【十二月号】酒客笑売 #008【キ刊TechnoBreakマガジン】

会社主催の打ち上げで~、酔った勢いで社長に絡んだ♪

笑えへん、笑えへん、笑えへんへんへへんへん♪

会社主催の打ち上げで~、酔っ払い過ぎて救急車騒ぎ♪

笑えへん、笑えへん、笑えへんへんへへんへん♪

・・・忘年会シーズンである。

くれぐれも飲み過ぎには注意したい。

あれはもう十年近く前の話だ。

社で大きなイベントを終えたその日、上半期の打ち上げが赤羽の居酒屋で執り行われた。

私は数年目の駈け出し、向かいのお姉さま方たちのお酌を受け、飲まされるがままに日本酒を飲んだ。

「禍原さあぁぁぁん!禍原さあぁぁぁん!」

ねばついた瞼を開けるのが困難だ、光が眩しい。

私は名前を呼ばれていた。

気が付くと、辺りは慌ただしい。

確か、この時、私はトイレに行きたくてそこまで歩いて行った。

視界が真っ白だったのを覚えている。

足腰は弱り切っていたかのようで、まともに歩くこともままならなかった。

下腹部に力を入れても何も出ない。

尿意はあるのだが、うんともすんとも言わなかった。

気ばかりが焦る、煩わしい尿意をさっさと無くしてしまいたい。

結局、二分も三分もかけて終わらせた。

ベッドに戻ると、私が失踪して仕舞っていたので現場を混乱させてしまっていた。

救急車には限りがある。

病床にも限りがある。

看護師さんにも仕事がある。

飲みすぎなければ、それらへの負担を無くせる。

私は消えてしまいたかったが、そういうわけにもいかぬ。

笑えない笑い話である。

救えるはずの命に駆けつけられ無くなるだろう。

患者が増えれば仕事も増える。

意識不明の泥酔者に付きっ切りでは他の仕事にならない。

飲み過ぎによる救急車騒ぎだけは、当人の注意で回避できるではないか。

無論、我々呑助の中には、私の様に意志薄弱で自分の力では飲酒を中断できないのがいるから、無理に飲ませたりなぞしないというのも肝腎である。

急性アルコール中毒のみならず、慢性的な肝機能、腎機能の低下を予防すべく、適度な運動に心がけることも肝腎である。

笑えないんだよな。

赤提灯でおでん、という観念を私に刷り込んだのはフォルテ・シュトーレン大尉だ。

読者の酔いどれ紳士淑女は、誰かの影響で飲酒に憧れたり、飲むとはこうでなくてはと思った事はないだろうか。

私の飲酒は暗くて笑えない。

明るくて笑える飲酒は、常々私の記憶から欠落していく。

それでも、ああ良い酒だ、こういう飲みは良い飲みだ、と思える事は何度もある。

さあ、飲み直そう。

ここから後半は、私とおでんで一杯やろうではないか。

ドラマ版『野武士のグルメ』で、竹中直人演じる香澄が確か

「ちくわぶって、辛子を美味しく食べさせるために」云々していた。

これは、高橋義孝の『酒客酔話』にも記述が見られる。

私は私でちくわぶが好きなのだが、それもやはりフォルテ・シュトーレン大尉の影響だろうかと思う(竹輪よりも好きだ)。

行きつけのおでん屋って、あるだろうか、私はある。

王子駅前の平沢かまぼこさんだ。

王子十条赤羽の呑助ゴールデントライアングルは、職場に近いのでよく行く(赤羽の有名なおでん屋さんは盛況すぎて、まだ行こうという気が起きない)。

そこは、おでんダネ製造業者の旗艦店である。

もう十年近く前に、二回りほど上の先輩に連れられて行った。

彼はこの界隈の先導者である。

当時は先代の女将さんもよく店頭で接客していた。

だいたい十月に入って頃合いのときに、件の先輩(塾長と呼ぶ事としよう)から話を持ちかけられて行くのがそのシーズンの開幕。

以降は、寒さが強く感じられる様になった十一月中旬から頻繁に通うことになる。

今はやらなくなったが、店頭で氷水を張った中から瓶ビールを出してくるのが好きだ。

我々はそこでは決まって赤星。

狭いカウンターばかりの立ち飲みだが、押し合いへし合いしながらおでんをつまむのが風情だ。

席へ通されると、小皿に色々な漬物が小口切りになって提供される、のだがこの頃そのサービスは無くなった。

こうして書いていると、変わってしまった事についてのぼやきばかりになってくる。

変わらないのは冬季限定販売の煮こごり、これが美味い。

最初の注文では瓶ビール、煮こごりと、おでん三つほど、大根、ちくわぶ、こんにゃく。

塾長はおでん五つほど、大根、昆布、はんぺん、竹輪、カレーボール。

一回目の注文を瓶ビール二本で平らげた後には、鶏皮の煮たのと二皿目のおでんだ。

私はたいてい、卵、はんぺん、じゃがいも、あぁ厚揚げもいいなあ。

塾長は、一皿目の五つで十分らしく、このあとレモンサワーに代えて鶏皮をつまむ。

飲み物が変わった時には、私も同じもので付き合う。

カウンター立ち飲みなのだが、ここからが長い。

その後、一通り食べ終えてもまだアテはあって、源氏巻きを注文する。

これはウィンナーとチーズをくるんと巻き込んだ蒲鉾のことだ。

輪切りになったのが五切れほど、マヨネーズを添えて出される。

これが中々イケる。

お互い好きなので、鶏皮のお代わりもする。

変わり映えしない話、と言うわけでも無いのだが、業界の時評を延々聞かされる。

熱心な人だし、勉強になるのでうんうん言いながら聞いている。

だから塾長と内心で思っているのだ。

彼がもっと飲みたいと思っている時には、ここらでカレーボールが追加される。

しかし、こないだ行ったらメニューからカレーボールが無くなっていた。

「おつまみタイカレーなんて新メニュー出してないで、チャイポンはカレーボールを出せ」

帰り道に塾長はぼやいていた。

先代の女将さん以来、店頭にずっと立っているのは、我々が勝手にチャイポンと呼んでいる小太りな東南アジアの店員さんだ。

無くなったサービスについては知り得ないだろうが、変わらない味をたとえばこんなお店に訪ねてみるのもいい。




#008 疾走アンビュランスの肝機能障害フォルテッシモ 了

【十二月号】もう付属の餃子のタレをつかわない(かもしれない) #008 浦安 秦興【キ刊TechnoBreakマガジン】

自分が死んだ感覚を鮮明に覚えている。

僕は、酔っていた訳ではないから。

殴られるのには仕事柄慣れていたが、不意の衝撃だった。

胸元を、どんと殴られた感覚。

深海に、どぼんと突き落とされた感覚。

気が動転して視点も定まらず、見慣れない天井をそれと認識できないまま。

苦しい、苦しい、だがすぐにその苦しみも麻痺していく。

最期に見るような彼の表情は、鏡に映した僕自身の表情だったのかもしれない。

Wの青ざめた顔が、あと数秒だけ僕をここに留めてくれた。

それが信じられない。

ハインツのケチャップでしたとか、まだ開栓して間もない赤ワインでしたなんて。

僕は死んだはずだ。

なぜなら声を聞いたから。

「記事は読んだ」と。

「生い立ちは総て見返した」と。

「私は全てを読むものだ」と。

「もっと食え」「まだ書け」「人の倍では足りぬ」「寿司で冷えた体を温めるラーメンを食う前に、焼き肉屋へ這入って最後は牛丼屋に行け」「合間に吐け」「口にできない物を口にすることを、ヨモツヘグリと称すること罷りならぬ」「伊邪那岐がこの世とあの世とを行き来した程度では満たされぬ」「お前は行ったり来たりを繰り返すのだ」「それは成人でも童でもない埒外の存在だ」「満腹と空腹とを止め処なく行き来していろ」「二つの矛盾を内包すること罷りならぬ」「ついでに膣内射精障害にしてやる」「私は夏見ニコル」「お前の背後で全宇宙を睥睨する者だ」「目覚めろ」「立て」「食え」「食って吐け」「書け」「駆けろ」「賭けろ」「お前は敷居を踏んでいる」「いや、お前は内と外を行ったり来たりし続ける」「禁忌を犯せ」と。

改札の前に彼女が、モツ野ニコ美女史が待っていた

青いニットが良く似合っている。

「急に、何というかその、不安になってしまって。こういう仕事をしていると、いつ急に、会えなくなるか分からないから」店へ向かって歩き出しながら言った。

「貴方が消息不明になっても私の所には詳細が来るはずだから、安心して」彼女は快活に笑って言った。「それに私たちは探す側であって、決して探される事はないわよ。人員が割かれるような事無いもの、代わりは多いんだし」

僕はそれでも切り出した。

「つながりが欲しくて、偶像崇拝的で嫌だと思わなければ、同じ指輪をはめていたい。今度、それを見にいくのはどうかな、来月にでも」

「お酒の力を借りずによく言えたわね。」彼女は大笑いしたが、照れかくしのようでもあった。「給料の三ヶ月分は覚悟できてるのかしら?」

「もちろん」

ロマンティックな事なぞ何も無いが、そのまま中華料理店へ這入った。

急に呼び出したのだが、彼女は応じてくれた。

のみならず、僕からの申し出も許諾してくれたようだ。

楽観主義者の僕が、こんなに不安になった事はおかしい。

その日は彼女の地元である浦安に来た、というか押し掛けた。

事前に調べて良さそうな和食店は予約満席だったため、こちら秦香さんを予約した。

モツ野女史も訪れた事はないそうだが、駅から近かったので案内してもらった。

駅の真横にくっついている施設の表から裏へと抜け、向こう側へ出る。

ほんの数メートルとはいえ、建物も道になる、街の中にも道があるというのが可笑しかった。

外観も、内装も、街中華という感じは全くなく、中華料理店だ。

案内されたのは六人掛けも可能そうなテーブル席で、前評判通り女将さんの愛想が非常に良い。

席に着くなり瓶ビールと餃子を注文した。

モツ野女史には、その間にドリンクを選んでもらう。

彼女は即決で杏酒のロックと言った。

「ソーダ割りじゃなくて?」

「ビール少し頂くわ」

その注文に重ねて、彼女はエビマヨネーズを、僕は蒸し鶏の葱塩和えをそれぞれ選んだ。

さっきあんな事を言ったのに、グラスに注いだビールでの乾杯は何事もなかった様に行われた。

会ってから、まだ半年と少しくらいしか経っていなのだが、お互い多くは語らない。

ただ、仕事の後の仕事と称した、こういう酒盛りが好きな二人だ。

優しい約束の宜敷ことyがしみじみ飲んでいると、しばらくして餃子がやって来た。

皿の余白が目立つ、焼き目はあるが乾いたような見た目のが、五つころんと不揃いに転がっている。

醤油を垂らそうと容器を傾けると、口元についていた雫が一滴落下した。

こんなもんで良いかと、小皿にラー油を垂らす。

こちらのラー油は、小さなお碗で小さじと共に提供される。

その上から酢を流し入れると、先に入っていたラー油が小皿一杯に広がった。

タレにつけて齧り付けば、何とも平凡な味である。

ふむ、どうしたものかと残り半分を口に放り込む。

若干、野菜が香りはするものの、平凡な印象は拭いきれない。

僕は苦笑して、猫舌の彼女に火傷しないよう忠告した。

「もう付属の餃子のタレをつかわない、か」

「ねえ、小籠包も注文しましょうよ」僕の落胆を見かねたかの様に彼女は言った。

「食べる時には、くれぐれもご注意を」

「火中の栗を拾って食べるのが、貴方が言うヨモツヘグリなんじゃなかったかしら」

言われて僕は、メニューにあった豚モツ、豚ガツとハチノス辛味鍋を注文したくなった。

今夜はいつもと外してゲストと共に餃子のつもりが、それに便乗してモツ煮まで頂こうと言う寸法だ。

小籠包と一緒に追加注文、瓶ビールも。

到着したエビマヨネーズを早速頬張る。

もったりと濃厚な食感に、弾ける様なエビが口の中を幸せにする。

温度も熱過ぎずで、いくらでも放り込めそうだった。

選んだモツ野女史も美味しいと言って食べた。

彼女のグラスビールは空いていて、杏酒のロックに口をつけたところである。

蒸し鶏はたっぷりのもやしがくたくたになったのに載っていて、一緒にモリモリと食べられる。

僕は塩分が強いのをあまり好まないのだが、塩梅の良い味つけだったので箸が進んだ。

平らげる頃に豚モツ、豚ガツとハチノス辛味鍋が届く。

結構な大きさのお碗に入れられている。

もやしやキャベツや刻まれた香辛料などに覆われて、中身がよく見えないが、モツの類もふんだんに入れられているようだ。

よく吹いてかき込むと、まだ熱く、そして辛い。

内蔵は煮込みではなく調理されたばかりのようで臭い、しまった。

辛くて臭くて地獄の池みたいなひと碗だ、黙々と食ってしまおう。

ニコ美女史も取り分けて食べているが、熱いとか辛いとか言う程度である。

変な汗が出て来た。

毒を食らわば皿までで、麻婆豆腐も注文する。

「この石鍋麻婆豆腐を、普通のお碗に入れて頂けませんか?」

「ウチはそれできないの、よく焼いて出すから」

「わかりました、それで下さい」

上手く行かない。

向かいのモツ野女史が赤面しているのは、辛味鍋の所為か僕の失言の所為か。

きっと彼女よりも僕の顔の方が赤いはずだ。

指輪の件なんか頭から飛んでしまっていそうである。

鍋を平らげ、小籠包を仲良く二つずつ食べ、麻婆豆腐に舌鼓を打ち、最後に炒飯と汁物代わりのパクチー水餃子で〆てお会計。




モツ野ニコ美は、目の前の男エージェントyが、トイレから戻った後で炒飯を猛烈に食べる様子をしかと見届けていた。

彼の目は席を立つ前に比べ、邪悪な赤さに染まっていたのだが、それは決して料理の辛さから来るものではない。

彼が箸を持つ手の甲には、自分で自分を食ったかの様な歯型がはっきりと認められた。

そして、いつか優しい約束と自らを呼称したその男とは、もう二度と会えないのだという事を直観した。

『哀れな男。貴方を誰にも渡すもんですか。そのために私たちWAR GEARは居るのよ』

【十二月号】巻頭言 おじさん、許さん、BLACK SUN【キ刊TechnoBreakマガジン】

「仮面ライダー生誕50周年記念企画作品」

重々しくもその作品は、各回冒頭にこの言葉が掲げられる。

まず、残虐なシーンが多発するのはやむを得ない。

この物語は、人間と怪人、二つの種族が対立する現代の日本が舞台だから。

怪人たちには彼らの徒手空拳しかない、人間たちの様に発砲して銃弾を打ち込んで、それでお仕舞いという訳にいかないのだから。

さりとて、物語の冒頭、差別反対の怪人たちと異種族排斥派の人間たち、それぞれのデモ隊が一触即発の様相を呈している場面から息詰まる展開であったのだが。

私は、日々をうかうかと暮らして来たから、デモ隊に参加したという事は一度もない。

しかしながら、丁度今から十年前にレバ刺しが禁止された際には、国会前に座り込みでもしようかと考えていたことがあった。

ワンカップを右手に、左手にはプラカードを持ち

『俺たちの楽しみを奪うな』

『俺たちは俺たちで責任を取る』

と、世界一平和な抗議行動を妄想していた。

食糧事情がどうなろうと、私たち日本人にはホルモンがある。

だが、怪人たちの食糧事情はさらに逼迫していた。

彼らにとっては、怪人たちの頂点である『創世王』が供給する体液を口にしなければ若さと強さとを保ち続けていくことができない。

そして、その創世王も今や瀕死であり、いつまで現状維持ができるか見通しが立たない。

時の首相は怪人たちとの融和(トゥギャザー)路線を進んでいるのだが、その実態は『創世王』と怪人の政府管理による利益の吸い上げだった。

事の始まりは今から五十年前、首相の祖父である当時の首相の思惑に端を発する。

人体実験を繰り返し、戦争兵器としての怪人を実用化するべく働きかけていたのだ。

五十年前の人体実験の犠牲者の中に、彼らもいた。

南光太郎と秋月信彦、BLACK SUNとSHADOW MOONとして、過酷な運命を背負わされる少年たちである。

次期創世王は、彼らのうちどちらになるのか。

物語は、差別と対立が渦巻く現代と、野心と衝動とが胎動する五十年前とを交互に行き来する。

この構造によって、物語がどのような経緯で突き進んで行ったかを明かすと共に、今ここの日本に居る私たちがいかなる価値を創造するのかを問うのだ。

人間と怪人、差別と融和、現代と過去、ドラマと視聴者、この対立を行き来することが、私たちに新たな価値の創造を可能にさせる。

きっと、物語は誰もが予期せぬ悲しみに向かって行くのだろう。

五十年前、政治闘争団体としての五流護六(ゴルゴム)党内部の友情に入っていく亀裂の様に。

その亀裂は、破竹の勢いとなって、団体ではなく個人の思惑によって瓦解していく。

何のために写真を残すのか、振り向かないためではきっとない、それではギャバンになってしまうから。

「ずいぶん老けたなぁ」

五十年ぶりの対面となる光太郎の姿を見て、信彦もまた囚われの身であったその五十年の歳月を実感したに違いない。

その邂逅の場には、もう一人の人物がいた。

怪人差別に反対を表明する数少ない人間、和泉葵。

彼女は国連で差別の無い社会に向けたスピーチをする。

怪人は危険では無い、怪人は人間を傷付けない、怪人も夢を見て恋をすると。

「人間も怪人も、命の重さは地球以上。1gだって、命の重さに違いは無いのです」

怪人の存在が日本発祥であるという世界認識を隠蔽したいと画策する現政府に見出されてしまった事と、怪人排斥派から彼女の暗殺依頼を受けた覚醒前の南光太郎が現れてしまった事により、和泉葵の運命は本作で最も激動の渦に飲み込まれる。

改めて今述べよう。

人間と怪人、差別と融和、現代と過去、ドラマと視聴者、この対立を行き来することが、私たちに新たな価値の創造を可能にさせるのだと。

私たちには、当事者にならずとも相手を慮る力があるはずだ。

ただ、きっかけが無いからその能力に気付かないだけなのだ。

それは、和泉葵の持つキングストーンに触れた南光太郎の変身と同じ事ではないか。

私は、五十年前の五流護六党員達の群像劇が好きだった。

それらが現代につながっている様子もまた好きだった。

被差別者である怪人たち五流が六流を護るという意味なのか、それとも七転び八起きの気概を『永遠の』闘争への流れに委ねるという意味なのか、それは分からない。

だが、私たち視聴者もまた彼らの在り方を共に振り返られるという事が、どこか勇気の湧いてくる行いだと思える。

だから、クジラ怪人はきっと第四話までの出演予定だった、そんな気がする。

「寂しくなるな、おい、もっと暴れたかったな」

コウモリ怪人とのあの会話が、きっとクジラ怪人に本当の生命を与えたんだと、そう信じたい。

もう、多くは語るまい。

さりとて、只のあらすじに終始するのも面白く無い。

だから最後に蛇足しておく。

コウモリとコオロギの二人、私はあの象徴を大いに気に入っている。

物語は終わらない、本当のオープニングは始まったばかりだ。

不思議な事は起こる。

WAKE UP!

