【四月号】ヨモツへグリ #003 川崎おさやん【キ刊TechnoBreakマガジン】

約束の地、シド。

誰がそこに行く。

僕と、その他に誰かが。

その誰かと、僕は会えるだろうか。

いつか、どこかで。

七輪の煤煙に包まれて。

策が成るか成らぬか、成るように為すのか。

二十日ほどの勤労、心労、気苦労、過労。

あとは実働部隊が為すこととして、僕は連絡会の帰路についた。

隣を歩いているのは深緑のコートを着た女性、謎の女モツ野ニコ美。

風を切るようにして二人は、日本橋一丁目を歩く。

僕は肩の荷が降り、彼女は現状の成り行きに満足していた。

「時に」と言って我ながら可笑しな日本語を口走ったものだと思わず笑い、「銀座線で新橋へ出てから、川崎まですぐなんだけど。」口調が統一されていないのがさらに可笑しい。

「川崎、そうね」彼女が微笑してこちらを向いた。

「覚えてる?」

「もちろん、いつ行けるか楽しみにしてたの」

「今夜」その日初めてしたかのように、僕たちは目を合わせた。

解放感をビールで恍惚感へと止揚する、おあつらえ向きの夜だ。

寒風すらも肌に心地良い。

川崎駅前は、さながら「池袋」の活気である。

さくら通りを横断しようとすると、外国人旅行客が立ち止まり、地面に向けて硬貨を投げた。

何かと思いそちらを見ると、ボロを着た老人が、そばに平皿を置いて地べたに座っていた。

誰が乗せたか、硬貨の枚数はそれなりにあるようだ

横切ろうとしてすれ違った、これもまたボロを着た別の老人は、高濃度酎ハイの缶を手にして歩き飲みしている。

歩き飲みの老人は、地べたの老人を忌々しそうに見下して、何事か口にしながらとぼとぼと歩いて行った。

約束の地、シド。

あるとすれば、それはここかもしれない。

そうであっても構わない。

新川通りの左側をしばらく歩く。

通りの向こうはまるでサンシャインシティを平屋にでもしたかのような施設だ。

四つ目の曲がり角は、いくらか狭い路地なので見落とさないように。

そこで折れて少し行けば、軒先に七輪を積んだその店「さおやん」が。

ガラリと引き戸を開け、奥へ。

店内は満員御礼。

そんな気がしたので席は予約しておいた。

ここ川崎総本店は朝九時まで営業しているから、待っていることができさえすればいずれ席は空くのだろうが。

モツ野女史が決めるのを待つ。

梅酒ソーダ割り、ふむ彼女の好みが分かってきた。

僕は瓶ビール。

これに併せて、煮込み二つ、鶏ユッケのマヨネーズ味二つも注文してしまう。

すぐに届いた飲み物で乾杯して喉を鳴らし、深くため息をつく。

それからすぐに注文の品が届いた。

ここの煮込みは、言うなればジャパニーズトラディショナルシチューだ。

中にはちょっと何が入っているやら分からないが、色々とゴロゴロとしていて美味しい。

硬すぎず柔らかすぎず、ハッキリと形が残っている髄がたまらない。

一口頬張って、グイグイとビールをあおる。

僕が世界で二番目に好きな煮込みである。

向かいの女性は無言で、しかしながら箸が止まらないといった感じで食べている。

鶏ユッケは満遍なくマヨネーズで和えられている。

「これが鶏マヨね」モツ野女子は臆することなく卵黄を崩し、食べた。「あっはは、これも良いわね。ねえ、七輪で焼くものも注文しましょうよ。これしかないと、すぐ食べ切っちゃうもの。ゆっくり焼きながら、それに合わせてつまみたいの」

