嫌いだ。

だから、お野菜は必要に応じて頂く。

 

そんな私だから、担々麺を食べに出向く事はあっても、わざわざタンメンを食べに行く事はない。

ただ一軒を除いて。

そのお店は、東京都江東区にある。

ちょうど、東西線の木場駅と東陽町駅との境。

駅から歩く、秘境とまではいかないが、行列のできる一軒である。

 

來々軒さん、木場タンギョウ発祥の名店。

大通りを折れた路地に元々あったお店が、廃業を機に、木場タンギョウ文化の荒廃を憂いた気鋭の愛好者に継承した復活店なのだ。

タンギョウとは、タンメンとギョウザのセットのこと。

いつもの自分に戻ったかのように、食券を複数購入して着席。

心機一転、今回の記事に関してはご案内させて頂こう。

今、手元にある食券は六枚。

 

タンメンのアタマが盛られた小皿が、カウンター上に置かれるのでそこへ向かう。

これがアミューズ。

そう、アミューズ。

初手、餃子、瓶ビール。

アペリティフがすぐに来る、この日はハートランドにした。

ここには飲みに来ているので、アタマをおつまみにしてビールを飲み干す。

アタマには、かなり辛めの自家製ラー油をかけて頂くのが良い。

運が良ければ、女将さんからアタマのお代わりを勧めてもらえるので、それを受ける。

この辺りで餃子が運ばれる、その数五つ。

 

次手、白ワイン。

そう、白ワイン。

こちら來々軒さん、継承者の御子息が、なんとワインソムリエの資格を持っているのだ。

だから、こちらでは入荷さえあれば、かなりこだわりのその日のワインが提供される。

すなわち「木場にヌーベルシノワが存在する」のだ。

来店前にワインの有無を電話で確認しておきたい。

 

オードブルのギョウザを三つほどツマミながら白ワインを愉しもう。

だがその前に、さて、ギョウザには何を付けるか。

「蒼天航路」では劉備本人が饅頭で、諸葛亮がタレに喩えられたが、すぐに水と魚では如何かとたしなめられた。

そのタレの問題である。

 

私は、ギョウザを食べさせるのに凝ったタレは必要ないと思っている。

醤油の入った容器を眺めながら、酢だけに付けて食べれば良い、チャーチルがマティーニを飲んだ時の様に。

お店でタレが無ければ食べさせられないようなギョウザを出すというのは、すなわち堕落だ。

私は滅多に作らないが、自分で手作りしたギョウザが一番美味しい。

餡の下味次第で止まらなくなるほど美味しくなる。

時間がなくてスーパーで買ってきたのを家で焼いた場合には話は別だが(家ではポン酢に付けています)。

 

來々軒さんには鎮江香醋が置かれている。

小林秀雄の「蟹まんじゅう」ラストに出てくるあれだ。

南翔饅頭店の白磁に入ったあれだ。

流石だ、ヌーベルシノワはこうでなければ。

無論、普通のお酢やお醤油も置かれている。

 

話が逸れたが、ギョウザが冷めてしまう前にかじりつこう。

カリリ

という音がするのに驚く。

皮は透き通っているのに弾力があって、もっちりとした食感が楽しい。

しかしながら、焼き目は非常に軽快である。

餡の旨味は言うまでもない。

都内で一番美味しい餃子を出してくれるお店なのだ、とアプリオリに察知する。

鎮江香醋のコクがさらにギョウザを引き立てる。

ラー油は、マティーニグラスに添えられたオリーブ程度の量が良い。

 

決手、赤ワイン、チャーシュータンメン、大盛り。

残りのギョウザと赤ワインのマリアージュを満喫しながら、タンメンの到着を穏やかな気持ちで待とう。

果実味の爽やかな白に対し、この日の赤は渋味が軽やかで豊潤だった。

他所なら平気で一杯千円以上取られるだろう。

このギョウザの焼き手が、ソムリエでもあるのだから、これはもう頭の下がる思いだ。

そして、楽しい時間は一瞬で過ぎる事を証明するかのように、タンメンは意外に早く到着する。

ふんだんな野菜の間から、厚みある丸チャーシューが何枚も顔を覗かせている。

一口で食べてしまい、赤ワインの残りを飲み干す。

これをアントレと言うのは乱暴すぎるだろうか。

このお店でフレンチのコースが完結すると言ってしまっては。

ポワソンもソルベも無いが、それはどうでも良い事だ。

コーヒーは他所で頂こう、そうしなくたって構わない。

野暮の極みの差し出口だが、トッピングにチーズなんていかが。

 

チャーシュータンメンをタンメンに換えて仕舞って、頂きます。

中太麺がするり。

アタマのお野菜は、塩気ある茹で加減でしゃっきりとしている。

そう言えば、私は塩ラーメンを食べにいく事がない。

そんな理由からでも、こちらはラーメンドラゴンボウルなのだ。

タンメンの湯の字が、優しい塩気のつゆにとなってあたたかい。

 

酔いが回って心も軽くなっているかのようだ。

これで気の利いた事の一つも言えないようではいけない。

來々軒さんが美味しい理由は何故かって、タンメンだけに丹念に作っているから。

ギョウザほど出来が良くない冗談なだけに可笑しい。

タンギョウはタンギョーとの表記揺れもある。

それもまた可笑しい。

【人生5.0】Junのラーメンドラゴンボウル(碗) #003 ラーメン二郎 仙台店【ONLIFE】

有名観光地然としたラーメン屋さんへいく時は、一時間も待たされるのが嫌なので、開店の三十分前から待つようにしている。

その日は四十分前に着いた。

先頭が一名、これがありがたかった。

私はこのお店に這入ったことがなかったためだ。

そんなわけで、私はラーメン二郎仙台店さんの閉ざされたシャッターを見ていた。

 

物心つく前に七夕を見て以来、ここ仙台には奇妙な縁で惹かれている。

社会人になって以来、だいたい二年に一度は深夜バスで行くのだ。

文章を書くのに良い環境だと判明したため、これからもっと行く頻度が増えそうな気もしている。

この時の縁も奇妙だった。

 

「語り得ぬものについて人は沈黙せねばならない。」

で有名なヴィトゲンシュタインがその奇縁を取り持った。

あの超然とした断定と、およそ人間離れした言動にヤられて、著作なぞろくに読んでもいないのに引用したりを当時した。

そのツイートが文学界で一、二を争うほどのヴィトゲンシュタインマニアである諸隈元さんの眼に留まり、滅多につかないイイねがついた(実際には、その作家さんはヴィトゲンシュタインに関する全ツイートを可能な限りチェックしている流れなのだろうが)。

で、氏がその頃ちょうど、仙台旅行をしており色々な報告を呟いていた。

 

#どうでもよくない仙台情報

ここに、沈黙は破られた。

彼は怒涛のように吐露している。

「仙台で一番驚いたのはラーメン二郎 滅っ茶苦茶っうまかった」

「脂に頼りがちな都内の二郎に石油みたいな臭みを感じるのに対し、醤油のキレが効いてる神奈川系二郎を好む主因もそれ なのに仙台二郎では脂に蠱惑された」

「食べ物の中では世界一好きなのが関内二郎なので、その確信が揺らいだのはショックでした、、」

 

ヴィトゲンシュタイン、仙台、ラーメン二郎…点から線へ、私はそこにラーメンドラゴンボウルの存在を確信し、現地へと発った。

 

十二月の仙台である。

天候と日差しに恵まれ、日中はさほど厳しい思いをせずに済んだ。

花京院のホテルから、吉良吉影の邸宅があるとされる勾当台公園を見物。

石畳が眼に華やかで、広々とし、僅かばかりの家族連れは豊かな時間を過ごしていると分かる。

その後通りをぐっと折れ、広瀬通へ出、そこからは伊達氏代々の居城であった青葉城方面へ向けてずんずん進む。

仙台広し、三十分以上歩いて来た。

十時五十分着、お店の向かいのレンガに腰掛けて待つことができるのがありがたい。

 

前に並んでいた中年男性の後に続いて食券を買う。

初めて入る、系の付かない本物の二郎さんだ、緊張している。

今は、食欲なぞ度外視である、美味しく食べて幸せに帰るのだ。

私の食欲、この日は謙虚。

小で他店の特盛、大で他店の特盛二杯と言うこと程度の事前情報はある。

鰻重とアタマの大盛りで十分な私である、これくらいは特盛の範疇だろう。

 

では、そろそろ私も沈黙せねばならない。

対立のために食事しているわけでは無いのだ。

小ラーメン、それと気になったキムチ。

最奥から詰めて、行儀良く座っていく我々。

行列はすでに、長蛇になっていた。

 

すると常連らしき人が

「豚ないですか?」と訊いた。

店主らしき人が

「ありますよ!」と応じた。

前日の仕込みにも関わらず、食券機に反映させていなかったようである。

「えー、なら今からやろうよ!」

急ぎ、食券機は本来あるべきメニューを取り戻し、以降のお客さんたちは豚を注文できるようになった。

チャーシューが三枚増えて、五枚になる。

 

それを聞き咎めた先客が

「こっちもイイですか?」と食い下がる。

店主らしき人

「もちろんです!差額(百円)置いてください!他にいらっしゃいますか?」

ゾロゾロと手を上げていくお客たち。

当時、私は豚の差額が百円である事を知らず、幾ら払えば良いのかも分からなかったので、俯いていた。

我ながら新米の感に堪えず、流石に悄気たか。

 

さて、素人ならばせずとも良いと言われるコールと相成る。

「ヤサイヌキ、ニンニク、アブラ」

初回でヤサイヌキと言うのは、邪道と言われても仕方ないのではなかろうか。

だが私は、タンメンでも注文させていただくとき以外、九割がた野菜の類は無しにする。

挙句、にんにくジェノサイ道の求道者としてニンニクもアブラもマシマシにしなかったのは、外道である。

あぁ、全てが、感慨深い。

 

その一杯は、乳化したスープがキラキラと輝いているようだった。

キムチの赫がポール・セザンヌ然とした存在感を放っていた。

うどんのような確たる麺とだけ対峙したかったから、ヤサイヌキにして良かったのだ。

その味は、鮮烈だった。

濃い味は嫌いだ。

しかしながら、舌を刺すような快感が先走った。

このラーメンを批判する者は居るまい。

居たとすれば、それは…

さて、折角だからここで、もう一度ヴィトゲンシュタインにご登場願いたい。

「少なからぬ人々は、他人から褒められようと思っている。人から感心されたいと思っている。さらに卑しいことには、偉大な人物だとか、尊敬すべき人間だと見られたがっている。それは違うのではないか。人々から愛されるように生きるべきではないのだろうか」

私は誤りに気付いた。

褒められたい、尊敬されたいという気持ちでいたのかも知れない。

そういう姿を見せられる側は、良い気がしないだろう。

私自身も見せられているから。

 

褒められたい、尊敬されたいという姿はさながら、愛されたい、愛されたいと苦しんでいる姿に見える。

なればこそ、その姿が愛おしいと思える。

何も言わずに抱きしめたいような気持ちになる。

あなたと私は一つだけれど、あなたは私を見ていない。

 

LIFE WITHOUT LOVE IS LIKE JIRO WITHOUT GARLIC

まるで関内二郎さんのスローガンのようである。

私は近々、また仙台店さんへお邪魔して、小豚ラーメンキムチ生卵麺半分ヤサイニンニクアブラマシマシを頂くつもりだ。

【人生5.0】Junの一食一飯 #012 こってりらーめんなりたけ Junのラーメンドラゴンボウル(碗) #001【ONLIFE】

ウルトラネガティブとハイパーポジティブを併せ持つ、エクストリームニュートラル。

私の意匠はこれである。

換言すれば、右も左も均しく斬り捨て、我が身も捨てる、そんな意匠だ。

孔子はこれを中庸と呼んだに違いないのだが、私のような小人には実践できぬと明言している。

「国を平和にすることも、無給で労働することも、白刃の上を歩いて渡ることもできる。それでも中庸だけはなかなか出来ない」と言う風な事を、孔子先生は言っているから。

確かに頷ける、なぜなら私が注文するラーメンは必ずこってりで、均しくあっさりを注文することはなかなか出来ないから。

 