人の性が悪ならば、善こそが変“真”のための唯一の手段ではないだろうか。

【十一月号】環状赴くまま #013 大塚ー池袋 編集後記【キ刊TechnoBreakマガジン】

夕方になるともうすっかり暗くなる、この季節は少し苦手だ。

三時ごろに感じる斜陽は物悲しくて、やり切れなくなる。

日暮里ー西日暮里間の頃に声をかけていたが実現しなかった職場の後輩Cを誘って、彼の大好きそうな街、池袋へ向けて出発する。

幸いにも仲の良い業者のO氏が来ていたので、バンで大塚駅まで送ってもらった。

赤信号で止まり、ここで降りるかと外に出た途端に信号が変わった。

礼を言う暇も無く、車は走り去った。

O氏、ありがとう、この場を借りて謝意を表明したい。

もっと奥へ進めば大塚駅前なのだが、またここまで戻ってくるのもバカらしいので、近くのコンビニへ向かう。

寒さはそれほど厳しくないのがありがたかった。

ファミチキでビールが飲みたいと提案、近頃毎晩のようにファミチキビールで地元の帰路を飲み歩いている。

これではファミキチだ。

18時40分、出発の乾杯です。

Cはたまに日中の出張でここら辺を歩くことがあるのだという。

ただ、夜は初めてとのこと。

私もこっちには来ない。

大塚に魅力的なお店を多く知っているのだが、来る機会が全く無い。

さて、一旦線路に対して平行よりやや角度のついた通りを進んだ。

突き当たりの交差点を左に折れて、橋の方へ登っていく。

この先に橋がある。

信号待ち、左手。

この道から進んできてもよかったが、ファミチキ優先コースが今までの道だ。

空蝉橋。

明治天皇が蝉の抜け殻のついた松の木を近所で見たのがその名の由来だとか何とか。

この下を山手線が走っている。

ここから右へずっと向かう。

空蝉橋から見た右手。

渡ってずっと進む。

後輩のCはここの分岐にめざとく勘付き、私から聞かれる前に路地へ行こうと申し出た。

何も言われなければ、一旦右へ行っていたかもしれない。

Cはこういう道が好きなのだと言う。

そんな人って居るんだと思いつつ、上野から鶯谷へ向かう途中の路地を思い出した。

Cに話すと知っていたようで頷いていた。

路地を抜け、駒込ー巣鴨ー大塚によく見られたような道に出る。

向こうに橋がある。

栄橋というらしい。

橋の上からいつもの一枚。

さらに先へ向かうが、線路沿いから少々離れることとなる。

少々入り組んでいるが、なるべく線路から離れ過ぎない道を選ぶ。

進行方向左に線路があるのだが、行き止まりの様なので右へ。

騙し絵のようなポスターが並んでいた。

夜に見たらちょっと驚いてしまうのではなかろうか。

通りに出た。

兆峰さんは中華料理店、私の大好きな感じのメニューが出されるようだ。

駒込、巣鴨にあるときわ食堂さんは和食だが、中華もたまらなく良い。

ここを左へ折れて真っ直ぐ行く。

分岐。

線路は左方向だが、敢えて右を選んでみた。

後輩Cはここら辺の軒先にノスタルジーを感じていたっけ。

結局すぐに、線路沿いの路地に合流。

なんか、

うろうろせず、真っ直ぐ進めば着くんだ、という安心感があるな。

こういう線路沿いって。

今回、何度目かになる橋。

宮中橋。

はるか向こうに池袋の街並みが待ち受ける。

だが、街と街とをつなぐ道は、まだ続く。

Cと話した。

大塚からこんな風に池袋へ向かう人は、在住の方々以外に居ないのではないかと。

池袋は色々な方法で行くことができるから、わざわざ歩きを選択する人は少なそうに感じたのだ。

堀之内橋。

おっと、今までの橋とは様相が違って、空蝉橋に似た感じだ。

やっと街が、ここからははっきりと池袋エリアか。

振り返るとクラフトジンのバーがあった。

街にバーあり、道にバーなし、と言ったところか。

ここはインターナショナルバーであるとのこと、今度行ってみよう。

橋の向こう側。

見ずらいが、二階に中国卓球とあるレッスン場。

その下、電飾が目立っていたが写りが悪くて恐縮。

RECORD、CD、BEERと光っていた。

掘り出し物があるという噂のレコード店、疲れたらクラフトビールで一休みというのもできるらしく、好きな人は徹底的に好きなお店だろう。

橋の横断歩道を渡って、さらに向こうへ。

さっきから見えていたあのオベリスクは、清掃工場の煙突であるらしい。

縁石の上に立ち、カメラを高く掲げてフェンス上部から撮影。

今までの道では見られなかった光に溢れている。

後輩Cはしきりに「汚ねえ光」と言っていた。

一応、同意しておきはしたが、彼がどういう本心で発した言葉かは窺い知れない。

首都高の下だったか。

地図上では分からなかったが、まだ先へと連れて行ってくれる。

歩道橋で埼京線の線路を跨ぐ。

池袋駅は目の前である。

ここは池袋大橋というらしい。

空蝉橋とか堀之内橋とか、橋の名前に詳しくなるのが線路沿い歩きの副産物かな。

ラムセスという、ファラオの名を冠したラブホテルが不遜で可笑しい。

なんだか大塚からの道中は、何もかもが池袋寄りに引き寄せられてしまった、真空地帯か虚空ででもあるかのようだと気付いた。

もちろん、何もないわけではない、道があるのだが、それにしても。

池袋大橋から階段で降りた。

同じ街並みだが、視点が変わるとこれほどまでに見えるものが変わるか。

向こうに歓楽街が広がっている。

勤め先から見て、池袋はかなり近場と言えるのだが、この界隈はもっと詳しくなりたいな。

今までの人生何をしてきたのだろうか、なんてふと思ってしまう。

このまま煌びやかな街に溶け込んでいくわけでもなく。

西一番街中央通りのお店へ這入った。

せんべろハシゴというのは基本スタンスだったが、次回は一人で歩こう。

それでも、生牡蠣四つで四百円、知る人ぞ知るお店だ、UOKINバルさん。

私があまりの勢いで食べるものだから、後輩Cは二つも寄越した。

カルパッチョのLサイズ、これで3〜4人前だという。

後輩は少食な方なのだが、男二人ならこれが嬉しい。

他には白子のフリット、牡蠣フライなど。

帰りは山手線で高田馬場から乗り換え。

懐かしい街に近付いてきた。

次回は初の目白、一人歩きにはもってこいな街という気がする。




編集後記

 ギャラクシーエンジェルのBlu-ray BOXを自分の誕生日プレゼントにして鑑賞していたのだが、怠惰が重なって記事にするのが遅れた。酒客笑売は仕上げていたので先に更新しておくべきだった。最近多いが月末に記事が立て込むというのも、こちらとしてはスケジュール通りという感じである。今月のテーマは精算と総集編、言い過ぎか。兎も角、誕生日おめでとう、自分。

【十一月号】棒切れ #007 いい詩が書きたい【キ刊TechnoBreakマガジン】

誰かに言葉を届けたい

僕は、いい詩が書きたくて

死なずにうかうか暮してる

誰かの視線が気になるならば

言葉の世界に逃げればいい

僕らの世界にあふれ出す

言葉はなみだと同義語です

かっこつけてる心情は

誰かの心に届かない

詩人気取りはこれが辛い

詩人以上に辛すぎる

なみだと心と言葉があれば

誰かに言葉を届けたい

なみだが枯れれば心は渇く

渇いた心に言葉は汲めない

誰かに言葉を届けたい

僕は、あなたに見止めて欲しい

あなたの健勝祈ります

【十一月号】酒客笑売 #007【キ刊TechnoBreakマガジン】

その日の夜は、誰もが良い夜だと感じるような夜でした。

一人なら誰かと一緒に居たい、二人なら皆と一緒に居たい、皆が居れば酒を酌み交わし歌でも歌いたいと感じる、そんな夜でした。

でも、そんな感じは、あくまでも感じでしかなく、誰もがそんな事を気にかけていないのが素敵なのでした。

満天の星空には一面ラピスラズリが砕け散り、それらが天使たちの溜息の中に浮かんでいるようです。

夜風は澄み切ったオパールがさらさら音を立て、すべての生き物を祝福するようにささやいています。

その日の夜は、誰もが良い夜だと感じるような夜でした。

一人なら貴方と一緒に居たい、二人なら家族になりたい、皆が居れば宴会をして永遠に続くかのような人生を享受したいと感じる夜でした。

コルクがぽぉんと手を鳴らす。

グラスがりぃんと嗤います。

恋人たちの会話を聞けば、我が事のように甘くなる。

行ったり来たりのプレゼント。

笑顔で皆が開けています。

貴方が選んでくれてた気持ちは、私が選んだ気持ちです。

楽しい時間は尽きません。

誰もが先に歌い出す。

明日のことや将来なんて、今夜がずっと続くようです。

そんな夜に私は、一人便所で嘔吐をしている。

どんな夜だってそうである。

制御の利かない未成年のままの魂が、度過ぎた酒量で粋がっている。

凡人は小遣いで間に合わせるが、達人は借金するものだ。

私のような狂人といえば、便所に金を吐き棄てている。

こうするよりほか、仕方がないのだから。

都内の飲み屋、女性用を除く全ての便器は私の反吐で汚れている。

だからもう、私はゲロだし、ゲロは私だ。

スーツにかかると厄介だけれど、素手で触れるのは平気である。

飲み屋の座席で誰かが吐いても、笑顔で介抱してやれる。

今夜はあんまり良い夜だから、吐くにあたって指南しよう。

一つ、空腹では吐けない、吐かない。

これは、空腹で胃液だけを吐いてしまうと、喉を痛め歯を溶かしてしまう事への警告だ。

ついでに、日常使う歯ブラシも、エナメル質を損なうのでかためはやめよう。

一つ、満腹で吐いた後、腹七分目まで食べること。

これは、吐いた後に胃が空になると、次の空腹が非常に早く訪れて辛くなる事を指摘している。

ついでに、飲み会コースなどでも、先にサラダを食べてからにすれば、身体に良い成分は胃に留まったままでいられる。

一つ、世に吐きダコが知られている、手の甲を歯に当てない。

これは、握手だけで職業を当てる名探偵への、手がかりになってしまう事への注意だ。

ついでに、喉に突っ込む指の爪は常に短く整えておかなければ、喉を内側から引っ掻いて傷付ける事になるので気を配るように。

一つ、吐瀉物の跳ね返りが裾に着くので、便器にはペーパーを軽く敷く。

ここまで来ると非常に実用的になる、以上が四則である。

それでは視点を変え、美味い酒を飲む上での心得はどうか。

一つ、吐くまで飲まない。

当たり前が一番難しい、吐かねば死んでしまう事もある。

一つ、空きっ腹や運動後に飲まない。

逆の方が美味いと思うのだが、私だけではないのではないか。

一つ、合間か終わりに水を飲む。

そんな冷静を保ったままでいるのが、果たして飲み会と言えるだろうか。

一つ、当然だが、一気飲みを強要しない。

させられる前にやるのが一気飲みである、私は人知れず死ぬ事になる。

対立を行ったり来たり出来ただろうか。

吐くまで飲むぞと、吐くまで飲むなとの対立だ。

喉という構造が一方通行であると言う通念を持つのが常識なのだが、喉を行ったり来たりさせるという非常識な連中もいるのだ。

こういう対立を見る時、なんとも言えない嫌な気持ちになるだろう。

なぜならそれは、生き物の、善悪を超えた喘ぎを聞くがためである。

マイケル・サンデルは、かの有名な『これからの正義の話をしよう』冒頭で、ハリケーンに見舞われたフロリダ州の騒動を、三つの視点を入り交えて書き出し、我々を嫌な気持ちにさせなかったか。

だったら、嫌な気持ちになる前に吐いてしまえと私は言いたい。

読者は私が醜く、卑しく、浅ましく見えるだろうか?

本懐である。

私は諸君をそうは思わぬ。

対立は無意味だからだ。

私は道化を演じていればよい。

宮廷で踊るのだ。

しかし、飲み会で飲まないと言うのは…?






#007 華金イヴの総て

【十一月号】総力特集 ギャラクシーエンジェルX【キ刊TechnoBreakマガジン】

決定的にしたのは彼女たちだった。

その仕事は、ロストテクノロジーの回収と言われているが、判然としない。

物語が進行するにつれて、混沌としていくためだ。

ロストテクノロジーという存在が混沌だからだと言えなくもないが、それ以上に脚本家たちがそう仕向けているからだろうと、今の自分にはやっと思える。

それゆえ、彼女たちには紋章機すら不要だという刻がままある。

拳銃が両の手に一挺ずつありさえすれば良いと言うだろう。

否、徒手空拳で十分だ、ついでに髪飾りを鈍器に出来れば上々だとも言うだろう。

神に祈ることさえできれば良いし、着ぐるみを着ていられさえすれば良いとも言うだろう。

何かがズレている。

何も考えていなくとも、料理をしていれば万事解決、そんな事だってあるのだ。

いや、あり得ないのだが、それだからこそ、混沌の中で成立している何かがある。

だから、各回のサブタイトルには必ず料理の名前が付く。


・4-1A(1) 非凡平凡チョコボンボン

 エンジェル隊の面々は平凡な生活を送っている。団地住まいの蘭花は所帯じみた結婚生活で覇気をなくし、何故か管理人をしているミントからゴミ出しに執拗な指摘を受け続けている。フォルテさんはスーパーのレジ打ちに生きる意義を見出せず、店長のヴァニラは意味不明なチラシ作りに明け暮れる。一方でミルフィーユは、スペースコブラのトリップムービーさながらに、持ち前の幸運を遺憾無く発揮する生活を送っていた…。

カレーラーメンの出前を注文するプリンセス

 第一話がディストピア、最終話、投げっぱなしジャーマンというGAの魅力で一杯の名作で第四期は幕を開ける。他にも、コンビーフの缶、カレーラーメンなどニヤリとせずにはいられないクリシェも詰まっている。というか、新OPがもうギャグレを通り越して、関連性極小の脊椎反射オヤジギャグだから、これがGAだ!という製作陣からのメッセージが伝わってくる。

 滅多に見られないくたびれた顔付きの蘭花たちが、一転攻勢となるカタルシスが心地よく、視聴者一同、『あぁ、エンジェル隊が帰ってきた!』と思わずにいられない。フォルテさんが発する「やったか!」が、個人的にグッとくるシーンだ。

・じゃんけん十三奥義

ジャッカルはチョキの5倍の威力があるんだ。パーはもちろんチョキもひとたまりもないぞ!

