【九月号】もう付属の餃子のタレを使わない(かもしれない) #005 船橋 海神亭【キ刊TechnoBreakマガジン】

地元船橋で一番餃子が美味しいお店はどこか。

その判断はしかねる。

船橋も広いので全食制覇は難しいし、その割にほとんどがハズレだろうという感覚を持っているから。

例えば、『よく行く』美味しいラーメン屋さんの餃子は、注文するに値しないことを知っている。

さらに東武と西武の抗争よろしく、南翔饅頭店と鼎泰豊とが睨み合っているのが船橋だ。

この地には餃子だけではなく、小籠包も花開いたようである。

しかしながら、ここに来たら必ず餃子を注文する、というお店がある。

そこの餃子が、世界で一番美味しい餃子なのだ。

もう付属の餃子のタレを使わない(かもしれない)、紹介したくないお店を書く。

土地の規模が違うから街中華、ではなく町中華となる。

カウンター九人程度(が埋まっているのを見たことはない)、奥にテーブルが確か二人用一組(座ったことはない)。

ガラリと引き戸を開け、奥へぐっと細長い店内だ。

年季の入った朱色のカウンターが、当然褒め言葉だが、小汚い便所のような空間に延びている。

店主は寡黙だが愛嬌のある面構えで、高齢の割に挨拶の声に張りがあるのが良い。

その名もずばり、海神軒という。

数十年前、ここ海神には何件もお寿司屋さんが建ち並んでいたという。

今となっては只二軒ではあるのだが、うち一軒の大将が言うには、この海神軒さんが最長老だということらしい。

僕はお寿司屋さんでガリの使い所が分からないながら、そのお店では海神軒さんの良い評判を聞いたことがある。

そんなわけで、世界で一番家から近くて、(僕の)世界で一番美味しい餃子を、(この頃は色々なお店で食べ歩いているため)久しぶりに食べに行った。

実は、前回の麻布皇竜さんを訪問してから、そう日が経っていないのだ。

皇竜さんの餃子一つが、紛れもなく海神軒さんの餃子一皿、すなわち四百円で五個入りなのである。

引き戸を開けて、定位置、手前から四番目の席に着く。

「いらっしゃい」穏やかな声色のマスターがメニューを差し出してくる。

「瓶ビールと餃子ください」受け取ったメニューは脇へ。

女将さんが瓶ビールとグラスを出してくれる。

すかさず、小皿のキムチ。

それからグラス二杯、ものの二、三分で餃子が提供される。

ひだ少なめのやつが、油でしっとりぬれて、きつね色に焼き上がっている。

僕は、餃子のタレで論争を引き起こしたいなどと思わない。

ただ、好みの調合があるだけ、エキストラドライのタレにする。

何だって良いのだ、もう付属の餃子のタレを使わないのだから。

すなわち、海神軒さんの餃子の下味がしっかりしているということだ。

熱々のやつを、火傷しないように半分かじりつく。

しんなりした皮が、ほくほくの餡にからむ。

味付けは強めの甘みが印象深く、香味野菜の風味が鮮烈だ。

この味わいは他所で出会ったことがない、唯一のものである。

手作り、手包み、素晴らしい逸品。

この味が後何年もつのか、書きながらふと考えて寂しくなる。

一つ目を食べ終え、ビールで流し込み、回鍋肉を追加注文する。

ここの回鍋肉も絶品なのだ。

あまりにもここの回鍋肉が好きなので、お給料を貰うようになってから

『都内 回鍋肉 名店』

で検索したことがあった。

そのうちの一軒がたまたま動線にあったので毎週行っていたのだが、しばらくしてからそのお店では麻婆豆腐ばかり注文するようになった。

それくらい、海神軒さんの回鍋肉の影響が強いのだ。

(そのお店の麻婆豆腐は、後の麻婆演義の切っ掛けとなり、ニンニクGenoci道にも通じたが、店舗老朽化のため閉業した。)