千葉で見初めて、津田沼に通い、飲んだ〆には池袋、はたまた駅前錦糸町、いつか行きたいパリ支店。

こってりらーめんなりたけさんだ(あんまり好きだから以下、敬称略)。

あの福岡西新にも支店があり、営業を続けていると言うのだから驚きである、一寸信じられない。

コンビニのカップ麺にも進出したようで、ご存知の方も多いのではあるまいか。

私はこのお店で十代の身体に焼ごてで刻印を受けた。

はたまた、刺青代わりの刺白と言うべきか、そのくらいに背脂こってりなのである。

 

なりたけのカップ麺は、蓋の上で後入れ背脂を温めておくのだが、仕上げに容器へ入れる際、一寸引いてしまうくらいの量が出る。

これが不思議なことに、お店で食べる際には抵抗がなくなる。

即席とはいえ、この料理—そう信ずる—は自分で作るものでは無いのだと確信する。

自分で作れないから外で食べる、これが外食の醍醐味であろう。

 

船橋から幕張の中高へ通っていた私が初めて食べたのは、同級生のゲーセン仲間に千葉店へ連れて行ってもらった時だ。

当時、貯めた小遣いのほとんど(と言っても昼食代五百円で百円の大きなプリンを一つだけ買った残金)をアーケードゲームの仕合に費やしていたから、電車賃のかかる千葉まで出る機会なぞ滅多に無かった。

また、それまで通っていたラーメン屋さんも一軒決め打ち、魚介だしの醤油ラーメン屋さんだけだった。

だから、都会にはとんでもない食べ物があると、味覚中枢の根幹に衝撃を受けた。

右脳と左脳との裂け目にめり込んだ背脂ツルハシは、私の人格をこってり極右へと大転向させたのだ。

以来、世間一般では背脂ちゃっちゃ系と言うのだろうが、なりたけはなりたけである。

 

普通のらーめんで十二分にこってりなので、騙し討ちを食らう羽目になるかもしれぬが、店名にはっきりとこってりと書かれている。

あっさり志向の方ならば「背脂なし」とか、少なめの「あっさり」を頼むと良い。

背脂の紫色した甘みに脳を焼かれた諸氏ならば、「ギタギタ」で。

私の場合はこれを「超ギタ」にして、大盛り、バター(酔狂で付ける)、もやし抜き(茹でてあるのは水っぽくなるため)、薬味(輪切りの葱の事)多めが基本だ。

気分でチャーシューとライスをつけて定食風にする事もある。

 

「超ギタ」とは、スープが無い代わりに其処にあるはずのものが全て背脂になっている代物である。

半ばこちらの我が儘を聞いて貰って作って頂いているようなものだから、これは飲み干さねばならぬ。

他店さんの張り紙だが、油そばのカロリーはラーメンのほぼ三分の二、塩分は約半分という説があるようだ。

あとはなりたけさんの超ギタを油そばと呼ぶかどうかだけなのだが、それは我々の胸三寸で決まる。

何、背脂の量は自分で選べるではないか、それだって我々の胸三寸だ。

 

「月(にくづき)に旨(うまい)と書いて脂となります。」

と書き出された、良く出来た嘘のような貼り紙がされている。

超訳すれば背脂サイコー程度の意味だろう、それには同感である。

しかしながら、説明の程度としては「土の下に羊を埋めて幸せ」のレベルなのだが、この説は真実だろうか。

旨いとは何か。

 

もう、普通のなりたけなぞ思い出せぬ、一度も注文した事は無かったのかも知れぬ。

近所にお店があって、気軽に行けるなら、普通を頂く機会もあろう。

しかし、私がなりたけに行くのは心が渇いているときだから、飲み歩いた〆に「超ギタが食いてえ!」と吠えるのだ。

普通のなりたけが食べたい、でもなりたけに来たら超ギタが食べたい。

そんなわけで今回も超ギタを注文させていただいた。

運ばれてきたお碗は、一面を蓮の花のように広がったチャーシューが覆い隠しており、とても良い。

この下に、お釈迦様がその蓮が咲いた池から見下ろした、地獄のような超ギタ背脂が溜まっているのだ。

蜘蛛の糸は必要あるまい、中には中太麺がとぐろを巻いて、引き上げられるのを待ち受けている。

卓上のにんにくをたっぷり入れるのを忘れずに。

 

啜り込んだその麺はもちもちとしていて、何より甘い。

ひ、ひ、ひ、思わず下卑た笑いが心の中で巻き起こる。

突き抜けている、全てが脂であるならば、これは全てがスープという事だ。

突き抜けている、普段ならば身体が拒絶するような塩辛さが気にならない。

比較の対象がないから脂も塩分も知らぬ、それほどまでにこってりしている。

人はパンでは生きられない。

イエス様だって息を吹き返し、輪になって踊るだろう。

 

狂気と狂喜が入り混じった食事を終えてからふと気付いた。

食券を何枚渡したのだったか。

チャーシューめん、バター、ライスの三枚、三枚だ。

しまった大盛りを押し忘れていた。

大盛りは百円で麺が二玉になる。

道理で食後の満足感を、切なさが上回ってしまうわけだ。

私は錦糸町駅改札に入った後で、何とも言えぬ切なさを感じていたのだった。

 

そうか、総武線で船橋の手前、本八幡で降りてそこのなりたけへ這入ろう。

どうせなら今度は人生初の普通を食べてみよう。

らーめん、普通、もやし抜き、薬味多め。

私が一番頻繁に通うラーメン屋さんでも「超こってりで。」と注文するが(もう先方で先に確認を取ってくれる)、なりたけの普通には遠く及ばない。

本来あるはずだったスープは熱く、とても美味しかった。

 

普通が一番美味しい、一食一飯の締め括りに相応しい気付きだった。

 

せっかく八幡へ来たので京成駅前のDue Italianで白いらぁ麺を食べて帰った。

【人生5.0】Junの一食一飯 #011 かつや【ONLIFE】

この頃、幸せとは何か、考えさせられる機会が多い。

その際はこんな観念がしばしばまとわりつく。

人はどうして、他者に向けて自分を良く見せようとするのだろうか、と。

見下されると、所属する集団の中で待遇が悪くなるからか。

そんな集団と決別し、一人孤独に、自足した時間を過ごすのは険しい道なのだ。

 

あるいは、良く見せようとしているつもりは無いのかも知れぬ。

にも関わらず、私の目にそれが見栄として映っているのかも知れぬ。

本人は、本当の自分をありありと開示しているのだ。

本当の自分?自分とは何か。

 

ほんの少し硬い話が挿し挟まってしまって、糸楊枝でも欲しくなるかな。

歯痒く感じさせてしまっただろうか、それならば申し訳ない。

少しばかり考え込んでしまったのだ。

と言うのも、一食一飯は次回が最終回だからである。

 

そんな折、「孤独のグルメ」漫画版第一話をたまたま再読して驚いた。

と言うのも、たかだか四ページの中に、人が孤独を享受しつつ幸せに生きる為に必要な力が点在していると気付いたからだ。

発言力、問いを立てる、洞察する姿勢、察知、関連付け、内省、自己肯定、例える力、共感などである。

詳細は別の機会に感想文でも書こうと思うが、今回の一食一飯に関わる点を一つだけ取り上げよう。

 

主人公、井之頭五郎の内言

『うーん…ぶた肉ととん汁で、ぶたがダブってしまった』

である。

これは先述の「関連付け」にあたる。

換言すれば「括る能力」であろうか。

この能力は日常生活の因数分解のみならず、その中を独自性で彩色することも出来る。

提供された料理からぶたという共通因数を括るのは、主人公ないし作家の特徴がなせる業だ。

目の前に並んだ料理という“物”が、介在する人物の心情を通過して語られる事で“物語”となる。

 

だからこそ、今日の一食一飯はとん汁を取り上げたい。

とん汁変更ではなく、はじめからとん汁で出してくれるお店がある。

そして、そこのとん汁がとても美味しい、包み込んでくれるような優しさを感じる。

かつやさんである。

 

ただしかつやさん、『とん汁とライスで十分』というわけにはいかぬ。

そのようなものは無いし、私の食欲が満足するということにもならぬ。

だが、どうしても意識せずにいられぬ。

トンカツととん汁で、ぶたがダブってしまうという事を。

 

最初から其処にあったものを、人は山などと呼ぶ。

孤独のグルメの重力場から逃れるということは難しい、非常に。

さりとて、かつやさんが期間限定で放つ

「ほら、揚げれば何でもカツにできる」

と言った体のメニューに乗っかるのは安易に過ぎる気もする。

 

こんな時は、水のように清らかな心で居れば良いのだ。

こんな時は、酒のように朗らかな身体で踊れば良いのだ。

何でも来るといい、カツなら何でも食べられる。

槍でも鉄砲でも持ってこい、揚げれば何でも食べられる。

 

大袈裟は良くも悪くも私の特徴的なところである。

来店早々メニューの表紙には、期間限定で親子カツなるものが掲載されている。

これはチキンカツを卵とじにしたものだ。

高校の部活帰りに寄った肉の田川さんを思い出す、堂々たるジャンボチキンカツだ。

ぶたがダブる懸念は早々に払拭された、注文する。

白いご飯が好きだから、親子カツ煮定食の方を。

 

しかし、同じくトンカツチェーン店の和幸さんと異なり、ご飯のお代わりが出来ない。

和幸さんでは、特ロースご飯一択だから、一食一飯になり得ない。

これほどまでに立派なチキンカツを、お茶碗一杯程度のご飯で平らげるなど、変態食欲の私には出来ない。

ただ空腹が満たされれば良いというわけでは無い。

ならば一番手ごろなカツ丼の梅を注文と洒落込みたい。

カツ煮をおかずにカツ丼を食べて仕舞え。

うん、こうしてチキンカツ煮とカツ丼を食べ比べてみると、肉々しさは鶏肉の方に軍配が上がっても良さそうなものである。

美味しくて、瑞々しくて、大きく食べ応えがある。

一切れ頬張ってから、カツ丼を掻っ込む。

で、そこへ、とん汁をすする。

とん汁は四十円追加で大きいサイズにしてある。

 

回転寿司の活美登利さんも全く同じ味のとん汁を提供する。

それが何だと言うのだ。

仙台の牛タンは大概が豪州産であるのと同じくらい私には関係がない。

私たちは先人から受け継いだ文化を食べているのだから。

思い出を食べているのだから。

小林秀雄は言ったか、上手に思い出すことは非常に難しいと。

ならば私は、せめて美味しく思い出したい、そう思う。

 

私の、俺の、僕たちの脳髄に、肺腑の中心にある何かに、きっとそれは心の根っこに、思い出が群がり湧き起こる。

あれはいつだったか。

職場内のチームで幸せとは何か議論「させられていた」時のこと。

どうしても道化を演じる気分になれず、私は黙って静観していたのだが、それに乗じて「金が全て」と強硬な主張を押し通そうとする者がいた。

その男の険しい目元が、それを演じているのではなく信じているのだという事を、疑う余地のないものにした。

私は気分が悪くなってきていた。

 

俺は

「物質を買うより、自分で作った方が幸せだと思う」と溢すと、彼は笑って

「それはちょっと分かる」と言った。

苛まれていた何かから解放されたような、あの安心したような表情をまだ覚えているから、僕は敢えて自分で作らず外で食べる。

【人生5.0】Junの一食一飯 #010 社員食堂【ONLIFE】

社員という言葉には、輝くという意味がある。

私は私の人生の舞台の傍観者ではない。

できる限りこの人生を喜劇的かつ諧謔的に主演を勤め切ってやりたいと思う。

脚光を浴びて、称賛されたい、誰かのために生き、そして死にたい。

Shineは「死ね」と書くのだと、誰かの揶揄する声が聞こえる。

そんな非難は笑い飛ばしてしまえば良い。

大学を卒業してから一途に同じ企業に勤めている。

居心地は自分に合うように多少良くする事ができた。

録でもない事が起こりでもしない限り、勤め上げたいと思う。

自分の会社のために尽くすのは、世のため人のためになると信じている。

そんな私がここの社員食堂に通うのは、週に二度ほどだろうか。

 