 アイキャッチは各回、キャラクターごとに奥義を披露。初回が神回だが、毎回神回。十三話で完結を示唆しているのがノスタルジーだ。出鼻にフォルテさんを据えたことで、絶対にこの勢いを下降させないという覚悟が表明されているかのように感じる。

・4-1B(2) 貴女をおもゆ

 烏丸ちとせは病室の窓から、エンジェル隊が仲良く遊ぶ様子を眺め、その姿に憧れと羨望を抱く。病弱な彼女は余命幾許もなく、友達と呼べる存在も無かった。

 新キャラクター烏丸ちとせが、Aパートに紛れ込むカメオ出演を経て初登場。前話を第四期零話とすれば、こちらが一話か。エンジェル隊メンバーの趣味が明言されており、初見の視聴者に向けては親切に思える。のではあるが、第三期のペイロー兄弟が担当した蛇足、僭越、推参に輪をかけたようなちとせの役回りが不憫でならないくらいに、見ていて痛々しい。ゲームシナリオの方でどうなってんだろう、アレ。

「それは可愛いエルボー」

 『笑窪』が可愛いチヨコとレイコが、何故か『エルボー』を繰り出し、それを見ていた際のちとせと、声優である後藤沙緒里さんの演技が全話を通したピークではあるまいか。フォルテさんによるエルボー実技指導もたまらなく良い。

・4-2A(3) ラッキーモンキー汗かきベソかき穴あきー焼き

 時限爆弾解除が今回のミッション、滅多に見られない働いているシーンから始まる。あみだ籤状に見える振り子信管が最下点に到達すると起爆するが、搭載されたAIがエンジェル隊を煽り冷静さを失わせようとする。最後の最後の土壇場に閃いたのは、竹輪を差し込んで時限装置を無効化すること。以来、竹輪だけでどんな困難も切り抜けられるのだが…。

みんないい表情で視聴者も同じく破顔

 数あるエンジェル隊××オチの回。話に無理があるのだがGAだから許せるという、心はトランスバールの皇民という紳士淑女も多いのではなかろうか。オチも一周して笑える。とにかく、GAは感じるものなのだという事を理解できる作品。竹輪フォーエヴァー、赤提灯でおでんが食べたくなる。

・4-2B(4) 友情の切り身お試し価格

 ちとせ回。彼女の友情に対する執着が浮き彫りになる。そして、彼女の病弱を超えた、薄幸キャラを存分に紹介してくれる。

「私の名前は烏丸ちとせ。今日も真実の絆を求めて戦場を彷徨う哀れな女」

これは真実な言葉だが、より残酷な真実はその直後に吐露される。そして流れ出すEDテーマ、Jelly Beansの見方が変わる。私たちは祈る様な気持ちでその絵画を眺める。

 ちとせがエンジェル隊に因縁をつけるシーンの演技が、GAらしさ全開で絶妙。それをあしらうフォルテさんの大人の対応にヒヤヒヤさせられる。

・4-3A(5) 侵略スパイス中佐三昧

 中佐回(?)。倒れた中佐を集中治療室に入れるが、その病院は異星人に侵略されており…ジェットコースターストーリー過ぎてあらすじなんか書けん。

こうなってるミントも良し

 GAでも多数あるトンデモ回のうちの一つ。ミントが主役のようで、ゼリービーンズがらみの破天荒というかやりたい放題が笑える。さらに、フォルテさんが要所々々で活躍しており、それが輪をかけて笑える。ラストなど、エンジェル隊の結束の強さがうかがえるのだが、脚本家が投げているお家芸を見せられた気分だ。

・4-3B(6) お見アイス

 待望のフォルテさん回、しかもギャグ回。フォルテさんはお見合いをさせられるのだが、会場入りの前にひょんなことから蜘蛛の力が身に宿り…。

 お見合い相手の執事が不遜なのだが、きっちりとストーリーを引っ張って行っているので、真の主役は彼とも言える。最序盤の発言に気をとらわれがちだが、私は

「なりませぬ!」「返して頂戴!」こそ、演者の真価が発揮されていて素晴らしいと感じた。残念ながらエンドロールにクレジットされていない。

 『尋常じゃないくらい上手に終わらせている』と評価するのは、私が贔屓しているフォルテさん回だからというだけでは無く、第四期で五本の指に入ると断言しても良いだろう。序破急に振り切られないよう、心せねばならない。

「交際では無く、お友達から」というのは幸せの一つの在り方だろう。

そして、いつもの投げっぱなしエンドだったりするのには目をつぶったままでいて良いと思われる。チェアァ!!

・4-4A(7) わざわざコトコト煮込んだスープ

 「人が珍しく真面目に仕事してるって言うのに!」その名の通り、ことわざ回。ロストテクノロジーにより、口にしたことわざが現実に起きてしまう。エンジェル隊は迫り来る大火をどう切り抜けるのか。

 勉強になって助かる。今回は隊員全員に均等なセリフ割りがなされており、「ピーチクパーチクとまとまりのない人たち」を演出する脚本家の努力が偲ばれる。最後の最後、お家芸が炸裂するのが小気味良い。この感覚が当たり前になってしまうのは、堕落した視聴者である。GAをまったく知らない人が視聴して、合うか合わないかのリトマス試験紙的回。

・4-4B(8) 哀しみ憎しみ凍み豆腐

 こんな回は見たことが無い。フォルテさんの死、その裏側にある哀しみと憎しみの連鎖。涙なしには見られない、犯行動機の供述。傷ついた心を癒すのは、家族の愛情だけ。しかし、その家族すらも偽りだったとすれば…。

 サスペンスミステリーが展開される異色回。こういった役をやらせた時のちとせがノリノリで、珍しく好印象というのが笑える。フォルテさん贔屓の紳士淑女も納得の回であり、影の主人公と言っても過言ではない。あ、ギャグ回ですよ。二言、三言しか言わない刑事役の中田譲治の無駄遣いというか、どういう経緯で出演が決まったのか気になる。

 最序盤で死亡するフォルテさんが、終盤の回想シーンで連呼するキーワードが深々と心に刺さっているファンは多いはずだ(笑)

・4-5A(9) じゃんじゃん炊飯じゃー

 あれ、『鳥丸さん』Aパートから出てるってことあるんですね。そばにある物を吸い込んでご飯にしてしまう炊飯器型のロストテクノロジー。そのご飯を食べると、吸い込んだ物の能力を得られると言う事を知ったちとせは、隊員たちの役に立とうと甲斐々々しく奮戦するのだが…。

 奉仕と利用と欺瞞の関係は、ちとせというキャラクターによく似合う。彼女が関わるとたいていロクな事にならないのだが、こんな風に活躍の機会が与えられている分、微笑ましい。今回はかなり体当たりな役回りを任されてしまっているので、彼女の強さを見守ろう。演じている後藤沙緒里さんは現在フリーで活動しているが、2022年は話題作のチェンソーマンに出演した。ゴトゥーザ様こと後藤邑子に比較され、後藤(弱)さんと呼ばれる彼女の強さを見守ろう。

・4-5B(10) ラブ米

 GA屈指の神回降臨。エンジェル隊は捜査のため、とある学園に潜入する。そこで彼女たちを待ち受ける『恋の予感』…。

主題歌「もっと!エンジェル」

 炊飯じゃーから米へのバトンパス、ABの前後が逆だったならばこれほどまでの盛り上がりはなかっただろう。転校生が曲がり角でぶつかるというコッテコテのアバンタイトルから特殊OPが始まり、これこそがまごう事なき神回告知。任務を忘れて学園生活に馴染み過ぎたフォルテさんたちの様子に卒倒する中佐を、「先生!」と呼んでしまっているミルフィーユもまた馴染み過ぎている。

 「青春は一度きり」というセリフが三十路を過ぎたこの身には堪えるのだが、我々は『この胸の痛み』を奮起に転じねばならないだろう。Blu-ray BOX上巻のピークである。小野坂昌也のキャスティングが、当時らしいといえば当時らしい。使っているのがガラケーというのも。

・4-6A(11) 思い出ぎゅうぎゅう鍋

 隊員一同で具材を持ち寄ったすき焼きパーティ。しかし、突如として具材たちが凶暴化して彼女たちに襲い掛かる。揃った食材は、怨念渦巻く曰く付きのものばかりだったのだ…。

 エンジェル隊がすき焼き積立貯金をしていたというのを見習いたい。遊びが転じて破茶滅茶が展開されるいつものパターンと、ミルフィーユのデウス・エクス・マキナ的混乱収拾が、安心して見られるまともな回。まともな回ほど平凡に見える。

「ネギ好き」三層構造のネギが飛び出すのがニクい

 のだが『クイズまたおめ〜かよ』の時間が笑える。玄人はこれくらいで大体わかるが、玄人は試聴済みだ。とりあえずBOX買って見進めて、この域に至って欲しい。ヴァニラさんにネギを持たせたスタッフの分かってる感、フォルテさんにバズーカを持たせたスタッフの分かってる感も良い。

・4-6B(12) その時歴史は、プリンセスメロン

 時は宇宙暦十万とんで七九四年。銀河系を巻き込んだ星間戦争の最中、ウォルコット三十七世によるウォルコット帝国が誕生する。皇太子妃の座を巡り、五人の候補が覇権争いを繰り広げる。

 小林秀雄はよく「歴史と文学」の問題を議論するのだが、この回を観たおかげで歴史が好きになった、と言う事は私には当てはまらない。GA好きを歴史好きに転身させられるような回なら評価も高いのだろうが、そんなことはなく意味不明な回。いや、GAに意味はないのだと言う事を改めて思い知らされる回である。

もはや神々しさすら感じられる

 モビルスーツの登場から超ヤバい光線まで、派手なのが良い。あの蘭花の一枚絵は、ファンならずとも爽快であろう。あと、ペイロー兄弟たちの使い所が、もはやあの程度しかないから目障りにならざるを得ないと言う悪循環を笑いどころに据えたい。

・4-7A(13) 成りアガリクスダケ

 蘭花の鶴の一声で、バンドコンテストへの応募が決定する。しかし、バンドの音楽に何かが決定的に足りない。そこへ突如現れた新フォルテ。彼女たちは成り上がりへの道を突き進む。

 新フォルテ(呼び捨て)がとにかく気に食わない。蘭花回なのは良いが、フォルテさん不遇回なので個人的には第四期で一番嫌いだ。作画は良いのに新フォルテがクソ面白くない。ただ、収録現場の楽しそうな光景は目に浮かぶ、そんな回。

・4-7B(14) お守りそば

 若かりし日には白き超新星の狼と呼ばれた男、ウォルコット・O・ヒューイ回。エンジェル隊を見守る彼の、平凡だけれどちょっと切ない一日の物語。

この後、挿入歌「黄昏Day Dream」中佐が歌います

 とは書いたものの、エンジェル隊の存在が異常なので彼が平凡に見えるだけである。彼の苦労はシリーズを通して随所に見られていたのだが、それを当たり前のものと看過させずに焦点を当てたことが素晴らしい。滅多に描かれない中佐の想いや、日々の動きが見られて貴重だ。オチのパンチのなさ加減も爽やかである。


以上が、ギャラクシーエンジェルX Blu-ray Box上巻の大体だ。

安心してほしい、GAには始まりもなければ終わりもない。

Blu-ray Discの容量があるのみだ。

Discのチャプターメニューから

ただ、筆者は漫画、ゲーム及び第一期を見ようという気は無い。

【十一月号】ヨモツヘグリ #009 人形町 ラ・ブーシュリー・グートン【キ刊TechnoBreakマガジン】

約束の地、シド。

そんな場所なんてどうでも良い。

彷徨っているうちに、見失ってしまう。

なんにために其処へ向かっていたのか。

其処にはいったい誰がいるんだろう。

月末に区切りとなる仕事をやっと終え、僕は少しホッとすると同時に、未だに抜け切らない身構えるような感覚に身体を痺れさせていた。

一喜一憂も浮き沈みもあった、肉体的にも精神的にもだ。

ふと思い返してみると、この気の遠くなるような多忙感は、八月末に飛び込んだ急な任務を二ヶ月もの間引きずったと言う訳ではなく、どうやら七月上旬から四ヶ月もの間続いていた事であるらしい。

こう言った事に頓着しない性質が幸いして、この難局をどうにか凌ぐ事は出来たけれども、冷静に考えてみて、無意識に倍の期間の苦痛に苛まれていたのだと言う事を思い知ると気が遠くなりそうである。

そのタイミングを見計らうかのように、謎の美女、モツ野ニコ美女史から仕事抜きの場に呼び出された。

場所は日本橋人形町、彼女のお膝元である。

いつもだったら、僕の方で都内の名店を見繕い、彼女の事を引っ張り出すのだが、あんまり僕が連れ回しすぎて疲れたのか、はたまた彼女はそれだけ懐がヒロくなったのか、茅場町から乗り換えてノコノコやって来たのである。