ビール、手作り餃子、回鍋肉が私的な海神軒さんの三種の神器だ。

他には豚の唐揚げがおすすめ。

こういうときに

「このお店では何を注文しても美味しい」

と書きたいのだが、正直に言うと、おすすめしたお料理だけが良い。

一通りこれらで飲んだら、近所の『あき』という居酒屋さんで飲み直すのが良い。

世界一美味しい餃子と、世界一好きな回鍋肉のお店。

以前来た時にふとカウンターの上を見たら、クックドゥの業務用回鍋肉ソースのボトルが置かれていたのが笑えた。

【七月号】もう付属の餃子のタレを使わない(かもしれない) #004 麻布十番 登龍【キ刊TechnoBreakマガジン】

うれしはずかし、給料日。

昔好きだったアニメで、こんな言葉から始まる回があった。

五人少女の戦隊モノみたいなギャグ、再放送をよく観ていた。

給料日にお鮨屋へ繰り出し、ヘンテコな蛸の板前から酷い仕打ちを受ける回。

あがりというのは最後の番茶を指すもので、とりあえずの場合は出花と言うんだという指摘が妙に印象に残っている。

僕なんか、ガリと呼ばれている生姜の使い所が分からないから、あんな大将がいるようなお店に行ったら怒鳴られっぱなしなんじゃなかろうか。

しかし、お店の方達が使う符牒とか、そういった言葉を知ったかぶって、通気取りの発言が実は場を白けさせていたなんてシーンを想像すると空恐ろしくなる。

そういえば、小学生の頃の理科の授業で、お風呂なんかで見られる湯気のことを、湯気と断言して良いか慎重になって

「白いもやもや」

と言ったのを、クラスのみんなが笑ったことがあった。

「準ちゃん、それは水蒸気だよ」

すると理科に詳しい担任のN先生が、説明してくれた。

水蒸気というのは気体になった水で、それは目に見えない。

目に見えているのは細かい粒子状の液体に戻った水のことで、水蒸気とは別物であること。

湯気と言う代わりに、白いもやもやと呼んだ方がまだ誤りではないのだ、と。

僕の言葉に対する姿勢の原点は、あの授業にある。

話がそれたが、こんな僕にもうれしはずかし給料日がきた。

ただの給料日ではなく、年に二回のボーナスだ。

この日に行こうと決めていたお店がある。

普段の日常の延長で行くようなお店ではないと思えたから、待ちに待った日だといえる。

少々善良にすぎる船橋市民として面白みにかけるのだが、麻布十番という街、何処にあるのやら、詳しくないのだがやって来た。

なんと、乗り換えに門前仲町から大江戸線を使った。

もつ煮と餃子が取り持つ路線になりつつあるのが、なんだか可笑しい。

皇竜というお店は、伝説的なコメディアンの某氏も薦めたという美味しい餃子を出すそうだ。

それが驚くべきことに、というか恥ずかしながら、お給料を握りしめて船橋くんだりからこのお店へノコノコやって来たのは、そのお値段の高さも理由の一つである。

高くて美味いは当たり前のことだから、特にヨモツヘグリの教義は普段口にできない物として滅多にないお店で安い煮込みを頂いたりする。

そこを、今日はちょっと外してみようというわけだ。

で、洒落た船橋、といった印象の慣れない街並みを少しばかり歩き、お店の中へと這入った。

狭い、とまでは言わないが、コンパクトな店内だ。

二階席もあるらしく、そちらは別の落ち着いた印象があるようだ。

調度品は古ぼけていて、良い意味の伝統を感じさせる。

四人掛けテーブルが六つほどある一階の席に着く。

テーブルクロスが不自然なほど真っ白で、高級店の矜持を感じられる。

何せ、瓶ビールが一本千円もするのだから。

麹町にも皇竜さんはあるそうなのだが、焼き餃子を提供しているのはこちらだけだという。

厳選した素材だけを選りすぐって作られる品々が自慢のお店との触れ込みである。

それならば、瓶ビールに素材もへちまも無いだろうと思いつつ、注文する。

銘柄を訊かれた、アサヒかキリンかサッポロかモルツか。

そういう事じゃないんだけどなと思いつつ、喉が渇いているのでスーパードライにした。

小皿三つと併せて提供される。

胡桃に溶かした砂糖を薄く塗りつけたもの、刻んだザーサイ、赤黒いタレに浸された刻みネギ。

胡桃は歯触りと香りがよく、ビールを飲む手に拍車がかかる。

胡桃のお皿が空になるころに餃子が届けられた。

大ぶりの餃子が五つ、見事な焼き目を上にして胸を張る様に並んでいる。