営業中に時間が取れず食いっぱぐれてしまう。

日替わり定食がハンバーグとか、青椒肉絲とかそういうのだとあまり食指が動かない。

単に外食へ誘われたりということもあるし、この頃は自前で弁当を持っていく機会も増えた。

それでも貴重な三食の一角、月始に張り出される今月のメニューはほとんど毎日見遣っている。

社食不精の私だが、厨房のお姉さま方からは覚えが良い。

いつもご飯大盛りで頼んでいるので、普通盛りで注文すると驚いた顔で聞き返される。

 

どこにでもあるようなチェーン店で一食一飯を書いてきた。

今回は世界に一つの社員食堂だが、どこにでもあるような社員食堂の話。

私がよく注文させていただく食事について書く。

 

まず、何よりも唐揚げだ。

おかずに物足りなさを感じたときに手軽に追加できる。

というか、これしかほとんど選択肢が無いのだ。

完全なる自由を求めると、畑の土地探しから始めねばならぬ。

これだけに制限されているということは、見方を変えれば幸福なのかも知れぬ。

 

入社したときには一つ三十円だったが、四十円の時期を経て、今は五十円になっている。

この調子で値上げが続けば、私が退職する頃には一つ百三十円ほどか。

お年を召された大先輩たちが社食を利用するときには

「ご飯半分でお願いします」

とよく言っている。

その歳になってから唐揚げ追加なぞ、もってのほかであろうか。

大盛りは五十円かかるのに、半分にしても五十円引きになるわけでは無い。

妙な工合(具合)である。

 

勝手に蕎麦定食と呼んでいるメニューがある。

日替わり定食やら焼肉丼に、追加でたぬき蕎麦を追加しただけのものだ。

二枚の食券を手渡すと『またか』という表情で苦笑いされることがよくある。

しかし、それは好意的な眼差しをたたえているいるから、私はこの社食が好きだ。

ただ、調子に乗って社食のお姉さまに

「蕎麦だけにお吸い物ですよ」

なぞと放言すると、本気で呆れられる。

ちなみに、このたぬき蕎麦には、調味料コーナーの七色唐辛子をビックリするくらいどっと入れてしまう。

これにも呆れられるが、実際美味しいし、顔も売れる。

 

先にも述べたが、いつもご飯は大盛りにしていただく。

たまに普通盛りを注文して聞き返されることがあるのだが、

「今日は他所でお蕎麦食べて来ちゃったので」

と応答し申し上げることがたまにある。

これにはこの頃『あぁ、どうりで』という優しい表情を返していただける。

お互い名も知らぬ男女である。

 

ご飯大盛りでは足りない時が必ずある。

日替わり定食が鯖の時だ。

オフィスでも上司やお姉さまから

「明日、鯖ですよ」

なぞと喚起していただけるのだが、たいがい

「もう食券買って予約してあります」

と応じている。

社食の予約をしている社員は他にいないから、笑われる。

笑われるのは道化の本懐である。

 

鯖塩焼き定食“普通盛り”の食券を出してお願いする。

案の定、お姉さまが聞き返す。

ちょっと戯けて、重ねておいた二枚目の食券を披露する。

ル・シッフルが最初の大勝負でショーダウンするときのように。

「おおっと、ははは、ブラフだと思ったかね」

両断された半身の鯖を二人前、単純に鯖一匹を食べることになる。

これだけあると、切り身を食べ終えてしまうのが惜しくなくなるから良い。

 

鯖の日はこれだけに止まらない。

その食後にテイクアウト二人前を注文する。

目を見開いて聞き返される、無理もない。

しかし、明日の朝と昼に食べる分をオフィスの冷蔵庫に入れておくのだ。

「本当に好きなんですねぇ、鯖」と口々に、呆れ半分畏敬半分のような表情になって雑談が始まる。

「あんまり好きすぎて、鯖の詩を作ったくらいですよ」

意外だったのだが、お姉さま方みなが、聞きたいと言ってくれたことだ。

諳んじたところ、たくさんの笑顔をいただけたのでこちらにも書いて仕舞いにする。

 

今日も鯖、明日も鯖、鯖鯖鯖鯖、鯖が好き

 

朝起きて、鯖食べて、回転寿司では、鯖で〆め

 

塩焼きだ、照焼きだ、手間暇かけた、鯖味噌だ

 

鯖缶は、大根煮、冷や汁にしても、イイ感じ

 

夕食は、お刺身だ、衣まとわせて、揚げ物だ

 

今日も鯖、明日も鯖、鯖鯖鯖鯖、鯖が好き

 

鯛が好き、鮪好き、それでもやっぱり、鯖が好き

【人生5.0】Junの一食一飯 #009 やよい軒【ONLIFE】

考えろ、考えろ。

俺たち人間て奴ばらにできるのはせいぜい考えることだ。

悩む前に考えろ、そしたら迷わず行動せよ。

時間が無ければ行動しながら考えたって良い。

土曜の昼食が毎週ラーメンではいけない、さりとてその隣にあるカレーというのも芸がない。

両方行くのはもう通用しない。

 

そんな中で、ちょうど思い当たったのがやよい軒さんだ。

身体はCoCo壱番屋さんとその隣にある家系ラーメン店さんの前まで来ていたのだが、考える力が、意志の力が勝利した。

流石アライアンスを代表するシステム、ピッチスペルである。

急いで身体を右へ九十度旋回し、少し先にあるそのお店へと向かった。

 

考えろ、考えろ。

相手はあのやよい軒さん、手強い定食メニューが勢揃い。

鯖か、唐揚げか、カットステーキも捨てがたい。

考えろ、考えろ。

悩む前に考えろ、そしたら迷わず行動せよ。

 

やよい軒さんはご飯おかわり自由だ。

そして、私はお腹がペコペコだ。

今日は濃い目の味付けで、ご飯をたくさん食べさせてくれる一皿にしよう。

鯖味噌か、生姜焼きか、茄子と豚肉の味噌炒めなぞはあるだろうか。

しかし、あれもこれも食べたい私の変態食欲を満たしてくれるのは、やよい御膳これも捨てがたい。

考えろ、考えろ。

今日の一食一飯、私個人対外食産業の決戦の様相を呈している。

 

そして行き着いた店頭に大きなポスター、カキフライミックス定食。

これだ!

外食産業から見舞われた強力なストレート。

季節のメニューに1ラウンドK.O.を喫した。

悔しくなったので、お茶漬け用のミニサバ小鉢を追加した。

塩焼きだ、照り焼きだ、手間暇かかったサバ味噌だ。

だから今日ならミニサバだ。

ご飯おかわり自由なのに、別定食追加なぞする必要がない。

 

食べたかった唐揚げも、ミニ唐揚げで追加しよう。

小鉢で彩りを添えるという、今までになかった選択肢に心が躍る。

大皿定食のお店はこうして私の食欲を満足させてくれるのか。

カキフライ三つと、エビフライ、アジフライ。

これらにはたっぷりタルタルソースを付けて食べたいから、も一つ追加して。

 

お味噌汁変更、貝汁か豚汁か。

いや、今回はやめておこう。

特に豚汁は、毎回変更しているとそういう人になってしまう。

変更しないという選択もアリなのだ。

いや、しかし、納豆汁にするのに納豆を買おう。

この提案は良し、群を抜いている。

 

あ、それとあと、〆にはササっと卵かけご飯にしよう。

ご飯おかわり自由を徹底的に逆手に取るのだ。

卵購入、追加はこれくらいで良いか。

食券の束が腸詰めみたいになってぞろぞろと出て来た。

こういう事ってあるのか、なんだか笑える。

結局、やよい軒さんは色々と食べる分にはイイ感じ感じ検定準一級だ。

これはかなりイイ感じ。

今回は注文しなかったが、牛肉のすき焼き小皿や、天ぷら小皿もある。

席に案内されてから改めてメニューを眺めていて吹き出してしまいそうになった。

定食メニューには「なす味噌と焼き魚の定食」という欲張りセットがあったのだ。

もちろん焼き魚はサバの塩焼きである。

あんなに考えていたんだから、総合的に判断して正解はこちらである。

 

考えていたにもかかわらずカキフライに飛びつくあたりが、人間の愚かしさ。

しかしながら、エビ&アジフライの助太刀があっては敵わなかった。

よくよく考えれば、単品でカキフライ二粒から追加できるのでそれでも良かった。

去年の雪、今いずこ。

されど、反省があるのは考えていた証拠だ。

 

さて、本日のランチがLaunch、榴弾みたいなカキフライ。

定食とミニ唐揚げについているキャベツを先ずそれぞれ食べる。

甘いお豆とか生野菜は先に食べ、メインばっかりでご飯を食べたい。

やよい軒さんのキャベツにかけられているゴマドレッシングは大好きだ。

これでご飯を食べたくなるような絶妙な味付けである。

 

解き放たれた獣のようにカキフライをタルタルソースで食べる。

もう三個全て無くなってしまった。

今やテーブルの上には、エビ&アジフライ定食が置かれているばかり。

山椒魚で有名な井伏鱒二はユーモアとペーソスの作家と言われるが、訳せば諧謔と哀愁という事になるから少し可笑しい。

エビ&アジフライ定食には諧謔と哀愁があった、確かに。

タルタルソースは予備がまだ一皿ある、これは頼もしい。

 

心を落ち着かせるために納豆でもかき混ぜようか。

お味噌汁の中に入れて、よし、これで落ち着いてご飯のおかわりに行けるな。

接触厳禁の今を生きている我々に、文明の利器が優しく微笑んでくれる。

「ごはんおかわりロボ」である。

粘っこく青々した若葉のような優しさを、このロボットは文字通り振り撒く。

これで型式番号がED-209とかだったら苦笑しかしないが。

 

並盛にした二杯目のご飯を、ミニサバで掻っ込む。

もうなくなってしまった。

ミニサバはサバの半身の五分の一程度の大きさだからだ。

本来なら、出汁茶漬けにしてサバをほぐしてたっぷり楽しむためのものを、パッと食べてしまった。

呆けて納豆汁をすする、美味しい。

食べてしまったサバを嘆いても仕方ないので、唐揚げをパクつく、美味しい。

 

しまった、テーブルの上が閑散としている。

エビ&アジフライ定食になってしまった。

注文しすぎたものはことごとく眼の前に無いので、元々何だったかも判然とせぬ。

判然とせぬままに残されたものも食べた。

最後に卵かけご飯だけが残ったが、それも食べてしまった。

人生の縮図であろうか。

 

【人生5.0】Junの一食一飯 #008 珈琲所コメダ珈琲店【ONLIFE】

咖喱の後には珈琲を飲む。

この二つをセットにしているイメージは何処で植え付けられただろうか。

新宿か新橋か、まあそんな所だろう。

前回、CoCo壱番屋さんで咖喱を頂いた。

無論日を改めてではあるが、珈琲を飲みに行こうと決めた。

向かうのは珈琲所コメダ珈琲店さんだ。

 

よく見かける記事には、その質量感に圧倒されて、敗北感と共に退店という一連のクリシェが出来ている。

変態&異常の二重属性を食欲に擁する私には、何、恐るるに足りぬ。

だが念のため、朝食はコンビニおにぎり二つにしておいた。

何も食べないままでは、日課のランニングに障ると判断したためだ。

 

二日前の土曜、会合の後オフィスの寝袋で寝た。

職場泊は二年ぶりだろうか。

間の悪いことに、明くる日曜が工事のため、守衛さんが来てしまった。

騒ぎとなったらしく、朝八時ごろ血相を変えた部長がオフィスに来た。

寝巻きがわりの運動着姿で仕事をしていた私は事情を説明し、小言を貰った。

 