律儀に時間の三十分前に到着したのには理由がある。

不慣れな土地に来る前に、セルフブリーフィングで周辺をよく調べておくのは当たり前だが、一寸気になる場所があったのだ。

小伝馬町の刑場跡である。

僕は、感情赴くままに其処を訪れた。

日比谷線で一駅先にあるが、歩いて街の息遣いが知りたかった。

案の定、人形町にはつい暖簾をくぐってみたくなるようなお店が豊富だ。

しかも、大通りでこの様子なのだから、路地裏なんかは小躍りしたくなるほどだろう。

モツ野女史がどんなお店を選んでくれるか楽しみになる。

そうこうしている間に、堀留町交差点だ。

驚いたのは、お店が見当たらなくなり何となく寂しく感じられたその位置が、人形町と小伝馬町との中間地点だったという事である。

なるほど、日本橋のような場所であっても、町と町とを道がつないでいるのだ。

僕は手応えを感じると共に、約束の時間に遅れぬよう足を早めた。

小伝馬町駅前交差点の一角には、マニア垂涎と言った風な梅干専門店があった。

恥ずかしながら、回る回らないに限らずお寿司屋さんでガリの使い所を分かっていない僕にとって、梅干しもまた同様だから通過してしまう。

目指すのは其処の裏手にある。

朝と昼だけ営業の田蕎麦さんを脇目に見ながら左へ折れると、寺院の外壁に色とりどりの幟が幾つも立っている。

小伝馬町は牢屋敷に処刑場、彼らの残念を弔うために勧進されたそうだ。

大安楽寺、身延別院それぞれが供養を果たしているらしい。

生い立ちや成した事業など詳しくないが、吉田松陰も此処を最期の地とした。

両院の真向かいにちょっとした公園がある。

晩秋の夜闇をわずかなライトが照らしていた。

奥からたくさんの子供の声がする。

目を凝らすと、母親たちは少し離れて座っている。

目を凝らさなくて良い位置には、浮浪者めいたのがちらほら居た。

僕は吸い寄せられるように奥へ向かい、子供たちから少しばかり離れた、誰も使っていない木造りの机に、買ってきた缶ビールを置いて腰掛けた。

僕は青海波をあしらった他所行きのタイを締めて着飾ってはいるが、浮浪者以上の不審者だ。

歩き飲みしているわけではないからジョッキ生にした。

缶詰みたいな開け口を取り去ってから、一緒に買ったサンドイッチに手をつける暇も無く泡が溢れるので、まず一口。

慌ただしい乾杯になるのが難だな。

それは、誰かと一緒であろうと、たった一人であろうと同じなのだ。

その事実を面白いと思えるかどうかだけが違いだ。

ランニングを済ませてから出てきたので、喉の具合もお腹の具合も心地良い。

十一月四日、良い死の日か、刑死者に手を合わせた。

吉田松陰は享年三十、九つで御前講義を成したという、人の倍の期間を生きていたかのような俊英らしい。

僕は死を想っていた。

ケチャップがこぼれるように人は死ぬのだろうか。

そうではあるまい、それは悪い冗談だ。

人には死ぬべき理由があるのだ。

流れ弾に当たって犬のように死んではならない。

さりとて、神の悪戯で無益に生きてもならないのだ、人は。

だが、生きる目的を見失うくらい、目先の利益や仕事を犬のように追いかけていたくはない、そう思いたかった。

一人でいるからこう思うのだろうか。

家庭を持てば、生き方が変わるだろうか。

目的が見出せるだろうか、決して表沙汰にならない生業の僕たちにも。

生業だけではない、呪われた身体のこの僕が祝福されるというのだろうか。

優しい約束の宜敷、そんな暢気な事を嘯いていた頃が懐かしい。

呷った缶ビールの重みが、残り一口だと示している。

端末の振動が僕を現実に引き戻す。

女史からの着信に、小伝馬町にいると応じると、なんと先ほど通過した堀留町交差点がお互いの中間地点になるからそこで合流という事になった。

水天宮通りを引き返し、その交差点角のコンビニ前で待つ。

先の飲酒でお腹はわくわくしていた。

水先案内人のモツ野女史が現れて誘なう。

挨拶もそこそこに、僕は彼女に惹かれて歩き出した。

向きは、通りを直角に折れて北東へしばらく進む。

「ここよ」

店名も読めず呆然とする僕を尻目に、彼女は戸を引いて中へ這入って行った。

案内されたのは四人掛けの円卓。

店内を見渡すと、もう一つある円卓にはワインが何本も並べてあり使用されない様子。

テーブル席が三つ、カウンター僅か。

奥ではシェフが調理している。

「おまかせコースで宜しかったでしょうか」

愛想のよさそうな男性店員にモツ野女史が頷く。

彼女は僕をフレンチに連れてきたのだった。

早速、飲み物を訊かれる。

僕は白ワインを頼んだが、それに合わせて彼女も白ワインを頼んだ。

「ペアリングをご希望でいらっしゃいますか」

ペアリングとは指輪のことでは無いとかなんとか、下らない事を思った。

そう言われれば僕は白も赤も飲みたいのだが、モツ野女史はそんなに飲まないはずである。

その事を伝えると、店員は笑顔で応じた。

「はいこれ」

彼女は紙袋を僕に渡した。

「なにこれ」

「開けて確認して良いわよ」

ガサガサと開けてみれば、これはシャンプーか。

「顔を洗って出直せって?」

「そうまでは言ってないわよ。ただ、誕生日おめでとうって」

「君には言ってないはずだけど」

「言ってなかったかしら、私、凄腕諜報部員なんだけれど」

そのプレゼントが、きっと僕の垢を落として、新しい自分にしてくれるような気がした。

一杯目は洋梨を感じさせる甘みの、淡麗な白で、二人とも気に入った。

モツ野女史のグラスには多過ぎず少な過ぎず、適切な量が注がれた。

僕は最初の一皿が来る前に飲み干してしまうほどであった。

マッシュルームのポタージュと焼きたてのパンが落ち着く。

二杯目はナッツ様の香りが濃厚な白で、はっきりした差異に気付けるので、僕たちはより一層満足した。

前菜はシャルキュトリの盛り合わせ。

一度食べてみたかった豚の血と脂の腸詰、ブーダンノワールは、あたたかくとろりとして、敷かれているパンはさっくり、挟まれたリンゴジャムも味わい深い。

脛肉の角切りをゼラチンで固めたものは、パセリの香りがクセになりそうだ。

胃袋の中に豚足、耳、タン、ひき肉を詰めて縫い直したものはあっさりとしている。

これが、田舎風パテの濃厚さと好対照で特に良かった。

「この前、部署で飲み会があったのよ、随分久しぶりの事なんだけど。そしたら、一次会も二次会も一番の上役が目の前に座って、参っちゃったわよ。周りはヨイショしかしないし、こっちも気を抜けなくてピリピリするしで、結局六杯も飲んで終電間際に帰ったの。神田の大衆焼き鳥屋で四人掛けボックス席三つ陣取ったんだけど、狭いのなんの。母体が関西にあるから、そのお店も関西人には馴染みみたいで、純けいって串を百本も持ち帰る人もいるんですって」

「ふうん」

そんなに飲めるなんて意外だったのだが、彼女が言うには、少ししか飲めないのは気楽でいられている時なんだそうだ。

「それを言ったら、僕なんて一緒に飲んだ時は決まって東西線で居眠りしてしまう。前回なんか立ったまま寝てたし。これも気楽でいられている証拠かな。だって普段は、よほど飲み過ぎでもしない限り、帰りの電車で眠らないからね。」僕はどこぞの酒客笑売には縁がないつもりだ。

入り口に本日予約満席と張り紙してあったが、この頃には全ての席が埋まった。

先にいた年齢高めの四人は一名が女性、歳の離れた男女は女性の方が十以上若い、近場で働いているかの様な見るからにキャリアウーマン然とした女性二人、それと表向きは堅気の企業勤めを装いながら実際はヤクザとしていることの変わらない様な正義の味方だ。

久しぶりの開放感をさっさと酔いに任せてしまいたい。

心なしか、隣に座っているモツ野ニコ美女史の表情が、いつもの美しさに加えて、どこか可愛らしく見えてしまう。

次の一杯はスパイシー過ぎず重過ぎない赤だった。

ふくよかと評されるそうだが、味わいの均衡が逸脱しておらずぎりぎりを踏みとどまっているのが美味い。

あたたかい前菜がもう一皿、ここは豚料理専門店だから、どれもメインを頂いている気持ちになれて僕は嬉しかった。

テリーヌなのだが、大腸、小腸、ガツ、喉を使って作られている。

マッシュポテトが敷かれており、ポーチドエッグが載っている。

割って絡めて頂くと、焼き目の食感も、混成された味わいもほんの僅かに喉の食感がこりこりとしていて素晴らしい。

次が最後となる、ベリーの風味が軽やかで、先ほどに比べてすっきりした酸味の赤。

メインの一皿は、古代種ヨークシャーと、一時期国内で七頭までに減ってしまった満州豚とを交配させた静岡の豚ロースのソテー。

シンプルな調理だが臭みは全く無く、非の打ち所がない肉質。

付け合わせの野菜や茸はどれも濃厚な味わいだったので、お肉と同等の感動を得られた。

脂身がくど過ぎず、女性でもさらりと頂けるので、これもワインに合う。

結局、彼女は僕と同じワインを一口ずつ飲んだ。

ソムリエが気を利かせて、一杯のグラスを二人に分けて与えてくれたのだった。

僕は、もう少し飲みたいくらいの、良い酔い具合だ。

「此処のモンブランが一番好きなの」と彼女が囁いたデザートも、確かに格別だった。

来月は、もう年末だ、いつの間にか。

食後のコーヒーを飲みながら、僕は少し考え込んでしまった。

【十一月号】もう付属の餃子のタレをつかわない(かもしれない) #007 飯田橋 揚州商人【キ刊TechnoBreakマガジン】

眩暈も頭痛もしばらく無いのではあるが、多忙を極めていた。

どれくらいか例えるならば、チャーハン屋でラーメンを注文するかしないか、パッと決められなくなる程の忙しさである、喩えが悪いか。

しかしながら、やっと月末を迎える明日で、職業柄に見合わないような労働にケリがつく、そんな気がしていた。

丁度肉の日だったということもあり、明くる日となる幕引き当日に向けリキを入れるため、いつもより一寸早く抜け出して餃子を食いに行く。

のだが、抜け出すまでに逡巡があった。

と言うのも、遠出してしまうと次の日に影響が出そうで怖いからだ。

さりとて近場に、もしくは動線上に、今宵に相応しい名店があるかといえば自信が無い。

高田馬場に出向く時間も無駄にしたくないと思うほどに追い込まれていたのだろう。

ならば亀戸はどうかと言えば、それはもう路線が全く異なるので、地元から一番近そうに思えても、出向く気になれなかった。

さりとて船橋にはもう行くべきお店が無いように思える。

乗り換えの飯田橋に、都内屈指の名店があるのだが、以前出向いた際には特に何とも思えなかった。

ご覧の通り、ややこしい逡巡である。

座りながら十分近く考えて、兎も角、今夜は飯田橋にしようと決めた。

まあ、その街には幾つか餃子のお店はある。

どこに行くか、電車で移動中に決めればいい。

と言うか、幾つもあるではないかと、これを書いている今はそう思う。

その日の僕は、相当焦っていた。

優しさのかけらもなくなって、その罰を一身に引き受けているかのようだった。

暗路から抜け出せるその先の光明に気付けないほどに。

筆頭のおけ似、天鴻餃子楼、眠眠、これらは行った事があるのを思い出した。

調べてみるとDAIRONという専門店もあるようだ。

あぁ、今とは違って視野の狭かった自分に、冷めた笑いが引き起こされる。

その夜は、散々迷って行き渋りながら、おけ似へ向かった。

腹の中では、割高で平たい味わいの餃子とビールですぐ店を出て、チェーン店の揚江商人と食べ比べてやろうと思いながら。

今考え直すとするならば、天鴻餃子楼へ行ってから、チェーンの眠眠だな。

DAIRONは駅からやや遠いから別日に特集するか、割高感があるから却下とするかだ。

東京餃子ひかりと言うお店も今知ったが、行ってみたいと思った。

kingの照明が切れているバーガーキングの前を横切り、ビル前のもう暗くなった広場を過ぎ、おけ似の店頭を確認。

すると、しまった。

土曜の18時過ぎは翌日の日曜に向けて景気良く外食気分のお客たちで長蛇の列だ。

うかうかしていたが、同じ日曜に対して、業務と行楽二つの見方があると言うのが癪だった。

結局足はその場で反転し、迷う事なく駅ビルのラムラへ直行。

エントランスから階段を降りてすぐ、揚江商人も盛況だったが、残り一つ分のカウンター席に通された。

ここには、担担麺が食べたいと思った時、たまに訪れる。

瓶ビール、青島ではなく、量を取ってアサヒ。

餃子六個、それに回鍋肉。

興が乗れば後で麻婆豆腐を注文しよう。

瓶ビール、すぐ来るがぬるく非常に景気が悪い。

こうすることによって、青島ビールに促そうという作戦だろうか。

落ち込んだ気分で待っていると、何と先に回鍋肉が届いた。

そんなことってあるのだろうか、餃子の焼きに時間がかかる、そんなことって確かにあるか。

しかし回鍋肉、量が少ない。

海神軒が基準と言うのは、私と店の双方にとって都合が悪いかもしれない。

甘めで平凡な味は可もなく不可も無いのだが、油でひたひたなので、私の好みではあるが誰かに勧める気にもなれない。

ぞっとしないので、野菜も肉も一緒くたにして食べてしまう。

一分ほど後に餃子が届けられる。

改めて見れば、大ぶりでふっくらしていて、非常に美味そう。

そうそう、ここのお店は、卓上に鎮江香醋が置かれているのが非常に好印象。

小林秀雄も揚州で蟹まんじゅうをこの酢につけていたと空想する。

そこへ、特製辣油を底に溜まった具ごとたっぷり入れる。

焼き目はパキッと、皮はしっとり、肉汁がふんだんで美味い。

餡の下味がしっかりしているので、鎮江香醋との相性がばっちり。

メニュー脇の案内票が目につくので取り上げて見ると、何やら凄い事が書かれている。

月三◯◯円定額で支払い続けていれば、本当かどうか信じがたいが、毎回合わせて五八◯円で餃子六個と生ビール二杯飲めるらしい。

やっとのことで発見したが中央に小さく条件が書かれており、一品以上注文必須なのだが、頻繁に訪れるなら是非検討したいサービスだ。

さあ、回鍋肉を注文してはいるのだが、麺類も注文することとしよう。

鎮江香醋に刺激され、この日は酸味のあるものを欲したので、汁なしサンラータン麺にした。

麺の太さを聞かれるので、一番細いもの(柳麺)をお願いした。

ついでに、気になった汁汁餃子も、四つ入りを注文。

これは焼き目がなく、モチモチというよりもペロンという食感だ。

割高感と美味しさが小籠包の手前くらいにある、器用なやつである。

無論、このお店では小籠包の販売もある。

【十一月号】巻頭言 究極と至高と非凡【キ刊TechnoBreakマガジン】

究極と至高の対決、いや対立のようにも見えるが、それらは全国選りすぐりの食材たちの饗宴であり、料理人の粋を結晶化したものだ。

私の様な食い道楽の一般人にはなかなか手の出せない領域である。

高くて美味いは当たり前であり、そのような世界であっても玉石混淆だからだ。

私は、今こそ彼らの対立の端々を両手で鷲掴みにし、真ん中から膝で折り、其処へ新たなる価値を突き立てたいと思う。

それは、非凡のメニューである。

そこらで手に入る食材に、可能な限りの時間と労力をかけることを心がけ、できることならそこそこに手を抜きながら料理を拵えよう。

コロナ禍で私が夜な夜な、たまに朝っぱらから、せっせと作った手料理を紹介したい。

先日、中秋の名月にあわせて振る舞ったしゃぶしゃぶとすき焼きの合いの子。

京都で食ったすき焼きより美味いという評価をいただき、得意になった。

今号の幕開けをこの記事にするきっかけとなった料理。

すき焼きといえば、牡蠣すき。

一番高い割下を買って、半生ではなく、半々生に火が通るようにした。

葱の焼き目もこだわりだ。

湯豆腐でしゃぶしゃぶ。

湯温が下がったら再加熱しに行く。

面倒な時は、ガスコンロで立食形式(家でやるとこの上なく貧相になる)。

味ぽんが見えるが、この頃は

味ぽん:めんつゆ=1:1に化学調味料とタバスコを適量加えたものを好んでいる。

自己責任だが、素材そのままを頂くこともある。

こういう時、先述のたれが非常に美味い。

たいてい、翌日は腹を下すが。

しゃぶしゃぶやすき焼きに飽きたら、牛丼の頭を作ってみるのも良い。

玉葱はレンチンして、しんなりさせておく。

玉葱は常備しておきたい。

親子丼の頭にも必須だ。

みじん切り器の中で自家製サルサを作れば、コスパ抜群。

店ではここからスプーンひと匙で百円以上取るのがザラである。

チーズと一緒にサラダ状にして食べても良い。

もちろん、サルサとして添えるのが定番。

私が作るのは、薄味なので、お肉に合わせる時には調整が要る。

初挑戦だった豚バラの生姜焼き。

一生バラを食べていたい。

片栗粉をお肉にまぶしたのでとろんとしていた。

真面目に調理するのって楽しいし、美味しいし、嬉しいね。

玉葱シリーズは終わり。

仙台で目についた、気仙沼さんのオイスターソース炒め。

こっちの方が美味しいだろうと思って、玉葱を大きく切ったが、この半分で良かったな。

オイスターソース炒めは茄子でも試した。

白菜でも試した。

強く火を入れた白菜やキャベツは美味い。

そうこうしていたらオイスターソースも切れたので、近々買いに行くか。

仙台は何度行っても良い。

きのこ汁を作った。

ここからは鍋物の紹介。

これもきのこ汁ですか?

なんだ、とん汁か。

いやいや、個人的には里芋を多めに入れたので、仙台風芋煮のつもりです。

とん汁はこういうの。

お揚げを忘れずに買った自分を褒めたい。

鍋物は手がかからないから大好き。

白菜をとろとろにするから、時間はかかるけれど。

とか言って、手のかかる鍋物を作ることもある。

ラムチョップが安かったので、アイリッシュ・シチューなるものを。

香草類が高くついたのには笑えた。

羊の臭みをハーブが隠していて面白いとは父の談。

たしかに、あれ以上になれば鼻につくギリギリの線だったと言える。

でも高いよね、調味料。

塩に課税するのも頷ける。

言ったそばからすぐ手抜き。

これもまた、鍋のかたち。

小籠包は乾いたり破れたりが気に食わないのでこうする。

これは煮込みハンバーグの概念。

ここで、取ってつけた様に肉豆腐のお披露目。

高いお豆腐は自重を保つか保てないかのギリギリ。

ブラックペッパーを振って変わり種感を演出した。

早い、美味い、肉豆腐。

最近、電気圧力鍋を買ったので、手抜きに拍車がかかる。

とはいえ、豚バラ軟骨は最大調理時間の一時間四十分を二回転させないと食べられないので手が掛かる。

一緒に入れておく丸のままの玉葱から良い色が出る。

これをタレにつけて食べるだけで十分なのだが。

地獄みたいな、ニンニクのみじん切り。

カチャトーラソースの元で火を入れて。

手抜きしてません。

牛テールの方が楽だし、ウケも良い。

加圧調理一時間四十分。

そこへ醤油だけで味付け、スープをぐいぐい飲める様に結構薄味で十分だ。

一日寝かせて召し上がれ。

手抜きといえば、漬けも忘れてはならない。

これは車海老で作ったカンジャンセヨ。

手と口をべたべたにして食べる。

中トロの塩漬け。

柵に塩振って、水分出して、水洗いするだけ。

レシピはここに詳しい。

わさびだけで頂く。

最後は、松茸の土瓶蒸し土瓶無し。

季節を感じるのも料理のいいところ。

以上、メインとなる食材の全ては値引きされているものを使用している。

【十月号】環状赴くまま #012 巣鴨—大塚 編集後記【キ刊TechnoBreakマガジン】

だいぶ涼しくなり、ジャケットを羽織だしたのが丁度、薪能を観に行った日だ。

来月はビールの飲み歩きは厳しいかと思いつつ、先日木曜に環状赴くまま歩いた。

この日のゲストは職場の後輩A。

ニューデイズの冷やし具合がちょうど良く、ジョッキ生の泡立ちが良かった。

放っておくと溢れるので少し飲んで、19時36分乾杯。

駅前から振り返ると、向こう側に線路沿いの路地が見える。

この光景は、駒込駅前にそっくりだった(駒込は駅前のスペースがやや広かったのと、まだ陽が出ていたので、向こう側から駅を撮影していたため同じ構図の写真は無い)。

すがも桜並木通りというようだ。

この道沿いにずっと桜が咲くかと思うとすごく良い。

目を惹かれる店舗はせいぜいここくらい。

となると、逆回りコースのゴールはここしか無いということに必然なる。

先、ずっと続く。

後輩Aが足早で、撮影を遮るかの様に前にちょいちょい出る。

17時半には出れたところを19時まで待たせておいて、何を急いでいるのか。

で、ジョッキ生は飲み口が広いので、歩き飲みするとこぼれやすい。

ちょっと、今後は控えることになるな(冬場寒い時はどうしようか、コーヒーにウィスキーを垂らして飲み歩くか)。

突き当たりの様だが、ほんの少しだけ左に逸れるだけ。

山手線上に架かる江戸橋がある。

角にテイストの違う中華料理店が二つ並んでいて美味そう。

江戸橋に出た。

やはり、駒込—巣鴨間の光景に重なる。

ここから振り返る向きに線路の写真を撮った。

この流れはもうお約束な感じがする。

後輩A「いいっすね〜」

私は何が良いのか分からないままに撮影するのだが、彼は一度きりの同行で良さが分かってしまったようだ。

と言って、こんな風な散策をライフワークにするというわけでも無いのだろう。

さて、江戸橋を越せば、すがも桜並木通りはおしまいのようだ。

様子が変わったのが分かる。

なるほど、江戸橋の手前までが巣鴨、ここから先は大塚エリアということか。

日暮里と西日暮里の境で感じた空気の変化と、同じものを感じた。

少し下り坂。

道中、つくづく感じていたことなのだが、ここは街では無い。

街と街とをつなぐ、道である。

これは、車で過ごした東海道五十三次で得た着想だが、全く同じに感じた。

では、街と道との違いは何か。

環状赴くままにを続けていれば気付くだろうか。

坂を下りた突き当たりの右、進行方向。

遠くのマンションが目を引く。

所詮、道は線でしか無いから、赴いた土地を面で理解することが困難である証のように建っている。

坂を下りた突き当たりの左、線路の高架下。

この場面は、愛しの鶯谷ミステリアストンネルを連想させたが、写っているのはイマイチな一枚。

右に折れて出発。

非常に怪しげなのだが、調べてみればどうやら日本医療ビジネス大学校のよう。

足早に警察署を過ぎた。

怖いから。

うおっ、エンカウントしたぞ。

足早に歩いたら、ここだ北大塚ラーメンだ。

濃いめ醤油ラーメンの上に、気前よくチャーシューのささがきみたいなのが載っているビジュアルだけは知っていた。

後輩Aに今夜はここで〆ても良いし、都電で帰って早稲田で〆てもいいよと提案。

それにしても、そうか、北大塚か。

地図を確認したら、環状の上端は田端で、そこから左下へ向けて回ってきている途中、大塚は十一時の位置にあるようだ(歪んだ時計だが)。

ここまで来ると、もう道というより街の様相が強くなる。

交差点の左手は高架下。

つまり、駅前は近いということだ。

横断歩道を渡って先へ。

なんだあれ!

