ラーメンのアタマにお野菜は不要だ。
これが私の基本的視座である。
無論、嫌いなわけでも食べられないわけでもない。
不要だと思っているだけで、イデオロギーではない。
人間の主体的思考の枠組みを犯すから、イデオロギーは大嫌いだ。
だから、お野菜は必要に応じて頂く。
そんな私だから、担々麺を食べに出向く事はあっても、わざわざタンメンを食べに行く事はない。
ただ一軒を除いて。
そのお店は、東京都江東区にある。
ちょうど、東西線の木場駅と東陽町駅との境。
駅から歩く、秘境とまではいかないが、行列のできる一軒である。
來々軒さん、木場タンギョウ発祥の名店。
大通りを折れた路地に元々あったお店が、廃業を機に、木場タンギョウ文化の荒廃を憂いた気鋭の愛好者に継承した復活店なのだ。
タンギョウとは、タンメンとギョウザのセットのこと。
いつもの自分に戻ったかのように、食券を複数購入して着席。
心機一転、今回の記事に関してはご案内させて頂こう。
今、手元にある食券は六枚。
タンメンのアタマが盛られた小皿が、カウンター上に置かれるのでそこへ向かう。
これがアミューズ。
そう、アミューズ。
初手、餃子、瓶ビール。
アペリティフがすぐに来る、この日はハートランドにした。
ここには飲みに来ているので、アタマをおつまみにしてビールを飲み干す。
アタマには、かなり辛めの自家製ラー油をかけて頂くのが良い。
運が良ければ、女将さんからアタマのお代わりを勧めてもらえるので、それを受ける。
この辺りで餃子が運ばれる、その数五つ。
次手、白ワイン。
そう、白ワイン。
こちら來々軒さん、継承者の御子息が、なんとワインソムリエの資格を持っているのだ。
だから、こちらでは入荷さえあれば、かなりこだわりのその日のワインが提供される。
すなわち「木場にヌーベルシノワが存在する」のだ。
来店前にワインの有無を電話で確認しておきたい。
オードブルのギョウザを三つほどツマミながら白ワインを愉しもう。
だがその前に、さて、ギョウザには何を付けるか。
「蒼天航路」では劉備本人が饅頭で、諸葛亮がタレに喩えられたが、すぐに水と魚では如何かとたしなめられた。
そのタレの問題である。
私は、ギョウザを食べさせるのに凝ったタレは必要ないと思っている。
醤油の入った容器を眺めながら、酢だけに付けて食べれば良い、チャーチルがマティーニを飲んだ時の様に。
お店でタレが無ければ食べさせられないようなギョウザを出すというのは、すなわち堕落だ。
私は滅多に作らないが、自分で手作りしたギョウザが一番美味しい。
餡の下味次第で止まらなくなるほど美味しくなる。
時間がなくてスーパーで買ってきたのを家で焼いた場合には話は別だが(家ではポン酢に付けています)。
來々軒さんには鎮江香醋が置かれている。
小林秀雄の「蟹まんじゅう」ラストに出てくるあれだ。
南翔饅頭店の白磁に入ったあれだ。
流石だ、ヌーベルシノワはこうでなければ。
無論、普通のお酢やお醤油も置かれている。
話が逸れたが、ギョウザが冷めてしまう前にかじりつこう。
カリリ
という音がするのに驚く。
皮は透き通っているのに弾力があって、もっちりとした食感が楽しい。
しかしながら、焼き目は非常に軽快である。
餡の旨味は言うまでもない。
都内で一番美味しい餃子を出してくれるお店なのだ、とアプリオリに察知する。
鎮江香醋のコクがさらにギョウザを引き立てる。
ラー油は、マティーニグラスに添えられたオリーブ程度の量が良い。
決手、赤ワイン、チャーシュータンメン、大盛り。
残りのギョウザと赤ワインのマリアージュを満喫しながら、タンメンの到着を穏やかな気持ちで待とう。
果実味の爽やかな白に対し、この日の赤は渋味が軽やかで豊潤だった。
他所なら平気で一杯千円以上取られるだろう。
このギョウザの焼き手が、ソムリエでもあるのだから、これはもう頭の下がる思いだ。
そして、楽しい時間は一瞬で過ぎる事を証明するかのように、タンメンは意外に早く到着する。
ふんだんな野菜の間から、厚みある丸チャーシューが何枚も顔を覗かせている。
一口で食べてしまい、赤ワインの残りを飲み干す。
これをアントレと言うのは乱暴すぎるだろうか。
このお店でフレンチのコースが完結すると言ってしまっては。
ポワソンもソルベも無いが、それはどうでも良い事だ。
コーヒーは他所で頂こう、そうしなくたって構わない。
野暮の極みの差し出口だが、トッピングにチーズなんていかが。
チャーシュータンメンをタンメンに換えて仕舞って、頂きます。
中太麺がするり。
アタマのお野菜は、塩気ある茹で加減でしゃっきりとしている。
そう言えば、私は塩ラーメンを食べにいく事がない。
そんな理由からでも、こちらはラーメンドラゴンボウルなのだ。
タンメンの湯の字が、優しい塩気のつゆにとなってあたたかい。
酔いが回って心も軽くなっているかのようだ。
これで気の利いた事の一つも言えないようではいけない。
來々軒さんが美味しい理由は何故かって、タンメンだけに丹念に作っているから。
ギョウザほど出来が良くない冗談なだけに可笑しい。
タンギョウはタンギョーとの表記揺れもある。
それもまた可笑しい。