凹んでいても仕方がないので、日曜はやることを済ませて夕方に退社。

親友のKが珍しくLINEを寄越し

「御茶ノ水の蕎麦屋が閉店しててショック」

と言っているので、合流して慰める。

金曜から三日連続で飲んでいる事になる。

聞けば、閉店したのは小諸そばさんだという、私もショックだった。

 

そして、今朝は月曜、いつも通り朝一番に出社して部長に頭を下げた。

お咎めなし、円満解決し、ニコニコで今ランニングに出かけたところである。

身体が軽い、心が清々しい、そろそろお腹が鳴りそうだ。

そんな私を察してか、部長がその日の三時過ぎに丸亀製麺さんのうどん弁当、秋刀魚の天ぷらが載っているやつを差し入れてくれた。

昼食に摂るなら白いご飯も欲しくなるが、おやつには丁度良かった。

 

さて、そんなおやつから遡る事、五時間前。

私は珈琲所コメダ珈琲店さんに居た。

出された水はすぐ一息に飲んでしまった。

ランニングしてシャワーした後だったからだ。

早すぎる昼食、何にしようかと固唾を飲んでいる。

 

入店までの困難もあった。

朝のすき家さん、日高屋さん、プロントさん、松屋さん、富士そばさん。

ランニング後の私はビールが飲みたくなっていたのだ。

さらに、コメダさんのすぐそばには、孤独のグルメにも出ていた有名な飲み屋さんが開いている。

何のためにランニングをしたのだと自分に言い聞かせて、今、コメダさんのメニューと対峙している。

 

しかし、一択だ、やはり。

ヒレカツ、金貨が五枚載っているかのようではないか。

迷宮の男さながらである。

さっきから白いご飯が食べたくてしょうがない。

丸パン二つでは心許ない思いがする。

ここで欲をかくから失敗するのはもう見飽きているのだ。

つまり、サンドイッチに手を出せばバースト、ミックスサンドをぐっと堪える。

 

これなら行けるだろうと探したのは、エッグバーガー。

メニューの上からシールが貼られている。

店舗での取り扱いなし。

ロスト!!

ご飯は無い、ヒレカツ以外にも食べたい、しかし食べきれませんでしたというオチは避けねばならない。

 

ユリイカ、これだ。

コメダグラタン。

珈琲は、たっぷりアイス。

押しボタンで店員さんを呼ぶ。

それぞれ注文し、お水もお願いする。

シロノワール食べたいけど大きいんだよな、小さいサイズだと取材に来た意味が無くなるしな、なんて考えながら。

 

「コーヒーにはモーニングが付きますがいかがしますか?」

「はっ、何ですか?」私はちょっと身構えた。

「こちらのページのモーニングがセットで付きます」

「えっ、た、タダでですか?」私は身を乗り出した。

「はい」まだぎこちないアルバイト店員さんの笑顔が眩しい。

「わっ、やった」私は小躍りしてそのページを睨んだ。

 

コメダ珈琲店さんを利用するのは、バンドの打ち合わせ時ばかりだ。

モーニングの存在は全くの盲点だった。

というか昼食を摂りに来たのに、モーニング?

良いのだ、朝十一時までは珈琲にセットで付くのだから。

尾張魂の徳高さに触れた想いがする。

 

厚切りの食パンが縦半分に割かれたトースト。

Aセットは定番ゆで卵、Bセットは手作りたまごペースト、Cセットは名古屋名物おぐらあん。

シロノワールは注文しないが、Cセットにすればデザートの代わりになる。

そちらをお願いし、トーストにはジャムを塗って頂いた。

たかだか、トースト一切れでバーストなどありえぬ、渡りに船だ、皿に毒だ。

他には、バター、練乳ソースなどがあるという、至れり尽くせりか。

Aセットが気になったので、ゆで卵を追加注文した。

 

さて、しばらくすると、続々と料理が運ばれて来た。

いよいよ最後に、グラタンとセットのバゲットパンの籠なぞは、テーブルに載りきらず、整頓する間しばらく膝の上に置いておいた。

二種類のドレッシング、私はしょうゆではなくオリジナルの方を使用する。

そして、籠にはフォークが一本。

箸が欲しい。

店員さんに訊くと、その拍子に白いご飯はないか訊きそうになるのでやめた。

サラダを平らげて、いよいよヒレカツ。

最後の一枚になって冷めてしまっては興醒めだから、時間との戦いだ。

幸いにも、グラタンは熱い容器に納まっているので、時間差で食べ進めて行けば良い。

二枚目のヒレカツでもう上顎を火傷してしまったのはご愛嬌。

口の中は私のアキレス腱である、どのように鍛えても鍛えきれない。

ええいままよ、とグラタンを味見。

チーズたっぷりでとっても美味しいが物凄く熱い、そっとしておこう、当分冷めるまい。

 

さて、つい気になって注文した茹で卵だが、殻を剥きながら着想あり。

これにオリジナルドレッシングかけて食べたら、擬似タルタルソースになるぞ。

茹で卵を半分に切り、断面にドレッシングをかける。

ヒレカツに追っかけていただく。

ひ、ひ、ひ、思わず下卑た笑いが心の中で巻き起こる。

ロビン・フッドがいねェなら——ロビン・フッドになればいい。

 

丸パンは十字に切り込みが入れられ、バターが載る。

この数を二つに設定したのはコメダさん絶妙だ。

もっと食べたくなって陥穽に転落するのが後を絶たない。

案ずることなかれ、コメダグラタンとバゲットで応じる。

仕舞いにデザート代わりのモーニングトースト。

 

会計を見て珈琲が余計だったと思ったから何にもならない。

【人生5.0】Junの一食一飯 #007 CoCo壱番屋【ONLIFE】

誰も出勤しない休日のオフィスに唾を吐き捨てる代わりに、銚子のビジネスホテルで缶詰になって仕事をしてきた。

晩にはお刺身、焼き魚、煮物、揚げ物が出され、朝は焼き魚と卵とお味噌汁。

昼食時だけ外を出歩くのも格好の気晴らしになる。

普段、往復の通勤時間に充てる三時間はベッドで寝ていれば良い。

キッチンが無いから作りながら飲む事ができないのがまた良い。

その代わりに飲みながら仕事が出来る、これは家ではなかなか難しい。

なので毎晩したたか飲んだ。

 

木曜の晩から日曜の朝まで、そんな生活にとっぷりと浸り、あともう一日泊まりたいという気持ちを堪えて帰路に着く。

千葉駅まで二時間かかる電車の中でも仕事をしながら、では昼食を何にしようか考えていると、いまひとつ仕事が手につかぬ。

挙句、前日は真夜中まで映画を見ながらハイボールで、ほとんどひと瓶空けてしまった。

喉の渇き、胃のむかつき、嫌な汗、二日酔いの喜びが満身に結晶している。

だからカレーが食べたい、無性に。

酒飲みなら誰にでもある様なこの経験が、カレーは飲み物という至言を生んだのではあるまいか。

勘違い行楽気分への絶縁状、ハロー日常、バイバイ旅情。

 

ラーメンなら毎日のように食べるくせに、カレーが食べたくなるのは思い出したようなときくらいだ。

誠意を欠いた付き合い、反省せねばなるまい。

でも、ラーメン屋さんはコンビニくらいあるのに、カレー屋さんはお花屋さんくらいしかないじゃないか。

この男、どうやら反省していない。

誠意を欠いていたのは付き合い方ではなく、この男の性根の問題だったらしい。

真っ直ぐに歪んだ心を、しかしそう簡単には変えられない。

半ベソをかきながらCoCo壱番屋さんへ這入った。

 

手近なところでリキを入れるためにあいがけというのはもちろん効果的だ。

大学の目の前にあった三品食堂という所は、牛めし、カレーライス、カツライスの組み合わせでやっていて、午後の講義を乗り切るために注文する赤玉ミックスは学生当時一番の贅沢だった。

だが、今までの漫文に書いた通り牛丼屋さんでは、𠮷野家さんは牛、松屋さんはカルビ焼肉、すき家さんは混ぜのっけ朝食、カレーが割り込む余地は基本的にない。

おそらく、これら三店舗の中で、一番頻繁に行くお店であればカレーを注文することもあるだろう。

それならば、CoCo壱番屋さんは、一体何が違うのだろうか。

CoCo壱番屋、その本質は一体何か。

答えはシンプル、カレー屋さんなのである。

だが、果たしてそれだけだろうか。

 

メニューにはカレールーが五種類から選べる(CoCo壱番屋さんはこれをソースと表記している)。

ポークが基本で、ビーフは割増料金だ。

こういった時は、松か竹か、迷わず高い方にするのだが、ポークカレーが好きなのでここは身を委ねる。

ライスの量は、表記を勝手に並盛り中盛り大盛り、それ以降は一括して特盛りと捉えて大盛りにする。

それに呼応してお玉二杯分のルーを追加する。

辛さについては長くなるので、調整なしが良かろうとだけ記しておく。

これで未だ千円超えていないのは小学生でも計算できることだ。

観えて来たのはイイ感じ未来予想図、私の心の眼に映る。

 

しかし、CoCo壱番屋さんの本質はカレーの調整に小回りが効くということでは無いと観る。

心の眼で観ているイイ感じ未来予想図が鮮明になる。

そうだ、これは半分だけ真っ白いキャンバスなのだ。

今こそ私は、カレー色の大海原を目の前に見据え、しかと踏みしめるこの白い砂浜に、素敵な物だけたくさん集めよう。

CoCo壱番屋さんの本質は、シンプルにカレー屋さんであるということ。

なればこそ、そのカレーを半無限の自由度で創造出来ることもまた本質。

問われている、私のデザイン思考が。

 

CoCoで会ったが百年目、迷わず冬季限定の牡蠣フライだ。

これが怒りの牡蠣Fury。

Haben Sie ein Zimmer frei?

私は迷わない、悩むこともない。

考えているからだ。

もしも間違えたらその非を認め、また考えれば良い。

だが待て、私はトッピングのメニューを見てもいない。

牡蠣フライは良いとして、考えずに決めていたではないか。

もしも間違えたらその非を認め、また考えれば良い。

そうだ、問われているのは、私のデザイン思考。

 

しかしどのページを見ても、トッピングのコーナーが無い。

というか、土台みな同じカレーなのだが、上に載せるものだけアレコレ変えるだけで何ページにもなるというのは圧倒的な自由度の表れだ。

このメニュー、しかと目を通して考えねばなるまい。

トッピングのコーナーは大食い元お笑い芸人(灯台下暗しに掛けたつもりだが、石塚英彦さんは現役のお笑い芸人さんである)、ルーの種類やライスの量を選ぶページ下部にそっと載っていた。

 

悩んでいてもはじまらぬ、ここは食べ歩きの直感を信じて選んでしまおう。

有れば注文の牡蠣フライ、意外と安値のビーフカツ、ついつい追加でクリームコロッケ、牡蠣フライ用にタルタルソース、カレーの恋人半熟タマゴ、とっても嬉しいオクラ山芋、チーズで美味しいおまじない。

そう、こと食事に関しては、食べながら考えたって良い。

運ばれてきた一皿は半分白いキャンバスから、だいたい茶色い絵画になっていた。

何処だチーズは、ルーに溶けてしまって確認が難しい。

これは美味しい海洋汚染、清濁併せ呑む時だ。

これは後で知った事なのだが、というより今書きながらメニューを見ていて気付いた事なのだが、ライスを増量するとその分のルーも増加するという。

だから、運ばれてきた一皿を見て、チャレンジメニューのように思われた方々も無理からぬことである。

しかし、私の目の前にあるのは、私自身には他と比較する仕様が無いのでそのまま美味しく頂くことができた。

今更、カレーの味をどうこうと論ずるのは無意味であろう、カレーは美味しい。

ともかく、デザイン思考はresignすることに決める。

【人生5.0】Junの一食一飯 #006 すき家【ONLIFE】

シン・エヴァンゲリオンを観てすぐに気が付いた事がある。

碇シンジは、誰に対しても好意を伝えることに怖気付かなかったのだ。

作中、何度も「好き」と発言する彼に、ちょうどその頃の自分が重なった。

こんな私でも、誰かを、いや接点のあるすべての人と、好感から始まる関係を構築したいと思っているからだ。

子供は「好き」なんて照れ臭くて、言ったほうが負けという観念に支配されている。

当たって砕けた事もないからそうなる、砕けてそのまま腐っているからそうなる。

 