「焼くものを注文するのももちろん良いが、食べ切ったら追加したって良い。僕はね、卑しく聞こえるかもしれないが、ここに来るたび鶏ユッケはお代わりする気でいるんだ」

と言って気付いた。

一人じゃない、独り占めじゃない、報われる瞬間だと。

ここではシビレを食べておきたい。

他所ではなかなかお目にかかれない。

シビレの語源は、sweetbread、甘い肉を意味する膵臓のことだ。

このsweetbredという言葉が日本に輸入されたため、sweetの音から膵臓と呼ばれたんだとか。

膵臓とは全く別の位置にあるものの、胸腺の事も指すそうで、まとめてそう呼ばれている。

膵臓は足が速いので、実際に店舗に出回るのは胸腺であることがほとんどらしい。

仔牛の胸腺は、フランス料理でリードヴォーと呼ばれる。

それと、刻んだネギがたっぷりと載ったハラミ。

それぞれ七輪に載せて、炭火でじっくりと焼いていく。

早くも僕の鶏ユッケがなくなったので、予定通りお代わりを注文。

それから、賽子状の豆腐、納豆、めかぶ、おくらの上にとろろがかかり、生のうずらの卵が載っている、ずるずるという商品も頼んだ。

これは醤油を適量たらして、箸で滅茶苦茶に掻き混ぜてから頂く、いわゆる爆弾というやつで、僕にとってはこれくらいのタイミングで持ってこいの逸品なのだ。

焼き目がつかないようにじっくりと焼いたシビレを互いの皿に載せる。

以前は付いていなかったが、別皿に特製パウダーが盛られている。

ははぁ、パリパリに焼いた鶏皮串に振りかける例のあれか、悪くない。

シビレはもちもち、くにくにとした食感だが、味わいは白子のように濃厚だ。

このお店、川崎さおやんには、ならではの商品が多いからいつも来店を楽しみにしている。

どうしたらこういうお店を見つけられるのか、と黙って食べていたモツ野女史が満足げに聞いてきた。

十何年も昔の記憶が一気に蘇る。

路地裏の溜まり場で一際懇意にしていた、三歳年上の摩耶という変わった名の男。

学生の頃に連れられてきて以来大好きなお店になったのだった。

彼はすぐにトヨタに就職が決まって、愛知県に越してしまった。

あんなに魅力的な人格者だったのに、最後に会った日には気弱になっていた。

友達なんてあの人にはすぐにできるだろうに、なぜか分からなかった。

会うときは決まって、僕一人だけと会っていたという理由も。

ここでならまた会える気がして、毎回通っているのかもしれない。

【人生5.0】Junのヨモツへグリ #002 西船橋 串屋横町【ONLIFE】

約束の地、シドはどこにある。

僕たちはいったいどこで再会を果たす。

山林など消え失せてしまったこの地上で。

まばゆい電光掲示板を見上げ、下水の汚臭に気付かない。

張り巡らされた下水道のような道を行き交いながら。

その日初めて出会った僕たちは、まる福で軽くひっかけて店を出た。

向かいの女性の髪型や化粧、仕草など特に気にすることは無かった。

それは僕の習性なのだろうか、わからない。

もう一つ分からないことがあった。

女性というものがどれくらいの量を適量として食べるかだ。

店の前の通りを向こうへ渡って、そのまま前進。

他に店も無いような裏町の四つ角に次の店。

移動にわずか一分、目と鼻の先だった。

冷えたビールとサワーがもたらす冴えた外気から逃れるように、足早に移動した。

勝手の知らない女性を引き回す羽目にならなくて良かった。

この梯子は個人的に一人飲みの際に使おうと思った。

次の店はさらに空席が多かった。

串屋長屋は県内と都内に、やはり五十店舗ほどを展開している。

賀々屋と規模は全く変わらないが、一九六五年創業に対して二◯◯三年創業だ。

意外なことに、一号店と二つのセントラルキッチンが存在するのは茂原市だ。

もつ焼きが食べたいと客が思った時に、真っ先に思い出されるお店でありたいという理念があるらしい。

まさに賀々屋の牙城を崩さんといった意気込みだろう。

だから今夜、ここへもつ焼きで飲みに来た。

四人がけの席に二人で着く。

混雑が始まった賀々屋の風情とは違う、明るく清潔感のある店内だ。

僕はたまに亀戸店に行くので、プラスチック製のドリンクパスポートを所持している。

カードにシールを三枚集めると、特典として最初の一杯を無料にしてくれる。

次年度はブラックカードへのランクアップが待っているようだ。

今夜これは出さないでおくことにした。

お通しのキャベツが運ばれる、これはおかわり自由。

レモンサワーをピッチャーで注文。

いつものバラ軟骨1号。

これは、とろとろに煮込んだもの。