これら一つひとつが、そこらの街中華の餃子一皿と同程度の値段なのだから驚きだ。

あらかじめ調合されたタレも別皿で添えられている。

何もつけずに半分かじりつく。

ビールで呆けた目蓋が見開かれた。

皮の中いっぱいに詰まった熱い肉汁が溢れ出そうになったためだ。

小籠包でもないのにこの瑞々しさは、正直凄い。

包み込んでいる厚ぼったく無い皮に非常な好感を持つ。

冷たいビールで口中と頭を冷やし、残り半分を食べる。

で、再度それをビールで流す。

はっきり言って最初の一つ目に感想は無い、無心でパクついたのだ。

それで、改めて二つ目の餃子を半分かじりつく。

解像度の高い餡、パラパラと口の中でほどけていく。

なるほど、舌触りに緩急強弱を演出する要素の一つは、この春雨か。

さらに加えて、下味がしっかり濃口でグイグイと迫ってくる。

まだ僕は付属のタレを使っていないのだから尚更面白い。

三つ目をタレにつけて頂く。

酸味が立つ印象だが、下味が強いのでさほどの変化を感じない印象。

しかし、どうやら練り辛子を使用したような酸味なので、僕はこちらが好きだ。

辣油の辛さも付加されて味わいに一層の深みが出る。

この日は幸い、皮が張り裂けて肉汁で火傷を負うような悲劇に見舞われることは無かった。

試みに、突き出しの小皿の一つに入っていたネギを乗せて、もう半分を頂く。

パンとはぜるような辛味、これは青唐辛子だったようだ。

ここの餃子、益々楽しませてくれるじゃないか。

このタイミングで、炒飯と麻婆豆腐を注文。

結局、残りの二つは青唐辛子を分けて乗せて、タレはつけたりつけなかったりして食べ終えた。

炒飯来来。

値が張ることもあり、一番平凡な素炒飯にしたが、平凡な見た目だ。

味も平凡で吃驚した。

以前、「麻婆演義」という麻婆豆腐の食べ歩記を行っていた頃から、次は「炒飯立志伝」でもやるかと思っていたのだが、ここの炒飯はもう無いな。

高級店で並のものを選んだ報いかもしれないが、値段不相応も甚だしい。

麻婆豆腐も然りであった。

麻婆演義においても、一言触れておく必要があるかと思われる。

それに、有名コメディアンは、このお店の餃子を推していたのだ。

最後に、ここのところ準レギュラーの担々麺。

こちらのお店では、麺類を一括して皇麺と呼んでいて、筆頭は炒韮皇麺(ニラソバ)だ。

で、我々が担々麺と呼んでいるものは、こちらでは四川皇麺となっている。

こちらは高い分、大満足の一杯だった。

ここ最近、滅多に出くわさない味わいである。

落花生も混じっているようなペーストが全体にたっぷりと掛けられていて、赤茶けた湖の中にふわふわの花崗岩で出来た雲が浮かんでいるかのようだ。

今は閉業してしまった担々麺専門店の味が若い日からの基準になってしまっているため、もう一度食べたいと思えるような担々麺は片手で十分足りてしまう。

ここのお店が三本目の指となった。

つゆを飲み干し、汗だくになりながら御会計。

一人で四、五人前の料金になったのだが、普段からそれくらい食べている。

【六月号】もう付属の餃子のタレを使わない(かもしれない) #003 餃子の王将【キ刊TechnoBreakマガジン】

十個上に星の先輩というのがいる。

星野先輩ではなく、星の先輩だ。

最近はめっきり頻度が落ちたが、以前はほとんど毎晩飲み歩いていた。

一食一飯の頃より、もうだいぶ前のことになる。

軍閥の食堂で昼を食い、夜は船橋で飲み歩き、これで朝食まで一緒に食うことになったらそれはもう夫婦と言っていいだろうと内心思っていた。

お互い未婚である。

夜はずっと仕事の話で飲んでいる。

星の先輩は、習志野の士官学校で一番の文官だ。

私から誘うのが四、向こうからが二、他所様と合同が一。

こうなると、何が仕事で何が日常か判然としなくなる。

当時もまた、私にとって一つの危機だったのだと思えてくる。

過渡期ではない現代なぞ、過去に一度だってありはしないのだ。

あるとき、星の先輩から東北旅行の提案があった。

仙台で落ち合って一泊。

その日は先輩の御学友も参加し、車を出してくださった。

翌朝は松島へ向かい、牡蠣とビール。

その後、フェリーで塩釜まで揺られて、電車で山形県の山寺へ。

登り降りしてから、再び電車で酒田市へ。

彼のご実家がそちらにある。

夏の旅行だったのだが、既に陽は落ちて真っ暗だ。