そんなわけで、私は

「好きです、すき家」

というキャッチコピーを前々から良い言葉であると思っていた。

好きと言うのは勇気が要るものだ、強さが必要なのだ、大審問官のラストなのだ。

なればこそ、すき家さんに対して反発したい人がいるであろうことも理解できる。

おそらく、先方も初めの頃は店名が照れ臭かったから、車で行くような立地に出店して我々と距離を取っていたのではあるまいか、好きと言うのは勇気が要るからだ。

でもこの頃は、街を歩いていてもよく見かける。

好きと言うのに抵抗がなくなったというのであれば成長の証拠だと思う。

 

すき家さんとの付き合いは、この頃はじまってから、せいぜい五年程度になるか。

店内には高森浩二さんがパーソナリティを務めるラジオが流れ、合間には歌詞のほとんどが「好き」だけで出来たようなすき家のテーマ曲が差し挟まれる(最近はあまり聞かれなくなったか、耳に馴染みすぎて意識しなくなったかしらん)。

もしも私がバファリンならば、半分が優しさ、残り半分が猜疑心で出来ているような、頭痛に効かない紛い物商品だからこそ気付く事もある。

それは、この徹底的にハートフルな雰囲気が合わないという人もいるだろうという事。

その点で、すき家さんにはもっと人の心の暗い部分にも無言で寄り添えるような、ほんの少しだけでいいから懐の広いお店になって欲しいと願うのは無い物ねだりだとは思わない。

 

私がすき家さんにお邪魔するのは決まって朝食時、電車で寝過ごして別ルートから出勤する道すがら、バンドの打ち合わせで泊まった翌朝、休日にデパートが開店するのを待ちながら。

この時間に馴染みがある、毎朝ではないから特別な時間になる。

そして、朝食と言えばすき家さんではこれは、混ぜのっけ朝食だ。

すき家さんも、おススメ!と書いている。

ご飯大盛りにして、豚汁に変更して、牛皿も鯖も追加して、店員さんにはタバスコをお借りする。

小鉢に入った方の牛にタバスコをたくさんかけて、酸味を楽しむ。

これが出来るから本当に好き、大好きやと叫びたい。

そんな大声で店員さんに感謝の気持ちを伝えても迷惑な客になるから、ここに書き留めるだけにする。

鯖は水っぽいが美味しい、パサついたものを出されるより兆倍良い。

朝起きて、鯖食べて、回転寿司では鯖で〆め、である。

それと、塩分を非常に気にしているので、そこまで塩辛くないのが非常にありがたい。

悲しいかな、日常的なもので塩辛いものを口にすると、命の危険を直覚してしまう。

お魚は鯖、お肉はホルモン、これ以上の贅沢を望まないでおけば、世の中には美味しいものだらけだという事に気付く。

こんな主張でも十分贅沢だと言われるだろうか。

人はパンでは生きられない、脂がなければ生きていく気にもなれない。

 

お碗にはおんたまとオクラが入れられている、ここに好みで袋に入ったかつぶしを入れる、特製たまごかけしょうゆを垂らす。

混ぜのっけ朝食は、このお碗の中で混ぜて、ご飯に乗っけるというお店側からの誘導が読み取れるのでそれに従うことにする。

そうするとお碗にどうしても温玉の黄身がくっついてしまうので、少々もったいない気がする。

同じように卵かけご飯でも、もう随分長いことご飯にかけてから混ぜるのでなく、とき卵にしてからご飯にかけているからお碗につく分がもったいない気がしていた。

ならばこれを天使の塵と名付けよう。

ヘタに手を出してはならぬということだ。

【人生5.0】Junの一食一飯 #005 松屋【ONLIFE】

𠮷野家さんで御馳走を頂いたので、次は松屋さんへ伺うことにしたい。

今はなき船橋西武さんの真正面にあった、これも今はなき松屋さん(フェイスビル一階へ移転した)。

牛めしという商品名が当時の私には珍しく、こちらはお味噌汁が無料で付く。

高校生だった頃の私たちにとっては救いのようなお店だった。

価格競争真っ只中でお安い料金で提供してくれたし、当時の𠮷野家さんは戦場だという認識があったためだ。

例のフラッシュが理由だろう、フラッシュなんて衣類パンツなのではあるが。

 

松屋さんは定食メニューが充実している。

松屋世界紀行は記憶に新しい、シュクメルリ定食(ジョージア)、チキンカチャトーラ定食(イタリア)。

後続は無かったが、スウェーデン料理など出るか、今後に期待している。

回鍋肉定食、麻婆豆腐定食これらも都度出して下さる。

カレーは先代から変化があったし、ハンバーグのバリエーションも嬉しい。

これら期間限定商品には都会の風めいたものすら感じる。

サラリーマンになった今でも、私の救いであり続けるのだ、松屋さん。

嬉しい気持ちが湧き上がる。

 

いつか、津田沼の松屋さんで食事していた時、といっても高校生の時分であるが、おじいちゃんが何やら文句を言っていた。

豚汁に入っている里芋の数が少ないのだと言う。

当時、豚汁に入っていた具は、里芋も豚肉も、目分量でわんさか入っていた。

いつからだろう、里芋の数は二つ、豚肉もほんの少しに変わった。

私は毎回豚汁変更するのでその変化には気付いたものだが、不平等感を無くすと言うこともまた大切なことかも知れぬ。

小声で申し上げるが、里芋と豚肉は好きだから、また増えたら良いなと生涯思い続けたい。

私の変態食欲は一途な恋です。

 

飯田橋の小諸そばさんが閉店なさってからは、その真隣の松屋さんに這入って朝食を摂っていた。

前回の𠮷野家さんは、それに飽きて以降のことである。

カルビ焼肉定食、ご飯大盛りを注文することが多かった。

その頃牛めしに黒七味が付いた。

しばらくしてから小袋になったが、あの工夫は良いと思う、嬉しい限りだ。

 

その後に親友となった、とあるお肉大好きルポライターR女史は、牛焼肉定食をポン酢で頂くのがお好みだと言っていた。

私とは対照的な選択に尊敬の念を抱いた。

彼女も白飯党で、牛丼の類はつゆ抜きと言っていた。

さてそれでは、今回松屋さんに赴いて、何が食べたいかと言われると。

牛めしか、創業カレーライスか、ハンバーグか、いやそれらではなく定食なのだ。

期間限定商品というのでもなく。

 

そんなわけで、今回、そう久しぶりでもなく松屋さんへお邪魔して、いつもの定食をシンプルにアレンジした欲張り定食を注文しようと思う。

カルビ焼肉定食大盛り豚汁変更に、単品牛焼肉たったのこれだけである。

JunのレギュラーメニューにR女史のオススメを合致させた、いうならばJR定食か。

豚汁をつけたのは、なんというか、松屋さんの導きに従ったまで。

タダでもお味噌汁が付くというのに、お金を払ってしまうと、味わいが段違いの汁物を付けることができてしまうのだ。

塩分摂取を極力避けている私でも、こればっかりはもう戻れない身体になってしまったというわけか、悔しい。

𠮷野家さんでは二日酔いの翌朝でもなければBセット(お新香、味噌汁)を注文することは無いというのに。

松屋さん、いつからか卓上ソースからカルビソースが撤去されてしまっている。

注文の組み立てをああだこうだ考える割りに能天気な私は

『今日も切らしているんだろう』

と正式撤去を全く認めようとしていなかった。

一説には、店員さんに言えば冷蔵庫から出してくれるそうなのだが真偽不明。

カルビ焼肉のお皿にはお店から指示されている通りカルビソースを入れていたが、不承不承で焼肉ソースを入れざるを得なくなっている。

しかし食べてみると、人生初で注文した時につけ比べて食べたあの違和感が全く無い。

これはあれか、焼肉ソースの容器にカルビソースを入れているのではあるまいか。

あるいは、毎週せっせと取材と称した食事に出かけて、漫文こさえている私の舌が馬鹿なのか。

後者であろう。

だが私はチェーン店さんでは舌や頭で食事をしているわけでは無い。

料理は心、ご飯は喉ごし。

 

あ、定食の生野菜があった。

ごまドレッシングを適量かけて、全部食べる。

漬物などでもない限り、食事はお肉とご飯で良い。

この理屈で、回鍋肉も先にキャベツとピーマンを食べてしまう。

これをやると友人から白い目で見られる。

白い目で見られながら食べる白いご飯も美味しい。

変態食欲のなせる業か。

 

牛焼肉のお皿にポン酢を入れて、つけて食べる。

カルビ焼肉に比べて淡白なお肉に、酸っぱい味がついている。

酸っぱすぎて吹き出しそうになる。

カルビ焼肉と牛焼ポン酢は180°味が違う。

なんだこの酸っぱいお肉、美味い不味いではなく笑える。

家でしゃぶしゃぶを食べたってポン酢と牛であるには変わりないが、慣れていないというだけで結構な事件だ。

私にとっては最早カルビ焼肉が良い箸休めとなっている。

R女史はこれをいつも食べていたのかカッコいい、さすが香の者。

 

豚汁に関してはあまり書こうとは思わぬから、別の機会にする。

JR定食に関して言えば、通常のお味噌汁で十分という気がしている。

【人生5.0】Junの一食一飯 #004 𠮷野家【ONLIFE】

職場の最寄り駅出口すぐ横に𠮷野家さんがある。

毎朝そこへ這入って食事を済ませて出勤する。

そういうことが長く長く続いていた頃があった。

私は𠮷野家さんを尊敬している。

早い、安い、美味い。

それに加えて鰻が年中提供される。

味噌汁が高い、そこは大目に見る。

寛容になれる自分を認められる、そんなお店だ。

 

絶滅危惧種を頂くのはよくない。

でも売られてしまっている以上お救いし申し上げなければなるまい。

頼まれてもいないことを、まさに買って出る。

人生はハードモードを選びたい。

鰻と苦労は買ってでも…なんて言葉もあったか。

可愛い子には旅をさせ、私はいつまでも赤ん坊の弾力的な心を大切にしたい。

人の心は赤子のごときもの、とは宣長さんも言っている、それに賛同しよう。

 

いつも注文していたのは、鰻重味噌汁牛小鉢セット、ご飯大盛り、もちろんタレ抜き。

タレが好きな人は普通にお召し上がりください。

私は太く長く食べ続けるために塩分を諦めている、それだけである。

ちなみに𠮷野家さん、豚丼はタレ抜きができない。

タレに自信ありというわけだ、だから私は豚皿とご飯とを別々に注文する。

ホントは多分、レトルトパックからご飯に上げるのにどうしてもタレごとかかってしまうからなのだろう、邪推は私の悪い癖だ。

しかしながら、スタミナ超特盛丼ではタレ抜きができた。

調理場の方にはたいそう怪訝な顔をこちらに向けて頂けた、無理からぬこと光栄である。

 

この夏、酔狂で𠮷野家さん、松屋さん、すき家さんで鰻を食べ比べてみた。

ちょうど、どこか新興のウェブサイトで似たような企画をしていたからだ。

まぁ、あんまりどこも大差なかろうかと思う、尻尾が出てくるところもあった。

一枚盛りで注文したのが良くなかったか、まぁ当然だろう。

𠮷野家さんで注文するのは、満足度と値段のバランスをとって二枚盛りだ。

異常食欲のなせる業か、私の食事に朝晩は関係ない、バランスが何だというのか。

それでも社会人としてお酒は控える。

ドイツ人にあらざる私には止むを得ない仕儀である。

 