ちなみに2号は薄切りのを焼いたもの。

目に付いた馬肉のタタキ、お得サイズで。

同じ1号でもレバー1号というのもある。

角切りの豚レバーをザッと焼いたやつで、安くて美味い。

不思議なことに2号は存在しないのだが、レバーフライも安くて美味い。

モツ野ニコ美と名乗った女性は、レバーがあまり得意では無いそうなので見送った。

お酒に関しては、杏酒や梅酒のような甘いのをソーダ割りにしたのが好みだという。

残念ながら、そういうのはここには無い。

止むなく彼女はピッチャーからレモンサワーをジョッキに受ける。

僕もどういう心境の変化か、ビールをやめてレモンサワーに移行。

乾杯して飲み始める。

僕はビールを飲んでいる姿を、他の女性に見せたく無いとでも内心思っているのだろうか。

今はがぶがぶとビールを飲み干せなさそうだから、こういう酸っぱいのが丁度良かった。

たいして待たされることなく注文が届いた。

時間のかかる串物をこのタイミングで頼む。

「熱いぞ」

「ありがとう」微笑しながら彼女が言う。「けどすごく美味しい」

ほろほろに煮崩れた肉と、どろっとして原型を止めていないゼリー状の軟骨。

鼻に付く臭みには目を瞑って、練り辛子の痛みに耐えることにしよう。

不味く無いはずがない。

禁忌の食材を時間が解決する。

いや、圧力鍋が何とかしたか。

邪推を口にするのは無粋だ、相手に失礼になる。

馬肉のタタキは赤身の淡白さがはっきりしている。

脇にあるおろしニンニクを遠慮なくつけて食べる。

「お通しのキャベツに付いてきた辛味噌の方が合うかもしれない」

「馬肉に味噌って、信州スタイルって感じね」

そんなことを言われて、ずいぶん前に飯田駅前の箕輪へ食べに行った記憶が蘇った。

信州飯田名物、馬のおたぐりだ。

馬の内臓を手繰り寄せて捌き、煮込み、無駄なく食べられるように工夫したものと考えて差し支えあるまい。

首都圏では絶対にお目にかかれない、安くて美味くて新鮮で量の多い現地の馬刺しに思いを馳せる。

「素材が無いから文化で飲むんだ」

「飲み屋の流儀?」

「僕らはその文化を生きているだろ、今まさに」

「客が店を作るってことね。次は人でごった返した平日の夜中が良いわね」

笑って頷き、ジョッキを空けた。

向かいの女性の酒量は控えめだ、ピッチャーの残りは僕が明けることになるだろう。

串が届いた。

一本目は赤モツMIX。

ここはいちいち塩かタレか聞くような野暮なことはされない。

タン、ハラミ、ハツが二つずつ交互に刺さっている。

この方が五本盛りを冷ましてしまうより良い。

味わっていてもまだ冷めるような時間じゃ無い。

二本目はスーパーホルモンロール。

ぷるぷるしたやつがいくつも刺さっている。

僕はこういう、一寸冷めてもとろとろなのが好きだ。

白もつをパリッと炙った串なども確かに良いが。

飲み食いして、満足して会計して帰った。

他にどんな会話をしたか、覚えていない。

いや、ろくに会話しなかったのだろう。

色っぽいことには期待していない。

ただ、次の仕事を楽しみに待っている。

【人生5.0】Junのヨモツへグリ #001 西船橋 まる福(加賀屋船橋店支店)【ONLIFE】

約束の地、シド。

僕たちはそこで再会を果たす。

桃の木には瑞々しい肝臓が。

薫風には七輪で焼く味噌の風情が漂う。

さらさらと音もなく川を流れる大腸は澄んでいる。


「コードナンバー0253」深緑のコートを羽織った女が駆け寄って言った。

「今はyだ」僕は僕なりの礼装のつもりで、黒のウールで仕立てた風変わりなトレンチコートを羽織っている。深紫のマフラーはもう毛玉だらけで、手放す頃合いだ。

「ワイ?それは大文字じゃ無いんでしょう」肩ほどの髪が茶色く揺れている。

「当たり前だろ、だから好きに名乗っている」

「モツ野ニコ美よ、よろしく」

僕は吹き出した。

なるほど、彼女は彼女で好きに名乗っているらしい。

僕の名前も先に言われてしまった。


はるばる裏芝浦までやって来たが、収穫なしの空振りに終わった。

今回はただの顔合わせだった、気楽なのは良いことだ。

駅までのバスに乗って、下らない話をする。

僕は西船橋まで、彼女は隣街だという、結構なことだ。

習志野と墨東とのゆるやかな協調路線に加えて、半東京と呼べそうな地区とのつながりがもてるのは良い。

都内からの渡葉を三番瀬渡りとも言う。

三番瀬渡りの経路は二つ。

上野から京成を使うか、大手町から東西線を使うか。

三田から大手町へ出ることにした。

大手町では本数の少ない列車がちょうどやって来た。