駅までお父上が迎えにきてくれた。

二十分ほどでご実家に到着。

真隣が小学校という、随分と恵まれた幼少期が過ごせそうなお宅だった。

すると、夕食の準備にまだ少し時間がかかるから、と前置きをした上で

「星を見ようよ」

と申し出があった。

この話をすると誰もが笑う。

ついたあだ名が星の先輩、なのである。

笑い話の自覚が最近できたので書いた。

さて、最近はめっきり頻度が落ちたのではあるが、先日久しぶりに飲みに誘った。

すると珍しく、ここに行きたい、と先輩の方からお店の提案をされた。

近々値上がりするそうなので、その前に行きたいと思ったんだそうだ。

餃子の王将である。

普段は一人餃子なので、今回は期せずして楽しめそうな運びとなった。

どこにでもあるようでいて、動線上にないため、滅多に行かない餃子の王将。

お店に這入る前に雨が降り出したので、駆け込んだ。

十七時過ぎ、店内にはそれほどお客はいないので助かった。

席につくなり先ずは生ビール、と行きたいところだったが。

生ビールセットのようなのがあり、これが笑える。

生ビール、餃子一人前、それとシャウエッセンの茹でたの三本で千円弱。

ふふ、王将餃子六個対シャウエッセン三本でとんとんとは。

ちょっと待たされてビールが出てくる。

乾杯して飲み干す、もう喉がカラカラだ。

味も何も判らないが、発泡酒ではないことは確かだろう。

美味い、脳髄がパチパチするかのようだ。

グラスが空になった瞬間に餃子が二皿と、シャウエッセンが一皿来る。

もう一皿は出来次第運ばれてくるらしい。

先に星の先輩に譲った。

お互い餃子には手をつけず、ビールをもう一杯注文する。

で、ちょっと待つ。

我々の良くない癖というか呪いというか。

飲み干す、ツマミ来る、飲み物待つの悪循環がよくある。

ちょっと待たされてビールが出てくる。

いよいよ餃子をぱくり。

極薄の皮は何故かパリパリに乾くことなく、十分に潤いを帯びており、官能的な口当たりをさせてくれる。

僕は思わず顔を赤らめでもしそうだった。

まさか飲食の快感を、言ってはなんだがこんなチェーン店でさせられるとは思いもよらなかった。

まだ一口目なのに再度の来訪は間違いない。

餡にしっかりと味がついているのも良い、涙が出てきそうになっている。

日暮里の仇を王将で討った。

ここまでコンマ三秒の感動である。

感動はビールで一気に流された。

夢か現か、確かめるように二つ目を口に放り込む。

絹のように滑らかな食感のおかげで、閉じ目に施された襞の一つ一つまでもがはっきりと感じられる。

僕が餃子を食べているのか、餃子の方に僕の舌を食われているのか判然としない。

官能的な口当たりというのは、どうやらそういうことのようだ。

忌々しくなって、その感情ごとビールで飲み干す。

何て美味しい食べ物がこの世にはあるのだろうかと、そんなものは錯覚だと一生に付されるかのような幻覚を見た。

気を取り直し、先輩に遅れて届いたシャウエッセンへ。

横にあるケチャップはこの日は一度も使わなかった。

ハリのある皮を破って口の中を縦横無尽に駆け巡る肉汁は、やはりこちらに軍配が上がる。

何もつけないでも食わせる気概を感じる塩味が絶妙だ。

売り場で見かける包装の鯨幕めいた不吉さを一顧だにさせない、貫禄の逸品である。

で、ビール。

口の中が上海対ミュンヘンの代理戦争状態ではないか。

餃子二個からシャウエッセン一本で食べ比べながらビールを飲む。

交互に繰り返してその優劣を測る。

測り切れるものではない。

ホッピーセットに移行して、もう一巡比べてみる。

判らぬ。

しかし、この餃子が一皿二六◯円というのが破格であることは解る。

対するシャウエッセン三本の価値は、二六◯円足り得るのか。

ここが争点だ。

疑問は解決せぬままに夜が、飲酒が加速する。

星の先輩は歴史好きで、僕のことを真田幸村と喩えるから彼の判断はなんとも言えない。

【四月号】もう付属の餃子のタレを使わない(かもしれない) #001 大阪王将 業務用冷凍餃子【キ刊TechnoBreakマガジン】

学部一年の頃、二外の講義で

「ドイツで早い、安い、美味いを狙うならケバブです。おまけに、栄養バランスも良いから、長旅で資金面が不安になったら、屋台がそこら中にあるからおススメです」という話があった時、