こちらは右手。

もう一度左手。

世界飯店と見える、現地の味が楽しめる小汚いお店らしくチェックしてあった。

ところで、この日の翌日に地元のタイ料理屋さんでロアナプラ気分に浸ろうと思ったら、最後に注文したフォーがとんでもなく不味くて、いやでも現地ならむしろこんなもんじゃないかなと妙に納得したのに重なる。

不味い料理は滅多に食べられないから好きである。

今度はさらに右手。

奥の建築物のライトアップが一際目を引く。

どうやら飲食店の集合施設のようだが。

しらべてみたら、なんでも星野リゾートがホテルを建てたのに合わせて出現したとか。

非常に分かりにくいが、左奥が大塚駅。

ゴールは19時56分、20分の道のりでした。

後輩Aにどこに行くか聞くと、

「魚ですかね」

なんて言うもんだから、大塚北口に魚はねえんだよと思いつつ、ピンを打っておいたお店の方へ向かうべく、ここからさらに北上。

すると、うおお、なんだこの長蛇の列は?

え、おにぎり屋さんに並んでるの??

おにぎりぼんごさんは、自分ではノーマークだった。

後輩Aは友人からこう言うお店があるのを知っているかと聞かれた記憶を思い出していた。

調べてみると、回らないお寿司屋さんのおにぎり版のようだ。

だいたい一個三百円から、と言う感じ。

面白いお店だ、いつも並んでいると言う。

写真に写っていないが、左手の通り向こうにも、電飾の輝く飲み屋施設が建っている。

先ほど写っていたのはそこだ。

北上すると、面白い看板。

例の施設の一隅、餃子で飲ませるお店だろうか。

しかし、餃子は間に合っているのであった。

魚なんて言われなければここの焼きとんだったのだが。

通過。

見落としそうになりながら、こちら。

カウンターで二、三組とテーブルに一、二組程度ながらゆったりしたお店。

その日は我々を入れて二人組が三組。

カウンターへ着き、生二つとコース。

大福帳の上にうるめいわしと卵焼き。

どちらも味わい深い。

能書き。

卵焼きの味付けにガタガタ言うな、黙って喰らえ。

ということか。

甘いのしょっぱいの、だし巻きだの色々ありますね、卵焼きは。

我が家には家庭の味がなかったので、卵焼きの味付けにこだわりなんかはゼロ。

近所のお弁当屋さんの卵焼きは甘めでしたな、回転寿司のネタにあるような。

某グルメ漫画では、目玉焼きにケチャップがどうとかあったっけ。

この後、柿と茸の胡麻和え、鮎の姿煮。

食べ終える前にお酒は九頭龍の冷やに移行。

燻製五種、鯖の切り身、肉(詳細は失念した)、チーズ、笹かまぼこ、ポテトサラダ。

喜久酔のぬる燗に移行しつつ、メイン。

鰹出汁で炊いて、左のカマトロ、右の大トロの順に出して下さいました。

黒胡椒をペンチで程よく潰したのが添えられていた。

熱々のねぎを食べるのに気をつける。

食後、釜炊きのご飯。

一杯目は二口分ほど、たっぷりの香の物でいただける。

二杯目と三杯目はそれに炊いた出汁をかけていただいてサッとかき込む。

ここも黒胡椒を振っておくのが良い。

粒あんとほうじ茶でおしまい。

ラーメン食べないで大満足コースだ。

駅前に移動し、一人で来ていたらここだったろうなというお店を写した。

この日は、前々日に良い仕事が出来ていたので、ケチケチせずに後輩に振る舞いたい気持ちだったのだ。

都電で数駅先の早稲田へ、東西線に乗り換えるためだ。

つい、懐かしいお店に足が向いてしまった。

なすからマシマシおかずのみ。

コンビニで缶ビールを購入して、一杯飲み直し。

安定の穴八幡。

姿は見えないが奥から学生たちの声が聞こえた。

夜が更ける。






編集後記

 十月号のテーマは能とか狂言、もあるのだがやはり小林秀雄である。一通り散りばめたつもりだが、本当に出汁程度の香りもしない様な登場の仕方もある。新潟へ行き、安吾風の館に行ったのも小林秀雄との関連だ。

 総力特集は毎月十五日と決めているのだが、またしても落としそうになったし、やはり総力を上げた割に目を惹くのはタイトルだけになった。未熟なものを未熟なままに出すということ、それは一つの里程標だろう。

 しかし、八月末からの多忙も明日、三十日で終わりそうだ。定時に上がってグッと飲もう。

【十月号】総力特集 スタバと二郎と能【キ刊TechnoBreakマガジン】

土曜の午後、睡魔と闘いながらこれを書いている。

人生で五回だけ観た能舞台でも睡魔に襲われた。

能楽祭を、五日通しで観に行った時のことだ。

三日目か四日目の鑑賞で、『今日の大皮はイマイチだな』と思った。

案の定と言うか、打ち手にテーピングがされていた。

能楽に関して私が語れるのは、この事が全てである。

小林秀雄は『当麻』で、「夢を破るような」と表現した。

彼もまた、睡魔に寄り掛かりながら観ていたのだろうか。

能楽祭は千駄ヶ谷の国立能楽堂で開催された。オリンピックのメイン会場となる国立競技場がすぐそばにある。
能楽堂内部の庭園。食堂の窓も大きく取られて眺めが良い。
能舞台。奥、左へ向けて橋掛かりがあり、その前に松が三本植えてある。遠近感の演出で背丈に差をつける。



何が書きたいのかというと能についてだ。

酔狂でスタバの豆の飲み比べというのをしてもみたが。

仙台店を二度訪問しただけでお二郎を知った気になってもいるが。

ちょっと考えてみよう。

「あなたを一言で表すと?」

「あなたにとって生きるとは?」

これらをスタバと二郎と能、それぞれに問うならば。

スタバならばあの人魚(セイレーン)が語るだろう。

「私は場であり空間です」

「私にとって生きるとは、喜びを分かち合うことです」

こんなところだろうか。

二郎ならばどうか。

「二郎は二郎である」

「二郎にとって生きるとは、腹一杯食わすことである」

では、能は。

世阿弥の魂は何と答えるか。

それが知りたくて『風姿花伝』を読んだ。

小林秀雄のいわゆる「花」はあまりに有名で、有名すぎるがゆえに、観阿弥が伝えようとし、世阿弥が筆を執った「花」を誤解させかねない。

無論、彼が意図したわけでは無く、読者である我々の『解釈』の問題なのだが。

坂口安吾も『教祖の文学』において、その花についてやっかんでいるくらいだ。

しかし、その「花」に目を奪われて見落としてはならないだろう。

小林秀雄はその直前に、引いているではないか、そのことがやっとわかった気がする。

「物数を極めて、工夫を尽くして後、花の失せぬところをば知るべし」と。

能楽堂ではない能舞台。柱は屋根を支えるためではなく、シテが位置関係を把握するためのもの。

つい先日、飛鳥山で薪能があった。

演目は『船弁慶』、五番目物だ。

作者は世阿弥の甥の子、観世信光。

室町時代は後期へ移り、娯楽性が増している。

ああ、最後に観た『道成寺』に似ていると思ったら、どうやら同じ作者のようだ。

能とは本来、陽が出ている間に通しで行われるらしい。

詳しくは知らないが「能楽の上演形式」で調べると丁寧すぎるほど書かれていた。

以下引用

『翁』を冒頭に、能5曲とその間に狂言4曲を入れる「翁付き五番立」という番組編成が、江戸時代以来続いている能楽の正式な演じ方である。

引用終わり

能楽祭は、正式な能楽を五日間かけて上演するという企画だったのだ。

ちなみに、能と狂言を内包する能楽というものが明治時代に確立され、我々が現在享受できるのはこの能楽を指すものの、翁付き五番立の中から能と狂言を一組上演するのが一般的である。

それ以前は猿楽と呼ばれていたりするのだが、いかんせん歴史が長いので複雑だ。

時代の求めに応じた、というよりも生き残りのために生じた娯楽性。

それ以前、観阿弥と世阿弥の頃にも、やはり生き残りがかかっていた。

流派間の能勝負があるためだ、ラップみたいで面白いなと思う。

ここに世阿弥の天才が花開く。

娯楽性の前に、能に、能に、何性と言えばいいか、神秘性ではズレている気がするし、物語性というのは現代的過ぎるのだが、言い様のない性質を付加した。

書けば書くほど、能を知らなさすぎるのが浮き彫りになって恥ずかしくなるので、あと三つばかりで辞める。

世阿弥は、能に残念を託した。

業平を想う花の精や、壇ノ浦の平家の亡者などだ。

現を彷徨う残念が、旅の僧の元にすがる。

念は曰く由来のある場に留まっている。

僧侶はただただ傾聴している。

それはまるで、夢でも見ているかのように。

最後、僧侶の祈りにより成仏あるいは退治され、無念となる。

その形式を複式夢幻能というが、この言い様のない性質は、前々から松岡正剛が私に紹介して知っていた知識を凌駕していた。

さらに、僧という、私からは肉体的にも精神的にも極北にある存在を、有り難いとも感じた。

彼等の存在が媒介となって、我々観客の目にも残念が映るということ。

室町時代以前の人々には本当に視えていたのかもしれないと、熱烈な帰依ではないがかすかな畏怖を抱く。

小林秀雄に、「現世の無常と信仰の永遠とを聊かも疑わなかった」という時代は「少しも遠い時代ではない」と言い切らせる力があるのか。

「何故なら僕は殆どそれを信じているから。」

そんな筆致を、私は他に認めることができない。

「花の萎れたらんこそ面白けれ、花咲かぬ草木の萎れたらんは、何か面白かるべき」

世阿弥の魂は何を伝えたかったのか。

『風姿花伝』だけでは、父から継承した守しかわからない。

その後、四十年に渡って体得した破の章が『花鏡』。

夭折した息子、元雅に相伝する筈だった『去来花』。

能がますますわからない、わからないから書いた。

「あなたを一言で表すと?」

「あなたにとって生きるとは?」

【十月号】ヨモツヘグリ #008 月島 岸田屋【キ刊TechnoBreakマガジン】

いつになく忙しい日々が続いていた。

僕のような仕事をしている人間が、時間に追われながら人を追いかけているというのは可笑しな話なのだが。

ともかく、気が休まらず曜日の感覚も無くなったある日の、その日は土曜だった。

定例の連絡会が延期になり、急に時間ができた。

飲まなければやっていられない。

彼女はすぐに誘いに応じた。

ここは月島、岸本屋。

地図での印象と違って、案外駅から近い。

開店三十分前に着いたが、先客七名。

納得の盛況さだ。

煮込みが美味しいお店が満席になるのは嬉しい。

僕はこう言う光景をモツ野女史と何度も見て来たんだ。

しかし、前評判通り、早く来て正解だった。

待っている間、僕は照れ臭かったが、このお店を知った経緯を話した。

そりゃ、呑助連の中では知らなきゃモグリと言われるような名店だが、ここが東京三大煮込みのお店だと知ったのなんかつい最近のことだ。

簡単に言えば、漫画の影響を受けたのだ。

愛国者のフランス人シェフが、日本よりもフランスの方が牛肉の扱いに長けているという主張をするのだが、主人公がこのお店へ連れてきて、日本人だって内臓の扱い方を知らないわけじゃないと言うのだ。

僕は、誰かに影響を受け、受け売りの知識で話し、だからこそ誰にも影響を与えられずにいるんだろう。

四時キッカリに開店した。

僕たちは成り行きで、丁度コの字カウンターの角に座った。

横並びになるより良いかもしれないと思って咄嗟に陣取ったのだ。

聞いた通り十五人ほどの店内は、予想していたより狭い店内なのだが、何と言うか利休好みの茶室の様な落ち着きを感じる。

色々と食べ歩いて来たが、今までにない風格を感じさせずにいる懐の深さ、風情を感じる。

十三番目くらいの客らが早速揉めている。

電話で後から列に加わる予約をしていたのに対し、割り込みだと言い立てている老人だ。

難癖を付けられている側はお店の方に申し立てる。

「何分も前から並んでいるんです。一人数が増えただけで、二人組のお客が入れなくなるでしょう。電話で予約したからって、後に並んでる人がいるんですよ。お店の人が良いって言うんならそれで良いですよ。だけど僕は許さない。」

こんなことが我々の真横で繰り広げられたから、何とも“あわれ”な気分になったものだ。

入店順に注文を聞かれる番が来た。

「お客さん、二人?」

一つ先に入店した男性が首を振る。

僕の左隣にいた男性と、二人組と認識されていたようだ。

ということは、モツ野女史は右隣に着席した男性のツレということになる。

最後の二人連れは補助椅子を一脚出されて入店。

そして背後でピシャリと戸が閉められた。

結界だ、神聖さすら感じる。

16時11分にお酒が来る。

僕は瓶ビール、このお店はキリン。

彼女には幸運なことに、アンズ酒のソーダ割りがあった。

その後5分で煮込みが来る。

本当に色々な部位が入っている。

これはフワか、軟骨もある。

静かなる大絶賛、箸が止まらない。

口の中で、煮込みたちがイチャついているようだ。

肉豆腐も来る。

脂っこくなくて、葱の香りが鮮烈で、そして何と言っても辛子が良い。

二つ注文したのだが、一つしかこなかった煮込みを追加。

調子が良くなって樽酒、穴子の煮付も。

これらを注文しようとしたら、左隣が同時に手を上げたので譲った。

煮込みをも一つに焼き蛤か、渋いね。

届けられたお代わりには、さっき確保しておいた肉豆腐脇の辛子を煮込みに付けて食べる。

フワと軟骨はさっき食べてしまったので、ニコ美女史に召し上がっていただいた。

コの字カウンター左翼の夫婦と姑の会話が聞こえてくるのが和ませる。

旦那から見て義理の母だろう。

しっかりとしていそうな印象だが、娘の方で随分と丁重に話しかけている。

それゆえに末期という感じが全くないのは、見た目の若さからくるのかもしれない。

僕は、両隣に座っている男性の独り客に気が引けて、モツ野ニコ美女史とろくに会話できなかった。

ジャック・ルピック氏、ざまあ見やがれってんだ。

酔いが回ってきた。

一時間経ったがろくに回転しないから、早くから並んでいて正解だったと改めて思う。

こんな良い店から、さっさと飲んで帰るなんてできないわけだ。

これで最後、三皿目の煮込み、これにやっと七味をかけて頂く。

濃いのではないかと緊張しつつチューハイのレモンを飲んだが、美味しい。

モツ野女史はアンズ酒のソーダ割りがだいぶ濃いと感じていた様だが。

気になった銀鱈の煮付けも届いた。

彼女の隣に新たに座った男は燗酒、それとお冷やを注文している。

むちむちの煮込みが美味しすぎる。

レモンハイは氷がシャリシャリで、これまた最高だった。

そして、最後の最後になって…バターのコクを感じるのだが。

煮込みに入れているのか、私が酔いすぎているのか。

開店時の揉め事のおかげで十人に一人は変な客が居るかなと思ったが、いやいやそんなことはない、非常に居心地が良く感じられた。

行きは飯田橋から有楽町線に乗ってきたのだが、帰りは大江戸線に乗った。

ニコ美女子とのモツ煮で飲み歩きに大江戸線がつきまとうのが、この頃は愛おしい。

一駅隣の門前仲町で東西線に乗り換える。

緊張の日々から解放されたのと酔ったせいで、突っ立ったまま眠って帰った。

ろくに別れを告げることもせず、女史には悪いことをしたかな。

その後、業務上の仲間である惣酢、ではなく相津と名乗っている男から呼び出され、小岩で飲んだ。

大松という、その街では有名な大衆酒場だ。

怪しまれない様に、シラフのふりをして、そこでもモツ煮を頼んだが。

このごろは豚モツより牛モツが好きになっているのに気付いた。

約束の地、シド。

僕はそこへ、一人で行きたいとは思えない。

【十月号】棒切れ #006 无己【キ刊TechnoBreak】

頷いてるんじゃない

首を振ってるわけでもない

ただ口を閉ざして

そこにあるだけ

絶望に流されていても

行き着く所はみな同じ

道はここにもあるよ

ほら俺の胸の中を見せられたなら

見たくないなら目を閉じれば

頭の中にありありと浮かぶよ

眼で観るよりも鮮明に

感じるのは視覚だけじゃない

僕は句読点じゃないんだ

僕は応じるわけじゃないんだ

まして僕は言葉ではないんだ

          