混雑した車内で丁度座席が二つ空いている。

お互い腰掛けて僕は一息ついた。

何も言わずに目を閉じて座にもたれた。

気付いた時には車内で独りきりになっているだろう。

なっていなかった。

席は相変わらず冷え冷えとしていた。

仰向けにでもなるかのような無防備さで惰眠を貪っていたのだが。

外の景色は原木を過ぎている。

「お客さん終点ですよ」僕は真顔で言った。

「そうね、西船橋に着くわね」

「何だ、どうした?」

「コレがまだじゃない」と言って手首をクイと上へ持ち上げた。「仕事の後は仕事って、昔から言うでしょ?」

そんな言葉は聞いたことがないが、僕は首肯した。

趣向を凝らした酒肴が良いと思った。

棄てられるはずの物。

食感も味わいも不適な物。

禁忌の食事。

解決の糸口は時間にある。

棄てられる前に目を瞑って口にするか、三日ほど釜で炊いてしまうか。

「じゃあ、麗しきコードネームの姫君には、お似合いの物を」

「城下町の大衆店に行くの、嫌いじゃないわよ」

車掌と改札員に通行証を見せて北口へ降りた。

賀々屋は都内に五十店舗は下らない一大勢力である。

どの店で食べても同じ味をさせている。

僕は、そこの煮込みが一番好きなのだ。

千葉にある賀々屋はわずか数店、どれも船橋界隈に偏っている。

船橋店、船橋店支店まる福(西船橋に存在する)、まる福の裏手に西船橋店。

西船橋店の真上に、なんとも大胆不敵なのだが、タツ屋という店舗があり、そこのもつ煮も同じ味がする。

タツ屋は船橋店も存在している。

今回は西船橋に所在する「船橋支店」のまる福へ。

駅を出て徒歩一分と言うのは、船橋支店も西船橋店も同じなのだが、こちらは大通り沿いなので威勢が良くて好きだ。

大暖簾を手繰り、引き戸を開ける。

戸には黄色い貼り紙で「桃サワー」と書かれていたのが印象深い。

僕は麦茶のように麦酒を飲むのだが、はてさて姫君はどうか。

奥の広間に案内された。

がらんとしているのは十七時過ぎだからか。

若いアジア人女性が早速飲み物の注文を取りに来た。

決めかねているようなので、少し待って貰う。

二人はコートを脱いで席についた。

飲み物のメニューを眺めて、やはり桃サワーにすると言う。

店員さんを呼び、瓶ビールとサワーをお願いする。

アサヒかキリンか、キリンにした。

そのまま煮込みと、ホワイトボードに書かれた鶏マヨが気になったのでそれ。

「この店の煮込みが好きなんだ」

「良いじゃない」

「平らげたら店を変えよう」

「別に、いいけど」僕の真意を測りかねると言った顔をしている。

賀々屋は大好きだ、煮込みが一番美味い。

もつ焼き、刺身、揚げ物と提供される商品も充実している。

だが、煮込みを食べ終えたら、近所に美味いもつ焼きを出すお店があるのだ。

飲み物と同時に煮込みがすぐに来た。

大鍋から即提供、この速さが良い。

瓶ビールは大瓶、サワーのジョッキも大きい。

何の変哲もない液面しか見えないが、味噌仕立ての薄口つゆは大腸の脂でこってりと濃厚だ。

散っている輪ネギ以外に野菜はなし、大根人参一切なし。

散り蓮華ですくい上げると、とろっとろになって、干からびてしまったかのようなシロもつ。

さらに、まだ脂を身に纏ったような、コクのあるやつが半々で這入っている。

碗底にはかさ増しのための豆腐が大きく一つ、なのだがこれは美味い豆腐。

取り皿に分けて勧めた、僕は碗から頂いてしまう。

乾杯してビールを飲み干す。

心地よい。

もつ煮は相変わらず美味い。

男と来ていれば一人で二杯食べてしまう。

後を引く旨さなのだ。

目の前の女性も頷いている。

鶏マヨが来た。

ははぁ、これは海老マヨの鶏版か。

鳥の唐揚げを赤味のあるマヨネーズソースで和えている。

一口かじると、驚くほどにプルプルしている。

こんな調理法があるのだろうか、全く予想がつかない。

モツ野女史も同意見である。

猫舌なのか、食べる際には慎重だ。

もしかすると化粧を気にしていたのかもしれないが、男の僕には分からない。

「鶏マヨといえば、川崎に良い店がある」

「鶏マヨの?こういうの?」

「いや、これとは違う」僕はニンマリして言った。「そこの煮込みが二番目に好きなんだ」

「あら」

「次はそこへ行こう、仕事の後の仕事へ」

僕たちは笑った。

一杯ずつの酒と、二品のつまみ。

平らげるのにそう時間は掛からない。

だが、空席が次第に埋まってくる。

ちょうど頃合いで会計へ行った。

丁度一人千円。

すぐそばの店では、バラ軟骨の煮込みに、もつ焼きを数本と算段しながら店を出た。