鰻はタレ抜き。

なればこそ、牛丼を頂くときにはつゆ抜きである。

だから今回の来店では、やはり牛丼つゆだくだくというのを試すべきだろう。

いや、自分の心のまま正直に告白する。

つゆだくだく食いてえ、と心が叫ぶのだ、私の身体を支配しているのは心だ。

ということで、この度、鰻重二枚盛りタレ抜きと、牛丼アタマの大盛りつゆだくだくを注文させて頂いた。

普段𠮷野家さんで牛丼を食べるときには、アタマの大盛りつゆ抜きと決めている。

お味噌汁は注文しないでおいた。

なぜって、つゆだくだくのこれはもう汁物だということに勝手に決めたから。

で、ここの鰻は簡単に左右に別れてくれるというのが特徴だ。

見た目には上下なのではあるが。

プロとコントラ(賛否)あるかと思うが、食べやすい大きさに別れてくれるのは良いことだとしておく。

皮目の焦げた味わいが強いのがもう一つの特徴だ、これも賛否あるだろう。

まぁ、そういうののためにお店にお邪魔しているわけではないので気にしない。

 

鰻にかけるために、山椒の小袋が付いてくるが、これを見て欲しい。

この「どこからでも切れます」を装って、ど真ん中に切れ込み一本だけが入っているこの小袋を。

この小袋には諧謔があると見るが、どうだろうか。

これは私の在り方ほどには及ばない。

私の場合は、諧謔を通り越して単なる道化だから。

それゆえ、この小袋のように在り方までをも強制されているというのには、同情の念を禁じ得ない。

いやいや、これ以上、𠮷野家さんの山椒小袋に自分を重ねるのはよそう。

破こうとして、真ん中から勢いよく開くと、中身が散らばってしまうので気をつけて欲しい。

お重の上で、慎重に開封することをお勧めする次第である。

 

鰻からご飯と一緒に頂く。

パリパリよりトロトロが好きな私は大好きだ。

で、追っかけて牛丼をざっとかっ込む。

ひ、ひ、ひ、思わず下卑た笑いが心の中で巻き起こる。

天使がラブソングを歌っている。

落ち着けローリン・ヒルよ、ここで紅生姜を頬張る。

これを繰り返す、笑いが止まらない、落ち着けローリン・ヒル紅生姜。

なんというか、もうカレーを食べている気すらして来た。

合間にグッと飲む水も非常に美味しい、カレーだこれは。

 

こうなると、鰻が美味しいのか、久しぶりに食べるつゆだくだくに感動しているのか、なんなのか一体分からない。

鰻は毎日食べるものではなかったのだな、不承不承ながら平賀源内に頭を下げる。

我々は、長いことAを考えあぐねた挙句、Bに行き着くというやり方もあると、そんな認識を持ってもよかろうと思う。

毎日鰻を食べ続けた挙句、鰻はたまに食べるのが良いと気付くような。

無論、やるやらないは別として。

そうこうしているうちに、狂喜のカレー定食はきれいになくなった。

胃袋の満足感を抱えてお会計を済ませる。

 

さて、かつての毎朝鰻生活は、筋トレ命、筋肉の権化みたいな大先輩から

「身体に毒だぞ」

とかなんとか言われ、長く続いた朝の幕開けは終焉を迎えたのだった。

だが、真偽不明のこんな発言に影響を受けることは、読んでくださった諸氏には無用のこと。

単に懐具合を気にして思い止まったまでである。

【人生5.0】Junの一食一飯 #003 小諸そば【ONLIFE】

前回、期せずして博多ラーメン屋さんに這入って慢文を終えた。

麺類皆兄弟ともいう。

ジャパニーズファーストフード(発音としてはファストだろうが、表記はファーストに従う)の代表の一つ、お蕎麦を食べに行きたい。

 

仕事まで行く乗り換えの飯田橋駅前、東西線の改札から出て、一旦階段を上がってすぐ、小諸そばさんがあった。

朝六時だか六時半には開いていたんじゃなかったか、非常に心強いお店だった。

今は閉店して、富士そばさんになっている。

衣類パンツである(諸行を衣類、無常をパンツと置き換えてみると、どういう風情か肌で感じられるのではあるまいか)。

 

親友のKは富士そばさん贔屓で、そこの冷やしたぬき蕎麦大盛りに限ると言っている。

もう以前の話だが、上野界隈で飲んだ後、決まって彼は上機嫌になって不忍池のほとりのお店で奢ってくれた(飲み代を持っていたのが私だからである)。

彼はドストエフスキーが大好き、私は小林秀雄が大好き、ここに妙な接点があった。

だからといってドストエフスキーが富士そばさんで、小林秀雄が小諸そばさんと言いたいわけでは決してない。

日露代理戦争を、何も二つのお蕎麦屋さんで勃発させようなどとは思わない。

きのこの山とたけのこの里に別れるんじゃなく、にんにくの家においでよ。

全部美味しいよ。

ただ、小諸そばさんと富士そばさんとは、違いがある、それは追々述べることにして、小諸そばさんについて書く(ゆで太郎さん御免なさい)。

 

私が小諸そばさん贔屓の理由は、冷やし蕎麦の艶やかさにある。

同業他社の全店舗を食べ比べたわけではないが、これにはちょっと驚いた。

かけ蕎麦のなんとも言えない優しさを好んでいた私が、もりやぶっかけにあわや転向だ。

あまりの食感の良さに、一度無理を言って、もり蕎麦の食券を買って、かけつゆを別の丼にお願いしたことがある。

冷たく〆られたお蕎麦を、かけつゆのあったかいのにくぐらせて食べたかった、つけ麺のように。

言下に無理と申し渡され、もり蕎麦を頂いた、やはり艶やかで美味しかった。

その日の帰り、かけを食べ終えたつゆに、追加で買ったもり蕎麦をくぐらせて試したが、やはり美味しかった。

 

だから、そのお蕎麦自体の信頼感で、夏場は冷やし、冬場はかけ。

中でもたぬき蕎麦をお決まりとして注文する。

かき揚げ蕎麦を食べるのはかっこいい、第一回で述べた通り生徒指導部長が怖くて私にはできぬ。

コロッケ蕎麦を食べるのもかっこいい、学校来ないでバイクに乗る不良染みたかっこよさがある。

こういう事を考え出すと頭の中がややこしくなるので、天婦羅への憧憬を少しまじえた、たぬき蕎麦をお決まりにしている。

 

小諸そばさんの揚げ玉は、フライヤーに残った天かすを出してくれる。

よく見ようと見まいと、玉葱の切れ端や小海老なんかが混じっていて香り高い。

富士そばさんの揚げ玉とは、ここに宿命的な違いがあるので、好きである。

話は逸れるが、大阪出張でたぬき蕎麦を注文したら、お揚げが乗っていた。

これにはニンマリだった、食い道楽の喜怒哀楽を享受した思いがした、お揚げも出汁も美味しかった。

さらに逸れるが、山怪という体験談集にあるのは、狐は化けるし化かすし火を使うらしい。

一方で、たぬきがするのは、いわば声帯模写というやつで、木こりが斧を使う音を真似るのだが、近年はチェーンソーで木を切る音の真似をするという。

 

今回、いまはなき飯田橋店に代わって、神楽坂店へお邪魔した。

また食べたいのがたくさんあって迷うが、一番よく食べていたものにする。

ミニ鳥から丼セット二枚盛りをかけで、天かす追加ダブル、鳥から丼はタレ抜き。

大盛りは三十円、二枚盛りは六十円払うのだが、安くて助かるというか二枚盛りが通常量という感覚にすらなる。

 

天かす追加は口頭で行う。

のだが、そういうのはやっていないのだそうだ。

視界が暗くなって目眩がしそうだ。

だったのであるが、すぐにやっていないけれどやりますと言ってくれた。

そうか、飯田橋店ではそういうローカルルールが通っていたということか。

天かすは二つの猪口に入れられて供される。

 

食券の番号が呼ばれて受け取りに行く。

のだが、注文したものと違う。

親子丼セットになっている。

道理でお釣りが少ないと思った。

この商品はどうやら期間限定のようだ。

ミニ丼ではなくフル丼だ。

だから少し値段が高い。

 

この親子丼の鶏を食べるだろ。

そのあとに揚げ玉を口に運ぶだろ。

そしたら唐揚げになるだろ。

いやいやそれは観念だろう。

 

小諸そばさんでお蕎麦の紹介をしながら、実はここは唐揚げがオススメなんですと運ぶつもりだったのに。

お店の前の張り紙で、鶏の唐揚げ丼って書いてあるじゃないですかと言って、それはテイクアウト用ですと言われている間に誤った食券を買ってしまったか。

いやいや落ち着こうではないか、親子丼は私のもとにやって来てくれたのだ。

入る腹はあるのだから、ミニ唐揚げ丼は追加しよう。

だが、食券機には単品のボタンが見当たらない。

聞くと店員さんがやけに特殊なコマンドで購入してくれた。

さっきの揚げ玉トッピングといい、小回りが利いて非常に好感が持てる。

期間限定の親子丼は、いかにも親子丼といった風だったが、なか卯さんには行きつけていないので、ちょっと比較にならない。

そして、親子丼は月に何度か作るので、自作のものの方が美味しいと感じる。

一方でこのベタっとした衣の鳥からが、個人的には一番好きだ。

鳥天って言えば良いのに鳥から、鳥からなのにからっとしてない、これが良い。

実は冷やしの艶やかさ以上に、これを伝えたくて書いた、今回は唐揚げの回でもあるのだ。

 

卓上の小樽に輪切りの葱がたくさん入っている。

小諸そばさんはこれが使い放題だ、太っ腹すぎて、いや頭が下がる。

一気に大量に入れると、つゆが辛くなるし冷めてしまうので、少し載せて食べるの繰り返し。

思い出したら親子丼をがっついて、つゆを飲んで流し込む。

ミニ鳥から丼は、唐揚げが二つしか乗っていないので、貴重品である。

食後、暑くなったからもり蕎麦を追加して身体を冷やした。

満腹すぎたのか、往年の艶やかさをあまり感じなかった。

ちょっとした歯車のズレで、上手くいかぬ日だった。

久しぶりに、高校生の頃の量を食べることになった。

しかしながら、痩せ我慢ではお蕎麦を食べられない。

何より、お店の方々に救われたような気がしている。

【人生5.0】スーパー美味しんBONUS #000【ONLIFE】

山岡士郎に自己投影するとは馬鹿も休み休み言えと叱責されそうなものだが。

今回は敢えてそれを放言したい。

第一話、豆腐と水。

山岡士郎(27)、とすれば大学を卒業後、入社五年目だ。

それは私が四年間の非正規雇用を抜けた年齢に一致している。

作中、彼は馬小屋ではなく、オフィスのソファに産み落とされる。

私にもその寝心地は骨身に染みて分かるのだが、そんな所で寝ざるを得ない者の心境たるやどうだろうか。

 

この左右非対称の、寝るためではなく座るために造られたベッドが、自分の揺り篭にもなれば棺桶にもなるのだという漠たる予感。

毎晩飲み歩かなければ生きた心地がしないという倒錯した自足感。

金なんて有るから不安になるのだから、有り金は全て競馬に注ぎ込むという歪んだ自傷。

その背景にあるのは山岡士郎自身の仕事中毒とも呼ぶべきものだろう。

作中そのようなことは一切描かれていないが。

 

彼は雁屋哲も花咲アキラも欺いて、ただ独り、自己の血の宿命と格闘していた。

我々読者は、追々そのことを突きつけられる。

「自分が自分でなければよかった、だが俺はどうしても俺以外ではいられない」

彼の嘆きが、まだ未熟な果実がもぎ取られたような絶望が、叫びとなって聞こえるようだ。

 

山岡士郎に、ある重大な感情的欠落、いや彼自身が希望の代わりに匣の最奥に秘匿した何かがあることを、東西新聞社の社員一同とうに察してはいるのだ。

だが、彼らは決して山岡士郎その人ではないから、それが何かを見抜くことはできないし、その心に寄り添って当人の感情を慮ることもしない。

山岡士郎は右足だけで立っている。

食事は左手で箸を持ち、右目は夜の街を彷徨うために、昼の喧騒は左耳で聞き取りさえできればそれで良いとでも思っているかのようである。

彼は誰も傷つけたくないからと、自らに足枷を噛ませているのだ。

 