【十月号】酒客笑売 #006【キ刊TechnoBreakマガジン】

気心の知れた友人にこの話をすると受けがいいのでここでもする。

私の祖父は、満州でスナイパーをしていた。

というのも、祖父は床屋を営むくらいに手先が器用だったからなのだが。

父が修学旅行でマッチ箱に入れてきた京都の苔を庭一面に殖やしたり、父が油絵を嗜むのを尻目にこっちは上塗りできないんだと言い放って日本画の個展を開いたり。

裏を返せば学が無いわけだが、芸があった。

一人殺せば犯罪者だが、百人殺した祖父は英雄だった。

戦争は憎いが、身内のことは誇らしい。

一つの中に二つの矛盾だ。

ビールだって同じ。

コクがあるのに、キレがある。

コーヒーならば、苦くて甘い。

そういう存在は確かにあると、認めねばならないのではないか。

小さい頃はそんな祖父の寡黙さが怖かった。

父も家を出るまではよく殴られたらしい。

その体験があったお陰で、私は父から殴られることはなかった。

毎晩浴びるように飲んでいたという。

満州の記憶から逃れるためだったのか。

孫には手先の器用さではなく、酒癖の悪さが遺伝したらしい。

挙句、英雄に成れるわけもない。

だから職場では道化を演じている。

道化とは何か。

一流の道化は笑いを取るが、超一流ともなると顰蹙を買う。

これが私の持論であり、実践だ。

「罪と罰」のマルメラードフよろしく、これが嬉しいんだよ!というわけだ。

我々道化は、笑う者達の喉元に突きつけられた切っ先である。

それは、北極点では方位磁針が役に立たなくなるのと同じこと。

早く達したいものである。

交わらないはずの平行線も、地球儀の経線ならば極で交わるわけだ。

何たる矛盾か。

スピーチの原稿を寝ずに考えていた翌日に、ガラッと内容を変えてしまうようなものだ。

何たる自己叛逆か。

ここまで来ると、たいていは受けがいいが、後々になって不味くなる。

概論はこのくらいにして、実践報告に移ろうか。

これは、数年前のことである。

新しく来た副社長が所信表明で、当人が受けた粋な計らいを例に持ち出し、我々社員一同にもそういった粋な計らいができる様にと御高説を垂れたことがあった。

そんなわけで、その後の歓迎会では真っ先にその、「粋な計らい」というフレーズを連呼しながら、これこそが粋な計らいであると言わんばかりに歓迎の醜態を演じた事があった(何度か言っている事だが、飲み会の会長なので、職場では副社長よりも私の方が役職は上である)。

座席の都合で、先方は私に背を向ける格好になっていたわけだが、振り向いて観覧するといった様子もなく背中で以って不快感を露わにしており、この場で文章にでもしておかなければ危うく「行き場わからない」感情になるところだった。

こういう時は、よく冷えた日本酒を何合か空けた後である。

その前の副社長は雅一という、マサかという感じの名前だったのだが、酒席で私が酔っ払っては

「なぁ、そうだろマサイチ!」

と繰り返し絡むのを前々から見ていて、現副社長がこのマサイチ呼ばわりを私からパクったりもした。

その様子が羨ましく妬ましく眺められたのであろうが、同じ事でも三十がやるのと五十がやるのとでは時分の花が違うという好例と言えよう。

それだけに、道化稼業も工夫が要る。

打算の無い捨て身だけが、我々道化に残された唯一無敵の方法である。

いや、打算の無い捨て身を得る事が、我々道化が征く唯一素敵の目的なのだ。

道家ではないなりに、道外にはいられるかもしれない。

以来、コロナ禍が続き(私の苗字、禍原の一字がこれの所為で先に有名になってしまって、忌々しい)副社長が同席する様な大規模の飲み会が開けずにいるのだが、いつか正常位を執拗に強要する強靭な精神力を持った狂人を演じながら、

「正常位しぃ!(腰振り)正常位しぃ!(腰振り)俺は異常石井!(決めポーズ)」

と成城石井のロゴの入った炭酸水でも片手に叫び回りたいと割と本気で思っている。

しぃとは、言わずもがな、使役の助動詞の命令形である。

「会長、よくそんな事考えつくね」

と同僚に呆れられるが、彼らと私とでは、背負っているものや考えている事が違うのだから仕方ない。

さて、こんなことを書いていて、百万が一にでも、副社長の目に入りでもして大丈夫かと心配してくれている千人に一人の読者に伝えたい。

安心してほしい、私の様な毒を組織の中に隠し持てるかどうかで、その組織の生命力が試されているのだから。

毒ならば薬にもなるし、私は血も涙もない道化、顔で笑って背中で泣くのだ。

誰に宛てるでもなく、書いておきたかった。

一度っきりだからこそ狂言というのに、文章は文字だけが残るからこそ美しくないものである。




#006 諧謔のカラマーゾフ 了

【文学作品後編】Strange Jesters【完結】

承前

§2-1. S(2)

「へっへっへ、こちらですぜ旦那」

 薄暗い地下に続く階段を前に過剰なまでの下卑た振る舞いをまといながら、相手を逃すまいとばかりにSはJに対してベッタリとした笑みを向けていた。

 彼の振る舞いを初めて見る者があれば不快な思いを受けることであろう。だがこのやり取りは彼らの中ではひとかどの知識人としての”お上品な”挨拶のようなものとなっていた。彼らは定期的にこの上流階級の挨拶を交わした後に酒も酌み交わすのだ。

  Sは服を持っていないという訳ではないのだがどういう訳か毎日、同じ服を洗濯しては着古していた。赤いTシャツも、色が褪せ始めた土色のジーンズも何度も洗濯機の中で揉まれたせいで裾が植物の根が生えたかのようにボロボロになっていた。だがSにとってはそこから世界の栄養を吸収しているかのように、その服を着ている時の彼はとても幸せそうに見えた。

  一方、Jは何時も太陽の光を何倍にもして跳ね返すパリッとしたブランド物の白いYシャツに袖を通し、一切の汚れという存在を許さぬと訴えかけるこれもまた見事な黒いスーツパンツを着こなしている。その実、Jの心の中にこそ世界の汚物が集約されていると言っても過言ではない。彼はそのフォーマルな衣装というフィルターを身に付けない限り呼吸することすらままならないだろう。

  一見すると相反する出で立ちの二人だが、どちらも靴だけは本物の革靴を履いていた。Sの服装は靴だけが世界との入り口でもあるかのように必死に浮いていることが滑稽ではあるが、Jにとっても酸素吸入器であるフォーマルさに靴が踊らされていることを加味すればやはり滑稽なのである。

  今回、SがJを呼び出したのは庶民が少し背を伸ばせば届くような金額でステーキやワインを嗜むことが出来る中流階級が己は偉大なる役人様なのだと慰める為にあるような店だ。

 その証拠に決して味は悪くないのだが店は地下に設けられており、窓は一つもなく優雅な景色など望むべくもない。しかし彼らのように心に太陽を飼っている者達にとって人間の言葉(哲学)を交わすにおいて薄暗い地下室は絶対なのだ。美しく澄み渡る青空が視界に入ろうものならそれは夜の帳が下りるようなものだ。薄暗い地下室でこそ彼らの心は燦々とウンザリするくらい光り輝くのだ。

 Jは服装と同様、普段は一流のレストランに行くのでこのような店には来ることはない。だが決してこのような店が嫌いなのかといえばそういう訳では無くむしろ好きなのだ。

 結局のところSもJもただ生活をしたい。それだけなのだ。

 他の差異はこの一点に比べればカスみたいなもので何の意味も持たぬ。【生活と人間】だけが彼らの中では意味のあることで共通項なのだ。

  Jはベタツク笑みを受け止め、投げかけられた視線の先にある地下室への階段を見てやはり下卑た笑みでニヤリと返した。彼の頭の中はこれから体内を駆け抜けるであろうアルコールと人間の言葉でいっぱいになり、あわや涎を垂らす寸前の恍惚な表情を浮かべていた。

「いや、お疲れ様。行こうか」Jは呟いた。

§2-2. J(5)

 SがJとの飲酒で期待しているのは、彼の内心に秘められた真っ黒い太陽が燃え上がらせるフレアの観察なのだが、ここ数ヶ月ほどその心情吐露が見られないから飲み代が割高に感じられる。Jの方では、世界の汚物が核融合する様を披露してやる義務と引き換えに飲み会を開くという契約をしているわけではないから、単なる気紛れの話題に過ぎない。もしかすると、JはSのその期待を察知して、敢えて話題を伏せているということも考えられるのだが、そこまで疑ってしまえば友情の破綻は目前に思われたので、疑念は頭から振り解いた。“疑念”それはドストエフスキーに言わせれば愛の対義語であり、小林秀雄に言わせれば愛に至る唯一の道である。そう考えておいてよかろう。Sは農奴にも中原中也にもなりたいとは望まなかった。

 実際、Jの方では何となくこう考えていた。善人としての自己の表面と、犯罪者三歩手前の自己の裏面、大概の人間が二面性を抱えて生きているだろう。週刊誌がそれを暴くのは堅気の生活者ではなく、ヤクザな芸能関係者というだけである。そこで、彼自身はいかさまコインのように表裏の区別を自身に設けようとはせず、ウルトラネガティブの面とハイパーポジティブの面とを極限まで一致させ、それらを総合したエクストリームニュートラルなもの全てを硬貨の縁に刻印してしまうのだ。この姿勢が、彼自身の多面性を象徴しており、微笑の内に無表情を、哄笑の内に穢らわしさを同居させるのに一役買っているらしい。つまり、最近の彼はちょっとばかり本業が忙しいのだ。

 彼らは中流階級である。だから、毎度々々そこらの居酒屋チェーン店で飲まずに済む。話題も自慢話の披露が無意味だと知っている。すなわち、彼らは挑戦者だったというわけだ。お互いに生い立ちや経歴、背景は異なるが、肩を並べている事による違和感はない。自己の優位性を主張する様な無意味なことをやり合うことは無く、尊重し合っているから軽蔑されるという事も無い。これら全て、二人に共通している職人気質のなせる平衡感覚なのであろう。彼らは、過去に生きていた全ての人物が直面していた過渡期に、彼らもまた現代人として処している、という認識を知らず知らずのうちに共有している。だから、昔は良かったなどという嘆きや、あんな決断をしていなければ今頃と言った哀傷が無いのだ。ただただ、幼少期の避け得ぬ家庭環境の影響を、“虐待”と吹聴しては笑い合うのだった。今、豊かな暮らしを送ると言うよりは、しぶとい生活を強いられている事を享受できていると表明するために。

§2-3. S(7)

 薄暗い階段を抜けると角のボックス席に彼らは通された。彼らは席に着くなりウェイターに有無を言わせぬ速さでビールを二つばかり頼んだ。夏が過ぎたとはいえ、世界の太陽は彼らの心を蝕む程にはぎらついていた。

 運ばれたビールを直ぐに飲み干すと二人ともまだキンキンに冷えているグラスを蜘蛛の糸のように握っていた。

「イタリアンバルに来てレア肉と赤ワインを頼まないなんて考えられない!これらを噛みしめてから”無知は幸福”と呟くまでが作法だ!」 地下室と酒という幾ばくかの生活から元気を取り戻したSが鼻息せわしく喚いた。

 二人は互いに然りと笑いあうと注文を進めた。これは前述した通り映画MATRIXのサイファーによる“虐待”としてのジョークである。そしてこのジョークから今日も彼らにとっての人間の言葉が始まるのだ。

「どうです、旦那。ここのステーキは?中々のもんでしょう?やっぱりあっしらは信心深いとはいえ生活を生業にしている人間ですからね。同じ肉としてもパンでは活力が湧きませんからねぇ?」

  Jは笑いながらも何時までその道化を続けるのだと窘めた。Sはしたらばと農奴遊びを終わらせ運ばれてきた赤ワインで喉を潤した。

 そして彼は八重洲ブックセンターを筆頭に次々と消えゆく書店に思いを侍らせた。

「ねえ、J。僕は友達が減っていくようだよ。小説は僕にとって知識というより凝縮された人生なんだよ。もう生きている人と言ってもいい。僕は親友は本で見つけたんだ。ドストエフスキーさ。きっかけは僕が幼少期からずっと煩わされている重度の癲癇だ。何かをしたいと思うたびにコイツに邪魔されてね。こんなんじゃ生活なんて出来ないって思っていたよ。でも彼は僕より酷い発作を持ちながらあんなに多くの人生を残している。並大抵の生活力ではないよ!おまけに癲癇の発作は死刑宣告からの恩赦放免での時に始まったっていうじゃないか。これ以上ない生の実感を得た瞬間に癲癇になるなんて、こんな切なくも笑ってしまう話があるだろうか!彼の作品というより彼の生き様から彼を好きになったんだ」

「分かるよ」Jも言葉を返した。「俺も小林秀雄から酒の飲み方を教わったからね。更に言うなら、、、」

 先を続ける前に矢継ぎ早にステーキを口に頬張り、赤ワインで一気に流し込んだ。彼の脳内を幸福が駆け巡った。段々とじめじめとした部屋のドアや窓が開いていき、新鮮な空気で換気されていく自身を感じ取っていた。

「本を読まない、知識がない、教養が無い奴に自己同一性なんて持ち得ないんだよ。つまり、”虐待”さ」

彼らは陽気な声を上げた後、再びグラスをカチンと鳴らした。

§2-4. J(8)

 楽しい時間はあっと言う間であった。席に通された時に二時間制であると宣言されていたのも信じられないほどで、すでに頭の片隅に会計の精算がちらついている。その頃には、クアトロフォルマッジをSが手帳の様に折りたたみ、Jはナイフとフォークで手を汚さぬ様に食べていた。この物語調の文章も、今やエピローグというわけである。

 Sは、以前Jが吹聴したとある言葉が頭から離れずにいた。曰く、自己同一、自己肯定、自己実現という世の主流派が掲げる、無責任で所在不明の月並みな標題に対して、自己欺瞞、自己諧謔、自己叛逆という生き様を無自覚にせよ意識的にせよかれこれ十年以上続けて来たのだと。この日、共に酒を酌み交わした話題の中で、何かその姿勢を実感できた。それは、Sが敬愛してやまないドストエフスキーの生活そのものだったように思えたからだ。

 ドストエフスキーはその遺作『カラマーゾフの兄弟』において、父親殺しを告白していたのではないかと彼らは議論した。父を取り巻く三兄弟は作家の欺瞞をそれぞれに分け与えた人格であり、父自身は精力に満ち満ちた道化としてその諧謔、ひた隠しにしてきた農奴への使嗾を作品に託して告白するという叛逆。もしかすると、仮初の善を打破し、生きるための新たな指針を獲得することこそが、個人の再生ではないだろうか。Sは、最後の煙草に火を付けて、そんな事を思った。

 安く酔う鉄則はボトルを入れること、それと食い放題に注文しないことだ。しかし、二時間弱とはいえ空きっ腹にステーキ半分とピザ一枚程度では、SならばともかくJはまだ食べ足りない。自分の真っ赤な顔を見る事もなく、Jは開けたワインの最後の一杯を飲み干した。彼は、もう何年も、飲み会での会話を覚えている事を放棄している。それは換言すれば、飲み過ぎて食べ過ぎた胃の内容物もろとも、吐き出して忘れてしまうと言うことに他ならない。こんな事、小林秀雄は一言も言い伝えてはいないのだが。