『餃子みたいなもんか』とふと思った。

美味しんぼのアニメで山岡士郎が、餃子は完全食になりうる云々していたためだ。

資金面が安心だった欧州旅行において、ドイツでは右も左もバーガーキングで世話になり通し。

結局、買い食いした屋台はブランデンブルク門に臨んだカリーヴルストと、オクトーバーフェストの出店だけ。

だから、ケバブには少しも縁が無かったのだが、餃子には少なからぬ因縁がある。

因果、と言っても差し支えないかもしれない。

先日もその因が生じた。

モツ野ニコ美女史と、業務上の連絡を取っていた終わりのことだ。

やりとりの仕舞いに、その日は家で餃子を食べたなどと話が出た。

理研の大葉ドレッシングにつけたらいくらでも食べられるのだとか。

僕は家で餃子ということを滅多にしない。

作ることになるためだ。

市販のものを焼くくらいなら、別のごった煮なりなんなり作ってしまう。

しかし、彼女の意見は、僕の心に抜けない棘となって残留した。

僕にとって餃子は、地元の町中華と、木場の来々軒の二つで自足できる。

しかし、それも小さな世界の出来事だ。

ありのままの人生に折り合いをつけているような場合ではないのではあるまいか。

モツ野ニコ美という、素性も本性も本名も不明の謎の女。

不定期で行われる、彼女と同じ現場での仕事が少しだけ楽しみになっているのだが、その合間々々の慰みにでもふらっと餃子で飲み歩きというのも、なかなかに酔狂なものだ。

と思って、早速買ってきた。

先ずは、家で、だ。

家から始まり、家で終ろう、と思う。

買ってきたのは、業務用の大阪王将冷凍餃子。

千円弱で、五十個前後入っている。

話は逸れるが、#001ということで、まあよかろうと思って述べる。

千円で五十個なら、一つ二十円。

なるほど、これを業界最安値と仮定してよかろう。

近所の好きなお店では、五つ四百円。

自分で作れば、二十四個で五百円ほどだろうか、手間賃も含めば額は跳ね上がるが。

何が言いたいというわけでもないが、有り難いことと当たり前とを混同してはなるまい。

では、作る。

冷凍餃子の有り難さは、作らなくて良いことである。

だから、焼くだけで良い。

だが、私は焼かぬ。

串うち三年、裂き八年、焼き一生。

鰻と一緒というわけでもあるまいが、私には焼きの技術はないに等しい。

日にたった三度しかない食事の機会を、焼きに左右されて一喜一憂したくはない。

なので、茹でてしまう。

男三人なら、大鍋に全てを入れて水を張り、茹でるだけ。

一人の夜は、小さなフライパン一面に餃子を載せ、水に浸して火にかける。

沸騰したら食べ頃、というわけにはいかない。

その時は、まだ餃子の温度にむらがあり、冷たい箇所が残っている。

沸騰させたまま三分程度が良い。

少々煮過ぎたとしても煮崩れしないのは大したものだと思う。



アクアリウムを優雅に遊ぶ観賞魚というには大袈裟にすぎるが、真っ白な金魚が一面にたゆたっているようだ(金なのか白なのかという議論は置くとして)。

これを湯豆腐すくいでドゥルルルル。

湯豆腐すくいでドゥルルルル?

ふむ、気に入った。

理研の大葉ドレッシングで満たした器に入れてから、湯豆腐すくいでドゥルルルル。

「げほん!!」

むせた。

本来、生野菜に振りかけて頂くためのドレッシングが気管にダイレクトに作用した。

炎のさだめかと思った。

気を取り直し、渇いた心をビールで癒し、飽くことなぞないであろう戦いに備える。

二度目は慎重に頂く。

強い香りの餡と、爽やかで滋味あふれるドレッシングが絶妙だ。

で、ビール。

さっきは慌てて飲む羽目になったわけだが、やはり気持ちがほぐれる。

餃子とビールでドゥルルルル。

美味しい、楽しい、心地良い。

なんかもうこれだと、餃子は飲み物。

……と言うのはパクりみたいで面白くないから、餃子は麺類。

となると焼き餃子は焼きそばみたいなもんだ。

もう付属の餃子のタレを使わないかもしれない。

謎の女と、たまのモツ煮で飲み歩きも良いのだが、一人餃子で飲み歩き。

こういうのに出向いてみる気が俄然湧いてきた。