手の施しようもなくバラバラにひしゃげてしまった男には、何も知らない女が支えになれば良い。

二人は決定的に出遭ってしまった。

栗田ゆう子(22)、守衛の次に出社する配属三日目の新入社員。

東西新聞は女性社員に対する差別意識が強く、雑務ばかりで自分の仕事が進まない。

仕事をこなすことが、今の彼女を成長させる。

成長とは、出来なかったことが、出来るようになることだからだ。

だから彼女は時間の捻出を発明した。

仕事することが勉強なのだということを自覚している。

 

ーー街角を行く人波が途切れると、月明りさえまぶしいね、こんな日はーー

境界線ギリギリの所に彼女はいるのだという。

山岡士郎と出遭わなかったなら、彼女も数年で、どうしようもなく内でも外でもない、此岸でも彼岸でもない、遊びでも仕事でもない、そういう場所に行ってしまっていたのだろう。

栗田ゆう子に胎動した仕事中毒の魔の種は、表面的にはグータラと評される山岡士郎によってその芽を摘まれることになる。

私たちは皆、その後の彼女を知っている。

 

東西新聞社創立百周年記念事業が明かされる。

物語の大きな車輪が、重い音を立ててゆっくりと動き出す。

三つの豆腐、イとロとハ。

三つの水、AからC。

味覚の試験を突破したのは二人だけだった。

「ワインと豆腐には旅させちゃいけない」

山岡士郎は御覧の通りと言いたかったのであって、決して言葉の上で戯れているわけではない。

彼は味覚の本質を手掴みしたそのままの視力で深淵を眺めている。

眼前に広がる光景を言葉で表そうとするならば

あ・は・れ

とか言う、不具な言葉の切れぎれになったような断片だったかもしれない、そうでないかもしれない、どちらでも良い。

だから彼も深淵からのこだまのような言葉を吐露せざるを得ないのだ。

饒舌さを自分自身に赦してやるのは、唯一怒りに身を委ねているときくらいだ。

 

究極のメニューへの挑戦は難航する。

さらに、海原雄山と帝都新聞の横槍で究極対至高の構図が出来上がる。

その記念すべき第一回が十五巻だそうだ。

以降、おおむね一巻に一回のペースで対決が繰り返される。

その頃の作品にはもう興味はない。

 

美味しんぼを我々読者に面白く紹介する、日本一のサイトがある。

その連載は五回までで未完のままなのだが、その筆者はこう言っている。

「アア!あの頃の美味しんぼはギラギラしていた!」

私も同意見である。

だから、手垢がつきすぎたというより最早、手垢でできた握り飯のような美味しんぼ評論に私は乗り出す。

 

ではお待ちかね、今週のクリ子のコーナーです。

日本刀は平安時代にその完成を迎えて以降は、衰退の一途をと辿っているというのが通説らしいが、どうやらクリ子に対しても同じことは言えるようである。

「時よ止まれ、汝は美しい。」

【人生5.0】Junの一食一飯 #002 もり一【ONLIFE】

美談というものがある。

プロになるべくして滑舌、発声、発音の研鑽を積んだが、この美談のイントネーションがいまひとつ口腔に馴染んでいない。

破談の音か、示談の音か分からない、ちょっとどちらも縁起が悪い。

回転寿司のレーンを思いついたのは、ビール工場の流れに触発された発明だという。

これは美談に属すると思われる。

 

最近の回転寿司は、新幹線の模型がお皿を運んでくるところもある。

これは社長がシンカリオンを見たんだろうか。

変形メカが運んでくる日も間近だろう。

どこかにはペッパー氏が応対しているところもある。

 

このペッパー氏(氏をつけているのは、ジィドのテスト氏の影響か、未読)、私は心ひそかにヴェルギリウスとお呼び申し上げている。

英語読みでバージルとなるから、ペッパー氏のスパイスに対してハーブを持ち出したまで。

全部解説すると面白くもなんともないが、こっちの勝手だ。

私はコドモだから、かいけつゾロリのまじめにふまじめを実践しているまで。

遊びで手抜きと不正をする者は、遊びに誘われなくなるものだ。

 

苦しい枕はそろそろ捨てて本題へ入ろう、個人々々に合う枕の用意は難しい。

古よりのジャパニーズファーストフード(発音としてはファストだろうが、表記はファーストに従う)の代表の一つ、お寿司をつまみたくなった。

のではあるが、お邪魔するお店のもり一さんは、都内を横断するような形で、ごく数店舗しかない事をあらかじめお詫びさせていただく。

もとは一皿百円、百三十円、百五十円と経て、現在は一皿百八十円で頑張ってくださっているお店だ。

コロナの所為でまた値上がりした。

コロナめ。

 

もう何年も前、職場の近くにもあった。

同い年の後輩と二人、バスに乗ってよく繰り出した。

長居はしない、というか出来ない。

生ビールを飲み飲みお寿司をつまんで解散。

そんな風な職後の潤いを与えてくれたお店だった。

並んだ空きグラスを下げてもらうようにお願いすると

「飲み放題になっちゃうんで」と笑顔で店員さんに言われたのは今でも笑える。

そこはもう閉店してしまったが、地元船橋にもあるし、以前バンドの拠点にしていた亀戸ベースの傍にもあった馴染み深いお店だ。

 

こちらの特色は、酢飯に赤酢を使っていることで、シャリにはほんのりと色がついている。

味わいも酸味に若干のクセがあるのだが、人を選ぶようなものではないから、ちょいとオツな気分になれる。

流れてくる容器の中にある山葵は多めに取ってしまおう。

それと、レーンの上ににんにく醤油が乗って回っているので、お好みで使われるのが良い。

おみおつけは浅利か海苔だが、気まぐれなメニューもあろうかと思う。

 

席に案内されつつ海苔椀をお願いし、板前さんにはアボカド巻きをお願いする。

レーンの〆鯖を取って露払い、三貫のっていて気前がいい事この上ない。

粉山葵を、むせる寸前ぎりぎりの量、べったりとつけて頂く。

真っ白に〆られた鯖の酸味と、過剰な山葵が口の中でかめはめ波の撃ち合いをする。

ひ、ひ、ひ、思わず下卑た笑いが心の中で巻き起こる。

トリップ感というヤツだ、これは、間違いない。

今鳴り響いているBGMはJ.A.シーザー作曲「さかなクンさんすなわち魚」。

 

頭の中に魚群が到来している間に、アボカド巻きが出来上がった。

中太の巻物で、ネギトロに包まれたアボカドが一緒に入っている。

この巻物は三つに切られ、断面を仰向けにし、さながら蛇の目の様相を呈していて、ときにはちょうど三つ盛蛇目のようになっていることもある。

気取らないお寿司屋さんで、こういう変化球は醍醐味である。

寿司ネタ変化球も様々にあるが、私はコレがあるからもり一さんが好きだと言っても過言ではない。

店舗限定メニューもあるし、ハーフ&ハーフも受け付けてくれるから、数え上げたらまさにキリがない。

さて、数多の中から次を悩む前に、回っている〆鯖をもう一皿取った。

忠臣蔵において、浅野内匠頭は吉良上野介に「鮒侍」と散々いびられた挙句、刃傷に及んだと描かれている。

それなら私は鯖侍が良い。

今日も鯖、明日も鯖、鯖鯖鯖鯖、鯖が好き。

鮪が高騰しても、鯖が食べられれば私は足りる。

海原雄山から、しょせん下魚だなどと罵倒されたって、是非に及ばず刃傷に及ばず。

 

バチ鮪のトロが数量限定で放出される、美味しい。

脂の乗った鰤の腹身が同じく流される、美味しい。

軍艦にたっぷりと盛られた雲丹を取る、失敗した。

忘れかけていたミョウバンの味を思い出すために取ったようなものだ。

そう考えると酔狂な味がする。

うつむいていると泣いちゃいそうになる、強がりで顔を上げる。

壁のメニューを見るフリをして、虚空をグッと睨む。

 

えんがわと書いてあるのと目が合ったので注文する。

こういう時の注文はアドリブが良い。

この感情を受け入れてくれる懐に広さに流されてしまえ。

何頼んだって良いし、何頼んだって百八十円。

好きに食べたら良い、それは制限のある中で最大限の自由。

 

お酒の提供も無いことだし、長居はせずにサッと出る。

同僚という友もなく、酒という友もなく、サッと食べるだけ。

口の中が赤酢の酸味と、お魚のさっぱり感で一杯になった。

サッと出たのは、口の中がさっぱりし過ぎたためである。

だから、向かいの博多ラーメン屋さんに這入って〆た。

 

【人生5.0】Junの一食一飯 #001 てんや【ONLIFE】

十二時過ぎの放課後が来て、家に帰らずゲームセンターへ行っていた土曜日。

当時中学生だった私は、同級生のTと共に船橋のてんやさんでしばしば昼食を摂った。

穴子と海老が載ったやつの、薩摩芋を茄子に変えてもらって、大盛りタレ多め。

Tはそこへさらに卓上のタレをどっとかける、私も悪乗りで同じくかける。

味の濃い所にさわやかなおしんこを頬張る、でまた天婦羅を食べる、食べる。

カラカラになった喉を冷たい麦茶でぐっと潤して、また食べる。

 

てんやさんにはそんなかつての懐かしい思い出もあって、よく行く。

現在バンドの拠点にしている文京ベースにも最寄りにある。

今は定食にして注文する、白いご飯が好みになったからだ。

定食にするには百九十円払う必要がある、どうだってかまわない。

喫煙者が千円になるまでは吸い続けようと思っているのと変わらない。

 

定食には天つゆがつく、これが嬉しい。

ほうれん草のおひたしもつくし、ご飯は食べ放題になる、これも嬉しいが言ってみればおまけだ。

定食にすると、天婦羅を天つゆでも、お塩でも、タレでも食べられる。

選べるというのは幸せなことだ、悩めるというのは贅沢なことだ。

白状すると、人の倍食べたくてタレの塩分を避けたいのが無いではないが。

 

そんなわけで、てんやさんに夕食を摂りに来た。

一番安い天丼を定食にしてもらって、穴子を追加。

他は海老、烏賊、野菜どれも嬉しい。

どうしても鱚の思い出が頭から離れないから、赤魚は変えてもらう。

執着するのは醜いが、無頓着ではいられない。

こちらでは大抵季節の天婦羅を出してくれるから、それは追加する。

春の山菜、夏の真鯛、秋の牡蠣、冬の帆立。

ここは必ず注文するが、他にも季節の野菜などちょっと迷うくらいある。

準レギュラーみたいな鶏天も小回りが利いて良いが、皮つきの腿肉ならより良いのにと思う。

カロリーお化けが出来上がっても別にいいだろう、天婦羅を食べるのは私にとってハレの日だ。

 

穴子は最初には食べない、食べ進める喜びが尻すぼみになるから。

と言って最後にも食べない、冷めて美味しくなくなるのは嫌だ。

のぼせているだけだろう、子の字に濁点は不要と思っているから。

穴子のことを考えていると、なんだか恋でもしているみたいだ。

 

かき揚げは試されているような気がするから敬遠している。

私は天邪鬼だから、かき揚げのあの

「賞味できるのか、お前に」という雰囲気に顔を背けたいんだろう。

高校の頃の生徒指導部長の威厳染みたものを感じて、私のような脛に傷持つ半端者には怖れ多い。

そんなことで誤魔化して、かき揚げ賞味の鍛錬に励まないから、また遠ざかる。

 

だから、何が言いたいのかというと、かき揚げにたっぷりとタレをたらして、ドロドロのべたべたになったやつを頬張って、白飯を一気に掻き込みたいのだ。

否、ビールでもいい、ビールがいい。

思えば、てんやさんで日本酒を呑んだことが無かったな、これは不覚だった。

天婦羅で日本酒、ビールじゃない方のコロナの馬鹿野郎。

 

そんなわけで、かき揚げ丼を追加する。

私は人の倍食べたいし、色々な味を食べたい。

心の中に、異常食欲と変態食欲とが同居していると思っておく。

こうすると天婦羅が冷めないで済む、どうだろうこの策は?