 けれども、Jにとってこの日の酒は、どうやらいつまでも忘れがたい記憶になりそうだった。その理由は、彼がまだ飲み過ぎて食べ過ぎていないから、と言うわけでは決してない、事実には違いないが。というのも、目の前で道化を装うようにしていたSが、それでもこちらの意見を傾聴していたことをつくづく感じたからである。さらに、彼からの問いかけが、我々の議論を活性化させたではないか。

『なるほど、これが教養か』

 “疑念”抜きの純粋な愛、それは人間という存在への信頼感かも知れない。

 面と向かっていられなくなったJがふと上を見遣ると、天井のシミが、まるで自分には関係ないと嘯くように、二人を煙に撒いていた。





Strange Jesters 了

後書きに代えて

 2週に渡る本作は前書きにて述べた通りJunとShoでリレー形式で1つの文章を書いてみたという作品群である。これは私Shoが小学生の頃に授業で行った班内で原稿用紙を回して1つのお話を作るというのが楽しかったという記憶が起点になっている。また、私も文章を読むのが好きなのだが最近めっきり文字を書くということもなかったのでそのリハビリにJunに付き合ってもらったという形であろうか。
 作品としては先週リリースしたJun始まりの作品の方が全体的にしっかりまとまっていて個人的に好みだ。だが本作の出だしの1章部分は1000字弱という長さで自分の好きなドストエフスキーの”ちょっとウザくなる情景描写”っぽいものが書けた気がして大変満足である笑
 暇な時にこの連作に触れ、文学を拗らせた30過ぎたのおっさん2人のいちゃいちゃぶりを楽しんで頂ければ幸いである。共に睦み合ってくれたJunに謝意を述べて本文を閉じさせてもらう。

【十月号】もう付属の餃子のタレをつかわない(かもしれない) #006 吉祥寺 一圓【キ刊TechnoBreakマガジン】

習志野に団地と呼ばれる学校があるように、中野には学校の中の学校がある。

先日、其処出身のh教官と久しぶりに飲んだ。

歳が十も離れているのだが、団地から離れる前は、互いに一人者同士毎晩のように酒保で飲んでいたものだ。

そんな彼には、謎の美女の話なぞ持ち出しても野暮な気がして、黙っていた。

ただ、話題がふと、月々食べ歩いている餃子に逸れると、彼の当時の下宿先だった吉祥寺にも有名店があったらしく、たまたまなのだが上手く情報を引き出せた。

吉祥寺か。

新宿区の大学へ通っていた際に、気に入ったバーがあり数度訪れてはいた。

高田馬場から何駅も先だったため、そうでもしなければ行く機会などほぼ無かったということだ。

当時の私にとって、東の果てが西船橋、西の果てが東中野、世界の全体がこの程度だったから。

三鷹や東葉勝田台なんて、今聞いたって気が遠くなる、なんて言うのはカッコつけ過ぎだろうか。

東京を舞台にしたRPGシリーズのスタート地点だったから、吉祥寺には強い印象と僅かな憧れを抱いてはいた。

あとは、何だ、その、私みたいに異常食欲と変態食欲を併せ持った主人公の、谷津干潟五郎だか印旛沼五郎だか。

今夜、私は東西線で東の果てから西の果てを越える。

あのバーにもまた這入ってみようか、何て考えながら。

またも乗らない大江戸線には、門前仲町で会釈でもしておいた。

エージェントとしてでも、巡邏としてでもないので、黒のTシャツという知り合いには見られたくないいつもの格好だ。

身分証なぞ携行していないから、これで捕まって仕舞えば職業はライターですと答えざるをえない。

一体全体ライターという身分は、彼ら軍閥にとって尻尾を掴んでくれと身を投げ出しているようなものである。

ライターとヤクザは叩けば埃がでる、両者の違いはヤクザならば名乗るという事くらいか。

この日は、冷たい雨が降っていた。

しかし、その日に行かねばならない気がしていた。

吉祥寺の駅は広いのだが閉塞感があり、私は早く雨の中へ飛び出していきたいと思っていた。

西口目の前の通りをそのまま西へ。

慣れない街の冒険だ。

三分程度でお店があった。

冒険は終わった。

随分狭いなと思ったが、見えていたのは店舗の脇だったようだ。

張り紙が目に飛び込んでくる。

ーー閉店のお知らせ

言葉を失った。

施設老朽化による建て直しのためであるとのこと。

今回伺ったのは吉祥寺、一圓さん。

近所に姉妹店の篭蔵さんがあり、テイクアウトできます。

三鷹駅周辺にも三店舗あります。

気を取り直して引き戸を開ける。

正面は広くなったが、店内は歩く幅が狭く、海神亭の様だ。

外観の洗練さは流石吉祥寺と言った造りだが。

コの字カウンター、左端に三脚、正面に四脚、右端は未確認だが三脚か。

左端が空いていたので奥へ案内された。

後でわかったのだが、待たされずに済んだのは幸運だった。

メニューにある白金豚焼き餃子というのが美味そう。

注文すると、

「ジャンボは焼き餃子ですが、大丈夫ですか?」と訊かれた。

そういえば、h教官も言っていた、其処の餃子は大きいと。

すぐさま焼きに変更、十分ほどお時間を頂きますと返ってきた。

一圓さんの餃子は四種類だ。

焼き餃子、五個で五五◯円、これが名物のジャンボ餃子。

白金豚焼き餃子、五個で六◯◯円、サイズ比で余程美味いのだろう次に注文しよう。

ひとくち焼き餃子、六個で三七◯円、サイズ比。

とりしそゆで餃子、六個で五◯◯円、ゆで餃子大好きだ、これも注文しよう。

餃子ライスはスープとザーサイ付きとあり、ライスが小なら七◯◯円、中なら七五◯円、大なら八◯◯円。

他に、拉麺。

醤油味だろう。

焼叉麺、葱辛麺、支那竹麺のバリエーション。

そして味噌拉麺。

トッピングが数種類、味玉、ワカメ、焼叉、辛葱、支那竹、ザーサイ。

ビールが無い。

聞くのが怖いのでネットで調べる。

残念ながら無いという口コミがあった。

馬鹿丸出しで十分近く待たされる。

雨が降っていたから、ランニング出来ずに訪れたのが、不幸中の幸いだったか。

着席と同時に氷水が出て来た時に感じた違和感の理由はこれだったのだ。

右隣の空席二つに二人組が座る。

外に待ち客が現れ始めた。

到着早々入店できたのは幸運だったようだ。

その後のお客たちも、みんな焼き餃子を注文する。

二人で来て、各自拉麺、焼き餃子を分けるような具合だ。

私はさっと食べて、早くあのバーに行きたかった。

十分待って餃子が提供される。

たしかに、大きめというより、大きな餃子だ。

お腹が減っているのでパクついてしまった。

幸いにも、熱々で火傷してしまうという事は無く、安心。

それでも一口に飲み込んでしまう勇気はない。

三回くらいに分けて食べた。

空腹なので味などは意に介さない。

一つ食べ終えると、いつも食べている餃子と食感が違う事に気付いた。

確かめるべく、二つ目を食べる。

なるほど、皮の厚みだ。

普通の餃子の倍くらいのサイズとなれば、皮がしっかりしていなければならないわけだ。

焼きに十分かかるというのも頷ける。

しかし、食べたことの無い食感の皮というか。

皮が皮々していて、口中にへばりつくのが笑える。

餡の味は、タレで食わせるようなやつだった。

白金豚焼き餃子はさぞ美味いのだろう。

熱過ぎ無い餃子をパッと食べ終えて、退店。

大通りの方へ急ぎ、路地へ入る。

すぐに看板が見当たった。

そうそう、この、プラスティックな階段だ。

ここを三フロア分ほど上がり切ると、東京のラム(ラム酒としないが良い)の聖地。

利休の茶室と言っては大袈裟だろうか。

カウンター五席、四人掛けテーブル二つの小メキシコが在る。

懐かしい、左端のカウンターに掛けてモヒートを注文する。

学生の頃は、割高な気がしてカクテルを注文する勇気がなかったが、あれから十五年でこのカクテルも随分と名を上げた気がする。

爽やかさに隠れた苦味が絶妙の一杯。

金属製のストローは先端がクラッシャーとなっており、ミントの葉を潰しながら飲める様になっていて、愛好者必携のアイテムと言える。

坂口安吾の『風博士』を読みながら、マルティニックラムを注文する。

かつてとは違い、マルティニックラムは“発掘”されてしまったため、価格が上昇していると言う。

ラムは好きだが詳しく無いので、いくつかボトルを出してもらう。

昔馴染みのJ.Mを選んだ。

ウィスキーより早く知った味は、やはり舌に染み付いているかのようで、美味いと感じる。

当時のT屋マスターは二年前に退職し、来月独立店を出すのだという。

グレードを変えて飲み比べたが、高くついた。

色々と歳月を感じさせる来店となった。

ゆっくり読書できず、早く店を出たくて最後に注文したラムラシカなど、バーテン氏久しく作ったことがないそうだ。

しばらく吉祥寺に来ることはないだろう。

餃子や煮込みで東奔西走していたい。

【文学作品前編】Strange Jesters【二週連続公開】

前書きに代えて

 Shunメンバーが不在となるため、Shoが気を利かせて、Junに声をかけた。

「何か二人で記事でも書こうか」

 急遽、土曜の昼に上野で落ち合い、飲みながら話した。

① 互いに文章を書いて、リレー形式で執筆。

② 制限字数は1000〜1200

③ 起承転結、承転にはこだわらないが、必ず結末を書く。

 つまり、最終的に4000字以上の文章作品が二つできる。

④ テーマは『ドストエフスキーと小林秀雄』

 そのまま飲みながら、テーマについて話し続け、会話は録音して共有した。あくまで参考であって、本文の内容を全て話したわけではなく、内面の描写などはもちろん創作の範疇である。

 本文は二週連続リリースされる。チャプター§には、前編を1、後編を2とし(前編、後編と便宜上記載しているが各々は独立した作品である。)、起承転結に代えて1〜4を加えた。さらに、誰が書いたか判るようにSJを記し、()内に双方の執筆で完成した順を併記した。例えば、

§2-1. S(2)

は、チャプター2-起、(チャプター2は次週公開の内容)、執筆者Sho、執筆完了時点で二番目の作、を意味する。





§1-1. J(1)

 悪魔の不審、天使の純真、野性の激情、鬼畜の残虐。そして、道化の諧謔。

 その曼荼羅はカラマーゾフの血で描かれたのではない。ドストエフスキーの精神をバラバラにもぎ取ってキャンバスに叩きつけて出来たものである。さらに、彼を取り巻いていた筈の“彼女ら”が泥濘に浮かぶ様な華を添えている。彼はいったい何人分の人生を経験したのか、多重人格ではなく多重人生をその一身に引き受けたとも、自ら進んで買って出たともいえる。

 Sは、愛読するドストエフスキーの深淵に畏敬の念を抱いている。深淵が意味することは、断崖絶壁から覗き込んだ奈落の底ではあるまい、それでは直接的にすぎる。深淵とは、底知れない前方に向けて果てしなく広がる暗黒の事である。だから、彼が創出したといわれる人物たちは、カラマーゾフ以前の作品にも数々登場しているではないか。ところが、である。

 Sを事有る毎に飲み屋へ誘い出すJという男が、一体何を思ったか、面白半分でカラマーゾフやら何やらを読み進めていると言うではないか。あまり真っ当とは言えない様な仕事をしている連中に、ドストエフスキーは一朝一夕に読める様な物ではない。したがって、彼らが週に一、二度酒を酌み交わす際に、都度話題として繰り広げられるのが、必然この手の話になる。SとJとの付き合いは長く、十年くらいになるのだが、ここ三年ほどはそういったことが続いている。そうこうしている内に、Sはある疑問が確信に変わったという事に気付いた。

 Jはどうやら、週の全てを職場で過ごすという苛烈な実務家だという事らしく、自己の社会に於ける存在意義の探求に余念がない。だからこそ、自身が自由に使える時間が毎日一定量あるらしく、その時間は同僚でも顧客でもない、顔も知らない誰かのためへの奉仕に使っているという。時は金なりとはよく言った物で、Jの給料を時給換算すれば唖然とせざるを得ない程に低いのだが、そんな彼は時として何の躊躇もなくそこいらに札ビラをばら撒く。切り出す話題の大半が事件、事故、対立の問題で、彼はたいてい冷笑を浮かべながら否定的で消極的で非人道的なのに、誰も言わないが故につい笑ってしまうことを強要される冗談を挟む。彼は酩酊して来ると口癖の様にこう言う。

「芸能業界にいられないなら、俺なんて刑務所にいなけりゃな」

 Sは、Jから危害を被る予兆を察し何とかそれを回避するために、彼のことを“キリスト”と称して慰めてやることが多いのだが、それは内心でサイコパスだと断定しているがためである。Jは小林秀雄を愛読していたから、初めのうちはお互い読書家だからこそ話が弾んだ訳であったが。

§1-2. S(3)

 今回も彼らは崇高な精神に触れるべく、トランス(酩酊)状態を求めて雑多な大通りから地下へと続く階段を降りた。そこには来るべくJを拘留する日を待ちわびていたかのように昔から存在している薄暗いイタリアンバルが広がっていた。早速席に着くとアメリカ産の無添加の煙草に火を付け、見通しがつかなくなるまで肺一杯に煙を吸い込んだ。抑圧から吐き出された煙は逃げ場の無い地下室の中でいつまでも天井のシミを隠すために留まっていた。逃げ場の無い密室で失敗を隠すことだけが唯一許された行動であるというのは正に人生そのものである。

  ひとまず頭の中の煙を全て追いだした後、重みはあるが同時に大地の甘みを余すことなく携えた赤ワインのボトルとそれを更なる高みへ引き上げるマリアージュを求めてステーキを注文した。直ぐに運ばれてきたワインで口を湿らせながらJが口を開いた。

「馬鹿にイラつかせられてもコイツは教養が無いから仕方ないと納得出来るようにラテン語を学ぼうと思うんだ」

 その言葉を聞いてSは”始まった!”と目をぎらつかせた。キリストの皮を被ったサイコパスに教養など片腹痛いものであるが、その矛盾の中にこそ相手の生活が詰まっているのである。早速Sは意気揚々と返した。

「君が敬愛する小林秀雄はどうなんだい?彼は教養を身に付けることで怒りを制御出来ていたのかい?」

  別に彼の事は関係ないが聞かれたから答えることが義務かのように、また口をワインで湿らせたJが応えた。

「彼はドストエフスキーかのように激情家のところもあり、カッとなりやすいところもあったが家庭では紳士であったと聞くよ」

  Sはその言葉にまた目を輝かせながら喋り出した。

「へぇ!てことは君は偉大なる小林秀雄様が出来なかった事が自分には出来ると思っている訳だ!?馬鹿を言っちゃいけないよ。君はもう若きウェルテルではないんだ。既にその血肉はすっかり出来上がっていて滅多なことではもう変えられないんだよ!」

  沸々と湧き上がる心の高揚に呼応するかのように血が蒸発する音を発しながらステーキが運ばれてきた。それに気を良くしたSはステーキとワインを口に頬張りながら後を続けた。

「ねぇ、J。君の損得勘定を抜きにした行動に対して僕はキリストと表現しているけど、その実は違うことをもう分かっているんだろ?君の一部は幼いころのDVによってもう小林秀雄なんだよ。それも厄介なことに性質という部分が特にね!キリストは教養によって多くの人に奇跡を与えるだろうさ。だが君に教養を与えたところでそれは君自身に起こる奇跡にしか使われないんだ。どこまで行ったって君は酒を飲めば馬鹿な女に帰れと暴言を吐くだろうさ。この赤ワインとステーキという相乗効果が起こるなんて期待しない方がいいぜ?狂人に教養を組み合わせたって食あたりを起こすのが関の山さ!」

  Sは挑発するかのようにJの目を覗き込んだ。

§1-3. J(4)

 Jが次の煙草を手に取ると、Sは使い古しのジッポーを開いて点火してやった。喫煙量はSの方が相対的に多く、オイル切れにならないように気を遣うのが当然なのだが、Jの方はというと愛用のダンヒルのライターをガス切れのままにしてしまっている。燃料で満たした道具も、習慣的な喫煙がない所為で炎を出させてやる機会も与えず使わないままでいれば、次第に気が抜けて役に立たなくなる。しかしながら偏屈者のJは内心で、役に立たないとしても、人目に触れられなかったとしても、所有している事に意義があるものがあるのだと信じているのだ。Sからは時間稼ぎにも見える様な一服の煙を吐き出し終わって、Jは言った。

「狂人の教養とは、さながら教人の狂養だな」お得意の言葉遊びから彼は切り出した。「教えてやる立場にいながら、僕は存分に狂った教養を身に付けてきたんだが、やはり少しばかり物足りなくなってね。賢しらな顔した同僚どもや顧客連中に対して道化を演じながら、お前たちが手元で飼っている教養なんぞは、俺が巻き起こす嵐の様な破天荒を前にしてはひとたまりも無いんだぞと内心で毒付くのもまぁ悪くは無いんだが。君の言う通り、食あたりというかね、反吐が出るんだよ。それで良いと思っているし。それにどうかな、教養と冠しておきながらやるのはラテン語ってのはさ、日本人として世界標準に唾棄してやろうかって気概だよ」

「いや、僕は君から危害を被りそうだ」付け合わせのフレンチフライを赤ワインでぐいと流し込みながらSが口をはさんだ。

「来た、見た、勝ったなんて、僕が言っている日本基準としてのトリアーデに通ずると思うがね、Veni, vidi, vici.を知っている奴なんざうちのオフィスに一人だって居ないんじゃないかな。僕は暴力に抗するための、暴力の様な知識を欲している様なんだ。カエサルのものはカエサルに、ってね」

 トリアーデとは、ヘーゲルの弁証法における正反合を表すが、Jはその範囲を拡大し、雪月花や守破離の様に漢字三文字からなる概念に対して用いている。雪月花とは全てが酒の肴だから日本人の酒に対する態度を示す概念だと主張し、守破離とは教わる側の段階ではなく指導者が喉元に常に意識せねばならない刃であるなどと主張している。

『ナポレオンがカエサルの軌跡を追った様に、Jもまたカエサルに続かんとしているのであれば』Sは思った。『俺自身がブルータスになるのは御免被る』

§1-4. S(6)

 未だに天井で行き場を失っている白い煙の揺らぎをSは見つめていた。

『裏を返せば奴が暴君になる前に俺が刃を突き立てなければ狂養で持って俺を殺すということか?』

 ステーキを切る為のナイフを強く握りこんでいる落ち着きを失った右手と共に視線をJに戻した。ワインのように真っ赤な顔がそこにはあった。それを目にすると俄然Sは嬉しくなった。

「は、は、は!結局、教養やなんだって言いながら君は馬鹿が我慢ならないんだ!言葉遊びの次に吐き出された教養はそのままもう形すら変わっているじゃないか!やっぱり君にとっての教養は君自身を英雄にし、政治の実権を握らないと癇癪を起こす狂人を生み出すことに使われる事が一番似合っているよ!」

 それを聞いてJはギロリとSの視線に応えた。

  彼の中には確かに見返りを求めない善行を自然と行えるキリストの姿を見ることが出来る。ただそれは彼が赦すことが出来た馬鹿に対してだけなのだ。根本的なところ、彼もまた激情家であり馬鹿をそうそう赦すことが出来ないのだ。特に近しい者であればあるほど。

「S、やたら突っかかってくるじゃないか。君ならそんな言葉尻を捉えて勝ち誇ったりせずただ一言、カラマーゾフ的だね。で済ませられる頭を持っていると思っていたよ。俺はフョードルであると同時に、社会と繋がりではイワンとしての顔も持っていることも既知の事実だろ?」彼もまた皇帝として振舞うべくステーキを口に頬張り、赤ワインを嗜んだ。

「全く、カエサルなんて持ち出して冷や冷やさせるじゃないか。この名前が出たついでに言うけどね、最初の言い方だとまるで君が君自身への治世の中でコイン(教養)に君自身ではない別の誰かの顔を刻むかのような話しぶりだったじゃないか。そこに君の顔が刻まれているのであれば僕だって何も言わない」

 それを聞くとJもやっと頬の強張りが取れ、ワインの赤みだけが緩やかに残った。

「それを聞いて安心したよ。まぁ、もう一本開けようじゃないか。俺の帝国の晩餐会ではワインに毒なんか入っちゃいない。毒が回っているのは俺達の頭の中だけで十分だ」

 Sはヤレヤレという面持ちで彼から注がれるワインを受け止める。

  この短い時間の間で彼らは存分に意識の上層で互いの殺生を楽しんだ。Jに至ってはいつもの事だがローマ人の如く更に食べ物や酒を限界まで腹に詰め込み吐き出しては再生するのが常である。ルネッサンスなんていう大層なものではない。彼らが自己を見つめ直しているのかすら怪しい。ただこのような場を設け、定期的な死に触れることで彼らの生活はより強固なものになっていくのだ。

 煙草の煙はワインが一本空いてもまだ尚、天井のシミを隠し続けていた。


本作はJun始まりからのリレー作品である。
次週はSho始まりからのリレー作品§2.を投稿する。

【十月号】巻頭言 完全保存版「無常という事」を歩く【キ刊TechnoBreakマガジン】

九年越しの東海道五十三次を二川から再開し、無事終える事が出来た。

終点は京三条大橋である。

一泊した翌日の昼に、小林秀雄の「無常という事」で話題となった山王権現へ行った。

一旦京都駅へ行き、湖西線で四駅、十七分で比叡山坂本駅に着く。

比叡山を東側から登ることになるわけなのでタクシーを使ったが、たいした距離ではなかった。

日吉大社(ひよしたいしゃ)、かつては日吉社(ひえしゃ)と呼ばれていた。

第二次大戦を境に呼び名が変わったという。

ひえは、後に比叡の名の由来になるのだが、文献では古事記にもその名が記されている。

赤坂にあるのは日枝と書くが、全国にある日吉、日枝、山王神社の総本山である。

日枝の山頂からこの地に移ったのが二千百年前だという伝説だ。

一の鳥居にあるこの曼荼羅を見たときには広大な土地を想像したが、清々しく歩く事ができた。

曼荼羅で確認できるが、一の鳥居の先にあった大宮橋。

大宮と呼ぶのは、この先の西本宮に祀られた大国主神の方が、元々祀られていた東本宮の大山咋神(大きい山に杭を打つ所有者の神の意、日枝山の地主神)よりも上位であると見做されたためである。

しかし、現在は、明治の神仏分離により、東西の祭神が入れ替わっており、西本宮に大山咋神、東本宮に大国主神が祀られている。

大宮とは旧称であり、大比叡とも呼ばれていた。

大宮橋上で右手を眺めれば、走井橋。

作りが独特の山王鳥居。

上部に三角形の破風が乗り、仏教と神道の合一を象徴している。

日吉大社で大切に扱われている神猿(まさる)。

「魔が去る」「勝る」と言った縁起の良いお猿さん。

豊富秀吉は幼名が「日吉丸」、渾名が「猿」だったため、織田信長が焼き討ちしたこの神社の復興に尽力した。

これから見られる社殿は全て、安土桃山時代に再建された建築である。

西本宮拝殿。

西本宮本殿。



では、「無常という事」に移ろう。

『或云、比叡の御社に、いつはりてかんなぎのまねしたるなま女房の、十禅師の御前にて、夜うち深け、人しづまりて後、ていとうていとうと、つゞみをうちて、心すましたる声にて、とてもかくても候、なうなうとうたひけり。其心を人にしひ問われて云、生死無常に有様を思ふに、此世のことはとてもかくても候。なう後世をたすけ給へと申すなり。云々』

一言芳談抄の一文を、最早解釈すまい。

十禅師とは十禅師社の旧称で呼ばれる、樹下神社のことである。

それがここ、東本宮(旧称二宮、小比叡)にあるのだが、楼門からその姿を覗かせている。

現地に来ることによって、先の一文がとうとうすんなり頭に入った、そんな気がする。

日吉大社摂社樹下神社本殿
 この本殿は、三間社流造、檜皮葺の建物で、後方三間・二間が身舎、その前方一間通しの廂が前室となっています。
 数ある流造のなかでも比較的大型のもので、床下が日吉造と共通した方式であることや向拝階段前に吹寄格子の障壁を立てているのは、この本殿の特色となっています。
 文禄四(一五九五)年に建てられたことが墨書銘によってわかりますが、細部の様式も同時代の特色をよく示し、格子や破風、懸魚などに打った飾り金具は豪華なものです。
 明治三九(一九◯六)年四月に国の重要文化財に指定されました。

今は無き、鎌倉時代の姿が偲ばれる。

日吉大社摂社樹下神社拝殿
 この拝殿は、桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、妻入り、檜皮葺の建物です。
 方三間といわれる拝殿ですが、他とは、柱間が四方とも格子や格子戸となっている点が異なっています。屋根の妻飾は樹連格子、天井は小組格天井、回り縁は高欄付きとなっていて、本殿と同じく文禄四(一五九五)年に建てられたものです。
 なお、樹下神社の拝殿と本殿を結ぶ線と、東本宮の拝殿と本殿を結ぶ線が交わるのは珍しいものです。
 昭和三九(一九六四)年に国の重要文化財に指定されました。

日吉大社東本宮拝殿

日吉大社東本宮本殿

亀井霊水

大物忌神社

東本宮奥にあり、大山咋神の父神である大年神が祀られている。

明治になるまでは東本宮に祀られていたのが大山咋神だったためだろう。

さらに、境内入り口南側に社殿がある早尾神社が修復中のため、大年神の父神の素盞嗚神が一時的に引っ越してきていると張り出されていた。

素戔嗚と言えば、今はまだ言えないが、私は手を合わせねばならない。

そう思いながら目を閉じていると、足元で

はた

と音がした。

落ち葉が鳴らしたのだろうと足元を見ると、一枚だけきらきら光る葉と目が合った。

きっとこれだろうと手に取って、栞の代わりになればと持ち帰った。

今はもう枯れ葉の色になったのだが、素戔嗚と山王権現の加護ある品となった。



小林秀雄は、一言芳談抄の引用に続けて、こう述べる。

『これは「一言芳談抄」の中にある文で、読んだ時、いい文章だと心に残ったのであるが、先日、比叡山に行き、山王権現の辺りの青葉やら石垣やらを眺めて、ぼんやりとうろついていると、突然、この短文が、当時の絵巻物の残欠でも見る様な風に心に浮かび、文の節々が、まるで古びた絵の細勁な描線を辿る様に心に染み渡った。そんな経験は、はじめてなので、ひどく心が動き、坂本で蕎麦を喰っている間も、あやしい思いがしつづけた。あの時、自分は何を感じ、何を考えていたのだろうか、今になってそれがしきりに気にかかる。無論、取るに足らぬある幻覚が起こったにすぎまい。そう考えて済ますのは便利であるが、どうもそういう便利な考えを信用する気になれないのは、どうしたものだろうか。実は、何を書くのか判然しないままに書き始めているのである。』

今、この本文を書きなぞってみて、彼の一気呵成の勢いを感じた。

全くの、とまで言ってしまうわけにはいかないだろうが、同感だからである。

行列している蕎麦屋に這入ったが、蕎麦の味はいまいちだった。

私は美味しい蕎麦というものを知らない。

そして、あの時の感情をやはり思い出す事が出来ない。

小林秀雄は、この地の観光案内が書きたかったのかな、そんな下らない事を思っている。

【九月号】環状赴くまま #EX 船橋ー夏見 編集後記【キ刊TechnoBreakマガジン】

いつもと場所を変え、地元船橋からお送りする。

初秋の爽やかな夕方だった。

この日のゲストは、私の父である。

綿摘恭一と壮一のペアを狙ったが、親父の財布が頼みの綱だったというのもある。

東武百貨店のあるビル奥に船橋駅が収まっている。

小説では向こうに西武があるのだが、残念ながら閉店している。

よって、小説中でも早々に西武撤退から物語が始まる。

こちら側は、言わば船陰側だ。

反対側の船陽側はもっともっと歓楽街が広がっているが、今回歩く方は住宅街が続く。

この先、千葉県道288号、夏見小室線という道路を行く。

小室まで行けば、船橋アンデルセン公園がある。

奥にあるのは蛇沼公園。

かつて蛇沼という名の沼だったため、窪んでいる。

遠目に見たが、酒盛りに都合の良い落ち着いた雰囲気を感じた。

すぐ交差点となる。

ここが、駅前と呼べる範囲の限界と言えよう。

信号待ちしている間に、右手の長津川を収めた。

向こうで海老川に合流する。

業務スーパーの入り口はあるが、ここから先は住宅街然とする。

ゆるやかな傾斜の坂道。

左手が崖になっているのは、おそらく、長津川の河岸段丘だったからであろうとは父の説。

夕陽を浴びながら、消防隊員さんたちが訓練をしていた。

撮影者の後ろに船橋中学校がある。

彼らにとって、この光景は馴染みのものなのだろうが、私ははじめて知った。

飲めるハンバーグで存在感を出しつつある、焼肉屋さんの将泰庵。

奥の生そば、あずまさんの評判は、父も友人ずてに聞いていたらしい。

お蕎麦もお刺身もお肉も良いんだとか。

ここを一旦、右へ折れる。

行きたい行きたいと思っているお寿司屋さんは、月曜定休。

駅前に立ち食い店舗があり、ここを知らなきゃ船橋じゃモグリ。

市場のお寿司屋さんもおすすめだが、朝から昼までしかやっていない。

向かう先は雑木林。

というわけでは決してなく。

さりとて公民館が目的でもないのだが。

夏見日枝神社。

先日比叡山へ行ったばかりで、地図で見ていて気になったのだ。

入口がわからず、グルっと回ることになった。

道すがら、

「日吉大社は猿を尊重しているんだっけ」

「そう、神猿と書いてまさるって読むの。魔が去る、勝るっていう縁起のいいお猿さんが飼われていたよ」

「当時通っていた高専には全国から生徒が来るんだけど、パパなんかは小平の田舎者ってよく言われてた。友達に土屋勝くんってのがいて下北沢出身、父親が新聞記者のインテリで、当人は弁舌に長けてて全共闘でアジテーターを務めるカッコいいやつがクラスにいたんだ」

「高専ってどこにあるの?」

「高尾山のふもと、寮生活してるから。で、土屋くんからたまに誘われて、俺の身に危険が迫ったらお前が護ってくれって、用心棒みたいなのしたこともあってさ」

父は高専、大学と空手部で主将だった。部活ばかりしていたため、高専では友人たちからレポートを写させてもらう立場。大学三年への編入は成績不振で成らず、一年生として進学した。お陰で今度はレポートを友人に写させてやる立場になり、空手部でも期待の新人として活躍できたという。レールから外れても何とかなるというのは、外れても安全な範囲のレールに乗れていたためであろうか。

「けど、東京小平だけじゃなくて、本当に地方からやって来る、どう見たって田舎っぺみたいなのもいてね。柔道部の細野くんっていうんだけど、こいつがしょっちゅう人を笑わせる様なおかしなことを言うからよく一緒にいたんだ。あるとき、高専の漢文の授業で、青木先生っていう後に京都の大学教授になる先生が、李白の『早発白帝城』を講義してくれた。『早に白帝城を発す、朝に辞す白帝彩雲の間、千里の江陵一日にして還へる、両岸の猿声啼き往まざるに』と偉大なる青木先生が読んでいると、前に座っていた細野がすかさずクルッとこっちへ振り向いて「啼き、山猿に」と得意満面の笑みで土屋勝のことを指差すんだ。あの何とも言えない、ニンマリした表情は決して忘れられない。」

父もまた笑顔になり、身振りを交えて繰り返した。土屋勝と啼き往まざるで、山猿。田舎っぺでイモの細野氏が都会っ子でインテリの土屋氏を、ここぞとばかりに揶揄する様は、当人にとってはさぞ気が晴れたことだったろうし、される側からすれば苦々しいことだったに違いない。細野氏はその後、化学の道に進み、まだ若いから受賞は無理だが何年か前にノーベル賞候補になったという。

日吉大社が猿を珍重しているという話題が、刹那のうちに父に過去を思い出させたのだった。

通りに戻ると、目の前は小さな公園。

球技をしている子供たちもおり、ここの向こうに小学校がある。

将泰庵のもとまで戻る。

右へ、夏見小室線を改めて直進する。

もうゴールはすぐである。

お寿司が休みなら、焼肉にしても良いのだが、鰻。

こちらのメニューは至ってシンプル。

鯉の洗い。

これを摘みながら、父の宴会の余興にバニーガールの格好でいつまでも待機させられた所為でキリンビールだけは飲むまいと決めた話も聞けた。

現在、父とキリンビールは和解している。

うざく、二人前から注文可。

菊正のぬる燗は主役を引き立てる大健闘で、大いに株を上げた。

この後、鰻重。

ぱりぱりではなくふわふわのやつで、美味い美味い言って平らげる。

船橋の住宅街、夏見にも良いお店や美味しいお店が沢山あることを伝えられただろうか。








編集後記

 休刊をはさんだ九月号は、船橋特集となった。特筆すべきは船橋ノワールの世界に、宜敷準一が参上したことだろう。これは、ライターごっこを続けていくうちに、どうしてもそうせざるを得ない様な気がしたために実現した事であり、今後はスピンオフの虚飾性無完全飯罪の内部で、ヨモツヘグリともうタレに並行して進行する予定だ。

 で、本題の船橋ノワールを今月の総力特集としていたのだが、有体に言えば落とした。八月末に四泊五日の業務が急に入れられたのが原因である。しかしながら、「落とした」ということは「書いている」ということでもある。次回第七章は前半の区切りとなるから、楽しみにしていてほしい。