 

しかし、メニューにはかき揚げ丼が見当たらない。

ならば単品でよかろう、定食ならご飯のおかわりもできる。

だが、単品も見当たらない。

生徒指導部長、衝撃の左遷。

みんな同じ思いだったのだろうか、私との再会そして和解もならず。

執着するのは醜いが、無頓着ではいられない。

目を皿のようにして探すと、季節のメニューに「つまみ揚げ」というのがあった。

これだ、ハーフサイズのかき揚げだ、夏野菜の天丼を注文だ。

さて、てんやさんのかき揚げを頂くのも、タレったれを頂くのも久しぶりである。

ちなみに、白いご飯が好きなので、ご飯にタレをかけないでいただきますよう注文した。

ここからはさらに卓上のタレにも存分に御活躍願いまして、頂きます。

ひ、ひ、ひ、思わず下卑た笑いが心の中で巻き起こる。

ラプチャー、というヤツだろうか、これが。

蕎麦をどっぷりとツユにひたして食べるというあの感覚か(もちろんこれは江戸時代の都市伝説であり、蕎麦店の系譜ごとに妥当な食べ方があることは断っておく)。

こんな浮かれ気分の頭を、襟首ぎゅっと掴まれて、ぐんと現実世界に引き戻す力が作用する。

つまみ揚げに含まれたセロリのさわやかさだ。

ズッキーニも米茄子も甘唐も大振りで非常に愉快だった。

 

非日常の満足感を懐に仕舞い、お会計へ。

レジのてんやおじさんに目礼する。

フォールアウトのマスコットそっくりだといつも思う。

ごちそうさまでした、こんな身近な所に美味しいお料理をありがとうございます。

「またの!」そんなふうにおじさんが言った気がした。

 

件のゲームセンター、ゲームフジ船橋はもう何年も前に閉業してしまった。

私も大学の頃には、ゲーマーとしての第一線を退いてしまっている。

当時の相方のふ〜ど氏は今や、日本を代表するプロゲーマーであり、尻職人ことグラビアアイドルの倉持由香さんを奥さんに迎えて本当に良かったと思い、祝福する気持ちに溢れている。

羨ましいんだよこの野郎、ともちょっとだけ思っておくことする。

 

そして、船橋のてんやさんも去年閉店を迎えた。

今、その跡地には、このコロナ禍でもハイボールを平気の平左で出す居酒屋が建っている。

別に、外飲みをどうこう言うつもりはない、“感染しなければ”酒類の提供に何も文句はない、むしろ私を含めた世の飲助たちへの懐の広い対応に頭が下がる思いもある、ちょっとある。

だけど、そんなんなら、船橋のてんやさんを返して欲しいという気持ちのほうがある、もっともっとあるのだ。

でも、誰に言えばいいか分からない。

分からないからこうして書いた。

【人生5.0】サンドイッチは手巻き寿司【ONLIFE】

しょうもない休日をセルフで盛り上げる。

最近は毎週、なんらかのツマミを作っている。

ハムサンドって大好き、ファミマもセブンも。

ローソン、動線に無いけどハムサンド好き。

よし、これ作って飲もう。

ハム>バター>きゅうり

だいたい千円ちょいだった。

金かかってりゃ不味く出来ても美味く感じるんだろう。

そうだろう…。

前の晩に冷蔵庫に入れなかったバターがいい感じだった。

誰が何と言おうと、パンに塗るバターは室内放置なのだ。

ということをアプリオリに俺は知っている。

固まっていたらと思えばぞっとしてしまう。

ファミマのハムサンド、きゅうりは1.5mm前後だろうか。

写真左は及第、右は落第。

挟んじまえばおんなじだろと思いつつ。

口の中で厚みのムラは気になるのでね。

掴んだ切り方のコツは、

足腰を使って刃を落とすこと(笑)

バターを塗った面の上に辛子マヨネーズも塗り、具を載せる。

挟めば見えないし、食えば一緒なのに、不思議ね。

こういう仕事してると疲れちゃうぞ(笑)

辛子マヨネーズは目分量で混ぜた。

味薄かったら嫌だなと思い、辛子マヨネーズを追加で生成。

きゅうりとハムの間に付着するように塗った。

ついでに、ハムとハムの隙間にも残りを。

作業中に卵を水から茹でておいた。

白身と黄身の境界が硫黄で黒ずむ事がなく、

見苦しく無い卵サラダができた。

フォークを使って潰し、マヨネーズを好きなだけ。

さらに重要なコツは

塩を適量入れる事。

これでボヤけた味でなく、キリッと引き締まる。

下品な厚みにならないように、載せる。

余白はなるべく無いようにしたい。

具は余っても美味しい、いくらでも食える。

なので作りすぎには注意したいところ。

しかし、これで50円しないのは格段に安い。

これが社会の裏側です。

これが社会の実相です。

蜥蜴の尻尾、味のしないガム、つまり、もぎ取られた徒花。

写真の倍量出来ています、美味しかったです。

具材の安定感が悪いので、二口で食べなければならなかったのが残念。

ハムサンドが珠玉です♪

全くファミマの味=辛子マヨネーズの味(笑)

サラダ用の薄切りハムを買ったから、倍量入れて良いかと思う。

ピクニックに行くアテは無くても、ビールのアテにはなりました。

そして、その夜は、祭りの後のようなツマミで晩酌(笑)

表舞台には立てなかった奴ら、弔いました。

それでも気分はゴキゲンです、楽しい。

なんかもう、サンドイッチって手巻き寿司なんだなって。

せっせと挟んでみたり、何してたんだろうって、笑える。

あと、冷蔵庫の残り物で作れ俺。

コンビニのキッチリ2倍の値段はかかりすぎだゾ、と。

【人生5.0】イングリッシュな美味いブレックファストを【ONLIFE】

大切なのは中心に添える温かい卵料理、今回はオムレツに挑戦。

入れる具材で、何種類ものバリエーションができることを知った。

自然と連想されるのは、まるで有機化合物が持つ生命力だ。

欲張ってプレーンでは無いものを作ろうと思う。

でも、初挑戦で台無しにしたくもないから、できるだけシンプルなので。

タマネギだ、さつま揚げの中でも美味しい信頼感

チーズをたっぷり入れ微塵切り器にかけ、オリーブオイルでふつふつ加熱。

水分が飛んだら、ちょっとしたグラタンみたい。

三個分の溶き卵に混ぜ込んで、熱したフライパンへin。

この量の具が入ってしまうと、制御が難しく苦戦だ。

「わたしが大地をすえたとき、お前はどこにいたのか。」ヨブ記 38:1-7

オムレツ状の形は諦めたが、サイズ感はまとまった。

日本が誇るウィンナー、シャウエッセンの紹介はするだけ野暮。

焦がしてしまうのが嫌だったから、切り込みを入れた。

2つ目のフライパン上でずっとジリジリ言っている。

様子見にひっくり返すと思わず「ウヒョ」って声が漏れた。

さて、これに釣り合うベーコンはどうか。

ベーコンって、スーパーに売ってる物以外になると青天井だからね。

贈答用の伊藤ハム?うーん。

けど、売り場にはそれなりに美味しそうで値頃な商品もありました。

 

ジャガイモは調理が面倒だし慣れていない。

だけど、買ってあります業務スーパーの冷凍ハッシュドポテト。

滅多に油使わないけど、今朝は揚げ焼き、心が躍る。

大フライパンをオムレツからバトンタッチ。

残った油で椎茸をソテーします。

マッシュルームなんて無いですからね。

ここは日本、代わりに素敵な四季があります。

大フライパンでは最後にトマトソテーを作ってお仕舞い。

これは本当に初めて作りました。

思い切って強火で良い感じになるように寄せていきます。

ずーっと気になってたハインツのベイクドビーンズは売り場に無し。

甘い豆は俺の朝食に合わない、ここはチリビーンズで手を打とう。

ウォッチメンのロールシャッハはこれを缶からそのまま食っていた。

“Fine like this”って言いながらね。

後はさらに、キッパー代わりの鯖の塩焼きとか。

他に必要なのは、ブラッドソーセージでしょうか。

でも、ま、そこら辺は割愛でね。

そう考えると、日本人さん、あまり動物の血を食用にしてないのね。

台湾の血豆腐とか大好きだけどね、僕。

最後に紅茶とトーストを用意して、本格的な英国スタイル。

否々、本格的なジャパニーズスタイルでゴキゲンにブチかまそう。

豚汁は昨晩仕込んでおいた。

それと白飯、これで完成。

ニンニクは買い忘れた。

【人生5.0】焼肉奈落家族#01【ONLIFE】

Jun「今職場出た!今日も肉買っていくわ!」

バンドの集まりがリモートから対面に移行したものの、飲み屋はどうせ21時には閉まってしまうので、不肖TechnoBreakのシェフことJunが近くのジャパンミートでお肉を買って振る舞う流れを作ろうとしていたのでした。

店舗に入るなり、特価コーナーお1人様2点までのチューブにんにくゲット!

そして、焼くのにバター、500gの厚切りステーキ肉でお会計を済ませました。

そんな矢先。

Sho「今夜はもんじゃが良いって」

Shun「今夜もんじゃ行こ」

TechnoBreak白山ベース近所のもんじゃ屋さんが提議され、2対1で即可決の模様。

Jun『こうなりゃ、もんじゃ屋の鉄板にコイツをのせるか…。』

どうなる焼肉奈落家族!?

どうもこうもなりません。

その日は新企画The ONEの作業の後、19時前にはお店に入って、飲み放題で特製もんじゃ3人前、他各一品ずつなどで平和裡に退店。

その後、基地に戻ってセッションなどして夜は更けました。

肉はどうなる??

Junは毎週土曜の会合で基地に泊まって、翌朝休日出勤。

この日(今)は肉を連れて職場に来ました。

『人の気配がするな…この人員、あ!イベントがあるのか!』

人影がちらほらするので、堂々と肉の調理が出来ません。

なんなら、調理風景の写真も撮りづらい感じです(苦笑)

挙句、調理器具(いつものレンジ用ラーメン茹で容器)を持ってるところを同僚から

「朝ごはんですか😄」とか言われて

Jun「ステーキ焼くんだよ!」とも言い返せません。

ジップロックに肉入れて、エバラ焼肉のたれに漬けるじゃないですか。

中の空気抜くのに、先述の容器に水張った中に沈めるじゃないですか。

殺しでもしてるみたいなんですよ、マジで!

奥に見えるのが、袋ラーメン調理容器です。

後日コイツの真の勇姿もお見せ致します。

さて…レンチン調理では臭いが拡散して注意を惹いてしまう。

いや、待てよ…。

電子レンジの隣にあるじゃないか。

電子調理器が!

というわけで、象印の電気ポットへin!

80℃近辺で30分放置!

言われた通り二重にしておいたんで何とかなったが…。

う〜ん、ケチるんじゃ無かった。

今度からセブンのバックはやめてジップロックにしよう。

しかし、美味くなさそうだなオイ。

さっき殺しでもしていたかの様な肉々しさはとうに無くなり、肉汁の一切を放出した後のようなガチガチの肉が出来ていた。

しかもこれ、なんちゃってローストビーフって事だから、一旦冷蔵庫で冷やしてから食べるんだと。

まぁいいや、家で家族と食おう…。

その日の業務を満身創痍の体で終え、帰宅。

いやいや、犬なら喜んで食うんだろうけども><

肉の扱いが不味い調理師は縛り首だな(俺)

さて…。

おっ( ^ω^ )

中はそれっぽい♪

緊張の一口…。

いやいや、カッスカスだこれ!

ん、でも…2、3切れ食ってると別の感覚。

あ!生干し肉って感じだ!!

なんだそれは。

しーゆーねくすと